杣(そま)とは森に対する古い名称のことである。杣にはあまたの径(みち)があるが、大抵は草木に覆われ、突如として径無き所に杜絶する。
それらは杣径と呼ばれている。
どの杣径も離れた別の経路を走る、しかし同じ森の中に消えてしまう。しばしば或る杣径が他の杣径と似ているように見える。けれども、似ているように見えるだけである。
これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、熟知しているのは彼らなのである。
マルティン・ハイデッガー全集第五巻 題辞(1977年以降版)
単行版 3 頁。全集版では欠落。以下、後続巻でのお詫びの一葉。
「マルティン・ハイデッガー全集予約購読者へのお願い。
技術的な見落としのために第 5 巻『杣径』には題辞が欠けています。どうかこの一葉を目次の前のところにつけ足して下さい。編者ならびに発行所はこの見落としに対して遺憾の意を表明致します。」
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...ここでは、後期と晩年のハイデッガーの思索の源泉は、中期の『哲学への寄与』に存すること、そこで胎動を始める「有」や「自現」についての思索は、それ以来ハイデッガーの公表し公開した講演や論文の根柢に潜むこと、その潜む思索が初めて露(あらわ)となるのは『杣径』であること、『杣径』のほぼ十年間は、形而上学から最早既に形而上学的ならざる別の源泉への、同行者無しの、その都度の足の踏み跡によってのみ踏み越えられる、水源への径程(みちのり)と成ったこと、これだけを指摘しておこう。 「訳者後記(茅野良男)」より
『ハイデッガー全集』第 5 巻(創文社) 初版第一刷 1988年8月25日
ハイデッガー『杣径( Holzwege )』の構成
- 芸術作品の起源(1935 / 36年)
- 世界像の時代(1938年)
- ヘーゲルの経験概念(1942 / 43年)
- ニーチェの言葉「神は死せり」(1943年)
- 何のための詩人たちか(1946年)
- アナクシマンドロスの箴言(1946年)
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