| 野々村 |
浮月斎 まず作品の印象ですが、全体的に面白く聴きとおせました。どちらかというと「Musica ricercata」よりは「Etude」が面白く、かつ「Cordes a vide(開放弦)」や「Arc-en-ciel(虹)」のような淡い曲調の作品(或いは部分)が気に入りました。でも「白の上の白」が一番よかったかな。
この録音に関して言えば、私も全く同意見です。
浮月斎 ピアニストのエマールについては、(中略)野々村さんが以前からおっしゃっている「内省的」という表現の感触はなんとなくわかりましたが、私の印象では「よく知的に統色された」という感じですね。
第2巻で妙に落ち着いたまとまりを感じさせてしまうあたりがそういう表現の根拠なのでしょうが、「開放弦」や「虹」や「ワルシャワの秋」のウェーベルン的な清潔なロマンティシズムは、やはり「内省的」と言いたいな。
浮月斎 正しい解釈かどうかは別としても、もっと*色気*の出そうな曲もあるなぁという思いがあり、逆に考えれば、この曲は私でさえ割と自然に馴染める「古典的な」芳香もあり、こんなものなのかなと不思議な気がしました。
リゲティはブーレーズと並んで、20世紀後半を代表する作曲家の中では、最も「古典的」(良い意味で)な資質を持つ一人でしょう。
浮月斎 私は彼は「白の上の白」が最もその資質にあっていると先日の来演を聴いて強く思いました。勿論、エマールの響きは素晴らしいのですが、アムランの技巧と淡く清冽なロマンがこの曲に反映すると、もっと陶酔的な境地を誘うのではないかと。「白の上の白」を私はそういう心持ちで聴いていました。
う〜ん、録音だけからの判断では、「白の上の白」は最もエマール向きで、最もアムランには向かない曲と感じたのですが。あの曲のロマンティシズムは、グールドのバッハのロマンティシズムだから。
浮月斎 エマールに関して「知的に統色」と私が思った印象は、皮肉にも第2巻の難曲風の作品で逆に強められた感がありました。が、作品のダイナミズムはかなりうまく出ているかもしれないなと思いました。
これも同感。作曲者も満足しているのだから、「かなりうまく出て」はいるのでしょう。
浮月斎 しかし一方で、第2巻は超絶技巧的な「外面性」はそれほど華美に聞こえないせいか、超絶技巧で弾きこなす方が何か曲に対する素直な面白味を減衰してしまうような気もするのですが。
う〜ん、それはエマールの責任でしょうね。大井氏が聴かせてくれるのはもっとイケイケな音楽で、私にとっては、2巻はそういう方がずっと面白いなあ。
鈴木 リゲティを一時期大量に聞いてきた身としては、メロディエン前の、野々村さんが、現代音楽の流行を追うのをやめたとおっしゃっておられた、その前の作品がやはり好きです。時期的には、亡命直後から1970年くらいまでかなあ。
「流行の後追いをやめた」のは、具体的には1980年代はじめ、『マジャール・エチュード』『練習曲集第1巻』のあたりからです。『大いなる死』なんてのは、お題目はどうだろうと、「後追い」の最たるものです。
鈴木 あの渦を巻くようなトーン・クラスターは今聞いてもすごいと思います。技法的には誰が作曲しても同じような響きになるはずなのにリゲティは独自の音を持っています。
トーンクラスターは感覚的な音処理なので、「誰が作曲しても同じ」にはなりません。ペンデレツキの*羊羹*だけがトーンクラスターではありません。リゲティの譜面は細部まで書き込まれています。ともかく私は、シェルシの『アイオン』『ウアクサクタム』やクセナキスの『テレテクトール』『サンドレ』を聴いたら、『レクイエム』『ロンターノ』程度では比較にもならないと思うのですが。SQ第2番にしたって、バルトークのSQ第4番の現代風トランスクリプションにすぎないわけだし。
鈴木 恐らく、1980年までを総括すると、クセナキスとリゲティでしょうね。クラシックの延長上での最も優れた仕事をしてきた人は。
私見では、「別格」がシェルシとクセナキス、その次がケ−ジ、フェルドマン、ノーノ、カーゲルで、また次が松平頼則、ブーレーズ、リゲティ、シュトックハウゼン。リゲティはクラシックそのものですが、クセナキスって果たして「クラシックの延長線上」なんでしょうかねえ。
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| 浮月斎 |
野々村 「開放弦」や「虹」や「ワルシャワの秋」のウェーベルン的な清潔なロマンティシズムは、やはり「内省的」と言いたいな。
そうそう、その「ウェーベルン的な清潔なロマンティシズム」というのがまさにぴったりの言葉ですね。とにかく、私の場合、リゲティに対する狭見的印象はこれらの作品で払拭された感じです。
野々村 私は「前衛時代」のリゲティより、こっちの方が好きなのですが。彼の本質はポリフォニーにあり、それは様式の如何によらず変わらないのですが、こういう「古典的」なスタイルの方が、その美質がよく発揮されていると思うのです。
自信なさげですが、同感です。多分、私もある程度リゲティの稜線を辿ったら、きっとこの世界が最も気に入るのではないかと思っています。リゲティ自身の細かな監修という呪縛を離れても、この世界は非常に独特の美の領域があると思いました。ひとつには造形美術にインスパイアされたタイトルの作品が幾つかあり、見ず知らずの具象を想起させるイマジネーションも割合いい味わいではないかと思いました。
野々村 録音だけからの判断では、「白の上の白」は最もエマール向きで、最もアムランには向かない曲と感じたのですが。あの曲のロマンティシズムは、グールドのバッハのロマンティシズムだから。
勿論ここでのエマールの持ち味については断然肯定的ですが、作曲者の意図を離れるかもしれないけれど、この曲には清廉な陶酔があるような気がしました。アムランの実演を聴いて、彼のピアニズムは実際、録音よりも遥かに清冽で磨かれた美感に満ちた音色だったという印象が強く、あの音がそのままの形で生きるなら、極めて冷ややかに透きとおったロマンティシズムを堪能できそうだと思いました。
浮月斎 しかし一方で、第2巻は超絶技巧的な「外面性」はそれほど華美に聞こえないせいか、超絶技巧で弾きこなす方が何か曲に対する素直な面白味を減衰してしまうような気もするのですが。
野々村 う〜ん、それはエマールの責任でしょうね。大井氏が聴かせてくれるのはもっとイケイケな音楽で、私にとっては、2巻はそういう方がずっと面白いなあ。
やはり一度大井氏も含めて、そういう方向での演奏を比較して聴いてみたいですね。野々村さんの「ドライブ感」というのも、アムラン的ピアニストで想定すると確かにスリリングで爽快だろうなぁという気は勿論あるので、聴いてみたらやっぱりこっちがいいやということにもなりかねませんが。
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| 鈴木 |
斉諧生 曲や解釈を云々するのは、私には少々無謀ですが、あえて注文を申せば、「闇」がないということ
野々村 そうですね。ハンガリー時代の人生の「闇」に嫌気がさして、音楽にはそういうものを持ち込まないのかも。
小生、その闇の部分が好きなのですが...。エマールの演奏が、「闇」を吹っ切ったと言えばその通りだと思いますが。
山下 ただ...、こういった曲の場合人が演奏することの必然性があまりないのでは??と感じてしまいます。エチュードなのである程度仕方がないとは思いますが...
野々村 いやいや、同じシリーズのVol.5に自動ピアノ版が収録されていますが、やっぱり全然違いますよ。アーティキュレーションは非常に大切です。
これは野々村さんに賛成。有名な「アトモスフェール」も最初は電子音楽(何という懐かしい響き!)で作曲されたのですが、結局スコア90段にも及ぶ”人間が奏でる”作品として日の目を見た。リゲティは、案外人間くさいですよ。一度、モーツァルトの自動楽器のための音楽を、リゲティの作品でサンドウィッチしたCDを取り上げたことがありますが、リゲティの音楽の人間くさいこと(^ ^;;;;。無論、自動楽器での作曲技法は異なるでしょうが、リゲティの音楽は「人間寄り」です。
野々村 う〜ん、私は「前衛時代」のリゲティより、こっちの方が好きなのですが。彼の本質はポリフォニーにあり、それは様式の如何によらず変わらないのですが、こういう「古典的」なスタイルの方が、その美質がよく発揮されていると思うのです。トーンクラスター様式では、そりゃルトスワフスキやペンデレツキよりはましとはいえ、シェルシやクセナキスの敵ではない。
小生も再三書いたように、「前衛時代」のリゲティが好きです。今聞いてもそうです。ただ言えることは、同じトーンクラスターと言っても、シェルシ(これはまだ充分聞いたとは言えませんが)やクセナキスの目指したものと、リゲティでは随分と違う。ペンデレッキとの親近性は感じますが:-)。
浮月斎 まず作品の印象ですが、全体的に面白く聴きとおせました。どちらかというと「Musica ricercata」よりは「Etude」が面白く、かつ「Cordes a vide(開放弦)」や「Arc-en-ciel(虹)」のような淡い曲調の作品(或いは部分)が気に入りました。でも「白の上の白」が一番よかったかな。
野々村 この録音に関して言えば、私も全く同意見です。
これは御両所に同感。
野々村 トーンクラスターは感覚的な音処理なので、「誰が作曲しても同じ」にはなりません。ペンデレツキの*羊羹*だけがトーンクラスターではありません。リゲティの譜面は細部まで書き込まれています。
だから、独自の音響が出るのでしょう。ペンデレッキの*羊羹*(これは言い得て妙)と親近性は感じます。
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| 斉諧生 |
野々村 ハンガリー時代の人生の「闇」に嫌気がさして
リゲティのバイオについても全く知らないのですが、政治的な弾圧でも蒙ったのでしょうか?
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| 佐々木 |
皆さんの感想をお聞きしている限り、今回のディスクは今まで取り上げられた中でも評価が高い部類に入るような気がしますがいかがでしょうか。私もエチュードの邦題を見ながらリゲティを聴き直しています。最初にとっつきやすかったのはムジカ・リチェルカータの方ですが、聴き返して味わい深いのはやはりエチュードの方ですね。聴く前の予想と違い、なかなか気に入ってしまいました。
山下 ただ...、こういった曲の場合人が演奏することの必然性があまりないのでは??と感じてしまいます。エチュードなのである程度仕方がないとは思いますが...
野々村 いやいや、同じシリーズのVol.5に自動ピアノ版が収録されていますが、やっぱり全然違いますよ。アーティキュレーションは非常に大切です。
私も今日自動ピアノ版と Etude No.9-11,13を聞き比べてみましたがNo.9「眩暈」、11「宙ぶらりん/不安定な」はエマールの演奏は曲想が微妙に移ろう、なかなか良い趣ですが、こういう曲だと自動ピアノは本当に無機質で問題になりません。No.10「魔法使いの弟子」、13「悪魔の階段」あたりだと自動ピアノでの曖昧さのないタッチと荒々しさからエマールのピアノにない味わいを感じますけれどそれでも聞き比べたお陰で逆にエマールのピアノの良さを認識できたという感じがします。
浮月斎 まず作品の印象ですが、全体的に面白く聴きとおせました。どちらかというと「Musica ricercata」よりは「Etude」が面白く、かつ「Cordes a vide(開放弦)」や「Arc-en-ciel(虹)」のような淡い曲調の作品(或いは部分)が気に入りました。でも「白の上の白」が一番よかったかな。
野々村 この録音に関して言えば、私も全く同意見です。
白の上の白は、「フレスコヴァルディへのオマージュ」が静かに終わった後の静寂の中で始まるのがとても印象的で曲の並べ方も本当にうまいなぁと思いました。もちろん曲の中身も良いですが。
浮月斎 正しい解釈かどうかは別としても、もっと*色気*の出そうな曲もあるなぁという思いがあり、逆に考えれば、この曲は私でさえ割と自然に馴染める「古典的な」芳香もあり、こんなものなのかなと不思議な気がしました。
私も最初聴いたときは浮月斎さんのおっしゃるように、この曲集ならもっと*色気*が出そうな気がして少々残念に思ったのですが、聞き返すうちに何故か不満を感じなくなってきました。自動ピアノと聞き比べた所為もあるのでしょうが。
浮月斎 しかし一方で、第2巻は超絶技巧的な「外面性」はそれほど華美に聞こえないせいか、超絶技巧で弾きこなす方が何か曲に対する素直な面白味を減衰してしまうような気もするのですが、その意味でエマールは綱渡り的ないい按配かと捉えました。
現在は浮月斎さんのこの御感想に近い感じを持っています。とはいえ、アムランのようなピアニストで聴いてみたいという興味は当然ありますが。
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| 浮月斎 |
佐々木 現在は浮月斎さんのこの御感想に近い感じを持っています。とはいえ、アムランのようなピアニストで聴いてみたいという興味は当然ありますが。
そうですね。エマールでインプリントしてしまう前に(^^)、別の快感ドライブ的演奏で(野々村さんご推奨の大井さんとか)聴いて、野平さん風の演奏を聴くととてもそのありようが実体的に現前してくると私も思っています。この曲集について言えば、かなり懐の広い要素があり、色々な楽しみ方もできるという訳で、今後の録音が楽しみとなりました。で、エマールというピアニストの美点も同時に知り得た訳で、今後の彼の録音についての基準みたいなものも多少は持てたかなというところです。
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| 野々村 |
浮月斎 アムランの実演を聴いて、彼のピアニズムは実際、録音よりも遥かに清冽で磨かれた美感に満ちた音色だったという印象が強く、あの音がそのままの形で生きるなら、極めて冷ややかに透きとおったロマンティシズムを堪能できそうだと思いました。
アムランはけっこう現代作品に興味を持っていて、渋谷タワーのイヴェントの後は現代音楽コーナーに直行したという話だから、案外次回の来日あたりであっさり実現するかもしれませんね。
斉諧生 あえて注文を申せば、「闇」がないということ
野々村 そうですね。ハンガリー時代の人生の「闇」に嫌気がさして、音楽にはそういうものを持ち込まないのかも。
鈴木 小生、その闇の部分が好きなのですが...
私も、音楽は「闇」の部分の方が好きで、それがリゲティの作品に感心はしても感動はできない大きな原因だと思います。
鈴木 小生も再三書いたように、「前衛時代」のリゲティが好きです。今聞いてもそうです。ただ言えることは、同じトーンクラスターと言っても、シェルシ(これはまだ充分聞いたとは言えませんが)やクセナキスの目指したものと、リゲティでは随分と違う。ペンデレッキとの親近性は感じますが:-)
趣味の問題に言及するつもりはありませんが、「古典」を聴き尽くした鈴木さんと、トーンクラスター系の有名曲は殆んど聴き尽くした私では、趣味が違うのは当然かもしれませんね。もちろん、シェルシやクセナキスと、リゲティやポーランド楽派の目指したものは全然違うのですが、前者が文字通りの「音の房」なのに対して、後者はワグナーやブルックナーを半音階に圧縮しただけ(というか、弦チェレの1・3楽章を無調にしただけというか)で、私はあまり新鮮味を感じない。
鈴木 *羊羹*(これは言い得て妙)と親近性は感じますが。
これは、松村禎三氏のお言葉。
斉諧生 リゲティのバイオについても全く知らないのですが、政治的な弾圧でも蒙ったのでしょうか?
では、昨年作ったリゲティのバイオもポストしておきます。『ムジカ・リチェルカータ』『弦楽四重奏曲第1番』程度で「トロツキスト」とにらまれていたようで、暗い人生でした。ハンガリー動乱に際して、車のトランクに隠れて着のみ着のままで亡命したのも、粛清を恐れてのことだったそうですし。その時に持ち出した数少ない譜面が『ムジカ・リチェルカータ』や『弦楽四重奏曲第1番』だったわけで、彼にとっては非常に大切な作品でした。
佐々木 私も今日自動ピアノ版と Etude No.9-11,13を聞き比べてみましたが、No.9「眩暈」、11「宙ぶらりん/不安定な」はエマールの演奏は曲想が微妙に移ろう、なかなか良い趣ですが、こういう曲だと自動ピアノは本当に無機質で問題になりません。(中略)それでも聞き比べたお陰で逆にエマールのピアノの良さを認識できたという感じがします。
No.14をちゃんと比較の対象から外しておられますね。この曲は、自動ピアノで演奏されている原曲は演奏不可能だとエマールが言い張ったため、今回の課題CDに収録されているのは、1声部減らした版です。オリジナルの4声部版を弾ける若手も何人かおり、大井氏も半年ほど前に舞台では初めて弾いたとか。
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| 山下 |
鈴木 ピアノの単一な響きでこのCDを聞き通すことは、多少つらい感じがします。やはり音色の微細な変化が欲しい。また、テンポ設定もエマールはがんばっているのは分かるんですが、ちょっと中庸過ぎるかなと。早くても遅くてもいいから、もう少しなんとかならなかったのかと感じました。偏執的とも言えるリゲティの音色、密度へのこだわりがあまり感じられないのです。
タイトルを知らなかったのですが、No.07「ガラン・ボロン(悲しい鳩)」、No.08「金属」または「メタル」を聴いていたとき、もの悲しげで退廃的な雰囲気を感じていました。その時、ふと人間らしさをあえて出さない没個性的な作風なのかなぁと、素人ながらに私は感じました。アーティキュレーションまで否定するのは言い過ぎだったと思いますが(^_^;;、何となく思ったのですが、過日話題になったミュンシュとヴァントのブラームスの第1番のような解釈の違いがあったら曲のイメージが壊れてしまうような気もします。そういう意味では、機械的?で*色気*を抑制する感じではないでしょうか?。自動ピアノ版は聴いたことがありませんので、聴き比べてみようと思います。
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| 斉諧生 |
エマールのリゲティ、何曲か聴き返しましたが、やはり野々村さんおっしゃる、『ウェーベルン的な清潔なロマンティシズム』で、極まり!という感じですね。リゲティという作曲家への認識を新たにしました。
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| 佐々木 |
山下 今回は、事前の知識がほとんどなくみなさんがポストされている内容もあまり読まず、インプリントなしで感想を書きましたので、的外れな(^_^;;;>部分も多かったかもしれません。
いえいえ。私もエマールの演奏だけ聴いていればそう思ったかもしれません。聴き比べてあまりの違いに驚いた次第です。件のリゲティエディションVol.5(自動演奏作品集)はあまり面白いと思いません。そろそろ議論も打ち止めでしょうか。
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