No. 8 : Aimard plays Ligeti



SONY SK62309 Ligeti : Works for Piano
(SONY CLASSICAL SK 62309)
1. Études pour piano (Premier livre)
2. Études pour piano (Deuxième livre)
3. Musica ricercata
4. Études pour piano (extrait du Troisième livre)

Pierre-Laurent Aimard (pf)





発言者 : 佐々木(モデレータ)、斉諧生、鈴木、野々村、工藤、山下、浮月斎

※野々村さんから議論に用意いただいたリゲテイ資料集を別途まとめてあります。



佐々木 次のリゲティに入らせていただきます。私の場合、リゲティをまともに聴いたのはこれが初めてです。最初から聴きやすかったのは、ムジカ・リチェルカータ。リゲティが30歳になる直前の作品。曲が進むにしたがって、音が増えてきてよろめいたワルツ(ラ・ヴァルス?)やストラヴィンスキーやショスタコーヴィチのパロディのようなものが聞こえ出す。どことなく懐かしい感じのする音楽ですね。

エチュードの方は、60歳を過ぎてからの作品ですが最初に聴いた時は?という感じでした。しかし、聴き進めていくうちに、ポリフォニックな旋律の綾、錯綜するリズム、それに、弱音の神秘的な響き(これは、なかなか魅力があります)こういったものを辿っていけばいいのだなとわかり始めてからは、とたんに面白いものに感じられてきました。耳慣れないリズム(これはアフリカの民族音楽の影響だそうですが)やドビュッシー風の響き、ビル・エヴァンズにインスパイアされたという5番のエチュードなども面白いし、ムジカ・リチェルカータと同じコラージュ風な音楽でも無国籍風、神秘的な感じを随分増しています。

エマールのピアノについてはとりたてて不満がある訳ではないのですがあえて言うなら、そつなくまとまりすぎという気がします。このエチュードならばもう少し官能的で神秘的な演奏ができるんじゃないか、そうすればもっと奥深いものになるんじゃないかという気がしました。尤も、それはリゲティの望んでいる姿ではない、「現代音楽」らしくない演奏になってしまうのかもしれませんが。

野々村 リゲティは、トーン・クラスター書法のパイオニアの一人として1960年代のヨーロッパ現代音楽界の寵児となり、1970年代にはミニマル音楽を自己流に解釈した作品で注目された。しかし、このCDに収められているのは、そのような形で彼が*歴史の中心*にいた時期の作品ではない。スターリニスト政権下のハンガリーで、現代音楽の情報を遮断された中で手探りで書かれた『ムジカ・リチェルカータ』(1951-53)と、ナンカロウの自動ピアノ作品に衝撃を受けて現代音楽の流行の後追いを止め、対位法的な構成を重視した全音階的な作風に回帰してからの『練習曲集』(第1巻:1985、第2巻:1989-94、第3巻:1995-)を、前EIC首席ピアニストのエマールが演奏したものである。

私事で恐縮だが、この『練習曲集』には浅からぬ因縁がある。第2巻全曲を日本初演した大井浩明氏が、この作品をリサイタルで数回弾いた時の解説を担当していた。私がこれまでに聴いた彼の解釈は、アクセルを目いっぱいに踏み込んだスリリングなもので、特に第2巻のヴィルトゥオーゾ・タイプの数曲では、強烈な印象を与えてくれた。一方、別な機会に野平一郎氏による第2巻の演奏を聴いたが、こちらは大井氏とは対象的なスローテンポだった。しかし、このような解釈だと、今度はナンカロウ/ミニマル音楽/アフリカ音楽のリズムといった表層に隠れていた、ドビュッシーからプロコフィエフに至る(ただし新ウィーン楽派は含まない)20世紀の古典的ピアニズムの継承者としての側面が浮き彫りになって、それはそれで面白かった。

さて、エマールだが、彼はすでに第1巻全曲を1988年にエラートに録音しており、端正にまとまった演奏だった。彼は作曲者の信頼も厚く、ここ数年はこの連作の初演も担当している。今回の第1巻・第2巻全曲と第3巻第1曲の録音も期待通りの出来で、作品の魅力を十分に伝えている。特に第1巻は旧録音をはるかに凌ぐ演奏で、多彩な音色を駆使して複雑な対位法的構成を解き明かしてくれる。中でも、「開放弦」「ワルシャワの秋」のような内省的な曲の解釈が素晴らしい。第2巻も、BISに世界初録音を行ったフィンランドの若手ウーレンと比較するとエマールの優位は明らかで、テンポ設定はウーレンの方が速いにもかかわらず、力強いタッチとペダルコントロールの巧みさで、エマールの演奏の方がスピーディかつダイナミックに聴こえる。もっともこれは、オフマイクで残響を生かした録音に依る部分もありそうだ。そして、先に挙げた大井や野平の解釈と比べると、一概にエマールに軍配を上げるわけにもいかなくなる。《快速》ではあるが《猛スピード》ではない(ただし、譜面の指定に近いのは《猛スピード》の方)エマールの解釈には、大井が「悪魔の階段」や「無限柱」で聴かせるドライブ感はないし、野平の《安全運転》ほどには、作品の古典的側面を感じさせてくれるわけでもない(ただし、このような解釈が作曲者の意図に沿うものかどうかは疑わしい)。第2巻は第1巻より外面的な曲が多く、内省的な表現を得意とするエマールには分が悪かった、とは言えそうだ。

『ムジカ・リチェルカータ』は、第1曲は2音、第2曲は3音....のみを使って書かれた*実験的*な作品で、最後の第11曲「フレスコバルディ讃」でついに12音全部が登場する4声フーガとなる。素材が極度に限定された曲が多いこともあって全体の雰囲気はディヴェルティメント風で、ミニマル音楽以前にそれと同系統の面白さを追求した曲が少なくないことは、彼のその後の作風の変遷を考えると興味深い。『練習曲集』ほどの難曲ではなく、ここでのエマールは楽々と弾いているが、ホロヴィッツのスカルラッティのようにはいかない。そもそもエマールの本領は、ソリストよりも合奏ピアニストとしての能力にあり、EIC時代でも協奏曲のソリストとしてはバシラキスやボッファールの方が冴えていたと思う。やはり、この曲集や『練習曲集』第2巻のような作品は、アムランのようなピアニストの録音で聴いてみたくなる。ただし、当初からエマールを想定して書かれた作品−『練習曲集』第2巻では「魔法使いの弟子」「宙ぶらりん」、そして第3巻第1曲「白の上の白」はエマールの資質にぴったりで、老いてますます盛んなリゲティとエマールのコラボレーションによる第3巻の今後に期待したい。

鈴木 小生リゲティを聞き始めて既に35年なんだなあと変なところで感慨に耽っていますが、このままで行くと最近の作曲家で後々まで業績が残る数少ない同時代の作曲家になるのでしょうねえ。ただ、何故聞くようになったのかというと、それはもう映画「2001年宇宙の旅」の影響以外、何ものでもありません。「アトモスフェール」「レクイエム」からキリエ、「ラックス・エテルナ」など、映画のサウンドトラック盤を中学生時代に買い、それこそすり切れるまで聞きました。他、「ロンターノ」や弦楽四重奏曲、アヴァンチュール、ヌーベルアバンチュール、メロディエンなどwergoその他から出ていたLPは、比較的長期間に渡って聞いてきたと思いますが、いかんせんそこまでです。オペラ「大いなる死」の抜粋盤がwergoから出て、「あ、これは違う方向に行ってる」と感じて、リゲティは古い作品以外、敬して遠ざけてきたように感じます。wergoのCD復刻はあらかた買い直しましたが。

しかし、ピアノ曲はほとんど聞いてきませんでした。もとよりピアノ曲のLPやCDが発売されていなかったことが原因ですが、リゲティの作風から考えて、管弦楽や弦楽器、さまざまな楽器での室内楽、コーラスは合うけれどピアノは合わないんじゃないかという印象があったからです。このエチュードを中心に録音されたCDにも、やはりリゲティの適性からは少しずれているのかなと感じます。それは、自分の好きなリゲティの作品の個人的好みからの印象かも知れません。ピアノの単一な響きでこのCDを聞き通すことは、多少つらい感じがします。やはり音色の微細な変化が欲しい。また、テンポ設定もエマールはがんばっているのは分かるんですが、ちょっと中庸過ぎるかなと。早くても遅くてもいいから、もう少しなんとかならなかったのかと感じました。偏執的とも言えるリゲティの音色、密度へのこだわりがあまり感じられないのです。無論エチュードは、そこから抜け出したリゲティの新しい作風かも知れませんが。これは、曲の責任もあるでしょうからエマールだけの問題ではないと思いますが、小生には初期の管弦楽曲や合唱曲、1970年代の室内楽の方が面白いのは仕方ないですね。

斉諧生 いつものことながら、ピアノに関してはあまり多くを語れないのですが、音色の豊かな人だなぁ、という感想です。パレットに載っている色の種類が多い、とでも言うのでしょうか。緊張感−恐怖感に近い−を湛えた鋭い打ち込みから、夢幻境を漂うような弱音まで、彼1人で、普通のピアニスト数人分くらいの*声*を使い分けているように感じられました。例えば『ムジカ・リチェルカータ』の第7曲−この曲、なぜか坂本龍一を連想しました−、無窮動風というよりシンセ風の低音の動きの上に載る、旋律(オクターブですよね?)の玄妙な美しさ!ラヴェルの協奏曲やVnソナタあたりを聴いてみたいものです。

曲や解釈を云々するのは、私には少々無謀ですが、あえて注文を申せば、「闇」がないということとりわけ『ムジカ・リチェルカータ』は、あちこちでバルトークを連想させるので(しかも"Mesto"の指定までついている)、余計にそう思うのでしょう。

工藤 リゲティで他に聴いたことがあるのは弦楽四重奏曲だけ。ということで、ロスラヴェツの時以上に比較対象を持っていませんので、あしからず。

音色の種類、リズムの正確さ、和声のバランス、等の基本的なテクニックについては非常に高いレベルの演奏であり、各曲の性格付けにも明確な意図が感じられ、一言で言えば“模範的な”演奏、という印象を受けました。恐らく、作曲者がイメージしたものとそう違わない音がしていると思います。ちょっと不満があるとすれば、静と動、明と暗の弾き分けがワンパターンであること。ただ、これは各曲が持っている性格の違いによってカヴァーされています。そして、この性格の違いがはっきりと分かる演奏であることが、決して短くはないこのディスクを聴き通すことを楽しいものにしていると思います。ですから、僕はこの演奏が“推薦”に値すると考えます。

しかし...、以前聴いたアルディッティQの弦楽四重奏曲(今回、同シリーズで発売された演奏ではない)から受けた印象と比べると、良くも悪くもリゲティが「古典的な」作曲家として歴史の中に位置付けられた、といった感じがします。もっと先鋭な響きがあっても良いと思うし、もっとじかに訴えかけてくるようなエネルギーが感じられても良いと思います。まあ、僕が“ゲンダイオンガク”に対して偏見を抱いているだけなのかもしれませんが。

山下 先日も少し書きましたが、形容する言葉が思い浮かばずなかなか筆が進みませんでした。2つ理由があると思っています。ひとつには、未体験のジャンルだったこと。もう一つは、何というか感情を排した無機質な曲だったことでしょうか。情感に訴えるような感じの曲であれば、はじめて聴いても比較的入っていきやすい気がしますが、今回は難しかったです。ただ...、こういった曲の場合人が演奏することの必然性があまりないのでは??と感じてしまいます。エチュードなのである程度仕方がないとは思いますが...。エチュードの中では、7曲目と10曲目がおもしろいと思いました。レガートとスタッカートを意識した全く違ったタイプの内容ですが、素人のワタクシにも技巧が感じられ堪能できました。ムジカリチェルカータは、聴いてみて意外に簡単な曲でしたので、(私は弾けないと思いますが)少々拍子抜けした感じでした。聴いていくうちに、意図的なものを少し感じました。あえて使う音をしぼっているようですね。

解説を斜め読みしてみたところ、バルトークやストラヴィンスキーから影響を受けたことが書かれていてなるほどと思いましたが、最後の言葉が気にかかりました。"caricature"、たしか風刺といった意味だと思いますが、この曲になにか深遠な意味??があるかどうかよくわかりませんでした。ブダペストで作曲されたらしいですが、なにか”体制”とかがキーワードになってメッセージが込められているのでしょうか?ショスタコーヴィッチ等の交響曲のように...というのは、話が飛躍しすぎな感じですが、みなさんの御意見を伺ってみたいと思っています。感情を排した無機質な曲と最初に感じましたが、なにか伝えたいことがあるのかなぁと気になっています。

浮月斎 まず作品の印象ですが、全体的に面白く聴きとおせました。どちらかというと「Musica ricercata」よりは「Etude」が面白く、かつ「Cordes a vide(開放弦)」や「Arc-en-ciel(虹)」のような淡い曲調の作品(或いは部分)が気に入りました。でも「白の上の白」が一番よかったかな。しかし「Etude」というタイトルは字義どおり練習曲というよりは、実質的にはimpromtuみたいですね。

ピアニストのエマールについては、やはり表現の多面性、打鍵のシビアさという点でなかなか落としどころは明快であり、コンテンポラリィ弾きの人らしい持ち味があり、技術レベルも高いと思いました。野々村さんが以前からおっしゃっている「内省的」という表現の感触はなんとなくわかりましたが、私の印象では「よく知的に統色された」という感じですね。これはリゲティの監修のせいなのか、もともとこの人の「矩を越えず」的性格なのかわかりませんが、ひとつには高域の音にピアノらしい欲情的な色気が感じられないこと、またスピード感ある曲ではもっと畳み込むような味わいがあってもいいと思う曲もありました。この辺はエマールの特質みたいなものでしょうけれど。正しい解釈かどうかは別としても、もっと*色気*の出そうな曲もあるなぁという思いがあり、逆に考えれば、この曲は私でさえ割と自然に馴染める「古典的な」芳香もあり、こんなものなのかなと不思議な気がしました。まぁ、技巧的には難しいことはアリアリですが。

「オマッジョ・ア・フレスコバルディ」なんかは素敵な味わいはありましたが、「リチェルカータ」がそう面白く感じなかったのは、例えば3曲目のアレグロ・コン・スピリトの皮相な愉悦感や4曲目のテムポ・デ・ヴァルスあたりの味わいがちと鈍重だったからかな。

野々村 フォローに入る前に、リゲティ『練習曲集』のタイトル集をポストしておきます。大井浩明・高野真理両氏の解説を参考にしました。特に注記のないものはフランス語です。No.16を今年のザルツブルク音楽祭でエマールが初演しました。ちなみに初演者は、No.1がルイーズ・シブール、No.2-9,13がフォルカー・バーンフィールド、No.10-12,14--がエマール。当初はバーンフィールドを想定して書かれていましたが、No.13の演奏にリゲティは不満を感じて、No.12,14からパートナーをエマールに変更したようです。おそらく、構想時点からエマールを想定し始めたのはNo.10,11からでしょう。そこから曲想が大きく変わります。

鈴木 オペラ「大いなる死」の抜粋盤がwergoから出て、「あ、これは違う方向に行ってる」と感じて、リゲティは古い作品以外、敬して遠ざけてきたように感じます。wergoのCD復刻はあらかた買い直しましたが
『大いなる死』の初稿は、私も彼の「底」だと思います。全面改訂版が今年のザルツブルクで初演されて、それはなかなか面白そうですが。

鈴木 しかし、ピアノ曲はほとんど聞いてきませんでした。もとよりピアノ曲のLPやCDが発売されていなかったことが原因ですが、リゲティの作風から考えて、管弦楽や弦楽器、さまざまな楽器での室内楽、コーラスは合うけれどピアノは合わないんじゃないかという印象があったからです。
2台ピアノのための『記念碑・自画像・運動』(1976)はいいですよ。彼のミニマル系音楽の中では一番でしょう。『ホルン三重奏曲』他とカップリングされたWERGO盤をお薦めします。

斉諧生 音色の豊かな人だなぁ、という感想です。パレットに載っている色の種類が多い、とでも言うのでしょうか。
同感です。彼が入ると、室内楽の色彩感が飛躍的にアップします。メシアン『時の終わりのための四重奏曲』(ADDA)など、最高です。

斉諧生 曲や解釈を云々するのは、私には少々無謀ですが、あえて注文を申せば、「闇」がないということ
そうですね。ハンガリー時代の人生の「闇」に嫌気がさして、音楽にはそういうものを持ち込まないのかも。

山下 ただ...、こういった曲の場合人が演奏することの必然性があまりないのでは??と感じてしまいます。エチュードなのである程度仕方がないとは思いますが...
いやいや、同じシリーズのVol.5に自動ピアノ版が収録されていますが、やっぱり全然違いますよ。アーティキュレーションは非常に大切です。

山下 ムジカ・リチェルカータ:解説を斜め読みしてみたところ、バルトークやストラヴィンスキーから影響を受けたことが書かれていてなるほどと思いましたが、最後の言葉が気にかかりました。"caricature"、たしか風刺といった意味だと思いますが、この曲になにか深遠な意味??があるかどうかよくわかりませんでした。
そういう意味ではないでしょう。『音楽の冗談』みたいなものでは?

工藤 以前聴いたアルディッティQの弦楽四重奏曲(今回、同シリーズで発売された演奏ではない)から受けた印象と比べると、良くも悪くもリゲティが「古典的な」作曲家として歴史の中に位置付けられた、といった感じがします。もっと先鋭な響きがあっても良いと思うし、もっとじかに訴えかけてくるようなエネルギーが感じられても良いと思います。まあ、僕が“ゲンダイオンガク”に対して偏見を抱いているだけなのかもしれませんが。
う〜ん、私は「前衛時代」のリゲティより、こっちの方が好きなのですが。彼の本質はポリフォニーにあり、それは様式の如何によらず変わらないのですが、こういう「古典的」なスタイルの方が、その美質がよく発揮されていると思うのです。トーンクラスター様式では、そりゃルトスワフスキやペンデレツキよりはましとはいえ、シェルシやクセナキスの敵ではない。

浮月斎 鈴木 このエチュードを中心に録音されたCDにも、やはりリゲティの適性からは少しずれているのかなと感じます。それは、自分の好きなリゲティの作品の個人的好みからの印象かも知れません。
今まで聴いた(少ない)リゲティの印象とは確かに違いました。ただ個人的好みではロスラヴェッツよりよかったです。

鈴木 ピアノの単一な響きでこのCDを聞き通すことは、多少つらい感じがします。やはり音色の微細な変化が欲しい。また、テンポ設定もエマールはがんばっているのは分かるんですが、ちょっと中庸過ぎるかなと。
作品には立体的な浮き彫りはあまり感じませんでしたが、この曲は音色表現とやや隠れ気味の古典からの延長性という妙味として楽しむとドビュッシィのピアノ作品を聴くような風情の曲もあり、そういう捉え方だとエマールも悪くないと思いました。

野々村 第2巻のような作品は、アムランのようなピアニストの録音で聴いてみたくなる。
印象としては同感です。しかし、私は彼は「白の上の白」が最もその資質にあっていると先日の来演を聴いて強く思いました。勿論、エマールの響きは素晴らしいのですが、アムランの技巧と淡く清冽なロマンがこの曲に反映すると、もっと陶酔的な境地を誘うのではないかと。「白の上の白」を私はそういう心持ちで聴いていました。

野々村 第2巻は第1巻より外面的な曲が多く、内省的な表現を得意とするエマールには分が悪かった、とは言えそうだ。
そうですね。エマールに関して「知的に統色」と私が思った印象は、皮肉にも第2巻の難曲風の作品で逆に強められた感がありました。が、作品のダイナミズムはかなりうまく出ているかもしれないなと思いました。しかし一方で、第2巻は超絶技巧的な「外面性」はそれほど華美に聞こえないせいか、超絶技巧で弾きこなす方が何か曲に対する素直な面白味を減衰してしまうような気もするのですが、その意味でエマールは綱渡り的ないい按配かと捉えました。

鈴木 浮月斎 今まで聴いた(少ない)リゲティの印象とは確かに違いました。ただ個人的好みではロスラヴェッツよりよかったです。
リゲティを一時期大量に聞いてきた身としては、メロディエン前の、野々村さんが、現代音楽の流行を追うのをやめたとおっしゃっておられた、その前の作品がやはり好きです。時期的には、亡命直後から1970年くらいまでかなあ。あの渦を巻くようなトーン・クラスターは今聞いてもすごいと思います。技法的には誰が作曲しても同じような響きになるはずなのにリゲティは独自の音を持っています。ピアノ曲は、微分音的に延々と続く、偏執的なリゲティの「あの音」の塊が、小生聞きたかったアナクロファンではあります(^ ^;。作曲家としては、音楽活動を中座せざるをえなかったことを割り引いても、ロスラヴェッツよりリゲティの方が遙かに優れていると思います。でも、個人的にはロスラヴェッツのはかなげな関節バラバラ音楽の方が何度でも聞けてしまいます。しかし、野々村さんの邦題一覧で、少し見方が変わりそうです。エチュードだもんね。小生そこの所を意識していなかったと反省して、もう一度聞いてみます。

浮月斎 作品には立体的な浮き彫りはあまり感じませんでしたが、この曲は音色表現とやや隠れ気味の古典からの延長性という妙味として楽しむとドビュッシィのピアノ作品を聴くような風情の曲もあり、そういう捉え方だとエマールも悪くないと思いました。
それは、おっしゃられるとおりですね。前述のように小生リゲティの音楽に、別のものを期待しすぎたみたい。

浮月斎 しかし、私は彼は「白の上の白」が最もその資質にあっていると先日の来演を聴いて強く思いました。勿論、エマールの響きは素晴らしいのですが、アムランの技巧と淡く清冽なロマンがこの曲に反映すると、もっと陶酔的な境地を誘うのではないかと。
そりゃあ聞いてみたいなあ。「白の上の白」が小生一番楽しめましたので。ただ、リゲティは変貌を遂げ続けている作曲家ですので、目が(いや「耳が」(^ ^))離せません。恐らく、1980年までを総括すると、クセナキスとリゲティでしょうね。クラシックの延長上での最も優れた仕事をしてきた人は。(ジョン・ケージやシュトックハウゼンやペンデレッキも作品によっては、そう思いますが。シュトックハウゼンの「少年の歌」!ペンデレッキの「ルカ受難曲」と「広島の犠牲者に捧げる哀歌」!。ちょっと、アナクロな現代音楽ファンですね、小生は)。





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