No. 1 : Thieleman conducts Beethoven


DG 449 981-2 Beethoven : Symphony No.5 & 7
(Deutsche Grammophon 449 981-2)

1. Symphony No.5 c-moll
2. Symphony No.7 A-dur

Philharmonia Orchestra
Christian Thieleman (dir)





 発言者 : 浮月斎(モデレータ)、斉諧生、佐々木、鈴木



浮月斎 さて、今回は拙がきり出します。ティーレマンのベートーベン5&7ですが、如何でしょう?全体的に私は「うーん」ですね。割に否定的です。

なお私の「うーん」には2つの意味がありまして、ひとつは最近の若い指揮者にしては、ベートーベンという古典中の古典を相手にかなり果敢に攻め込んでおり、その姿勢は高く評価したいと思いますが、結果的にオケを十分にひきつけられないため、音楽の求心力に欠けること。私はこういうやり方ならもっと暴れたらよかったのにと思います。
ふたつめは、これは私の好みですが、これだけのテンポ変化は逆に音楽の生き生きとした流れが弛緩し、エネルギーを散らさせてしまうように思います。特に第5の4楽章冒頭部。フィナーレのスタートの力強さが数小節後にはいきなりスピードアップ、しかも反復時はまた加速が異なるという細かな差異の位相が私には見えない。ここでのフィルハーモニア管にしては、分厚く重装備な音を聞かせますが、フル機動力がどうしても弱い。結局、音楽の密度がラストに向かって濃くなっていかないとこういう演奏はだめですね。その点7番はもう少し壮麗な響きが堪能できますが、3楽章などトリオがどうも興を殺ぎます。4楽章はしっかりコンブリオですが、妙に表面がつるんとする感じです。

聞き手に緊張感を弛緩させない仕掛けがティーレマンには少ないような気がするのは私だけですかね。旧巨匠的な味わいを狙うのはよいとしても、スコアをかなり大胆にスクラツプ&ビルドした演奏だとは思うのですが、考えすぎのような気がします。では、皆さんのご卓見を拝聴しましょう。

鈴木 演奏批評としては浮月斎さんのおっしゃるのはその通りです。実は、小生「ウホホ!」と思ったのは、その録音への実験精神です。小生、古風な録音が好きですが、逆にバリバリの録音も好きで、まず、どのような場所で、どのようにして録音されたかが案外気になってしまいます。

ティーレマンの演奏でまず驚いたのが、その残響の長さです。3秒か4秒くらいあるかも知れません。普通の演奏会場やスタジオでの録音ではないなと思ったら、案の定、ゴスペル・オークという、教会での録音のようです。朝比奈隆のザンクト・フローリアンでのブルックナー交響曲第7番の名演がありますが、普通は、その残響を聞きながら音楽を鳴らすのが普通です。そのため、テンポはゆっくり目になるのが普通でしょう。ところが、ティーレマンは、普通のベートーヴェンよりも少し早めの速度で録音しています。そのため、妙なカスケード効果がついてしまい、音響がダンゴになっている箇所があります。でも、そのまま突き進んでしまう(^^;。『この若造、正気か?』てなとことで、本来の演奏を聞くのではないところで、小生、まず面白がってしまったのです。しかも、マイクの数は少ないようで、思いっきり残響音を拾っていますのでなおさらエコー効果は倍加されています。観客が入っていないので、残響はさらに長くなります。これは、ティーレマンのリクエストによる録音なのか、プロデューサーの好みか、ディレクターの好み、はてまた録音エンジニアの好みなのかは、全く分かりませんが、通常の近代オーケストラを教会で、しかも通常のスピードで演奏して録音してしまうその面白さに拍手を惜しみません。

ということでまず録音から。オリジナル楽器でのバロックやバロック以前では当たり前の手法かも知れませんが、はっきり言って、こんなにばかばかしい実験を大まじめで行うことに意義があると小生は思ってしまうのです。で、オーケストラの配置ですが、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮者の両側に来るいわゆる両翼配置ですね。小生、現代オーケストラのストコフスキー配置も否定しませんが、ステレオ録音の場合、案外、オーケストラの配置にもこだわってしまいます。この場合、ベートーヴェンが楽器の配置を気にして作曲したかどうかは分かりませんが、演奏効果は全く異なってきます。例えば、クレンペラー、クーベリック、シノーポリは両翼配置です。

斉諧生 ティーレマンのベートーヴェンですが、これは浮月斎さんとほとんど同意見です。

浮月斎 ふたつめは、これは私の好みですが、これだけのテンポ変化は逆に音楽の生き生きとした流れが弛緩し、エネルギーを散らさせてしまうように思う。
テンポの変化を受け止めて高揚感を生み出すエネルギーに欠けるということだと思います。加速なり減速なりして緊迫感を生みかけておきながら、その次に何も起こさないために腰砕けになってしまいまうんですね。例えば、「アッチェランドしていった頂点で管楽器が力一杯フォルティッシモを吹き抜く」とかいうことがないんです。全体に、表現意欲は買えますが、それがテンポ操作にだけ働いて、音色とかバランスの取り方等に向いていないと思います。特に、管楽器奏者を、あまりシゴいていない感じに聴こえましたね。例えば、7番の第1楽章58〜62小節。弦は息をひそめるようなppなのに、木管は普通のpで吹いていたりします。

浮月斎 特に第5の4楽章冒頭部。フィナーレのスタートの力強さが数小節後にはいきなりスピードアップ、しかも反復時はまた加速が異なるという細かな差異の位相が私には見えない。
あそこで駆け出すと、本当に器量が小さく見えますね。

浮月斎 どうも皆さん、似たような御感想なんですか?
鈴木さんなんかはてっきり応援する口かと思いましたが(^^;。

斉諧生 テンポの変化を受け止めて高揚感を生み出すエネルギーに欠けるということだと思います。
そういうことですね。ヤマ場の峻烈さに欠けるんです。

斉諧生 加速なり減速なりして緊迫感を生みかけておきながら、その次に何も起こさないために腰砕けになってしまいまうんですね。
そうそう、そうなんですよ。山登りのギアで思い切りアクセルふんでいる筈が、登りながらギアチェンジを繰り返して逍遥しているという感じがしますね。

斉諧生 全体に、表現意欲は買えますが、それがテンポ操作にだけ働いて、音色とかバランスの取り方等に向いていないと思います。
これは鈴木さんも触れていますが、私は録音があまり好ましくないです。残響が妙に2重の音の隈取りみたいにさせてしまい、なお一層木管が貼りついて聞こえしまうのです。

斉諧生 特に、管楽器奏者を、あまりシゴいていない感じに聴こえましたね。
なるほど、聴き返してみると確かにそうですね。7番全体が木管がどうも生き生きしてこない気がします。

斉諧生 あそこで駆け出すと、本当に器量が小さく見えますね。
というのは、折角あそこまで矯めてきたのだから、もっと勇壮に行けばいいように思います。私はどうも加速し始めてからのティンパニの扱いなんかもしっくりこないし。それから鈴木さんのおっしゃる録音の話ですが、録音の問題もありますが、やはり斉諧生さんご指摘のとおり、ティーレマン自身が楽器間バランスの視点に欠けている気がします。ピラミッド・バランスばかり気にしている感じがしました。

佐々木 ティレーマンの第5ですが、一聴して、戸惑ってしまったというのが正直なところです。私小説風「運命」とでも言っておきましょうか。テンポとダイナミクスの変化がおびただしいですけれど、これは、皆さんもおっしゃるとおり、一つの方向に向かって進んでいるようには聞こえません。所々今までの雰囲気をがらっと変えるし、妙に木管が浮いていたり、少しマーラー風のベートーヴェン、私小説的分裂症的とも感じられ、そういう意味で、意外にこれを好む人もいるかもしれないとは思いますが...。4楽章のフィナーレもどうも盛り上がらなく謎が謎のまま終わってしまった、犯人の分からないドラマを見おわった感があります。ちょっと古いですが氷の微笑のラストを思い出しました。ティレーマンの意図がよくわからないので、私にはこれが悪いとはどうも言い切れません。かなり変わっていますし、素晴らしい演奏と言えないのは確かですが...

鈴木 ティーレマンのベートーヴェン。みなさん否定的な意見が多いですね。アッチェランドの後、フォルテシモがなく、なんだか盛り上がらないとか、繰り返しの意味が不明だとか。確かに、その通りです。はっきり言って実は、小生もティーレマンの演奏には、録音も含めて「なんじゃ、これは!」と思ったのも事実ですが、ピリオド楽器の信奉者でなければ、この新人指揮者のデビューの意味を考えてやりたいのです。これだけ、意味不明のテンポの揺れと、その解決のなさのなさけなさは、それだけでも批判の対象になるのは事実ですが、まず、オリジナル楽器演奏の指揮者ではなく、ティーレマンはオペラから叩き上げた(あるいは叩き上げられようとしている)新人だということです。いま、オリジナル楽器演奏から入って、ロマン派の楽曲を指揮している指揮者が増えていますね。でも、小生にはあまりに分析的に聞こえることがあります。いわゆる、音楽の進行や鳴らし方について、論理的に「こうでなければならない」という演奏です。

でも、そんな演奏ばっかりだったら面白くないことうけあいです。ノリントンまでは、オリジナル楽器での演奏も新鮮でしたが、今は、あまりもう...(サヴァールのベートーヴェンは、「ウーン!」?でした。面白いけど)。はっきり言います。ティーレマンは、1960年代までのマエストロ(指揮者)に対してのノスタルジーです。チェリは死んじゃったしね。それが、多少ヘタであろうが、クレンペラーやセルが好きな人は、ティーレマンを否定してはいけません。これから、どこかの常任になるのかどうかによって、恐らく、ティーレマンは小生が好きなクナやクレンペラーではない、ましてやデイヴィスやムーティやアバドではない地平に立つとすれば、今は違うけれど、そのダイナミックスはセルに似ています(解釈ではありません。それはこれからだもん)。練れていないところは、多いけど、こじんまりまとまるんじゃなくて、もっと、好きなことをやれ!と、応援したくなっちゃうのでした。

浮月斎 鈴木 この新人指揮者のデビューの意味を考えてやりたいのです。これだけ、意味不明のテンポの揺れと、その解決のなさのなさけなさは、それだけでも批判の対象になるのは事実ですが。
うーん。私としては「批判」というより、ティーレマン氏の熱き思いが十二分に反映されきっていないジレンマを感じるというところです。ティーレマンなりに勘考(かんが)えに考えた指揮だったとは思いますが、もっと積極的に暴れて欲しかったなぁと思いました。これを聴くとオペラ出自の人とは思いにくいんですよ。

鈴木 ティーレマンは、1960年代までのマエストロ(指揮者)に対してのノスタルジーです。
そう言いきっちゃうところが鈴木さんらしくていいですね(^^;。大時代的マエストロのオマージュという感は私もなくはありません。細かいところを言うと、第5の冒頭主題のフェルマータを次のアウフタクトにかぶせてしまうことや4楽章の念押しするようなアゴーギグなど、かつての巨匠から離れた技が飛び出しているように、往年のマエストロを亀鑑とした挑戦という感じです。だから、ノスタルジックではない気はします。そういう姿勢は私も大いに評価しています。

鈴木 それが、多少ヘタであろうが、クレンペラーやセルが好きな人は、ティーレマンを否定してはいけません。
今日部下とこの第7をかけながら話したら、1楽章はクレンペラーみたいだと言ってました。なるほど進みは似てなくもないですが、やっぱり全然違う。

鈴木 これから、どこかの常任になるのかどうかによって、恐らく、ティーレマンは小生が好きなクナやクレンペラーではない、ましてやデイヴィスやムーティやアバドではない地平に立つとすれば、今は違うけれど、そのダイナミックスはセルに似ています。
うーん。この真意がよくわかりませんが、私にはセルのバランス感覚は徹底さ加減、壮年期の怜悧さを考えると、ダイナミクスの点であってもかなり異なる領域のように感じますが...。

鈴木 練れていないところは、多いけど、こじんまりまとまるんじゃなくて、もっと、好きなことをやれ!と、応援したくなっちゃうのでした。
まぁ、私も今はエールをおくりたいところです。でも、このティーレマン聴いていて皆さん思いませんでしたか?これは明らかに最近の古楽のアンチテーゼですよ。ここずっとベートーベンの交響曲で話題になったのは古楽だけですものね。ティーレマンとしては「してやったり」と快哉を叫ぶ感はあるのでしょう。そういう意味での鈴木さんの見解はそのとおりでしょうね。それから、

佐々木 私小説風「運命」とでも言っておきましょうか。
この表現がとても気に入っています。

佐々木 所々今までの雰囲気をがらっと変えるし、妙に木管が浮いていたり、少しマーラー風のベートーヴェン、私小説的分裂症的とも感じられ、そういう意味で、意外にこれを好む人もいるかもしれないとは思いますが。
なるほど。主情主義的ベートーベンというまではないと感じていましたけれど、そういう見方も首肯できるように思います。

斉諧生 鈴木 ティーレマンは、1960年代までのマエストロ(指揮者)に対してのノスタルジーです。
ヴェルザー・メストがEMIのノスタルジーであったように、ティーレマンはDGGのノスタルジーなのかも知れませんね、皮肉っぽく言えば。でも、なぜフィルハーモニア管だったのでしょう。ベルリン・フィルとかドレスデン国立歌劇場管(おっと、ザクセン州立歌劇場管、でしたっけ?)あたりで華々しく売り出してやればよかったのに。ドイツのオーケストラなら、もう少しソレらしくなったと思うのですが。次のシューマンもPOだそうですね。

鈴木 こじんまりまとまるんじゃなくて、もっと、好きなことをやれ!と、応援したくなっちゃうのでした。
たしかに、今、新録音が楽しみな指揮者って、ほとんどいませんから、少しでも芽がでそうな人には精進してもらいたいものです。両翼配置が絶滅しないように...

佐々木 鈴木 ティーレマンは、1960年代までのマエストロ(指揮者)に対してのノスタルジーです。
マエストロ達を殆ど聴いていない私としてはクレンペラーのベートーヴェンさえ聴いた事ありません(^^ゞ。正直なところ判断つかないですけれど、鈴木さんのいわんとされている所は肯けます。

鈴木 練れていないところは、多いけど、こじんまりまとまるんじゃなくて、もっと、好きなことをやれ!と、応援したくなっちゃうのでした。
同感です。5番は、変わっているけれど、何か気になる演奏ですし。でも7番は、私にはいま一つ。ものものしい音と残響がリズム感をスポイルしている事もあり、同じ傾向の演奏なのに、5番よりつまらなく聞こえます。

鈴木 さて、ティーレマンですが、セルに近いと書きましたのは、書きすぎです。ただ、分かっていただきたかったのは、最近のオリジナル楽器でのベートーヴェンが盛んですが、それらとは一線を画す古い世代に近い演奏だという意味でご理解ください。サヴァールまでベートーヴェンなんだからイヤになっちゃいますねえ。さっき、セルとティーレマンと第5番で聞き比べたのですが、まるで違いました(^^;。でも、第1楽章を何度も何度も聞き比べていると、ティーレマンの演奏の方が好ましく思えてくるから困っちゃいます。

ティーレマンの演奏は、プロポーションを崩したり、楽器バランスが悪く聞こえる箇所はたくさんありますが、なかなかメロディを際だたせたり、内声部を今までの演奏と違う角度から聞かせたりと面白い演奏です。テンポは、全体的にやや遅ですが、なかなか推進力もあります。ただ、全体が見通せていないという印象は拭いがたく、全曲を通して聴いた後は、セルの方が圧倒的に充実感があります。ティーレマンは、少し細部にこだわりすぎた感じですね。でも、小生のように、他の演奏と何度も聞き比べをすると、スルメのような味がでてきます。交響曲第7番は、佐々木さんと同じような意見ですが第2楽章アレグレットは、なかなか充実していますが、やはり全体を見通せていないのが仇となって、第3楽章まででこの交響曲は終了しています。第4楽章フィナーレは、なんかおまけみたい。全体には、ちょっと小技を使おうとしたのに使い切れずに、モタモタしちゃった印象ですね。

ティーレマンは、男前なだけに人気が高まるでしょうが、スター街道を行くタイプの指揮者ではないような気がします。注目度は上がるでしょうが、メジャーの常任や客演をするよりも(それは年寄りに任せておいて)、地方オペラ劇場の音楽監督か、マイナーオーケストラでもっと鍛えてほしいと思います。それだけの資質があります。スター街道をばく進して地獄に堕ちないようにしてほしいな。数少ないドイツ人有力指揮者として、クナのような濃厚な音楽の火を消さずにがんばってほしいなと思います。





Back to okuzashiki top
Back to index.htm