| 野々村 |
プーランクの無伴奏合唱曲は、一般クラシックファンの間での知名度はさほど高くないが、合唱ファンの間では極めつけの名曲群として知られている。このマーカス・クリード/リアス室内合唱団(ドイツ)をはじめ、エリック・エリクソン/オランダ室内合唱団、ロバート・ショウ/ロバート・ショウ祝祭合唱団(米国)、ハリー・クリストファー/ザ・シックスティーン(英国)などの世界の超一流合唱団がこぞって録音を重ねているのが、何よりの証拠であろう。ただ、アンリ・エルのプーランク伝によると、フランスではなぜか演奏頻度が低いそうで、実際、フランスの団体の録音としては代表的なジョン・オールディス/グループ・ヴォカーレ・ド・フランス盤は、ハーモニーすらきちんと把握されていない有様で、「外国の団体」の録音とは比較にもならない。
『悔悟節のための4つのモテット』『クリスマスのための4つのモテット』『ミサ曲』他の作品としての素晴らしさは、一聴すれば明らかなのであえて言及しないことにして、演奏に話を絞ろう。このリアス室内合唱団の録音は、最初に聴いた時の印象はあまり強くなく、むしろショウ祝祭合唱団のロマンティックな表現や、オランダ室内合唱団のダイナミックな表現の方が印象に残る。しかし比較試聴を重ねていくと、女声と男声、高音部と低音部が全く切れ目なくつながり、ハーモニーが声部の集合体ではなく、刻々と音色を変える一つの音として聞こえてくるこの演奏が、比類ないものだと感じられるようになった。彼らのこの美質によって、『エクスルタテ・デオ』のような、高音部がゆっくりと旋律を歌う間に低音部が急速に動く、非伝統的な書法の意図が初めて明らかになった。そして、彼らの抑制された表現は、これらの作品の宗教音楽としての敬虔さに、ぴったりと合致しているのである。
収録曲数はCDとしてはやや少な目だが、『黒衣の聖母のための連祷』『人間の顔』という傑作をあえて外した選曲は、プーランクの無伴奏合唱曲を集めたアルバムをもう1枚予定しているということだろう。期待して待ちたい。
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| 佐々木 |
この試聴会にあたって、課題盤の他に、エリクソン盤(GLOBE)、オールディス盤(EMI)を購入しました。オールディス盤の方は、一聴して、少し落ちる演奏でしたので以下の感想は、もっぱらエリクソン盤との比較によっています。エリクソン盤では、深く透明な緑の色彩と静けさを同時に感じたのですが、このクリード盤は、エリクソン盤にくらべると、ロマンティックさや、劇性は抑え目で、無色透明な演奏という感じ。一聴したところでは少し地味な印象を受けます。
しかしながら、それが逆にこの盤の魅力になっていて聴くほどに、
- 人間的な、うた、としてのニュアンスを排したような歌唱、
- 各パートがブレンドされた響きの美しさ、
こういったものに意識が向いて参ります。透明な、いじっていない良さというか、旋律が、「うた」というより、「環境音」のよう、というか一種不思議な雰囲気で、白痴美的というコトバが言い過ぎなら、無垢な美しさと言ってもいいと思いますがもともと、優れた曲だから、こういう良さが出てくるのでしょう。
ですから、クリード盤は、聴いてすぐに良いと思うような演奏ではなくてこちらから、耳を傾けて感じ取っていかなくてはいけない演奏という感じがします。そして、聴くうちに、味わいが出てくる演奏だと思います。
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| 鈴木 |
近代フランス音楽の合唱曲を聴き始めたということでは、フォーレのレクィエムが最初だろう。それも、コルボの演奏に引き込まれ、それがフランス合唱曲を聴く一種リファレンスのようになり、今でも大好きな演奏のひとつだ。以降、クリュイタンスのフォーレも受け入れられなくなってしまった。プーランクの合唱曲は、1987年頃にEMIからプレートルの2枚が復刻され、飛びつくように購入、一所懸命聞いたが、この録音のどこに魅力があるのか、皆目分からず、プーランクの合唱曲そのものを敬遠するようになってしまった。今、プレートル盤を聞いていると、最も期待した「スターバト・マーテル」が大はずれだったことが分かる。これは録音の音質とも大いに関係があるが、まるでメリハリのない音、音程の合っていないコーラス、不明確な発音、妙に壮大さが演出されたような音で、小生を一発でプーランク嫌いにさせた元凶のような録音だ。
プレートル盤、エリクソン盤、課題のクリード盤で比較できる「懺悔節のための4つのモテット」から聞いてみたが、プレートル盤はグシャグシャ。妙に派手で長い残響音も気になる。楽曲の美しさや、韻を含んだ歌詞の美しさ、気品ががまるで伝わってこない。ムードだけで演奏したような趣だ。エリクソン盤はさすがに納得できる。音楽の縦の線も絶妙だし、コーラスがごく自然に聞こえる。プレートル盤とはまるで違った音楽に聞こえてしまう。そして、クリード盤だが、より自然に情感が備わった演奏で、合唱精度はエリクソンの方が優れていると思うが、演奏の好みでいうと、クリード盤も甲乙付けがたい。
より弱音を大切にした表現とでも言おうか。非常に自然で柔らかな合唱だ。エリクソン盤の合唱は少し硬質だが、そこがまた魅力だといえる。第2曲目の冒頭から、両者を聞き比べると、*どっちが優れているか*という議論はむなしくなってしまう。合唱精度を磨き上げたエリクソン盤、テキストの内容をも大切に演奏したクリード盤と言うところか。
これは、第3曲目でかなり顕著な差となって聞き取れる。第4曲目のソプラノソロの美しさは、クリード盤が絶妙!続く悲劇味を湛えた音楽は、これはもうクリード盤の方が凄絶とも言える美しさを持っている。「モテット」以外では、「ノエルのための4つのモテット」がエリクソン盤とクリード盤で聞ける。プレートル盤に同曲が収録されていないのは、幸いだった(^ ^ ;;;;。
クリード盤の第1曲目の美しさに、小生ノックアウトされてしまい、メロメロ(^ ^ ;。エリクソン盤は少し重めの表現ながら、これもまた美しい。ただ、ソプラノの清浄さからいうと、クリード盤の方が滲みいるようで遙かに美しい。議論が終わったら、是非手前のHPで扱いたいと思った次第。素晴らしい音楽、演奏のCDだ。
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| 浮月斎 |
プーランクの宗教合唱作品は、言わば彼の音楽の粋が集まっているように思う。彼が室内楽で培った、哀愁ある美しきメロディ・ライン、動的な内声部の跳躍などが巧みに織り込まれながら、激性を廃し、静かな佇まいの中に明るさと悲しみとのコントラストが深く彩られていることに特徴がある。
明るさは「Messe G-major」、「Excultate Deo」や「Gloria」に聴ける、非常に体重の軽いハレ的色彩。特に女声部の軽やかな流れは大変心地良い。そして最高域に達してぶっちぎりパウゼする快活感というオマケもある。他方、悲しみでは、「Salve Regina」や「Stabat Mater」に代表されるように、無垢の哀愁が淡々と深まり、また高まった緊張が次第に解れてゆく音の姿にある。始めはユニゾンで進みながら、高低声部がゆったりと乖離し、ゆったりとハーモニーを壊しつつ不協和音に突入する謎めきが聴き逃せないところである。
彼の宗教曲の特徴は、世俗曲とほとんど同じ体重を持ちながら、音の流れと強弱は深い呼吸に至り、薫り高くならず、深く内向していく独特の静謐感が立ち現れるところである。プーランクのこの手の傑作が「黒衣の聖母」のような女声合唱にあるように、これは一方で、バス部を抑制した合唱プロポーションの形勢というフォーレやフランク(一部)以来の伝統とも深く関わりがあるかもしれない。
さて、クリード盤であるが、大変入念なアプローチで素晴らしかった。ヴィブラートの瀰漫を抑え、みっちり音楽の統合と分離を息長くまとめているところは、彼らの実力の証左である。特に明るさの表現でのクリアさとからりとした静かさを賞揚したい。その特徴は2つある。
ひとつは作品の静謐感がよく磨かれているところ。例えばオドンネル盤のように、平坦に音の立振る舞いを統括しているだけでは、音楽に「間」がいくつもぽっかり空いてしまい、ただ軽くて雑な合唱になってしまう。クリード盤にはこうした「ぽっかり間」は全くない。音の綾を徒に分節させず、大胆なハーモニクスを隙なく持続させてゆく。パウゼも実にうまく、プーランクの動きと間の対比を見事にからりとした静謐感へと統合している。比較したエリクソン盤がむしろ湿っぽく聞こえてしまうくらいだ。「Excultate Deo」と「Salve Regina」だけを比べても歴然とした違いがあるが、「悔悟節のモテット」がこの美点では特筆できる。
もうひとつは、バランスとりの自然さ。クリード盤は、声部間のバランスをかなり入念に仕上げており、全声部の融合でも、女声が淡々と明るく響く仕組みを巧みにとっている。それは、女声よりも男声部がどの団体よりも濁りをもたらさらないことにあると言えよう。ミサ曲はそれが実にうまくできている。私が気に入ってきたThe Sixteen盤では、ソプラノの流れは素晴らしいが、どうしても男声部で少々力の入る瑕疵がある。合唱のプロ中のプロ、エリクソン盤は合唱のまとめは実にうまいし、特に女声部ははっとするうまさを見せるが、やや音楽表現に没入してしまい、プーランクの無垢な静謐感とは離れた着地点を探してしまっていないだろうか。その点、クリード盤は、実に湿り気なく淡々と聞こえるのである。男声部の扱いでは、 4曲目後半のようにハーモニイの高潮部分で、絶妙のバランスをとる。これが音楽の抑揚に重くならない深さと滋味とを醸し出す。「Excultate Deo」も同様である。
余談だが、試しに彼らのブラームスのモテット集も聴いてみたが、実に心地良い響きであった。ヘルヴェッヘ盤のように、明るさを志向した演奏とは違うけれど、合唱の体質に類似したものを感じ、重く根のはえたものがブラームスではないことは本国でもできる団体にはできるのだと感じた。
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| 野々村 |
プーランクの無伴奏合唱曲集は大変好評で、提案者としては嬉しい限り。ただ、これだけ絶賛が続くと(しかも、言葉こそ違うものの、参加者の評価ポイントはほぼ同じ)、この後の議論が難しいのも確か。
そこで、浮月斎さんの問題提起を参考にして、議論の対象を少し広げてみようかと思います。思いつくままに箇条書きにしてみると、
- これらの作品のプーランクの創作歴における位置付け
- これらの作品の(フランス)合唱音楽史での位置付け
- プーランクという作曲家の20世紀音楽史での位置付け
- このディスクのRIAS室内合唱団の録音歴での位置付け
- RIAS室内合唱団の合唱の世界における役割の位置付け
といったあたりでいかがでしょうか。1と3については意見があります。
1. 比較的早熟な作曲家であったプーランクにしては、取り組み始めたのは遅い(『黒衣の聖母のための連祷』が37歳の時)ジャンルだが、それだけに彼の語法が集約的に投入されており、またこれらの創作を通じて、「6人組」的な世界から飛躍して深化した。
3. ともすれば「前衛の流行」を追うことに汲々としがちな時代の中で、「調性音楽でやり残されたこと」を着実に結実させていった。その一方で彼は、後期ドビュッシー、新ウィーン楽派、ブーレーズらの音楽を理解し、また称賛していたことは見落とせない。
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| 鈴木 |
小生、プーランクとフランスの合唱曲自体、あまり聞いてこなかったので、コメントのしようがない門外漢ですが、室内楽やピアノ曲と比較して、この合唱曲集は同じプーランクの作品でも印象が随分異なりますね。宗教曲だからと括ってしまっても良いものだろうかと、悩んでしまいます。プーランクの年代毎の作風の変化や心情(思潮)の変化はどのようなものであったのか、ご存知の方は、ご教示願いないでしょうか?
また、野々村さんの”1.”と関係があると思いますが、ごく一般的なプーランクの評価はどのようなものなのでしょう?
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| 野々村 |
鈴木 室内楽やピアノ曲と比較して、この合唱曲集は同じプーランクの作品でも印象が随分異なりますね。
ピアノ独奏曲は、コンポーザー=ピアニストがついつい書いてしまうサロン音楽の域を出ませんが、室内楽に関しては、確かにトリオやセクステットやフルートソナタ(どれも素晴らしい作品ですが)とは違うものの、チェロソナタ、ホルンエレジー、オーボエソナタなどは、けっこう近い世界にいるように感じます。
鈴木 宗教曲だからと括ってしまっても良いものだろうかと、悩んでしまいます。
無伴奏合唱曲が、プーランクにとっては特別に*聖なる音楽*になったいきさつがあるのです。まず、第1号の『黒衣の聖母』は、親友が急死し*発心*して書いた作品。その数年後、『ミサ曲』などを書いているうちにフランスはナチスに占領され、ホモ友達の反戦詩に秘密裏に作曲してロンドンで初演するというプロジェクトに参加したこと(これが『人間の顔』)が決定的だったのでしょう。「宗教曲だから」では必ずしもないのです。管弦楽伴奏が付くと、『グローリア』みたいになる場合もある。
鈴木 プーランクの年代毎の作風の変化や心情(思潮)の変化はどのようなものであったのか、ご存知の方は、ご教示願いないでしょうか?
アンリ・エルのプーランク伝(邦訳は春秋社、プーランクに精通したバリトンの村田さんによる良い翻訳)を是非どうぞ。
鈴木 ごく一般的なプーランクの評価はどのようなものなのでしょう?
「6人組で3番目にえらい人」程度では?協奏曲(特にオルガン協奏曲と田園コンセール)、『グローリア』、フルートソナタくらいしか、「ごく一般的」には聴かれていないと思います。
シェーンベルクやヴァレーズのような「一番乗り系」よりも、ブーレーズやリゲティのような「伝統に忠実な前衛」よりも、プーランクと松平頼則は優れた作曲家である、という認識が一般化するまで、私は「20世紀に書かれたクラシック音楽」に関わり続けるつもり。
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| 鈴木 |
野々村 室内楽に関しては、確かにトリオやセクステットやフルートソナタ(どれも素晴らしい作品ですが)とは違うものの、チェロソナタ、ホルンエレジー、オーボエソナタなどは、けっこう近い世界にいるように感じます。
室内楽曲全集は、確か昨年購入してあったと思いますので、この機会に聞いてみます。
野々村 「宗教曲だから」では必ずしもないのです。管弦楽伴奏が付くと、『グローリア』みたいになる場合もある。
*管弦楽伴奏が付く*と、ど派手になると言うことでしょうか?管弦楽と言えば、最近デュトワのが出ましたが、何か、管弦楽曲集でお薦めはありますか?
野々村 アンリ・エルのプーランク伝(邦訳は春秋社、プーランクに精通したバリトンの村田さんによる良い翻訳)を是非どうぞ。
これは、探してみます。
野々村 シェーンベルクやヴァレーズのような「一番乗り系」よりも、ブーレーズやリゲティのような「伝統に忠実な前衛」よりも、プーランクと松平頼則は優れた作曲家である、という認識が一般化するまで、私は「20世紀に書かれたクラシック音楽」に関わり続けるつもり。
これは、なるほどと思います。しかし、*優れた作曲家である、という認識*は一般には、やはり薄いのでしょうか?
松平頼則はなじみのない人が多いかも知れませんが、プーランクファンって、案外多いのでは、と思えてしまいます。それにしても、生誕100年記念だかのボックス物の発売ラッシュは、凄いですね。それほど、クラシック音盤界は話題に困っていたと言うこともあるのでしょうが。プーランクが、モーツァルトやシューベルトほどではないにせよ、これだけ出るとは小生思えませんでした(^ ^ ;;;;。認識不足かな。
なんか、討論になりにくいですね(^ ^ ;;;;。
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| 浮月斎 |
野々村 1. 比較的早熟な作曲家であったプーランクにしては、取り組み始めたのは遅い(『黒衣の聖母のための連祷』が37歳の時)ジャンルだが、それだけに彼の語法が集約的に投入されており、
「彼の語法が集約的に投入」というのは同感です。そしてさらに意匠はどんどん簡素化していく中で、プーランクの音楽的(人間的)誠実さも他ジャンルに比べ一層濃くなっているように思います。
野々村 またこれらの創作を通じて、「6人組」的な世界から飛躍して深化した。
ここで、野々村さんの提起している「2. これらの作品の(フランス)合唱音楽史での位置付け」とも多少絡めて書きます。合唱ということになると、「6人組」ではほぼプーランクとオネゲル(ともにカトリック)ばかりが突出してしまいます。しかしオネゲルの場合、『復活祭賛歌』以降、聖史劇風のオラトリオに重心がかかっており、アカペラの合唱作品がないところが対蹠的です。プーランクは、まず、無伴奏宗教作品が主体ということが特徴の一つです。フォーレの場合でも、完全な無伴奏宗教作品はほとんどありませんね。オネゲルとの対比だけでなく、ドビュッシイを含めた今世紀前半のフランスでは、文芸作品から興された合唱作品が多い状況ですが、宗教曲では、セブラックからフローラン=シュミット、ミゴといった人々を含めて考えても、プーランクのような作品は窮めて少ない気がします。
次に、カトリックの伝統であるグレゴリオ聖歌やルネサンス・バロック期ポリフォニーへ眼が向けられていること、そして女声、また児童合唱の扱いが特徴であり、バスが入っていても軽いというフランス合唱作品の流れに沿っているところでしょうか。後者はベルリオーズの「Tantum ergo」以来、グノー、フランク、ダンディ、そしてフォーレ、それからフランクの弟子のオルガン作曲家たちなどのフランス宗教作品の伝統に棹差しています。
そして3つめは、メロディとハーモニーが美しく簡素に磨かれいるとはいえ、同時代的に進んでいた新古典的傾向には向かわず、あくまで自分の語法の結節点に昇華できたことが注目すべきなのではないでしょうか。それは、彼の室内楽の要素もふんだんに盛り込まれています(前回発言どおり)。また先に述べたように、音楽を構成している意匠はどんどん簡素化してゆくが、フォーレのような甘美さに陥らず、体質は軽い反面、深い省察に満ちた響きが実直に醸し出されるところが素晴らしいと思います。
さて、ひとつ考えておくべきことがあります。ローマ・カトリックの場合、1903年に教皇ピウス10世により教会音楽の規定ができました。「グレゴリオ聖歌もしくはパレストリーナ様式を規範」とし、「オペラ様式を避ける」などなど書かれているそうで、これ以降のローマ・カトリック教会で演奏されるべき声楽作品は、この規定に則って書かれています。そうなると、楽想という点ではあまり多様多彩な作品は生み出ないわけで、こういう中でもプーランクはオリジナリティのある、突出した出来ばえと思われます。ほぼ同時代のカトリック宗教声楽作品には、ピツェッティ、ヴィラ=ロボスにも佳品がありますが、ともにルネサンス・バロック期のポリフォニーの影響が濃く、私にはプーランクほどの個性はないように感じられます。
比較して、イギリスの宗教合唱作品が、或る意味でインスピレーション溢れた作品が多いのも、こういう背景が作用しているのかもしれません。
野々村 4. このディスクのRIAS室内合唱団の録音歴での位置付け、5. RIAS室内合唱団の合唱の世界における役割の位置付け
RIAS室内合唱団自体、私にはよくわかりませんが、やはりオケとの共演が主体だろうと思います。
もともと放送用の合唱団ですから、古今東西の合唱曲はこなすでしょうが、プーランクのアカペラがレペルトワールになるとは意外でした。クリードの並々ならぬ手腕と認めます。クリードといえば、グロノスタイとともに、LASERLIGHT(もともとCapriccio)にモーツァルトの宗教作品を録音していました。これも非常にうまい。プーランク同様、一聴ではわかりにくい巧まらざる技能、よく鍛練したうまさと感じられます。ただ、緊迫感のある作品は聴いていないので、ロ短調ミサあたりはどういう出来ばえなのか、興味はあります。
プーランクに話を戻せば、最近出たエリクソン盤も名演だと思いますが、ロバート・ショウについては「スターバト・マーテル」はよかったのですが、プーランクのアカペラものは聴いていないので、どんなものでしょうか。
鈴木 宗教曲だからと括ってしまっても良いものだろうかと、悩んでしまいます。
そのジャンルで括っても、プーランクは傑出して自己自身を展開していると思います。逆に宗教曲からプーランクを辿れば、プーランクの概要は大体わかるかもしれません。
鈴木 室内楽やピアノ曲と比較して、この合唱曲集は同じプーランクの作品でも印象が随分異なりますね。
野々村 ピアノ独奏曲は、コンポーザー=ピアニストがついつい書いてしまうサロン音楽の域を出ませんが、室内楽に関しては、確かにトリオやセクステットやフルートソナタ(どれも素晴らしい作品ですが)とは違うものの、チェロソナタ、ホルンエレジー、オーボエソナタなどは、けっこう近い世界にいるように感じます。
ホルンエレジーなんかに特に近いものを感じますね。クラソナタの2楽章なんかもそうです。
鈴木 ごく一般的なプーランクの評価はどのようなものなのでしょう?
野々村 「6人組で3番目にえらい人」程度では?協奏曲(特にオルガン協奏曲と田園コンセール)、『グローリア』、フルートソナタくらいしか、「ごく一般的」には聴かれていないと思います。
2台のピアノ協奏曲、『牝鹿』、『スターバト・マーテル』もそこそこ。でも圧倒的にピアノ、室内楽の録音が多いように思います。ここが問題ですかね。最近はオペラも少しずつ増えてきたみたいですが...。
野々村 プーランクと松平頼則は優れた作曲家である、という認識が一般化するまで、私は「20世紀に書かれたクラシック音楽」に関わり続けるつもり。
(^^)。そのためにももっと宗教曲の録音が出てほしいですね。エリクソンとクリードというドエライ名盤が時を近くして出たということも大きな意義があると思います。
鈴木 管弦楽伴奏が付く*と、ど派手になると言うことでしょうか?
『グローリア』では「動き」と華やかさは出ますが、『スターバト・マーテル』はあまりそういうことはありません。ボド盤(HM)をおすすめします。
鈴木 何か、管弦楽曲集でお薦めはありますか?
『牝鹿』は楽しいですが、強いて挙げれば『オーバード』ですかねぇ...。
鈴木 プーランクファンって、案外多いのでは、と思えてしまいます。
確かに多いですが、意外と室内楽ばっかりなんですよ。
鈴木 それにしても、生誕100年記念だかのボックス物の発売ラッシュは、凄いですね。
そうなんですが、基本は旧パテ・マルコニ系音源ばかりです。生誕100年も、なるべくならEMIだけで終わってほしくないです。
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| 野々村 |
浮月斎 プーランクは、まず、無伴奏宗教作品が主体ということが特徴の一つです。
卓越した対位法のセンスがないと、合唱に限らず、無伴奏作品って書けないじゃありませんか。そういう意味で、今まで全然聴いていないバルトークの合唱曲がどんなものなのか、興味が出てきました。
浮月斎 そして3つめは、メロディとハーモニーが美しく簡素に磨かれいるとはいえ、同時代的に進んでいた新古典的傾向には向かわず、あくまで自分の語法の結節点に昇華できたことが注目すべきなのではないでしょうか。
オーケストラ曲や室内楽では、しばしば新古典的ですが。このあたりは、彼が何よりも歌曲の作曲家であったことと大いに関係があると思います。
浮月斎 ローマ・カトリックの場合、1903年に教皇ピウス10世により教会音楽の規定ができました。「グレゴリオ聖歌もしくはパレストリーナ様式を規範」とし、「オペラ様式を避ける」などなど書かれているそうで、(中略)こういう中でもプーランクはオリジナリティのある、突出した出来ばえと思われます。
というか、元々プーランクはそういう志向の持ち主だったので、ちょうどうまくいったのではないでしょうか。
浮月斎 ほぼ同時代のカトリック宗教声楽作品には、ピツェッティ、ヴィラ=ロボスにも佳品がありますが、ともにルネサンス・バロック期のポリフォニーの影響が濃く、私にはプーランクほどの個性はないように感じられます。
「外面的影響」「模倣」の段階に留まっているのでしょうか。
浮月斎 もともと放送用の合唱団ですから、古今東西の合唱曲はこなすでしょうが、プーランクのアカペラがレペルトワールになるとは意外でした。クリードの並々ならぬ手腕と認めます。
クシェネックの『エレミアの哀歌』も、曲はともかく演奏はすばらしい(HM France)。
浮月斎 ロバート・ショウについては「スターバト・マーテル」はよかったのですが、プーランクのアカペラものは聴いていないので、どんなものでしょうか。
オペラ合唱みたいで違和感もありますが、「これはこれ」で面白いですよ。
浮月斎 逆に宗教曲からプーランクを辿れば、プーランクの概要は大体わかるかもしれません。
それだけでは、「修道師」の方の顔ばかりになってしまうのでは。彼の概要を知りたければ、アメリング、スゼー&ボールドウィンの歌曲全集を買うのが、一番の近道だと思います。ピアノ書法も、歌曲伴奏の方が独奏曲よりもずっと優れています。
鈴木 ごく一般的なプーランクの評価はどのようなものなのでしょう?
野々村 「6人組で3番目にえらい人」程度では?協奏曲(特にオルガン協奏曲と田園コンセール)、『グローリア』、フルートソナタくらいしか、「ごく一般的」には聴かれていないと思います。
浮月斎 2台のピアノ協奏曲、『牝鹿』、『スターバト・マーテル』もそこそこ。
ええ、そこそこ。そういう意味では、オペラでも『人間の声』はそこそこ。
野々村 でも圧倒的にピアノ、室内楽の録音が多いように思います。ここが問題ですかね。
そうそう、「あのお洒落でチャーミングなプーランクさん」。
鈴木 *管弦楽伴奏が付く*と、ど派手になると言うことでしょうか?
浮月斎 『グローリア』では「動き」と華やかさは出ますが、『スターバト・マーテル』はあまりそういうことはありません。ボド盤(HM)をおすすめします。
私も強くお薦めします。併録『黒衣の聖母』もオケ伴奏版ですが良い演奏です。
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| 浮月斎 |
野々村 オーケストラ曲や室内楽では、しばしば新古典的ですが。
ここで書いているのは宗教曲の話。あれも新古典のうちなんですか?
野々村 このあたりは、彼が何よりも歌曲の作曲家であったことと大いに関係があると思います。
ここらはもう少しお伺いしたいところですね。
浮月斎 ローマ・カトリックの場合、1903年に教皇ピウス10世により教会音楽の規定ができました。(中略)こういう中でもプーランクはオリジナリティのある、突出した出来ばえと思われます。
野々村 というか、元々プーランクはそういう志向の持ち主だったので、ちょうどうまくいったのではないでしょうか。
この話を書いたのは、なぜ今世紀カトリック系にプーランクのような佳作が少ないのか、という背景を考える材料にしたつもり。例えば、イギリス以外でもカルヴァン派だったフランク・マルタンの『二重合唱のためのミサ曲』なんて名品もあるし。もしかすると、こういう足枷を嫌って、教会声楽に向かわなかった作曲家もいるのかもしれないなどという空想程度ですけど。
浮月斎 ほぼ同時代のカトリック宗教声楽作品には、ピツェッティ、ヴィラ=ロボスにも佳品がありますが、ともにルネサンス・バロック期のポリフォニーの影響が濃く、私にはプーランクほどの個性はないように感じられます。
野々村 「外面的影響」「模倣」の段階に留まっているのでしょうか。
どちらもオリジナルな部分は、勿論、多々あるのですが、聴いたあとの味わいがそうだったとしか言えないですね。この2人については悪く言っているのではありません、ともに好きです。例えばほかに無伴奏ミサでは、ヒンデミットとかヴォーン=ウィリアムズなんかもありますが、それらよりはずっと好きです。
野々村 クシェネックの『エレミアの哀歌』も、曲はともかく演奏はすばらしい(HM France)。
彼らのクシェネックもいずれ聴いてみたいですね。以前、クシェネックの何かを聴いた時は、あまり面白い印象はなかった記憶があります。彼の合唱作品も12音ばかりなんですか?
浮月斎 ロバート・ショウについては「スターバト・マーテル」はよかったのですが、プーランクのアカペラものは聴いていないので、どんなものでしょうか。
野々村 オペラ合唱みたいで違和感もありますが、「これはこれ」で面白いですよ。
ああ、そうですか。(^^) たしか例の黒衣の聖母のある教会での録音でしたっけ。合唱関係者は挙ってこの録音を絶賛しているのですが、観点はちょっと違うのかもしれませんね。
浮月斎 逆に宗教曲からプーランクを辿れば、プーランクの概要は大体わかるかもしれません。
野々村 それだけでは、「修道師」の方の顔ばかりになってしまうのでは。
私の場合、或る程度ピアノ、室内楽を聴いてしまったからかもしれませんね。
野々村 彼の概要を知りたければ、アメリング、スゼー&ボールドウィンの歌曲全集を買うのが、一番の近道だと思います。ピアノ書法も、歌曲伴奏の方が独奏曲よりもずっと優れています。
プーランクの歌曲を全部は聴いていませんので、私は断言はできません。が、この世界は確かにプーランクその人そのものという気もします。ただ歌曲の場合、プーランクの作品は数こそ結構多いですが、フランスの先達に比べ、何か突出している特徴はあるのでしょうか?
浮月斎 『グローリア』では「動き」と華やかさは出ますが、『スターバト・マーテル』はあまりそういうことはありません。ボド盤(HM)をおすすめします。
野々村 私も強くお薦めします。併録『黒衣の聖母』もオケ伴奏版ですが良い演奏です。
そうそう、この『黒衣の聖母』も大変良かったですね。
野々村 じゃあ、近々ベルナック&プーランクの歌曲集も奥座敷でやりませんか?
プーランクの歌曲も全部聴いていないし、準備してみましょう。
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| 野々村 |
浮月斎 ここで書いているのは宗教曲の話。あれも新古典のうちなんですか?
いや、宗教曲は全然違うと思います。歌曲も全然違いますが。
野々村 このあたりは、彼が何よりも歌曲の作曲家であったことと大いに関係があると思います。
浮月斎 ここらはもう少しお伺いしたいところですね。
もし歌曲も議論で取り上げるとしたら、ここでネタを出し尽すのは控えなければいけませんが (^_^) 歌曲のインティメットさが、合唱曲にもそのまま受け継がれていると感じます。
浮月斎 彼らのクシェネックもいずれ聴いてみたいですね。以前、クシェネックの何かを聴いた時は、あまり面白い印象はなかった記憶があります。彼の合唱作品も12音ばかりなんですか?
12音以前にも書いてはいたと思いますが(とにかく、多作の人)、この『エレミアの哀歌』は12音作品です。
浮月斎 (ロバート・ショウ)合唱関係者は挙ってこの録音を絶賛しているのですが、観点はちょっと違うのかもしれませんね。
演奏の水準自体は、クリード、エリクソン盤と遜色はないと思います。「楽曲に適合しているかどうか」という、かなり高い次元の問題です。
浮月斎 プーランクの歌曲を全部は聴いていませんので、私は断言はできません。が、この世界は確かにプーランクその人そのものという気もします。ただ歌曲の場合、プーランクの作品は数こそ結構多いですが、フランスの先達に比べ、何か突出している特徴はあるのでしょうか?
大半の作品が、その優秀な先達たちの最も優れた作品に勝るとも劣らない水準にあるというだけでも素晴らしいことで、「突出」を求めるのは酷では?ただ、ピアノ書法の充実に歌が拮抗しているという点では、彼が一番かも。例えばドビュッシーの場合、『叙情的散文』などの素晴らしいピアノパートを持つ歌曲では、どうも歌がパッとしないし。
野々村 じゃあ、近々ベルナック&プーランクの歌曲集も奥座敷でやりませんか?
浮月斎 プーランクの歌曲も全部聴いていないし、準備してみましょう。
私が今回やや抑制しているのは、これを見込んでいるからでもあるのですが、歌曲は歌詞も面白いし、別な展開が期待できると思いますよ。
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