| 野々村 |
野々村 ええと、調性音楽の書き手としては、確かにプーランクやショスタコのような才能はないと思いますね。でも、晩年の半音階的な作品には、私は強く惹かれるのです。
浮月斎 ああ、なるほど。よくわかります。むしろ私はああいう方がブリテンの背伸びかと思って敬遠していた風ですね。食わず嫌いとも言えます。
でも、あれが「背伸び」だったら、ブリトゥンなんてどうでもいいってことになってしまうような....『シンフォニア・ダ・レクイエム』もあの時期の作品の中では突出して半音階的で、そもそも彼にはそういう書法が合っているんだと思う。
野々村 もしこれが『カーリュー・リヴァー』だとすると、浮月斎さんと私のブリトゥン観が全く一致しないのは、しかたないかもしれません。
浮月斎 『カーリュー・リヴァー』です。室内オペラはあともう1作 あったかと思いますが、そちらも同じ感想だった気がします。
『燃える暖炉』は、やや自己模倣を感じますね。
野々村 私も、ティペット/ブリトゥンとバートウィッスル/P.M.デイヴィスの間のミッシングリンクが存在するのかどうかには興味がありますね。この断絶の大きさは、ヨーロッパ大陸やアメリカの比ではない。
浮月斎 20世紀前半はある意味で、乱水脈な部分があるのですが、50年代以降になるともともと持ってきた地下水脈を断ちはじめるような気がしています。現代音楽のメガトレンドやベクトルとどれだけ乖離と緊合とを繰り返しているか、よく勉強する必要もありそうですが。
理由はよくわからないけど、「前衛第1世代」にあたる作曲家がまるでいませんよね。これは間違いなく、健全な発展を妨げたと思います。「外国の完成品のサルマネ」には、ろくなことがない。
浮月斎 ティペット/ブリトゥンは私も興味がありますが、ティペットの作品、オケものが面白くないのでまだよく聴きこんでいけていません。(^^)
私は、ティペットは全然興味ありません。同世代として並べてみただけ。
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| 浮月斎 |
野々村 でも、あれが「背伸び」だったら、ブリトゥンなんてどうでも> いいってことになってしまうような....
ブリテンは歌ものにウェイトをおいて聴いていると、そういう評価になってもおかしくないところはあると、正直思います。ま、食わず嫌いが大きいせいか、私の攻め込み方では浅薄なところは大きいかと思いますが...。
野々村 『シンフォニア・ダ・レクイエム』もあの時期の作品の中では突出して半音階的で、そもそも彼にはそういう書法が合っているんだと思う。
『シンフォニア・ダ・レクイエム』自体をそう捉えられても、ブリテンをトータルに捉えてからそう言えるか、私にはまだ無理です。
野々村 あの傑作が「あまり面白くない」としたら、これはもう全然一致しないのではないかと。私の後期ブリトゥンへの賛辞は、あの作品への感動が出発点ですからねえ。
なるほど。でも、野々村さん。私のように、後期のつまらない声楽作品を主体に聴いていって『カーリュー・リヴァー』に行き着いたとしても、蒙を啓かれることにはならないと思いますよ。むしろ、疑念が増えるだけというか...(^^;)。
正直、ブリテンの根が奈辺にあるのか、自分の設定した起点から進めていって、捉えどころがなくなっているジレンマがあることに気がつきました。(^^;;;)
野々村さんご指摘の「そもそも彼にはそういう書法が合っているんだと思う」という側面を、管弦楽、器楽、オペラあたりにもう少しタテに見にいってみれば手がかりは新たにつかめるのかもしれません。
野々村 理由はよくわからないけど、「前衛第1世代」にあたる作曲家がまるでいませんよね。これは間違いなく、健全な発展を妨げたと 思います。「外国の完成品のサルマネ」には、ろくなことがない。
あ、そうなんですか。確かに英国コンテンポラリィは、ある時期以降から、断絶というよりは突然変異的なルート変更を遂げるというようなことを言っていた人はいましたけれど。私はウォルトンの存在も、その理由として大きいと見ています。
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| 野々村 |
野々村 でも、あれが「背伸び」だったら、ブリトゥンなんてどうでもいいってことになってしまうような....
浮月斎 ブリテンは歌ものにウェイトをおいて聴いていると、そういう評価になってもおかしくないところはあると、正直思います。ま、食わず嫌いが大きいせいか、私の攻め込み方では浅薄なところは大きいかと思いますが...
「前衛音楽」を、それ自体よりも、波及効果をもってプラス評価するという私の音楽史観に基づく偏向した見方なのかもしれませんが....
野々村 あの傑作が「あまり面白くない」としたら、これはもう全然一致しないのではないかと。私の後期ブリトゥンへの賛辞は、あの作品への感動が出発点ですからねえ
浮月斎 なるほど。でも、野々村さん。私のように、後期のつまらない声楽作品を主体に聴いていって『カーリュー・リヴァー』に行き着いたとしても、蒙を啓かれることにはならないと思いますよ。むしろ、疑念が増えるだけというか...(^^;)
それは、後期ストラヴィンスキーをつまらない宗教作品を中心に聴いてしまった場合と似たようなものかもしれません。そもそも、半音階的〜無調的スタイルと合唱の相性は、一般的に悪いですし。
野々村 理由はよくわからないけど、「前衛第1世代」にあたる作曲家がまるでいませんよね。これは間違いなく、健全な発展を妨げたと思います。「外国の完成品のサルマネ」には、ろくなことがない。
浮月斎 あ、そうなんですか。確かに英国コンテンポラリィは、ある時期以降から、断絶というよりは突然変異的なルート変更を遂げるというようなことを言っていた人はいましたけれど。
たぶん、第2次世界大戦で本土が壊滅しなかった国はダメなのでしょう。アメリカも、ケージ周辺の非アカデミックな人々は面白いけど、アカデミックな系統は救いようがなく、まともな「前衛作曲家」は出なかった。
浮月斎 私はウォルトンの存在も、その理由として大きいと見ています。
というと?
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| 浮月斎 |
野々村 それは、後期ストラヴィンスキーをつまらない宗教作品を中心に聴いてしまった場合と似たようなものかもしれません
全くそのようなことをしているのかもしれませんね。但し、ストラヴィンスキーの方はまるでそんなことはありませんが...。
野々村 そもそも、半音階的〜無調的スタイルと合唱の相性は、一般的に悪いですし
そういう類で感心できる作品は確かに少ないですね。
野々村 たぶん、第2次世界大戦で本土が壊滅しなかった国はダメなのでしょう
(^^;)
野々村 アメリカも、ケージ周辺の非アカデミックな人々は面白いけど、アカデミックな系統は救いようがなく、まともな「前衛作曲家」は出なかった
ユダヤ系移民あたりもダメですか?尤もその多くがほとんど教育者か研究者になっているようですが。
浮月斎 私はウォルトンの存在も、その理由として大きいと見ています
野々村 というと?
前衛として期待され、本人も自覚し、地歩を進めてきた筈なのに、簡単に保守化し寝返ったでしょう?尤も演奏家におだてられたり期待を受けた証左でしょうが、結局、何も産み出せなくなった後期には完全にロマン派回帰(折衷主義的ですが)に戻っていますから。せいぜい第1シンフォニイくらいですかね、佳品と言えるのは。
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| 野々村 |
野々村 それは、後期ストラヴィンスキーをつまらない宗教作品を中心に聴いてしまった場合と似たようなものかもしれません。
浮月斎 全くそのようなことをしているのかもしれませんね。但し、ストラヴィンスキーの方はまるでそんなことはありませんが...
それは、「新古典主義から12音技法に転向した作曲家は、宗教作品が聴きもの」なんて先入観がないからでは....
野々村 そもそも、半音階的〜無調的スタイルと合唱の相性は、一般的に悪いですし。
浮月斎 確かに、そういう類で感心できる作品は確かに少ないですね。
やはり、声というのは、平均律の世界ではないのでしょう。
野々村 アメリカも、ケージ周辺の非アカデミックな人々は面白いけど、アカデミックな系統は救いようがなく、まともな「前衛作曲家」は出なかった
浮月斎 ユダヤ系移民あたりもダメですか?尤もその多くがほとんど教育者か研究者になっているようですが
カーター、バビット、ウォーリネンあたりを「まともな前衛作曲家」だと思いますか?調性に転向する以前のロックバーグも、たかが知れていたし。オリヴェロス、テニー、ライヒあたりは「ケージ周辺」とは言えないけど、いわゆるアカデミック系でもないでしょう。現在は大学で教えているけど。
浮月斎 私はウォルトンの存在も、その理由として大きいと見ています。
野々村 というと?
浮月斎 前衛として期待され、本人も自覚し、地歩を進めてきた筈なのに、簡単に保守化し寝返ったでしょう?
へえ、ウォルトンにも「前衛」の時代があったんですか!ちっとも知らなかった。アメリカのロックバーグみたいなものでしょうか?
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| 浮月斎 |
野々村 それは、「新古典主義から12音技法に転向した作曲家は、宗教作品が聴きもの」なんて先入観がないからでは....
(^^;)。多宗教作品のオンパレードという点では、ストラヴィンスキイの節操のなさはなかなか面白いかもしれません。ともあれ、そろそろブリテンの作品を縦断してみたいと思います。
野々村 そもそも、半音階的〜無調的スタイルと合唱の相性は、一般的に悪いですし。
浮月斎 確かに、そういう類で感心できる作品は確かに少ないですね。
野々村 やはり、声というのは、平均律の世界ではないのでしょう。
声は純正調ですね、そういえば。
野々村 カーター、バビット、ウォーリネンあたりを「まともな前衛作曲家」だと思いますか?調性に転向する以前のロックバーグも、たかが知れていたし
「まともな前衛作曲家」か否か答える以前に、カーターを少しだけ、あとは全然作品を聴いたことがありません。すみません。(^^) 私個人としては、カーターに惹かれることはなかったですけれどね。
野々村 オリヴェロス、テニー、ライヒあたりは「ケージ周辺」とは言えないけど、いわゆるアカデミック系でもないでしょう。現在は大学で教えているけど
なるほど。
野々村 へえ、ウォルトンにも「前衛」の時代があったんですか!ちっとも知らなかった。アメリカのロックバーグみたいなものでしょうか?
ロックバーグは知りませんので答えられませんが、あくまで英国では、という相対的な尺度だと思いますよ。それも大戦直前くらいでしょうか。ウォルトンはよくも悪くも「国際派」でしたからね。自国の音楽土壌のうすさに次第に気づいてきて、まともに筆が進まなくなったのかもしれません。思った以上に寡作の人ですし...
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| 野々村 |
どんどんマニアックになっています。
浮月斎 多宗教作品のオンパレードという点では、ストラヴィンスキイの節操のなさはなかなか面白いかもしれません
「節操のなさ」は、改宗を繰り返していた彼の生き方の問題で、作風はむしろ彼にしては驚くほど一貫していたと思います。『詩編交響曲』『ミサ曲』『カンタータ』『カンティクム・サクルム』『トレニ』『レクイエム・カンティクルス』と聴いていけばわかるでしょう。
野々村 そもそも、半音階的〜無調的スタイルと合唱の相性は、一般的に悪いですし。
浮月斎 確かに、そういう類で感心できる作品は確かに少ないですね。
野々村 やはり、声というのは、平均律の世界ではないのでしょう。
浮月斎 声は純正調ですね、そういえば。
ストラヴィンスキー『アンセム』(1962)は、数少ない例外のひとつだと思うのですが、何か書法に秘密でもあるのかな?
浮月斎 私個人としては、カーターに惹かれることはなかったですけれどね
たぶん、弦楽四重奏曲#2、3あたりが一番ましなのでしょうが、それにしてもあの程度だからなあ。アルディッティの音楽の趣味は、アデスをやたら高く買っていることも含めて、よくわからん。
野々村 へえ、ウォルトンにも「前衛」の時代があったんですか!ちっとも知らなかった。アメリカのロックバーグみたいなものでしょうか?
浮月斎 あくまで英国では、という相対的な尺度だと思いますよ。それも大戦直前くらいでしょうか。
ウォルトン-->一柳慧、石井眞木/英国-->日本/大戦直前-->1960年代てなもんでしょうか?
浮月斎 ウォルトンはよくも悪くも「国際派」でしたからね。自国の音楽土壌のうすさに次第に気づいてきて、まともに筆が進まなくなったのかもしれません。
上記2人も「国際派」で、自国の音楽土壌の薄さに気づいたのでしょうが、
浮月斎 思った以上に寡作の人ですし...
上記2人は妙に多作なんだよな :-)
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| 浮月斎 |
野々村 「節操のなさ」は、改宗を繰り返していた彼の生き方の問題で、作風はむしろ彼にしては驚くほど一貫していたと思います
御意。しかし、テクストの選び方なんかは大変良く考えているなぁと思いますね。勿論、野々村さんご指摘のように一貫したした姿勢は明確に感じられますけれど、それはもともと彼が意図したところではなかったでしょうか?私自身は、『詩編交響曲』と『カンティクム・サクルム』は好きなんですが
ブリテンのその類はストラヴィンスキイほどテクスト選びにこだわりもないし、むしろ純朴といえる作品ばかりで、だから不思議なんですよね。まぁ、BBCのために書いたものも多いというのも事実ですが。
野々村 ストラヴィンスキー『アンセム』(1962)は、数少ない例外の ひとつだと思うのですが、何か書法に秘密でもあるのかな?
そうですか?『アンセム』...記憶に残っていないなぁ。おススメ盤ありますか?
野々村 上記2人も「国際派」で、自国の音楽土壌の薄さに気づいたのでしょうが、
やっぱり結局はそういうところに跳ね返ってくるのでしょうかねぇ...。私が聴いた範囲でのウォルトンは、sym #1だけはあの不条理さはいいのですが、vn協奏曲あたりはバーバー風のロマン回帰の感覚をうけますし、戦後のオケもの(特に「パルティータ」)や名品といわれる弦楽四重奏曲はそのよさが私にはわからない。ご丁寧にその弦楽四重奏曲をマリナーの要望で弦楽合奏版にしていますが、それはもっと中途半端な感が否めない...
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| 野々村 |
浮月斎 しかし、テクストの選び方なんかは大変良く考えているなぁと思いますね。勿論、野々村さんご指摘のように一貫したした姿勢は明確に感じられますけれど、それはもともと彼が意図したところではなかったでしょうか?
ただ、一般論としては、彼は「節操のない」作品の方が面白いのですが。
浮月斎 私自身は、『詩編交響曲』と『カンティクム・サクルム』は好きなんですが
私は、『カンティクム・サクルム』はあまり....『洪水』はまあまあ、『レクイエム・カンティクルス』は大好きです。もちろん『詩編交響曲』は、彼の最高傑作だと思います。
浮月斎 ブリテンのその類はストラヴィンスキイほどテクスト選びにこだわりもないし、むしろ純朴といえる作品ばかりで、だから不思議なんですよね。まぁ、BBCのために書いたものも多いというのも事実ですが
同性愛者にとっては、キリスト教なんて糞喰らえでは?
浮月斎 そうですか?『アンセム』...記憶に残っていないなぁ。おススメ盤ありますか?
3分ほどの合唱曲ですから、忘れられてしまうのもしかたないかな。Oskar Gottlieb Blarr/Ensemble 1971の『宗教作品集』(koch schwann) が一押しです。あとは、SONYの自演全集の中の1枚。そもそも、そのくらいしかディスクはないような気もします。
『オード』とか『バベル』とか『サーカス・ポルカ』とか、彼はヘンで面白い小品が色々あるんだけど、演奏/録音される機会が少ないから、なかなか面白さが伝わらないんですよね。いまだに3大バレエ&新古典初期だけで彼を語ろうとする人は多いし....
浮月斎 ウォルトンはよくも悪くも「国際派」でしたからね。自国の音楽土壌のうすさに次第に気づいてきて、まともに筆が進まなくなったのかもしれません。
野々村 上記2人も「国際派」で、自国の音楽土壌の薄さに気づいたのでしょうが。
浮月斎 やっぱり結局はそういうところに跳ね返ってくるのでしょうかねぇ...
日本には、松平頼則とか高橋悠治とか、超然とした人が何人もいましたけど。悠治さんに対応するのがカーデューだけど、頼則先生に匹敵する人はいない。
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