予備的議論:作品にまつわる思い出話など



野々村 議論はポストが一通り出揃ってからにしますが、本題以外で少々。

斉諧生 人間の聴感覚の原理として、協和音・定リズムがあると思うので (間違っていたら御免なさい)、こうした音楽は、基本的に不安・緊張といった感情の上にしか成立できないように思います。したがって、あまり拡がりはないのではないかと考えています。
ディレク・ベイリーやジョエル・レアンドルをはじめとする推薦盤を今すぐ50枚くらい並べたくなる誘惑にかられますが、そういうあたりはおいおい。

斉諧生 53・54日目が省略されているのは何故なんでしょう?
原作にはあるが、この作品では省略されている、ということですね?テクストはごく明瞭に聞き取れるので、原作を買うつもりはなかったのですが、そういうことならばモデレータとして買わないわけにはいかない。
斉諧生 野々村 ディレク・ベイリーやジョエル・レアンドルをはじめとする推薦盤を今すぐ50枚くらい並べたくなる誘惑にかられますが、
虎の尾を踏んでしまったかな? (^^;;; リストを貰っても、これ以上CD買えないでしょうし、(^^; WAVか何か、ファイルでください。
って言ったら、毎日毎日メールボックスがパンクするくらい送られて来たりして…吉幾三の「青森の悪口言ったな!毎日毎日リンゴを1箱送り続けてやる!」っていう啖呵(?)を思い出してました。(^^)
失礼しました。m(_ _)m

一般論で語ったのは拡張しすぎかも。「ミイラ〜」を聴いての印象、という部分もあります。ま、のちほど、ということで。

斉諧生 53・54日目が省略されているのは何故なんでしょう?
野々村 原作にはあるが、この作品では省略されている、ということですね?
はい、そういうことです。

・9/28 53日目
 もう飽きた。さようなら。

・9/29 54日目
 あの世の王、管理人、支配人?いなくなった。あの世は砂漠になったか、
 砂漠では魂も退屈するから船に乗りたい。しかし金がない。

野々村 斉諧生 吉幾三の「青森の悪口言ったな!毎日毎日リンゴを1箱送り続けてやる!」っていう啖呵(?)を思い出してました。(^^)
いいなあ、青森の悪口言おうかな。でも、いくら即興音楽の悪口を言っても、CDは絶対に送りませんからね。

斉諧生 一般論で語ったのは拡張しすぎかも。「ミイラ〜」を聴いての印象、という部分もあります。
実際、大友さんはこの種の即興にはもう飽きたそうで(苦笑)

・9/28 53日目
 もう飽きた。さようなら。

・9/29 54日目
 あの世の王、管理人、支配人?いなくなった。あの世は砂漠になったか、
 砂漠では魂も退屈するから船に乗りたい。しかし金がない。


ここ以外は、完全に原作通りなのでしょうか?だとすると、大友さんはかなりしっかりテクストを読み込んでいますね。53日目は、持続音のみになっているのでこんな語りが入っては台無しだし、54日目に至っては、急に青臭くてなんだこれ、と言いたくなるセリフだ。

斉諧生 野々村 いくら即興音楽の悪口を言っても、CDは絶対に送りませんからね。
(爆) このへんで熱いお茶の悪口でも。(^^)

野々村 ここ以外は、完全に原作通りなのでしょうか?
ええ、確認しながら聴いてました。原作をスコア代わりにしていた、ということです。

野々村 野々村 ディレク・ベイリーやジョエル・レアンドルをはじめとする推薦盤を今すぐ50枚くらい並べたくなる誘惑にかられますが、
斉諧生 虎の尾を踏んでしまったかな? (^^;;;
HPを開いた時に、「実験的ポピュラー音楽100組」をやる予定ですが、半分くらいは即興音楽系でしょうから、その時に。ここでは、ベイリーとジョエルを2枚ずつと、大友さん関連でもう1枚だけ挙げておきます。
  • Derek Bailey solo: Improvization (Cramps, CRSCD 062)
  • Derek Bailey & John Stevens: Playing (INCUS, CD14)
  • Joelle Leandre & Carlos Zingaro: Ecritures (in situ, 038)
  • Joelle Leandre & Lauren Newton: 18 Colors (Leo records, CD LR 245)
  • Ground Zero: Null & Void (Tzadik, TZ 7204)
上記5枚は、「100組」の中でも中位以上のアルバムばかり。

鈴木 今から約30年前ほど前 ^ ^ 、この手の詩の朗読とフリーミュージックの即行演奏はイヤと言うほど聞いた。
鈴木さんは、1950年代前半のお生まれだったと存じますが、約30年前というと、まだ10代。早熟だったんですねえ!阿部薫とか吉沢元治とか、「日本の即興音楽」が始まる前ですから、「グループ音楽」の人々などの影響を受けた、フルクサスみたいなイヴェントのことですか?

鈴木 しかし、そこから導き出されてくるものは、*ああ、面白かった*だけで済んでしまうような気がしてならない。いわゆる、エンターテイメント作品だな、これは (^ ^ ;;;;。
本質的な批判があった方が議論は盛り上がるので、モデレータとしては絶賛一色よりもずっと嬉しかったりするのですが、議論以前の言葉の定義等に関して、若干の質問をします。

*エンターテイメント*という言葉には微妙なものがあります。まず「ああ、面白かった」がないと、何も始まらないのでは。世間で言うところの「エンターテイメント」は、殆んどの場合は、私にとっては「ひたすら退屈」ですねえ。逆に、後期ショスタコだろうとアンゲロプロス映画だろうと、私の場合は「ああ、面白かった」ですね。

鈴木 ダダイズムやシュールレアリズムのメンタリティから、一歩も出ていないと言うことができるかも知れない。
う〜む、この作品は、私が理解している限りの「ダダイズムやシュールレアリズムのメンタリティ」とは、全く反対の方向を向いていると思うのですが....「見世物小屋のメンタリティ」という批判なら、わからなくもないのですが。鈴木さんの「ダダイズムやシュールレアリズムのメンタリティ」の定義を、是非伺っておきたいですね。

鈴木 鈴木 今から約30年前ほど前 ^ ^ 、この手の詩の朗読とフリーミュージックの即行演奏はイヤと言うほど聞いた
野々村 約30年前というと、まだ10代。早熟だったんですねえ! (中略)「グループ音楽」の人々などの影響を受けた、フルクサスみたいなイヴェントのことですか?
おお、よくご存じで。その通り、小生が18歳から19 歳の頃です。イヴェントと言う言葉が、美術の世界にはありましたが、詩の朗読と音楽の合体は、イヴェントとは別の言葉が使われていた記憶があります。渋谷「ジャンジャン」や、荻窪(西荻だっけ?)のその当時有名だったライヴハウス、新宿の名前は忘れたけど、ATG系の映画館みたいなところ等々、また、東京芸大や小生出身の某日大芸術学部(^ ^)、他の美大、芸大では、日常的な発表形態ではありました。あと、1970年、大阪での「反戦のための万国博」なんて、その手の催し物がたくさんありましたっけ・・・。小生17歳の頃です。どちらかというと、絶叫型の発表や、今回の「ミイラになるまで」に似た不気味な心象風景を描いた作品が多かったと記憶していますが。

あと、渋谷の天狗山というライヴハウスや、銀座や神田の現代美術系画廊などでも、みんなが集まってわいわいやってましたねえ・・・(追憶系)。新宿のジャズハウス(超有名・・・名前を忘れた)でも、詩人とフリージャズの共演、ってのも聞きに行った覚えがあります。もう少し後ですが、小生も参加していた「ホットブレス」という、パフォーマンス、イベント系の表現形態を持った現代美術のグループもありましたっけ。この6月に、当時のそんなことをやっていた人間たちの精神的な支柱であった高松次郎氏が亡くなったことを、今日の朝日新聞を見るまで知らなかった・・・(合掌)。

野々村 *エンターテイメント*という言葉には微妙なものがあります。まず「ああ、面白かった」がないと、何も始まらないのでは。
というご意見には、小生も賛成ですが、「ああ、面白かった」のあとに「あれは、何だったんだろう?」が続くどうかですね。まだ『ミイラになるまで』から、その部分がつながってこないんです。今のところ、「ああ、面白かった」以上のものが感じられない。恐らく、『ミイラになるまで』の作者の方や、演奏者の方々は、楽しんで(作品の内容は別にして)これを作られたと感じます。

野々村 世間で言うところの「エンターテイメント」は、殆んどの場合は、私にとっては「ひたすら退屈」ですねえ。逆に、後期ショスタコだろうとアンゲロプロス映画だろうと、私の場合は「ああ、面白かった」ですね。
最近は聞いていないので、小生には語る資格が無いかも知れませんが、1970年代のデレク・ベイリーのギリギリとも言える表現や、近藤等則の初期のパフォーマンスとは違いますね。アンゲロプロスは、小生『旅芸人の記録』という長尺のギリシャのパルチザンもの映画しか見ていないので詳しくはないのですが、あれも広義の*エンターテイメント*だと思いますよ(^ ^)。小生にも、面白かったです。あの長回しは結構好きだったりします。

野々村 この作品は、私が理解している限りの「ダダイズムやシュールレアリズムのメンタリティ」とは、全く反対の方向を向いていると思うのですが....「見世物小屋のメンタリティ」という批判なら、わからなくもないのですが。
これは、野々村さんの書かれている、「見せ物小屋のメンタリティ」がぴったりの表現だと思います(^ ^)。アンドレ・ブルトンの『シュールレアリズム宣言』の政治的スローガンや、精神病理学からの分析はなるほどと思いましたが、実際は見せ物が多かったですね。日本の曖光(あいみつ=字はこれで合ってたっけ)や、他にも好きな作品は結構ありますが。シュールレアリズムを標榜した中での本当に優れた作品は案外少ないのでは、と言うのが小生の感想です。シュールレアリズムの前に、詩の活動から始まったダダイズムも金持ちの高等遊民系の自意識の発露てな雰囲気がありました。

ダダに影響された連中も、1970年代頃には(今は知らない。もう小生も活動してないもんで)小生の周りにも結構多くいましたが、「ダダって、だだっ子の主義主張かい?」てな不快な連中が多かったのを記憶しています。ダダイズムもシュールレアリズムも、先導者の主義主張はどうあれ、実際に作品を作っていた多くの作家のメンタリティは、「見せ物小屋のメンタリティ」だったんではないか、と思います。だから面白かったということもありますが。ふつふつとたぎるような創造意欲と、それを、みんなが面白がって(反対、賛成両方とも)わいわいやっていた良さは感じますね。ほんと、コンセプチュアルアートの初期以来、そういうことはなくなってしまいました。1975年くらいからかな。みんな醒めちゃったのは。

すいません、ちょっと追憶系の書き込みになってしまいました (^ ^)。

野々村 鈴木 イヴェントと言う言葉が、美術の世界にはありましたが、詩の朗読と音楽の合体は、イヴェントとは別の言葉が使われていた記憶があります。
ハプニング?

鈴木 もう少し後ですが、小生も参加していた「ホットブレス」という、パフォーマンス、イベント系の表現形態を持った現代美術のグループもありましたっけ。
他のメンバーの方々も、現在はクナやシューリヒトなどに親しんでおられるのでしょうか (^ ^)

鈴木 「ああ、面白かった」のあとに「あれは、何だったんだろう?」が続くかどうかですね。まだ『ミイラになるまで』から、その部分がつながってこないんです。今のところ、「ああ、面白かった」以上のものが感じられない。
そのあたりが今後の議論のポイントですが、私にはとにかくもそれ以上のものが感じられたので推薦したわけです。それは、スピリチュアルな部分というよりは、テクニカルな部分の話になるかもしれませんが....

鈴木 1970年代のデレク・ベイリーのギリギリとも言える表現や、
ええ、この頃の彼には、素晴らしい録音が多いですね。近年の異分野くつろぎモードも嫌いではありませんが。

鈴木 これは、野々村さんの書かれている、「見せ物小屋のメンタリティ」がぴったりの表現だと思います (^ ^)。
無前提で勝負する見世物小屋なら、私は高く評価しますよ。

鈴木 シュールレアリズムを標榜した中での本当に優れた作品は案外少ないのでは、と言うのが小生の感想です。
私は、「本当に優れた作品」を作ったのは、マックス・エルンストだけだと思っています。彼だけは別格ですね。なにしろ、何が何だか、本当に訳がわからないんだから。

鈴木 ダダイズムもシュールレアリズムも、先導者の主義主張はどうあれ、実際に作品を作っていた多くの作家のメンタリティは、「見せ物小屋のメンタリティ」だったんではないか、と思います。
芸術という枠組を破壊する気概なんて少しもなくて、「らしからぬ場所」で見世物小屋もどきをやって*芸術家*を気取っていただけではないかなあと。この見世物は、対象があらかじめアートおたくに限定されているから、全然破壊力がない。

鈴木 ほんと、コンセプチュアルアートの初期以来、そういうことはなくなってしまいました。1975年くらいからかな。みんな醒めちゃったのは。
結局、「みんな石油ショックで目が覚めた」という、現代音楽についても語られるアレ?

鈴木 「ミイラ」はべつに知識は必要ないと思いますよ。むしろ、野々村さんや小生には本当の意味で「ミイラ」は評価しにくいのかもしれません。

鈴木 イヴェントと言う言葉が、美術の世界にはありましたが、詩の朗読と音楽の合体は、イヴェントとは別の言葉が使われていた記憶があります
野々村 ハプニング?
そうそう、ハプニング!なにがハプニングなのか分かりませんが、イヴェントと言う言葉は、その後ですね、みんなが使い始めたのは。あとパフォーマンスと言う言葉を使うアーティストもいて、イヴェントとパフォーマンスとハプニングと言う言葉の、厳密な違いを意識してやっていたやつは希でした。

鈴木 もう少し後ですが、小生も参加していた「ホットブレス」という、パフォーマンス、イベント系の表現形態を持った現代美術のグループもありましたっけ
野々村 他のメンバーの方々も、現在はクナやシューリヒトなどに親しんでおられるのでしょうか (^ ^)。
最近はみんなどうしているのか知りませんが、クナやシューリヒトにかぶれたやつはいないだろうなあ   (^ ^)。突然段ボールの蔦木も仲間でした。あと、タージマハール旅行団の弟子で、イースト・バイオニック・シンフォニアというのがありまして、そこの服部達雄というのと一緒に客が50人しか入っていない、豊島公会堂で、スピードやマジカル・パワー・マコとライヴをやりましたっけ。

鈴木 「ああ、面白かった」のあとに「あれは、何だったんだろう?」が続くどうかですね。まだ「ミイラになるまで」から、その部分がつながってこないんです。今のところ、「ああ、面白かった」以上のものが感じられない
野々村 そのあたりが今後の議論のポイントですが、私にはとにかくもそれ以上のものが感じられたので推薦したわけです。それは、スピリチュアルな部分というよりは、テクニカルな部分の話になるかもしれませんが....
それは、ぴったり!その通りですね。小生もテクニカルな部分では大いに評価できます。

鈴木 1970年代のデレク・ベイリーのギリギリとも言える表現や、
野々村 ええ、この頃の彼には、素晴らしい録音が多いですね。近年の異分野くつろぎモードも嫌いではありませんが。
最近のデレク・ベイリーは聞いていないのですが、また、このあたり聞いてみようかな。

鈴木 シュールレアリズムを標榜した中での本当に優れた作品は案外少ないのでは、と言うのが小生の感想です。
野々村 私は、「本当に優れた作品」を作ったのは、マックス・エルンストだけだと思っています。彼だけは別格ですね。なにしろ、何が何だか、本当に訳がわからないんだから。
このあたりになると、小生と話が合いますね (^ ^ ;;;;。

野々村 この見世物は、対象があらかじめアートおたくに限定されているから、全然破壊力がない。
その通り、破壊力がないですね。古い概念をぶっこわして、新しい価値観を築くと言うより、単なる露悪趣味に終わった作品も多かったです。

鈴木 1975年くらいからかな。みんな醒めちゃったのは。
野々村 結局、「みんな石油ショックで目が覚めた」という、現代音楽についても語られるアレ?
これは、ちょっとほかのみなさんには解説が必要なのですが、石油ショックの前は、前衛芸術家にとっていい時代だったんですよね。企業が、売れそうなやつには(小生ははずれてましたが ^ ^)どんどん金を出してくる。ただ、企業のメセナ事業だったわけで、破壊的なパワーはすべて牙が抜かれてゆくわけです。ところが、第2次石油ショックで企業は金を出さなくなってきた。アーティスト連中は気がついたら、どいつもこいつも情けないメンタリティとパワーしか残っていなかった、という昔話です。

1970年、大阪万国博が一つのピークで、その後、コンセプチュアルアートの観念的芸術の流行もあり、作る方も評論する方も訳が分からなくなり、その状況が今も続いています。若者の愚民化政策が功を奏したと言う意見もあります。ニューファミリーとかミーイズムとか個性主義とか、本当は牙を抜くための官製価値観だったんですよね。いろいろとないまぜになり、ますます面白みのないアートシーンが*現在*です。それに、現代はみんなが変に幸福な時代ですよね(リストラと高失業率に突入しているのに)。本格的な破壊的なパワーと、新しい創造性を持った芸術は、もっと、緊張感のある時代にしか生まれ得ないと言う現実もあります。

ちょっと、長くなりました。野々村さん、「ミイラ」前哨戦はこのあたりにして、また別項でいろいろと思い出話や、今後の芸術の形式などをやりましょう (^ ^ ;;;;。

野々村 この項、もう少しだけ。

鈴木 むしろ、野々村さんや小生には本当の意味で「ミイラ」は評価しにくいのかもしれません。
同じことが、実はクラシック音楽全般にもあてはまるのかもしれませんが....

鈴木 そうそう、ハプニング!なにがハプニングなのか分かりませんが、
ケージたちが、ブラックマウンテン・カレッジで1952年に最初にやった時にそう呼んだので、それを借りているのでしょう。

野々村 それは、スピリチュアルな部分というよりは、テクニカルな部分の話になるかもしれませんが....
鈴木 それは、ぴったり!その通りですね。小生もテクニカルな部分では大いに評価できます。
「テクニカルな部分」は、それはそれで大切だと思います。「スピリチュアルな部分」というのは、結局は宗教みたいなものですからねえ....

野々村 この見世物は、対象があらかじめアートおたくに限定されているから、全然破壊力がない。
鈴木 その通り、破壊力がないですね。
「対象があらかじめ限定されているかどうか」というのは、芸術全般を論じる際にまず考えるべき問題だと思いますね。

鈴木 いろいろとないまぜになり、ますます面白みのないアートシーンが*現在*です。
もちろん、中には面白い人もいますが、学芸員や本人の「解説」を聞いて、初めてなんかわかったような気になるような「作品」ではダメでしょうね。
近年、アラーキーが世界中で圧倒的な評価を受けているのは、そういう観点からすると当たり前ですね。

鈴木 野々村さん、「ミイラ」前哨戦はこのあたりにして、また別項でいろいろと思い出話や、今後の芸術の形式などをやりましょう (^ ^ ;;;;。
では、私もとりあえずこのあたりで。





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