1993年暮から95年にかけての約2年間、私は「モスキート・ペーパー」(注)の名でいくつか作品を書いてみたり、ユニットを組んだりしている。それぞれの作品は、どれも完成品というよりは、私にとってはほとんど習作に近い試みで、結果的には一枚のアルバムも出さず終いになっている。作品そのものの姿も、同じ名前でやっている割には、まったく似ていないしメンバーも異なる。
一点共通するのは、どの作品も言葉と即興演奏の間から生まれる何かを見てみたいという試みであったことだ。
「ミイラになるまで」もそんな中の試みのひとつとして、94年夏に新宿PIT-INNで、黒田京子(piano)、松原幸子(sampler)、澤民樹(violin)、植村昌弘(drums)、そして、こともあろうに私の朗読で初演された。味すらない下手な朗読の上に誤読も多くて、言葉と即興演奏の間のベクトルなんて考える以前になってしまったけれど、この時、私は日記という時間軸に沿ったブロック形式の文章が、ブロック構造を持つ私のようなタイプの即興演奏と馴染みやすい事、そしてこのやり方が形式的にはほとんどラジオ・ドラマに近い事、朗読される文章の内容が、予想していた以上に、即興演奏の内容に大きな影響と拘束力を持つ事を私に教えてくれた。
本格的にこれを作品にしようとしたのは、その年の暮、森下昌記と吉沢東亜子のプロデュースで、巻上公一と私がそれぞれ一日ずつプロデュースした連続公演「二重人格」の初日においてだった。巻上公一という類稀な資質を持つ朗読者と、7人の優れたインプロヴァイザー達によるアンサンブルは、40度の発熱の中、ろくに指揮らしい指揮のできなかった私を差し置いて、素晴らしい内容であったと記憶している。少なくとも、上質のラジオ・ドラマに、この作品を仕上げることが出来たと思っている。私達は島田雅彦の作品にまずは上手な伴奏を付けたといったところか。
で、欲が出て来たのはその後のことだった。95年4月、新宿PIT-INNにて、このシリアスな断食自殺者の日記と並行して、同じ62日間でダイエットをし、何のコンプレックスもなく水着が着れるようになった若いOLの日記を朗読したのだ。作品の完成度という点では、大失敗に終わったこの試みは、しかし私にとっては、島田雅彦の作品への上手な伴奏を越えて、この変態自殺者へに対する私の考えを提出できたという点で大成功だと思っている。
そもそも、この自殺者は、私にとっては、近代芸術そのものなのだ。多分、現実社会では、パッとしなかったであろうこの中年男が、最後の自己表現として選んだのが自身の断食自殺のドキュメントを日記に書くことだった点が、私にとっては重要だった。ただ自殺したのではなく、他者に読まれることをどこかで意識しながら、しかし実際には、その他者(読者)との間に何一つ双方向の関係を築く意志もないまま日記を書き続けた男は、自分の意見を一方的に流通させることで大部分は事足りていた近代芸術のあり方そのものだ。個人が、固有名詞で、個人にしか出来ない何かを他者に提出する。その極みの果てに、どこか哀しいこの男がいる。
そんなワケで、私はこの男の一方通行の日記に返事を書いている。多分あの世には、文字よりは音楽の方が届きやすいだろうしなんて気持ちもある。20世紀に残された膨大な量の自己表現に対し、「そんなもんは有効じゃない」と言うのはカッコ良いし簡単だけれど、現実にその中で育ってしまい、そうした作品に強い愛着を持っている私は、そうした表現にひとつひとつ応える中で彼等に成仏してもらうしかないと思っている。私が20世紀の記憶たるアナログのレコードを演奏するのも、革命京劇をサンプリングし新しい作品にしてしまうのも、心情的には同じだ。多分島田氏も、この自殺者を取り上げたのは、そんな思いがあったからではないだろうか。ちがうかな?
本作品は、あえてダイエット日記を加えたヴァージョンにせず、最初のラジオ・ドラマ・ヴァージョンに近い形で録音を行った。それはこのヴァージョンを気に入っているプロデューサーの野田茂則の強い希望でもあったが、さらに加えれば、まずはこの強力なテクストに対峙する即興演奏と、それをリミックスする私の手腕と、作品の構造そのもので、テクストに対する相対化が図れればと思ったことにもよる。断食自殺にリアリティを持てぬ私達即興演奏家のある種突き放した演奏が、この男への伴奏に終わらず、別の意味を持っていることを願って。
本作を皮切りに、同じ62日間の日記でさらに2作品を今世紀中に出す予定でいる。次作はオーストラリアのエクストリーム・レーベルより、62日間のダイエット日記とこの断食自殺者の日記が同時進行するCD−Romを。その次は、本作とまったく同じ年月日の62日間の私の個人的な音によるCD日記を、自主出版で予定している。願わくばその3作を通して、私のこの自殺者への返信の意味を、聴き手の皆さんに理解してもらえれば幸いだ。
最後に、このプロジェクトを実現するにあたって協力していただいた数多くの人々と、新宿PIT-INNでの数々の失敗に終わった実験につきあって下さったPIT-INNの皆さんと聴き手の皆さんに、この場を借りてお礼を「ありがとうございました。」とりわけ、快くテクストの使用を承諾して下さった上に朗読までして下さった島田雅彦氏と、音源を提供して下さったディレク・ベイリー氏、この本を読むきっかけを作って下さった大石千賀子氏に心からお礼を「どうもありがとうございました。」
大友良英
注:
「モスキート・ペーパー」は、もともとは第二次世界大戦前の中国都市部で流通していた無数の二流新聞の総称で、中国語の「蚊新聞」から取った名。当時、中国に駐在した外国人記者は、建前ばかりの一流新聞より、行間を読み込むことで事実をつかむことの出来たこの「蚊新聞」から、より多くの情報を得ていたことをヒントに、数多くのメディアから流れる言葉と即興演奏の中から生まれる何かを見る作品のコンセプトとして、この名を使わせてもらった。
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