No.14 : Kegel conducts Sibelius #4


BC 0031432BC Sibelius : Symphony No.4 etc.
(BERLIN CLASSICS 0031432BC)
1. Symphony No.4 in a minor op.63
2. Symphony No.6 in d minor op.104
3. The Swan of Tuonela op.22-3

Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
Herbert Kegel (dir) - 1

Rundfunk-Sinfonie-Orchester Berlin
Paavo Berglund (dir) - 2,3


または

CCC 01302CCC SIBELIUS : Symphony No.4 etc.
(CCC 01302CCC)
1. Symphony No.4 in a minor op.63
2. Symphony No.7 in C major op.105

Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
Herbert Kegel (dir) - 1

Dresdner Philharmonie
Carl von Garaguly (dir) - 2





発言者 : 斉諧生(モデレータ)、山下、佐々木、鈴木、工藤、大黒、浮月斎

※今回議論からシベリウス盤談義(余滴)ができました。こちらもご覧ください。



斉諧生 ああ、なんと恐ろしい演奏なのでしょう。楽譜はシベリウスのものですが、ここで鳴っている音楽は「シベリウス」ではありません!しかし、ケーゲルが表現しているのは、まさしく*シベリウスの深淵*にほかならないのです。

私は、シベリウスならばベルグルンドやヴァンスカらの北欧的音づくりによる、あるいは透明な、あるいは剛直な自然音を湛えた音楽を正統とします。ギブソンやデイヴィス、ラトルら英国勢によるシベリウスも、ソレらしくはありつつも、音づくりは決定的に違うのです。

北欧的音づくりとは、具体的な分析は難しいのですが、清澄な弦・木管と硬質に咆哮する金管が特徴と言えるでしょう。奏法上の特質があるのでしょうか?このあたりは工藤さんにお尋ねしたいところです。

ケーゲルの音は、まったく北欧的ではありません。弦合奏は弓をしっかり弦に擦り付け、ヴィブラートもしっかりかける、重心の低くて太い音色ですし、木管・金管も東独のオーケストラらしい重い音で、そのままワーグナーを吹いてもよさそうな調子。ケーゲルとライプツィヒ放送響の楽員達は、完全に自分の音楽に引き付けて、シベリウスの楽譜を音化しているのです。こういう演奏は、通常なら、洋泉社系筆者がいう「と盤」、珍演と化し、鈍重なだけで、全然シベリウスの音楽にはならないはずなのです。ああ、でも、なんと意味深い楽句が連続することか!音の重さが、訴えの強さに転化しているのです。前回のマーラー#4同様、全曲の中心は第3楽章ですが、冒頭から薄暗い、この世ならぬ低弦の響きの中で、フルート独奏が遠い世界の笛となり、ファゴットの低音は黄泉の歌のようです。チェロが主題の断片を出しますが、この響きは「自然の憂愁」ではなく、もっと人間的な孤独ではないでしょうか。それに続くフルートは絶唱そのもの。震えるようなヴァイオリンのトレモロの下でチェロが再び主題を歌いますが、英雄的と聴くのも束の間、次に主題を歌うときには、もはや孤絶の心に満ちています。不気味なオーボエ二重奏に導かれて主題が全容を現しますが、通常の演奏のような讃歌の高揚ではなく、嘆きの歌の絶頂にになっています。裏で上下する木管の押し殺した響きが、どこか運命的。弱音器付きのヴァイオリン群の遙けき慰藉の歌が聴こえるものの、全合奏による嘆きの歌に打ち下ろされるティンパニの鉄槌。クラリネットとファゴットの苦い歌。諦念の中に楽章が終結するのです。

作曲者自身、この曲を「心理的交響曲」と呼んだそうですが、その心理の深淵まで掘り下げて、どうしようもない孤絶と諦念に到達した演奏と聴きました。ああ、ケーゲルは、なんという音楽家だったのでしょう!

鈴木 今まで熱心なシベリウス交響曲第4番の聞き手とは言えなかったと思う。第2番、第5〜第7番は結構聞いているのだが、第4番って、さてどんな音楽かいなと考えるとなかなか思い浮かばない。カラヤンのDG盤の演奏が、それまで聞いたきた数種類の演奏の中で中で小生には一番曲種に合っているような気がして、あまり熱心に聞き直してこなかったと言うべきか。まあ、あまりコミットしてこなかった音楽なのは確かだ。「じゃ、いっちょう聞いてみるかいな」とケーゲル盤を聞き始めて、第1楽章冒頭や、それに続くチェロのえぐり方に驚いてしまった。「冷たい演奏」というのははずれで、変な表現だが「クールに燃えるハードボイルドな演奏」といった感じか。

第1楽章の盛り上がり方は、なかなか素晴らしい。途中のワーグナーの影響を思わせるファンファーレや、弦楽器群による中間部などこれだけ徹底した表現はほかに思い浮かばない。たまたま手元にあるセーゲルスタム盤も、非常に優れた演奏だが、ケーゲル盤のようにハードボイルドには盛り上がらない。録音方法やCD化の過程にも違いがあるのだろうが。セーゲルスタム盤の方が断然音がいい。ケーゲル盤は強奏で音は混濁するし、エコーは人工的だ。しかし、その響きの切実さよ。

第3楽章のくっきりした隈取りで暗くえぐり込んでゆく音楽は、テンシュテットのライヴ録音によるマーラー演奏にも匹敵する恐ろしさだ。セーゲルスタムでは憂いの響きだが、ケーゲルのそれは孤独と絶望の響きだ。

第4楽章は、第1楽章と比較すると、音楽そのものに竜頭蛇尾の印象があるが、ケーゲルは第1楽章から第4楽章までの構成感も大切にしているようだ。ほかの演奏では、なんとなく始まってなんとなく終わるような印象があったが、力感がみなぎっていると言うべきか、より輪郭がはっきりとしていると言うべきか、まるでシベリウスらしくないが、小生共感を持って聞き終えることができた。全体に*白夜の国のシベリウス*からはほど遠い演奏だが、この交響曲のイメージにとらわれない快演(怪演?)だと思う。

山下 ケーゲルの演奏を聴いてまず感じたことは、全体を通しての演奏の重々しさ。あまりこの曲は多くの演奏を聴いていないので、何ともいえない部分もあります。前回に取りあげられた、ラトルのシベリウスの演奏を比較に聴いてみましたが、何というか透明感があり、全く違った印象を持ちました。

シベリウスというと、北欧的という便利だけど言おうとしていることがシャープじゃない形容を良くされていますが、ケーゲルの演奏はいわゆるシベリウス的な表現とは、かなり異質のものに思えます。作曲された背景に闘病生活があったと知り、それによる先入観が多少あるのかもしれないが、感情移入した内にこもった表現とすれば、意外に自然に受け入れられる演奏にも思えてきました。

チェロの主題がなかなか聴かせる演奏ですね。それから、今まであまり意識せずに通り過ぎていた鉄琴の音が重たい演奏が続く中、さりげない効果が出ていてなかなか良いと感じました。注意して聴くといろいろと見えてくる(聞こえてくる)ものがあるんだと改めて感じました。あまり頻繁に聴かない曲ですので、最初の印象はこんな感じです

佐々木 もどかしいくらい全体のトーンが飛翔しなくって、なにか暗いものに拘泥した演奏ですし、ケーゲルの意志が一貫しているゆえに聴いていて救いがないと言うか聴いている自分の精神状態によっては少々辛い演奏であるように感じます。

カラヤン/BPOのような木管のコクやベルグルンド/ヘルシンキのような弦の清涼さは、このケーゲル盤では聴けません。斉諧生さんのおっしゃる通り、音作りは北欧風というよりはドイツものかロシアものを聴いているような気がするくらいです。

ですので、シベリウスの音楽の美しさという意味では戸惑ってしまう位、足りない演奏かと思うのですが一方で、随分と意味深い演奏なのでやはり、傾聴してしまいますね。

私には、この曲は、なかなかつかみ所がなくってとても難解に思えるのですが、ケーゲルのこの演奏を聴いている限りではどのフレーズも、伴奏も雄弁で、そういう意味では聴きやすいです。第3楽章の終盤、主題がはっきりと奏されるところの厳粛さと重さなど、他の盤よりもずっと強烈に感じました。

この曲はシベリウス自身が健康を害し、何度も手術を重ねた闘病時代の作品ということですが、ケーゲル盤は、死の恐怖と生への葛藤という事をまさに実感させてくれる演奏ですから、そういう意味では、本当に感心いたしました。ただ、ケーゲル盤のこの暗さを何回も味わいたいとは、やはり思わないのですが。

鈴木 佐々木 カラヤン/BPOのような木管のコクやベルグルンド/ヘルシンキのような弦の清涼さは、このケーゲル盤では聴けません。斉諧生さんのおっしゃる通り、音作りは北欧風というよりはドイツものかロシアものを聴いているような気がするくらいです。
ザンデルリンクのシベリウスにも感じたことですが、ケーゲルもザンデルリンクもフィンランド風の情緒にはまるで関心がないようですね(^ ^ ;。同じドイツの指揮者でも、カラヤンはその辺はエトランゼですが、フィンランド情緒は濃厚ですが。小生は、ブラームスの後継としてのシベリウスとして、ケーゲルやザンデルリンクの演奏を聞けました。

佐々木 ですので、シベリウスの音楽の美しさという意味では戸惑ってしまう位、足りない演奏かと思うのですが一方で、随分と意味深い演奏なのでやはり、傾聴してしまいますね。
カラヤンやバルビローリやベルグルントに慣れると、おっしゃられるとおりですね。シベリウスの美感は顧慮していない演奏ですね。でも、意味深いことは随一。実はケーゲルを聞いてから、それまでスタンダードだと思っていたシベ4の演奏が、美しいけれども物足りなくなってしまうのでした(^ ^ ;。

佐々木 私には、この曲は、なかなかつかみ所がなくってとても難解に思えるのですが、ケーゲルのこの演奏を聴いている限りではどのフレーズも、伴奏も雄弁で、そういう意味では聴きやすいです。第3楽章の終盤、主題がはっきりと奏されるところの厳粛さと重さなど、他の盤よりもずっと強烈に感じました。
だからブーレーズが振らないかなと(^ ^)。でも、今のブーレーズだったら生ぬるくなってしまうかな?

佐々木 この曲はシベリウス自身が健康を害し、何度も手術を重ねた闘病時代の作品ということですが、ケーゲル盤は、死の恐怖と生への葛藤という事をまさに実感させてくれる演奏ですから、そういう意味では、本当に感心いたしました。ただ、ケーゲル盤のこの暗さを何回も味わいたいとは、やはり思わないのですが。
小生みたいに重くて暗い演奏が好きな自虐的ファンには、面白い演奏でした。もう8回くらい聞きました。ケーゲルのシベ4(^ ^ ;;;;。

斉諧生 今日、ザンデルリンクとアンセルメ(録音があるんです!)を聴いておりました。今、ケーゲルを聴き直していますが、まったく、およそ違う世界ですね。自己フォローですが、

斉諧生  (第3楽章の最後の盛り上がりのところ)全合奏による嘆きの歌に打ち下ろされるティンパニの鉄槌
ここの凄さ−恐怖感といえばいいのか−は、ケーゲル盤が隔絶しています。そういう雰囲気が出るように、バランスをかなり考えているのでは。第4楽章最後のオーボエの下降音型の不気味さ、その少し前のトロンボーンのffの熾烈さ、同じ楽譜とは思えぬくらい。まったく凄まじい表現力です。その前に「アルビノーニのアダージョ」を久しぶりに聴きました。鋭く磨き上げた弦合奏から透徹した悲しみと慟哭が突き抜けてくる趣、#4の演奏に通じるところがあると思います。

鈴木 「クールに燃えるハードボイルドな演奏」といった感じか。
?もっとウェットでドロドロした演奏じゃないかと思います。音の動かし方には、妙な粘りがありませんから(ルバートとかポルタメントとか)、そういう意味で「ハードボイルド」なのかな?

鈴木 テンシュテットのライヴ録音によるマーラー演奏にも匹敵する恐ろしさだ。
御承知のように、私はマーラーは苦手で、テンシュテットのライヴも、あまり聴いていませんけど、これは、きっと、そうでしょうね。

鈴木 ケーゲルもザンデルリンクもフィンランド風の情緒にはまるで関心がないようですね(^ ^ ;。
ザンデルリンクに関しては、少々、異論がありまして(^^)、彼の場合は、北欧らしさ乃至伝統的シベリウス演奏を、かなり意識して志向していると思います。聴いていて、あまり違和感ないんです。もちろん、ドイツ音楽の語法から脱けきれないところもあり、少々、煩わしい思いもしましたが。オーケストラが変わればけっこう北欧風になるかも、という気がします。

ちょっと脱線しますが、ETERNAがザンデルリンクで全集を録音したのも、シベリウスへの適性を認めたからではないでしょうか?録音データを見ると(マルPの年で代用したのもあり)

1964年#2(ガラグリ)
1969年#4(ケーゲル)
1970年#7(ガラグリ)
#6(ベルグルンド)
#3(ザンデルリンク)
1971年#1(ガラグリ)
#5(ザンデルリンク)

と、4人の指揮者で全曲録音しておいて(これだけ集中的にやったのですから、意図的なプロジェクトだったのでしょう)、

1974年#2、6、7
1976年#1
1977年#4

と、ザンデルリンクで再録音し、1人の指揮者による全集を完成しているのです。

鈴木 小生は、ブラームスの後継としてのシベリウスとして、ケーゲルやザンデルリンクの演奏を聞けました。
うーん、シベリウス・ファンとしては、物足りないですね。「マーラーより先へ行った」と思っていますので。(^^;;

山下 今まであまり意識せずに通り過ぎていた鉄琴の音が重たい演奏が続く中、さりげない効果が出ていてなかなか良いと感じました。
あの鉄琴は、#4の急所だと思います。今年の1月頃にccd-MLで、指揮者による鉄琴とチューブラ・ベルの使い分けが話題になっていましたが、あそこでどんな音色がするかによって、曲 (演奏)の印象が、けっこう違ってきます。ケーゲルの鉄琴は、ちょっと燻んだ音で、録音的にも引っ込んでいますし、通常なら不満を感じるところですが、むしろ、演奏全体の暗さに適合していますね。

佐々木 私には、この曲は、なかなかつかみ所がなくってとても難解に思えるのですが。
先に「マーラーより先へ行った」と書きましたが、シベリウスはこの曲あたりから、ベートーヴェン以来の交響曲書法(ソナタ形式とか第1主題と第2主題の対比とか)を解体して、独自の世界を構築してきています。2番あたりからその萌芽はあるのですが。
この点、アンセルメは分かっていない感じです。第2楽章は通例のスケルツォに引きつけているようですし、第4楽章は何とかフィナーレらしく盛り上げようと一生懸命。

佐々木 ケーゲル盤は、死の恐怖と生への葛藤という事をまさに実感させてくれる演奏
これで、実は議論が終わっているのかも...(^^;;;。佐々木さんにもう少し敷衍していただけると有り難いのです。

佐々木 ケーゲルの意志が一貫しているゆえに聴いていて救いがないと言うか
そうです、そうです!

佐々木 聴いている自分の精神状態によっては少々辛い演奏であるように感じます。
わかります、その感じ。
この点、#4の世界は、他のシベリウスの後期交響曲の世界とかけ離れています。他の曲は、概ね、もっと晴朗ですし、人間感情を超越するようなところがありますから。ケーゲルが#4以外の交響曲を録音しなかったというのも、納得できるように思います。でも聴いてみたかった気もしますね。#7あたりは是非。意外に#1なんかも面白いものができたかもしれません。

佐々木 今日、ベルグルンド/COEのFINLANDIA盤の#4を聴きましたが、なるほどこれは良いですね。斉諧生さんのおっしゃる、北欧風のアクセント、音色、音の見通しの良さ、少し現世から離れた世界ですから、死への恐怖も、ここでは異世界での出来事ですね。

ベルグルンドを聴いた後にケーゲルを聴くと、最初の弦の音色からして、本当におどろおどろしくてギョッとしました。

鈴木 小生は、ブラームスの後継としてのシベリウスとして、ケーゲルやザンデルリンクの演奏を聞けました。
斉諧生 うーん、シベリウス・ファンとしては、物足りないですね。「マーラーより先へ行った」と思っていますので。(^^;;。
雑談ですが、このケーゲルの演奏で聴ける、ナマの葛藤や暗い情熱といったものはドイツロマン派に通じるものがあるのかなと。ケーゲルの演奏が、この曲を後期ロマン派に引き寄せているんじゃないでしょうか。

佐々木 私には、この曲は、なかなかつかみ所がなくってとても難解に思えるのですが。
斉諧生 先に「マーラーより先へ行った」と書きましたが、シベリウスはこの曲あたりから、ベートーヴェン以来の交響曲書法(ソナタ形式とか第1主題と第2主題の対比とか)を解体して、独自の世界を構築してきています。#2番あたりからその萌芽はあるのですが。
なるほどおっしゃる通りですよね。最初聴いたときは、本当に戸惑いました。

佐々木 ケーゲル盤は、死の恐怖と生への葛藤という事をまさに実感させてくれる演奏
斉諧生 これで、実は議論が終わっているのかも...(^^;;;。佐々木さんにもう少し敷衍していただけると有り難いのです。
これは、先ほども触れましたが、なんだか後期ロマン派に通じるような演奏の所為だと思うのです。ひとつには、音色がまるで違うこと。一言で言うと、重くて暗いトーンということでしょうか。アーティキュレーションの面でも、少し大袈裟に言うと、見栄を切るようなフレーズが散見されます。アクセントをつけて悲劇性を強調したりとかですね。

ケーゲル盤では、どこかマーラーを連想させるようなアーティキュレーションが、散見されるというか、劇音楽のようというか、とにかく、ベルグルンドのとは全然違うんですよね。

佐々木 聴いている自分の精神状態によっては少々辛い演奏であるように感じます。
斉諧生 わかります、その感じ。
なのですが、元気なときに聴くと、鈴木さんのおっしゃる通り、他の演奏が物足りなくなるというか、たしかに滅法面白い演奏ではありますよね。

斉諧生 でも聴いてみたかった気もしますね。#7あたりは是非。意外に#1なんかも面白いものができたかもしれません。
う〜ん、そうですね。#1なんか、意外によくできた普通の演奏になるんじゃないかなという気がしました。#7は想像がつかないです。(^_^;)。

山下 佐々木 カラヤン/BPOのような木管のコクやベルグルンド/ヘルシンキのような弦の清涼さは、このケーゲル盤では聴けません。斉諧生さんのおっしゃる通り、音作りは北欧風というよりはドイツものかロシアものを聴いているような気がするくらいです。
私も、ベルグルンド/Bournemouth so ラトル/バーミンガム市響の演奏と聴き比べてみました。比較対象があると改めてケーゲルの暗さ重々しさが際だっているように思えます。逆にベルグルンドの演奏は美しく透明感があったのですが、不思議と印象に残っていません。言葉は悪いかもしれませんが、あくの強いものを先に聴いてしまうとあっさりとしたものでは満足ができなくなるのかもしれません。

鈴木 「クールに燃えるハードボイルドな演奏」といった感じか。
斉諧生 ?もっとウェットでドロドロした演奏じゃないかと思います。
鈴木 テンシュテットのライヴ録音によるマーラー演奏にも匹敵する恐ろしさだ。
斉諧生 御承知のように、私はマーラーは苦手で、テンシュテットのライヴも、あまり聴いていませんけど、これは、きっと、そうでしょうね。
おっしゃることのイメージはわかります。ただ、澄み切っていないという点では少々ドロドロとしている印象を受けました。特に第1楽章はかなり粘っていると思います。テンシュテットのライブとは、2番の海賊版などでしょうか?私も買い損ねましたので、よくわかりません。

斉諧生 ケーゲルの鉄琴は、ちょっと燻んだ音で、録音的にも引っ込んでいますし、通常なら不満を感じるところですが、むしろ、演奏全体の暗さに適合していますね。
おっしゃるとおりですね。あまり主張しすぎると異質なものになってしまいますし、適度なバランスで入っていると感じました。

鈴木 鈴木 「クールに燃えるハードボイルドな演奏」といった感じか。
斉諧生 ?もっとウェットでドロドロした演奏じゃないかと思います。
ウェットでどろどろした部分を、なんの躊躇もなく演奏してしまうから、上記のような表現になりました(^ ^ ;。音楽の内在するものを引きずり出したというか...。

鈴木 テンシュテットのライヴ録音によるマーラー演奏にも匹敵する恐ろしさだ。
斉諧生 御承知のように、私はマーラーは苦手で、テンシュテットのライヴも、あまり聴いていませんけど、これは、きっと、そうでしょうね。
ではテンシュテットも是非。あ、マーラー苦手なら困ってしまうな(^ ^)。

斉諧生 ザンデルリンクに関しては、少々、異論がありまして(^^)、彼の場合は、北欧らしさ乃至伝統的シベリウス演奏を、かなり意識して志向していると思います。聴いていて、あまり違和感ないんです。もちろん、ドイツ音楽の語法から脱けき れないところもあり、少々、煩わしい思いもしましたが。
曲によって、全集の各曲の印象が少し異なります。ザンデルリンクでは第2番の印象が強かったもんで。

鈴木 小生は、ブラームスの後継としてのシベリウスとして、ケーゲルやザンデルリンクの演奏を聞けました。
斉諧生 うーん、シベリウス・ファンとしては、物足りないですね。「マーラーより先へ行った」と思っていますので。(^^;;。
「マーラーより先へ行った」と言うより、シベリウスは別の方向にカーブしていったと小生感じています。シベリウスもドヴォルザークもショスタコーヴィッチもマーラーの影響を受けざるを得ない位置にいたと思いますが、そこから志向した*その音楽の意味するもの*は、当然ずれて大きくなって行くわけですよね。シベリウスもドヴォルザークもショスタコーヴィッチも、マーラーと歴史的にダブっている部分はありますが、それ以後の国家主義的傾向(民族主義的傾向)から抜け出られない時代に生きた、と言うことでは、別の方向にカーブして独自の音楽世界を作ったと、小生は感じていますが。
ただ、形式としての交響曲は、マーラーはお手本にはならないので(^ ^ ;、やはり、ブラームスの、別のテンペラメント(大半は各作曲家の生国に縛られますが)を持った後継、と感じてしまう部分があります。

ケーゲルの演奏で聞けるのは、ワルターやイッセルシュテットの系統とは別の系統の、本来ドイツ音楽が持っていた、「情念どろどろだけど、それをザッハリッヒに演奏してしまう」という部分もあったはずですから。ところで、ケーゲルはブラームスを録音してましたっけ(^ ^;;;;。

佐々木 私には、この曲は、なかなかつかみ所がなくってとても難解に思えるのですが。
斉諧生 先に「マーラーより先へ行った」と書きましたが、シベリウスはこの曲あたりから、ベートーヴェン以来の交響曲書法(ソナタ形式とか第1主題と第2主題の対比> とか)を解体して、独自の世界を構築してきています。
4番は、過渡期の作品から受ける晦渋な印象はありますね。これ以降、音楽的にはなんだか単純になって、より深みを増して行くんだと思います。

佐々木 ケーゲル盤は、死の恐怖と生への葛藤という事をまさに実感させてくれる演奏
斉諧生 これで、実は議論が終わっているのかも...(^^;;;。佐々木さんにもう少し敷衍していただけると有り難いのです。
佐々木 ケーゲルの意志が一貫しているゆえに聴いていて救いがないと言うか
斉諧生 そうです、そうです!
ほんと、どなたもこれを聞いていたんですよね。ケーゲルのシベ4から。小生もそうです(^o^)

佐々木 このケーゲルの演奏で聴ける、ナマの葛藤や暗い情熱といったものはドイツロマン派に通じるものがあるのかなと。ケーゲルの演奏が、この曲を後期ロマン派に引き寄せているんじゃないでしょうか。
ドイツロマン派というか、ドイツの音楽家も一枚岩ではないわけで、その辺りの聞き分けと言いましょうか。このあたりの議論になると、浮月斎さんの出番だと思うんだけどなあ(^ ^)。

佐々木 これは、先ほども触れましたが、なんだか後期ロマン派に通じるような演奏の所為だと思うのです。
そうですね。後期ロマン派的シベリウスの演奏ですかね。確かに。ケーゲルの「ヴォツェック」ではどうなんだろう?

佐々木 元気なときに聴くと、鈴木さんのおっしゃる通り、他の演奏が物足りなくなるというか、たしかに滅法面白い演奏ではありますよね。
小生は、この手の演奏大好きなので、毎日聞きたいとは思いませんが、裏ファーストチョイスに入れてしまうかも(^ ^ ;。

で、今までのご発言を読んでいて、恐らくこの録音が気に入られるであろう(^ ^)大黒さんの印象はどうなのかな?た。

大黒 いや、これはいいですな。鈴木さんの御指摘のごとく、小生こういう演奏、大好きなんです。4番に関してはシベリウスの他の交響曲と性格が異なると思いますので、私はこれでいい、いやこういう演奏がよいのではないかと感じます。この賽の河原のような、おどろおどろしい雰囲気、いいですねえ。テンションの高い音楽を聞かせる、大した指揮者だと思います。たしかに、テンシュテットの「はげ山」や「マーラー・ライヴシリーズ」を想起させる演奏、小生の好みです。

何をもって北欧的と呼ぶかは問題ではありますが、この曲のブロムシュテット盤は、いかにもレコ芸の月評あたりが、北欧的としてほめそうな演奏だとは思ったものの、小生の胸にはなんら訴えかけてこないdullな演奏だと思っていました。例のチューブラー・ベルも何か変−という印象でした。ベルグルンド/COE盤は持っていますが、まだ聴いていません(買ってもまだ聴いてないCDが結構あるなあ、反省−)。カラヤン盤ははなから敬遠しておりました。いい機会ですから、わたしもいろいろ聴きくらべてみます。





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