| 浮月斎 |
やっぱり評価が厳しいですね。(^^)
私も帰宅したら聴きなおしてみます。斉諧生さんのシベリウスの趣向基準がかなり明確なだけに、やはりカラヤンあたりは受容できないのかなぁ...。
斉諧生 これがカラヤン流なんでしょうかねぇ。
カラヤンのクセと言っても差し支えないでしょうね。激性を抑制しているのは確かだと思いますし、私はむしろそういうのも大いにありだろうと思っていますが、この曲でカラヤンを含めた同曲異演を検討したことがなかったせいか、聞き比べてみると、意外に「あれれ、こんなんだっけ?」ということも考えられますが...。
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| 鈴木 |
多分、我々はカラヤンのDG盤によって、刷り込まれた部分が大きいのだと思います。他に聞くべきシベリウスの交響曲のLPがなかったというのが大きな原因だと思いますが、LPの黒いお皿が回って、シベ4のチェロがテヌート気味に浮かび上がる...。当時のロマンそのものでした(^ ^ ;。
斉諧生 幻滅したというのは、全体にどうも音楽がしんねりむっつり、スカッとしません。リズムがベッタリしているというか...
なんか、初めてシベリウスを聞き始めたときは、カラヤンの演奏のようにべたっとした音楽がシベリウスなんだと思っていました。無論、今は違いますが。でも、小生未だにカラヤンの演奏にノスタルジーを感じてしまいます。
斉諧生 ここぞという弦のフォルテが、アタックの圭角をすりつぶす奏法なのも、ガッカリさせられます。これがカラヤン流なんでしょうかねぇ。
ウウ・・・チビシイ(^ ^ ;;;;。
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| 浮月斎 |
鈴木 多分、我々はカラヤンのDG盤によって、刷り込まれた部分が大きいのだと思います。
それはもう疑い得ない事実ですね、私も。地方都市の中学生の時分にとって聴けるシベリウスというのは、それほど種類はありませんでしたから、カラヤンを美化してしまいがちになります。
鈴木 小生未だにカラヤンの演奏にノスタルジーを感じてしまいます。
私もそういう意味では同じかもしれませんね。
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| 斉諧生 |
浮月斎 激性を抑制しているのは確かだと思いますし、私はむしろそういうのも大いにありだろうと思っていますが。
そうですね。いうなら、もっと完璧に化かしてくれるのでは、と期待していたのが裏切られて幻滅した、というところでしょうか。
浮月斎 地方都市の中学生の時分にとって聴けるシベリウスというのは、それほど種類はありませんでしたから、カラヤンを美化してしまいがちになります。
そうそう、そうでした。LPも終わり近く、東芝EMIから1,800円でバルビローリやベルグルンドの全集が相次いで再発されるまで、後期交響曲で入手しやすかったのは、 1,500円で出ていたカラヤン盤でしたね。
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| 浮月斎 |
斉諧生 いうなら、もっと完璧に化かしてくれるのでは、と期待していたのが裏切られて幻滅した、というところでしょうか。
ああ、なるほど。そういう風に表現していただけるととてもよくわかりました。斉諧生さんらしい期待というところですね...(^^)。
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| 工藤 |
僕はカラヤンのシベリウス#4を聴いたことはないので細部の議論はできませんが、どうやら演奏の傾向としては#5とか#6などと同じようですね。
斉諧生 幻滅したというのは、全体にどうも音楽がしんねりむっつり、スカッとしません。リズムがベッタリしているというか...
この“リズムがベッタリ”というのがポイントでしょうね。たとえば#5の1楽章、前半から後半への移り変わりとなるクライマックスの部分も同様で、うちのオケでこの曲をやった時には、ここを認められるかどうかが評価の分かれ目にもなっていました。
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| 斉諧生 |
浮月斎 おっしゃるとおりですね、7番のムラヴィンスキーは私の筆頭です。
「1997年の5盤」に挙げたベルグルンド&COE盤がベスト…といいたいところですが、ムラヴィンスキー盤を長らく聴いてませんので、聴き直す必要がありますね。
退勤後、書店を覗いたら、『評伝エヴゲニー・ムラヴィンスキー』@音楽之友社が出ていたので、買い込みました。レニングラード・フィルの事務局に長く勤めた人が原著者、翻訳はムラヴィンスキーの来日時に通訳(?)として付き添い、家族的な交際のあった人、ということのようです。
で、巻末にディスコグラフィと演奏記録が付いていますが、浮月斎さんが『ムラヴィンスキーの話でふと思うに、彼が4番を遺してくれていたらどんなだったろうと想像すると楽しくなります。あるいはのこっているとか...?』と書いていましたが、ムラヴィンスキーのシベリウスの演奏記録は
交響曲第3番…4回(1963年10月26日のソ連初演含む)
交響曲第7番…6回
トゥオネラの白鳥…9回
のみとなっていました。3番とは意外な。
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| 鈴木 |
浮月斎さん、工藤さん、#7のファーストチョイスは小生もムラヴィンスキーです。#6は今のところ、バルビローリ。
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| 斉諧生 |
ムラヴィンスキーの#7も、工藤さん、浮月斎さん、鈴木さんのお薦めではあるのですが、残念ながら、私にはピンと来ませんでした。
浮月斎 峻厳な感覚世界が練磨されている気がしました。
勁い音楽であることは、よく分かります。
ただ、私のこの曲の捉え方が、前に書きましたように、『この曲の特徴は、従来の交響曲が直線的な構成をとっているのに対し、円環的な構成をとり、解決のない永劫回帰というか、無限の世界へ溶けこんでいくような終結を迎えることである』というものなので、ムラヴィンスキーの直線性を志向した演奏とは、相性が悪かったな、と思います。
浮月斎 通常のシベリウスの世界とは一線を画しているのは確かだと思います。
あのヴィブラートがたっぷりかかったトロンボーンは、あまりにも違和感が...。(^^;
浮月斎 ムラヴィンスキーの「トゥオネラの白鳥」なんかもそういう感じですが、意外とドイツ的骨っぽさも感じられるのですが...
「白鳥」は良かったです。弦の磨き方が、素晴らしい。イングリッシュ・ホルンを抑えたバランスも炯眼だと思います。初期作品の方が相性がいいのかな。だとすると、#3の実演が凄かったかもしれません。どこかから録音が出てこないものでしょうか。
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| 工藤 |
斉諧生 あのヴィブラートがたっぷりかかったトロンボーンは、あまりにも違和感が... (^^;。
これね、クセになるんですよ(爆)。ブルックナーの9番なんかも同じような感じです。先日聴いた朝比奈大先生の5番なんかより、ずっと厳しくて充実した音楽なんですけどね。
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| 鈴木 |
斉諧生 ただ、私のこの曲の捉え方が、前に書きましたように、この曲の特徴は、従来の交響曲が直線的な構成をとっているのに対し、円環的な構成をとり、解決のない永劫回帰というか、無限の世界へ溶けこんでいくような終結を迎えることである。というものなので、ムラヴィンスキーの直線性を志向した演奏とは、相性が悪かったな、と思います。
と言うよりも、浮月斎さんや工藤さんや小生は、ムラヴィンスキーの演奏によって、別の角度からの#7の可能性に夢中になったと言うべきかも知れません。元来の#7のイメージは斉諧生さんのおっしゃられるとおりなのですが、『峻厳な感覚世界が練磨されている気がしました』という、浮月斎さんのおことばは、小生もその通りだと思います。シベリウスの音楽を通して、ムラヴィンスキーを聞いているのかも知れませんね。われわれは。
シベ#7の真正な姿は、やはりベルグルンドやザンテルリンクやバルビローリやカラヤン(^ ^)で、別にサラステでも他の誰でも構わないのですが、ムラヴィンスキーの演奏の超表現的な姿で現された#7の姿に、いたく感動してしまったわけです。
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| 浮月斎 |
鈴木さんのおっしゃることそのとおりなのでしょうね、私も。やっぱり、シベリウスそのものよりムラヴィンスキーの厳しい表現を堪能しているということなのでしょうかねぇ...。
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| 斉諧生 |
工藤 これね、クセになるんですよ(爆)。
(木亥火暴)
浮月斎 やっぱり、シベリウスそのものよりムラヴィンスキーの厳しい表現を堪能しているということなのでしょうかねぇ...
なるほど。でも、しつこいようですけど、あのトロンボーンのヴィブラート、違和感ありませんか? (^^;。
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