No.11 : Pletnev plays Beethoven


Deutsche Grammophon 457 493-2 Beethoven : Variations & Bagatelles
(Deutsche Grammophon 457 493-2 ; 2CDs)
01. 9 Variationen WoO 63
02. 2 Rondos WoO 48/49
03. 6 Variationen WoO 64
04. 24 Variationen WoO 65
05. 12 Variationen WoO 68
06. 6 Variationen WoO 70
07. 6 Menuette WoO 10
08. 2 Rondos op.51
09. 7 Bagatellen op.33
10. 6 Variationen WoO 34
11. "Andante Favori" WoO 57
12. Polonaise op.89
13. 11 Bagatellen op.33
14. 2 Bagatellen WoO 52,56

Mikhail Pletnev (pf)





発言者 : 工藤(モデレータ)、野々村、佐々木、斉諧生、鈴木、山下、浮月斎



工藤 演奏論に入る前に、収録作品と価格から見たこのディスクの価値についての私見を述べておきます。

特にベートーヴェンのような大作曲家の場合、いわゆる“知られざる”作品も音として聴きたいと考える人々が多いだろうことは容易に想像できる。しかしながら、特に1枚目の内容と2枚目の内容の落差を考えると、それらを組み合わせて6000円強(国内盤)という値段で発売することは、決して良心的な商売とは言えないと思う。この録音が「ベートーヴェン全集」の一環としてされたものであり、特に1枚目の方には資料的な価値が重視されていることは分かるが、それほどのセールスが見込めないものをこのような形で強引に売りつける態度には疑問が残る。以上の意見には、演奏についての評価はまったく考慮しておりませんのであしからず。

それでは、肝心の演奏論ですが、端的に述べると“非常に好感の持てる”演奏であったと言えます。今回は収録曲の数が極めて多いので、モデレーターの方から特定の曲を取り上げて議論することは避けますが、全般に安定したテクニックと正確なリズムを基本とした、良い意味での“お手本”となりうる演奏だと思います。解釈自体も個性をことさらに強調している訳ではないのですが、テンポの微妙な変化やスフォルツァンドの踏み込み方など、非常に上品なセンスの良さを感じさせます。そして音も十二分に美しい。1枚目に収録されている若書きの作品などは、ピアノ学習者(特に年齢の低い子供)には是非聴いてもらいたいと思えるような、技術的にも音楽的にも模範的な演奏であると思いました。特に変奏曲での各変奏の性格付けには、非常な巧さを感じます。

ただ、いかんせん取り上げられている曲のほとんどが、音楽としてそれほどの興味をそそらないものであることが残念です。これを2枚通して聴き通すことは、上述のように演奏内容に賛辞を贈ることにはやぶさかではないものの、やはり辛いことと言わざるを得ません。ということで、資料としてはかなりハイレベルの演奏が達成されていることを考えても「推薦」に値するのでしょうが、ただでさえピアノ曲にはあまり興味のない僕にとっては、演奏内容は評価しながらも「注目」程度の評価ということになるでしょうか。

野々村 工藤さんとは独立に準備したのですが、結果的にかなり近い内容になっています。なお、以下の文章を書いた時点では、このCDがベートーヴェン全集の一環とは知りませんでした。

ベートーヴェンの変奏曲とバガテルを集めたこのCDは、まさに小品集である。『エロイカ変奏曲』『32の変奏曲』『バガテルop.126』という、簡潔な書法ゆえに各時期の特徴が端的に現れた、代表作に数えてもいいような作品は全く含まれず、op.33とop.119のバガテル、『6つの変奏曲op.34』『アンダンテ・ファヴォリ』(いずれも2枚目のディスク)程度の作品が重い部類なのだから。プレトニョフの演奏は、あり余る技巧を人工的な表情付けなどに使うことなく訥々と弾いて、なかなか好ましい。1枚目のディスクに含まれている初期小品のいくつかは、子供のピアノの発表会ではお馴染みの曲目で、この録音は今後「お手本」として使われていくことになるかもしれない。

しかし、このCDはやはり、真剣に耳を傾けるにはあまりに軽すぎる。曲目もさることながら、解釈に突き抜けたものが感じられない。例えば、2つのバガテル集には、それぞれグールドとアファナシエフによる作品のあらゆる細部を吟味し尽くした名演があるが、この録音をそれと比べると、1枚目と同じスタンスで寛いで弾いているだけで、全く物足りない。このような演奏姿勢ならば、重めの作品は一切カットして、代わりに他の作曲家のポピュラー小品を入れた「子供のための名曲集」というコンセプトでリリースした方がまだましだったのではなかろうか、などと毒づいてみたくもなる。結局このディスクは、演奏としては一定の水準に達しているものの、企画として実にお粗末と言わざるを得ない。それでも、最初からミッドプライスで売っているオリジナルリリースには最低限の良心が感じられるが、これを平気でフルプライスで発売する日本ポリドールは、いったい何を考えているのやら。

斉諧生 2枚組の中に少年期から晩年の作品まで並んでいて、作風の変遷まで勉強できるセットでした。

1枚目の曲は、どこかでモーツァルトかシューベルトみたいに聞こえる気もするところがあり、つまるところ、基本的にはウィーン古典派の約束事の範囲内で書かれているということでしょうが、所々、ベートーヴェンらしく、古典的調和を破る瞬間がある。

プレトニェフのピアノはきわめて正攻法で、フォルテピアノを意識したようなチマチマした鳴らし方や、上記のベートーヴェン*らしさ*を強調したデフォルメも見られない。以前にVirginに録音したチャイコフスキーの協奏曲や「展覧会の絵」を聴いて残っている印象は「今どき珍しく、堂々とあざとい音楽をする人」だったので、少々の意外な感じと、多少の好感を抱きました。そうはいっても、2枚目に入ったあたりから少しづつ*演出*が見え始め、作品34をハイドシェック、作品119をアファナシェフと比較するに及び、やっぱり色々やる人なんだなあ、と思うようになりました。ベートーヴェンの作風の深化が、それを要求するのかもしれませんね。

とはいえ、ハイドシェックが作品34の第5・第6変奏で見せるような、中期ベートーヴェンに引き付けたデフォルメはありませんし、作品119でも最後の3曲ではアファナシェフの方が濃い味付けをしているようですが。作品119でアファナシェフに一歩譲るものの(曲によってはプレトニェフを上位に置きたいものもあるが)、全体としては、初期の作品・珍しい作品を含めて、真っ当に再現した好企画と評価します。

とりわけ「リギーニのアリエッタ『来たれ愛よ』による24の変奏曲」は、手塚治虫『ルードウィヒ.B』に印象深く登場する曲で、いちど音を聴きたかったところ、なかなかの佳曲に演奏しているので、感服しました。ひとつ苦言を呈したいのは曲目の標記に誤りらしきものが散見されること。作品119の1曲目をB-durとしているが、g-mollでは?「自作の主題による6つの変奏曲」の作品番号が、外箱では"WoO 34"となっている(いずれも輸入盤)。

山下 プレトニョフのバガテル集などですが、とても楽しめました。購入したときは、6000円はちょっと高いと感じていましたが、(特に2枚目は)堪能できました。

小品ばかりなので、聴いていて飽きてしまうのではと思っていましたが、全くそんなことはなく、引き込まれて聴き終わっていました。それぞれの曲が、技巧的には難しくなくても、はっきりと違った旋律・表情をもっていて、似たり寄ったりではなかったことが主因でしょう。ライナーの短編小説を書くようなアイデアという表現は、なかなか端的だと感じました。

もう一つ新鮮に思えたのは、うまい表現が見つからないのですが、音そのものを聴く感覚でしょうか?交響曲ばかり聴くのをやめて、ふと弦楽四重奏などを聴いてみるとか、難解な書物を放り投げて、ふと詩を読んでみる。そんなときの感覚。重層的な旋律に音が埋もれるような曲でもなかったため、、ひとつ一つの音の扱い方がわかりプレトニョフの小粋な技巧が楽しめました。値段をのぞけば...、お薦めの逸品だと思います。

鈴木 この演奏には、感心しました。非常にいい演奏だと思います。比較材料がグールドとアファナシエフしかないのですが、このご両人のコワモテする演奏と異なり、素直に耳に入ってきます。元々、バガテルはベートーヴェンの後期ピアノソナタとはまるで違う目的で作曲されているわけですから、このプレトニェフの演奏は聞き流しでも聞き込みでも通用する優れた面を持っていると思います。

小生、ピアノ曲はあまり聴く方ではないのですが、これは普通何気なく音楽を聞きたいときでも、CDプレーヤーに入りますね(^ ^ ;。多分、指揮経験が豊富なプレトニェフは、音楽をものすごくしっかりと把握しているように感じます。ですから、グールドやアファナシエフの多少奇矯な演奏とは異なりますし、ものすごく安心して、バガテルのファンタジーに身を浸らせて聞いていられる、そんな感じです。

グールドもアファナシエフも指揮は余技ですが、プレトニェフは指揮もピアノも本業ですね。その確かさが、このCDから伝わってきます。これだけしっかりとバガテルを弾かれると、いままで関心外だった指揮にも目が行きそう。小生、*これはいい*と感じました。

浮月斎 私もこのCDがベートーヴェン全集の一環とは知りませんでした。初めて聴く作品ばかりがてんこ盛りということで、これは一気に聴きとおすべきアルバムではないようです。ベートーベンの作品としても、ソナタを除く主要作の間隙を埋める作品ばかりですが、ベートーベンのクロノジカルな作風の変遷は感じさせていただいたものの、特別新たな発見もありませんでした。

1枚目を聴いていると、何だか同じDGから昔日出たエッシェンバッハによるバイエルのアルバムを思い出してしまった。1枚目では「24の変奏曲」op.65あたりは時に聞えるバスラインがベートーベンらしさを軽やかに主張していて楽しめましたが、やはりなおざりにされがちな作品には理由はあるものだなと実感。プレトニェフのピアニズムは爽快で、音離れのクリアで実直な打鍵。しかし模範的と言えば素晴らしい手本ではあろうけれど、ベートーベンを楽しむというものではなさそう。

2枚目は「アンダンテ・ファボリ」と「6つの変奏曲op.34」はなかなか楽しめた。特に後者はこのプレトニェフの中では、かなり考えた弾き方かなと思わせる部分がある。3度ずつ下がるという各変奏のニュアンスは磨かれたニュアンスがあり、表情が曇らず弾きとおすのはさすが。が、バガテルはやはりop.119など、小粋かつ清澄な美感でプレトニェフが弾いてはいるが、やはり楽しめるという以上のものではなく、ピアニズムの表情の豊かさだけが耳に残る。

全体的に、作品そのものにこれ以上踏み込みようのなさがあるせいもあるが、今まで聴いたプレトニョフのイメージからすると、濃厚な表現性は影がうすく、その分リラックスした爽快な表情に溢れている。こういうアルバムだからいいんじゃないの?というべきなのかな。かつてのスカルラッティのような魅力があってもよさそうな曲もあるが、ここにはああいう奔放な力感は何もない。ピアニストとしても、彼はマーケティングの成果を現したのかも。

佐々木 これは何を期待して聴くかで印象が大きく変わってくるディスクと思います。
ひとつは、記録・資料としての意味合い。いくつかのバガテルを除き普段はあまり聴かれないような変奏曲などの小品を模範的な演奏のCDで手元に置いておくということでは十分な価値がある有用なものだと思います。丁寧かつ念入りな、(そして模範的な)表情付けにより端正に曲のかたちが描かれ、文句のつけようがないくらい。

もう一つは、ここから「何か」を聴きとろうという聴き方。それは、演奏者からのメッセージであったり、曲の持つ香りや精神性であったり、まあ、曖昧といえば曖昧なものですが、こういう聴き方をしようと思うと、このCDはどうにも理解しがたいものに思えてしまうようです。あまりにも模範的で、つくりごとめいた感じがするとでも言えば良いのか...。

プレトニェフの演奏は全く聴いたことがありませんが、少なくとも批評や話に聞く彼のピアノとは随分違うようですし、少々理解に苦しむというのが正直なところです。ベートーヴェン全集の一環ということで、レコード会社の意向が入って、こういう「無難」な演奏になったのでしょうか?まあ、こういった小品とは例えば後期のソナタなどとは違った聴き方、味わい方があるのでしょうし、プレトニェフの演奏も、それに従って、曲にふさわしい見事な演奏を聴かせてくれているということなのかもしれません。聴いていて十分楽しめるし良いディスクだとは思います。ただ、この2枚組を聴いていると、どうも美術品の模写を見ているような感じがするのです。もしくはブロンズを精巧にプラスチックでコピーしたような...

野々村 プレトニョフ盤の2枚目をアファナシエフやグールドの録音と比較した時に言えるのは、「精度が低い」という厳然たる事実でしょう。これは、*濃い/薄い*というような、感覚的な次元の問題ではないと思います。

例えば、バガテルop.119-1の冒頭の音型は、2つの前打音はレガートで、次の3音はスタカートで、最後の1音は通常のタッチで弾くように指定されていて、アファナシエフはその指定に忠実です。ところがこの録音では、全部スタカートにしか聴こえません。その後転調してトリオ風になる部分は、アファナシエフは冒頭と同じ硬質なタッチで弾いているのに対して、プレトニョフはレガート気味の抒情的なタッチに変化させています。譜面に何の指定もない以上、この種の選択は「解釈」の違いにすぎません。しかし、転調後の最初の楽想が反復された後に現れる下降音型のフレーズは、1回目は一切指定がないのに対して、2回目は2音ずつレガートで結んでグループ化するよう指定されています。ここでも、アファナシエフはその差を明確に音にしているのに対して、この録音は均質なタッチで通り過ぎていくだけです。この曲に限らず、いざ譜面と対照してみると万事がこの調子で、この録音を指揮活動の片手間の安易な弾き飛ばしとみなしても、不当な評価とは言えないでしょう。

アファナシエフやグールドの解釈を「奇矯」と呼び、そもそも軽い意味しか持たない筈のバガテル集を大袈裟に扱いすぎている、などと断じる意見は、メジャーレーベルに溢れる*有名ピアニスト*たちのいい加減な録音を正当化しようとする音楽マスコミに踊らされているものと言わざるを得ません。ある作品が*軽い*かどうかは、まず譜面に書かれている情報を完全に再現してから判断すべきものです。その水準に達していないこの録音を肯定するわけにはいきません。一般に、簡単な曲ほど細部は琢磨すべきもので、実際、この録音では、譜読みの詰めの甘さがそのまま音楽の密度の低さに結び付いています。この録音を聴くよりは、下手なりに自分で弾いてみる方が私にとってはずっと愉しく、「聴取の悦び」をこの録音に見出すことは、私にはできませんでした。

工藤 今回は、論点は皆共通していますが、意見はバラバラですね。
ちょっと今手元に何も資料がないので詳しいことは分かりませんが、どこかの出版社とグラモフォンとがタイアップして「ベートーヴェン全集」を刊行し始めているのはみなさんご存知だと思います。その収録内容はチラシにまとめられているので、興味のある方は一度書店などで入手されたら良いと思いますが、それを見ればこのプレトニョフ盤の位置付けもわかるでしょう。もちろん、この録音を「全集」としてしか入手できないようにするのも歓迎できませんが、これを2枚組として売り出すというのは、やはり悪どい商売だというのが僕の意見です。それぞれを単発で出すのであれば、問題ないと思いますが。

次に、1枚目の内容について。
工藤・野々村・浮月斎の3名は、ほとんど資料や子供のお手本としての意味合いしか見出していませんでした。一方、残りの方々は2枚目と同列に論じておられます。

僕としては、この演奏がたとえいかに優れたものだとしても、これら初期の習作が本格的な鑑賞に値するものだとは思えません。それに、プレトニョフの演奏もこれらの小品から格別深いものを引き出している訳ではないように思えます。もちろん、そうした演奏がこれらの曲に対して可能であるとは思いませんが。

最後にプレトニョフの演奏について。
これも意見が分かれました。主に2枚目の演奏で判断していくことになると思いますが、評価の高い順に名前を並べると、

鈴木/山下 斉諧生 浮月斎/工藤 佐々木  野々村

といった辺りでしょうか。この辺りの演奏論については、先の野々村さんの意見を下敷にして議論を進めていきたく思います。

野々村 私が今回、プレトニョフの録音に対してかなり批判的になっているのは、先日ようやくヴェデルニコフのベートーヴェン#30〜32のソナタ集を買い、あまりの素晴らしさに陶然として「いい加減な仕事は絶対に許さん!!」という気分になっているからでしょう。おそらくこれが、私の今年の第1位。

工藤 もちろん、この録音を「全集」としてしか入手できないようにするのも歓迎できませんが、これを2枚組として売り出すというのは、やはり悪どい商売だというのが僕の意見です。それぞれを単発で出すのであれば、問題ないと思いますが。
バラ売りでは1枚目の需要は殆んどないと思われるので、慈善事業でない以上何らかのセット販売はせざるを得ませんが、1.価格を下げる 2.聴き応えのある作品と組み合わせる−のいずれの方法も取らないのでは、「企画として実にお粗末」としか言いようがありませんねえ。『変奏曲・バガテル他ピアノ小品全集』という3枚組(ディアベリは除く)として発売するのであれば、それはそれで筋は通っていますが。

今回の選曲は「ウゴルスキが録音している作品は除く」という基準で行われたことは明白で(だから、小品集にもかかわらず、『エリーゼのために』が入っていない)、「全集の一環」という位置づけが悪い方向に出てしまったのだと思います。

工藤 工藤・野々村・浮月斎の3名は、ほとんど資料や子供のお手本としての意味合いしか見出していませんでした。一方、残りの方々は2枚目と同列に論じておられます。
ただ、私がこの録音を好意的に評価するとしたら、1枚目の資料的価値+「訥々と弾く姿勢の好ましさ」が専らプラス要因なのですが。

工藤 僕としては、この演奏がたとえいかに優れたものだとしても、これら初期の習作が本格的な鑑賞に値するものだとは思えません。それに、プレトニョフの演奏もこれらの小品から格別深いものを引き出している訳ではないように思えます。もちろん、そうした演奏がこれらの曲に対して可能であるとは思いませんが。
私も、これらの作品については、これ以上は望みません。

工藤 最後にプレトニョフの演奏について。これも意見が分かれました。主に2枚目の演奏で判断していくことになると思いますが、(中略)この辺りの演奏論については、先の野々村さんのmailを下敷にして議論を進めていきたく思います。
私は、2枚目の作品は「本格的な鑑賞に値するもの」で、もっと「深いものを引き出」すことが可能だと考えているから、上記のような評価になるわけです。2枚目の作品も1枚目と似たようなものとみなすならば、この録音の評価は結果的に上がるでしょう。

佐々木 工藤 どこかの出版社とグラモフォンとがタイアップして「ベートーヴェン全集」を刊行し始めているのはみなさんご存知だと思います。...中略...それを見ればこのプレトニョフ盤の位置付けもわかるでしょう。
「全集」ってのは良いのですが、それで曲の解釈に影響を及ぼす(模範的になってしまう)ようなら問題ですよね。プレトニェフのケースはまさにそういう感じじゃないかと思うんですけどいかがなもんでしょうか?

工藤 もちろん、この録音を「全集」としてしか入手できないようにするのも歓迎できませんが、これを2枚組として売り出すというのは、やはり悪どい商売だというのが僕の意見です。それぞれを単発で出すのであれば、問題ないと思いますが。
野々村 『変奏曲・バガテル他ピアノ小品全集』という3枚組(ディアベリは除く)として発売するのであれば、それはそれで筋は通っていますが。
レギュラーのフルプライスで売る盤ではないと思います。やはり、せめてききごたえがするもの(演奏or楽曲)とカップリングすべきですよね。

工藤 工藤・野々村・浮月斎の3名は、ほとんど資料や子供のお手本としての意味合いしか見出していませんでした。一方、残りの方々は2枚目と同列に論じておられます。
野々村 ただ、私がこの録音を好意的に評価するとしたら、1枚目の資料的価値+「訥々と弾く姿勢の好ましさ」が専らプラス要因なのですが。
私も1枚目の方が面白く感じられました。

工藤 僕としては、この演奏がたとえいかに優れたものだとしても、これら初期の習作が本格的な鑑賞に値するものだとは思えません。それに、プレトニョフの演奏もこれらの小品から格別深いものを引き出している訳ではないように思えます。もちろん、そうした演奏がこれらの曲に対して可能であるとは思いませんが。
野々村 私も、これらの作品については、これ以上は望みません。
そうですね。一般受けを狙うとしたら、これ以上を望むのは難しいかな。

野々村 私は、2枚目の作品は「本格的な鑑賞に値するもの」で、もっと「深いものを引き出」すことが可能だと考えているから、上記のような評価になるわけです。2枚目の作品も1枚目と似たようなものとみなすならば、この録音の評価は結果的に上がるでしょう。
ハア、私は「深いもの」を求めてしまいます。DGのフルプライス盤なら。で、感想はバツになるわけですね。単純明解。

浮月斎 今回言いたいことはいろいろあるのだけれど、どう言ったら的確なのだろうかと悩んでしまうものがありますね。

工藤 それに、プレトニョフの演奏もこれらの小品から格別深いものを引き出している訳ではないように思えます。もちろん、そうした演奏がこれらの曲に対して可能であるとは思いませんが。
個人的には作品31あたりの中期のソナタも好きなのですが、ここにあがった中期の作品はあまり魅力はないよと諭されている感じでした。決してそんなことはないんじゃないかなという反発があります。特に後期の作品だけは、1・2枚目のカラレーションでまとめてしまうとするならば、それはピアニストとして録音すべき次元の話ではないでしょう。

野々村 プレトニョフ盤の2枚目をアファナシエフやグールドの録音と比較した時に言えるのは、「精度が低い」という厳然たる事実でしょう。これは、*濃い/薄い*というような、感覚的な次元の問題ではないと思います。
私の場合、濃い/薄いという対照化をしたとすれば、それはプレトニョフ自身の変わりようみたいなところで、プレトニョフ自身の録音の変化をみても、特にスカルラッティと比較すると、彼自身本気で取り組んでいるとはとても思い難い。

野々村 例えば、バガテルop.119-1の冒頭の音型は、2つの前打音はレガートで、次の3音はスタカートで、最後の1音は通常のタッチで弾くように指定されていて、アファナシエフはその指定に忠実です。ところがこの録音では、全部スタカートにしか聴こえません。
楽譜は見ていないのですが、確かに「小気味よい」だけな気はします。バガテルの妙味はフレーズの玄妙な語り口にあると思うので、その微妙さが生きていないのは確かだと思います。

野々村 その後転調してトリオ風になる部分は、アファナシエフは冒頭と同じ硬質なタッチで弾いているのに対して、プレトニョフはレガート気味の抒情的なタッチに変化させています。
聴き返してみて、こういう辺りが、今回のプレトニョフの味付けなのかなと思います。ピアニスティックというよりもむしろ、管弦楽的な流れの応用みたいな。でも昔の彼ならこの辺りもさらりと弾き込んだような感じに思います。

野々村 この曲に限らず、いざ譜面と対照してみると万事がこの調子で、この録音を指揮活動の片手間の安易な弾き飛ばしとみなしても、不当な評価とは言えないでしょう。
最近出たヴァージンのスクリャービンを聴いて、何か今更じゃないの?と思った程度でした。指揮とピアノとが真にうまく両立するのは不可能ではないでしょうが、指揮者としてのプレトニョフの音楽には*かつての*ピアニスト的な面影はあまりないような気がします。かなり「微温的」というか。個人的な思いとしては、このアルバムにもそれが反映されているように思います。

野々村 私は、2枚目の作品は「本格的な鑑賞に値するもの」で、もっと「深いものを引き出」すことが可能だと考えているから、上記のような評価になるわけです。2枚目の作品も1枚目と似たようなものとみなすならば、この録音の評価は結果的に上がるでしょう。
中・後期の作品ということでは同感です。音楽的な深遠さこそ出し切れるものではないにしても、もっと出せうるべき深さのある作品もあるだけに、割り切れないものがあります。とにかく、作風の変遷をこの2枚で追いかけられる構成であるにもかかわらず、1・2枚ともその弾きっぷりにそう変わり映えがしないという感覚があり、余計、続けて聴くのが辛い気がしました。

山下 野々村 ある作品が*軽い*かどうかは、まず譜面に書かれている情報を完全に再現してから判断すべきものです。その水準に達していないこの録音を肯定するわけにはいきません。一般に、簡単な曲ほど細部は琢磨すべきもので、実際、この録音では、譜読みの詰めの甘さがそのまま音楽の密度の低さに結び付いています。この録音を聴くよりは、下手なりに自分で弾いてみる方が私にとってはずっと愉しく、「聴取の悦び」をこの録音に見出すことは、私にはできませんでした。
他に、聴き比べるディスクを所有していませんので、精度といった点での、深い話はできませんが、簡単な曲ほど細部に気を使うべきだと私も思います。その点で、比較的よいできだと感じましたが、やはり上には上があるので、前回の私の評価は、どちらかというと感覚的なものになると思います。

鈴木さんも、書かれているようになんとなくCDプレーヤーにおさまっていてふと聴いているような曲になる気がします。そういう点では、イージーリスニングの域を脱していなくて、曲の解釈を深めていくという方向には進まない気がします(私にとっては)。

野々村 山下 簡単な曲ほど細部に気を使うべきだと私も思います。その点で、比較的よいできだと感じましたが、やはり上には上があるので、前回の私の評価は、どちらかというと感覚的なものになると思います。
私も、「一定の水準に達している」とは思います。あえて名前は挙げませんが、それ以下の録音も少なからず聴いてきました。ただ、それだけでは資料的価値しかないわけで(私にとっては)。

山下 鈴木さんも、書かれているようになんとなくCDプレーヤーにおさまっていてふと聴いているような曲になる気がします。そういう点では、イージーリスニングの域を脱していなくて、曲の解釈を深めていくという方向には進まない気がします(私にとっては)。
だとするとむしろ、「そういう姿勢の録音を認めるかどうか」という辺りが、今後の議論の焦点になってくるのでしょうか。

工藤 プレトニョフですが、演奏自体よりもDGの姿勢に対する批判ばかりが盛り上がってしまいましたね。擁護派の鈴木さんのご意見なども伺いたいところです。

鈴木 小生、バガテルの楽譜は持っていないので、何が書いてあるのか分かりませんが、プレトニョフの演奏は、感覚的にはOKだと思います。楽譜に忠実に即物的に弾くという演奏も無論OKですし、感覚的に弾くという演奏もOKです。プレトニョフの演奏は、感覚的な運指と言うことでは確かに微温的ですが、楽譜を見ていない人間でもけっこう安心して聞けます。
もともと、「バガテル」は、「ちょっとしたもの」「どうでもいいもの」という意味があったと思いますが、そこにベートーヴェンが「軽く楽しく書いたんだな」と感じるのと、「軽い作品でも、やはりベートーヴェンは重くて凄い」と感じるのは、聞き手の自由だと思いますが、小生は前者です(^ ^ ;。
グールドとアファナシエフも聞いてみましたが、順位は付けるつもりはありません。ただ、確かにプレトニョフは、前2者に比べて、特徴は乏しいです。小生最も感覚的に合うのは、グールドですが、プレトニョフは聞き流しでも、真面目に聞こうかという時でも両方に案外うまく作用してくれます。無論、アファナシエフも素晴らしい演奏です。ただ、ピアニストとしてはまるで資質の違う人たちですから、3者とも楽しめるというのが、小生の印象です。

野々村 鈴木 プレトニョフの演奏は、感覚的にはOKだと思います。楽譜に忠実に即物的に弾くという演奏も無論OKですし、感覚的に弾くという演奏もOKです。
1枚目の曲はについては、譜面は持っているはずだけど対照してはいません。たぶんこちらも「感覚的な演奏」なのでしょうが、これらについてはOKだと思いました。これ以上何かを引き出せるような曲とは思えないので。

鈴木 もともと、「バガテル」は、「ちょっとしたもの」「どうでもいいもの」という意味があったと思いますが、そこにベートーヴェンが「軽く楽しく書いたんだな」と感じるのと、「軽い作品でも、やはりベートーヴェンは重くて凄い」と感じるのは、聞き手の自由だと思いますが、小生は前者です(^ ^ ;。
グールドやアファナシエフの録音でも、ベートーヴェンが「軽く楽しく書いた」ことは感じられますし、譜面を所有している作品の録音は、「自分では弾けない高度な技術」か「自分では譜面から読み取れない深遠な解釈」のいずれかがないと、何のために買ったのかわからないのですが。特に、同じ曲の優れた録音を既に持っている場合には。

鈴木 プレトニョフは聞き流しでも、真面目に聞こうかという時でも両方に案外うまく作用してくれます。
趣味の問題になってしまいますが、「聞き流しには軽い演奏の方がいい」という感覚は、私は全く理解不能です。「ついつい一生懸命聴いてしまうので仕事にならない」というような場合には、わざわざベートーヴェンを使う必要はないわけだし。

佐々木 プレトニョフ盤、なかなか評価しにくいですね。1枚目の最初の曲など、なかなか良い感じなのですがどこが悪いというのではなくて、でも聴き進むにつれ不満を感じてくるという最初の印象はやはり変わりません。

先ほどop.33のバガテルをグールド、プレトニョフ、タンと聞き比べたのですが、やはり、この3つでは、グールド>タン>プレトニョフの順だと思いました。プレトニョフのは何と言うのでしょうか。表情付けが無難すぎて手応えがあまり無いんですよね。私の場合、アゴーギクがもっとごつごつして、深く切り込んだ演奏の方がベートーヴェンらしく感じるという事かもしれませんが。どうもうまく言い表せませんが、プレトニョフの演奏に私が深く満足できない点は「ベートーヴェンらしくない」と感じる所にあるようです。グールドのは、それをまた越えたところで面白いのかなとも思いますが。

浮月斎 どうにも今回はほとんど意見が流れていない感じですが、どうなんでしょうね。

野々村 『意見があまりにも鮮明に対立すると、議論が進まなくなる』というのが、今回の教訓でしょうか (^ ^;;)。

浮月斎 私なんかは、今回の音楽の受け止め方は、実は意外に全員近いのではないかと思っています。表現修辞の問題だけなのでは?と。

野々村 手慣れ揃いのこのメンバーは、「聴き取っているもの」はいつもそんなに違わないと思います。ただ、今回は、「受け止め方」の次元で違うのではないかと。「趣味の違い」では済まされない、「クラシック音楽観の違い」まで遡る問題なのではないかと。

工藤 野々村 意見があまりにも鮮明に対立すると、議論が進まなくなる」というのが、今回の教訓でしょうか (^ ^;;)。
浮月斎 私なんかは、今回の音楽の受け止め方は、実は意外に全員近いのではないかと思っています。表現修辞の問題だけなのでは?と。
野々村 手慣れ揃いのこのメンバーは、「聴き取っているもの」はいつもそんなに違わないと思います。ただ、今回は、「受け止め方」の次元で違うのではないかと。「趣味の違い」では済まされない、「クラシック音楽観の違い」まで遡る問題なのではないかと。
まさにその通りだと思います。それだけに、簡単にはまとめられなくてちょっと困っているところです(^^)。演奏そのものについては、それを良いとするか悪いとするかは分かれていても、技術的な部分や解釈の方向性については全員が同じような評価をしているような気がします。今後の議論の焦点は、このディスクを、必要とあらばDG批判も含めて、どのように捉えていくのか、ということになるでしょうか。

鈴木 野々村さん、趣味以上の問題を掘り下げるのは難しいなあ。テツガクの問題になっちゃうなあ。小生も、最も好きな作曲家はベートーヴェンなのですよ、実は。ただ、交響曲を中心に聴いてきているので、バガテルや、初期室内楽曲を聴くと、なぜか、ほっとするというより、ベートーヴェンの振幅の大きさに、安心してしまう部分はあります。

ひとつ言えることは、楽譜に忠実=いい演奏とは、以前はそう思っていましたが、今では、まるでそう思えなくなってしまったということ。作曲家は、はたして楽譜に忠実な演奏だけを喜ぶのだろうか、と考えると、ちょっと違うような気がします。楽譜に忠実に演奏してもらって喜ぶのは、アマチュア作曲家だ、という記事を読んだことがありますが、むしろ、優れた作曲家は、自分の書いた譜面をどのような可能性を持って演奏してくれるか、また、それが成功したときには、楽譜と反対の表現であっても、OKだと考えると思います。ただ、表現以前の問題になってしまったら、どうしようもないですが。本来、音楽の聞き方なんてのは、自由だと思います。すべからく音楽を聞く根本は個人の経験ですから、何をどのように聞くかまで掘り下げると、議論にならなくなってしまうと思うのです。

最近、あちこちのHPやBBSを覗いていて感じることなんですが、掘り下げない批判が多いですね。最初にパン!と猫ダマシのような言葉があって、後の言葉はあまり重要な意味をなさない。彼のいままで生きてきた、音楽を聞いてきた「環境」からしか、アマチュアは語れませんから、聞き手としての豊かな経験に基づかない発言は薄っぺらい。むしろ、自分があまり良くないと思った演奏や音楽をほめている人の話を聞いたり読んだりするのは好きです。それぞれ、いろんな聴き方をしているわけですから、その経験を分かち与えてもらう(あるいは盗んじゃう)、というのが小生の現在でのスタンスです。ただし、評論家の言葉は別ですね。無論。

でも、山下さんや小生の感じているプレトニョフのバガテルは、それでもなかなかよかったということが、まずあったわけです。プレトニョフのバガテルは、イージーリスニング風にも聞けるし、ベートーヴェンの小品をファンタジックに聞こうと思えば聞けるしということでしょうか。どちらかというと、譜面とにらめっこをして、これはなかなかすごいというのではなく、なかなか聞けるジャンという軽い評価ですね。そのことでは、小生この演奏に好感を持ちましたが。これを誉めるお前らの耳が悪い、といわれてもそれがオレの耳なんだから仕方ないじゃないかと、反論のしようがないわけです。

野々村 佐々木 プレトニョフ盤、なかなか評価しにくいですね。1枚目の最初の曲など、なかなか良い感じなのですが、どこが悪いというのではなくて、でも聴き進むにつれ不満を感じてくるという最初の印象はやはり変わりません。
今回の曲目では、「作品への不満」と「演奏への不満」を区別しないといけないわけで、そのあたりも面倒ですよね。

鈴木 趣味以上の問題を掘り下げるのは難しいなあ。テツガクの問題になっちゃうなあ。
う〜ん、でも、それをやらないと、このディスクに関して議論できることなんて何もないのでは?まあ、さっさと打ち切って次を始めるのも一つの手ですが。

鈴木 楽譜に忠実=いい演奏とは、以前はそう思っていましたが、今では、まるでそう思えなくなってしまったということ。
「楽譜に忠実な演奏」が好ましい、と主張したいわけではありません。今回比較対象になっているグールドやアファナシエフの演奏も、ある点では明らかに楽譜から逸脱していて、そこが彼らの解釈のポイントになっているわけです。

鈴木 むしろ、優れた作曲家は、自分の書いた譜面をどのような可能性を持って演奏してくれるか、また、それが成功したときには、楽譜と反対の表現であっても、OKだと考えると思います。
しかしこの録音におけるプレトニョフは、「解釈」の一環として譜面から離れているのではなく、譜読みが不十分なため譜面の情報を再現するのに失敗しているだけで、両者は全く違います。最近、ピアノのレッスンでこれらバガテルの中の曲を練習していただけに、その違いははっきりわかります。

鈴木 ただ、表現以前の問題になってしまったら、どうしようもないですが。
サロンで有閑マダムたちを相手に、練習もそこそこに即興も交えつつ弾いていたと思われる初期小品ならば、この録音のような姿勢が適切なのかもしれませんが、2枚目に集められている作品に対してもそのような姿勢で臨むのでは話になりません。「軽い気持ちで楽しめる音楽」自体は結構ですが、そのような目的にふさわしい作品は、クラシックに限ってもスカルラッティやクレメンティからシベリウスやプーランクまで沢山、それ以外の音楽にも対象を広げればいくらでもあるわけで、なぜことさらにベートーヴェンを薄めて弾かないといけないのでしょうか。

鈴木 最近、あちこちのHPやBBSを覗いていて感じることなんですが、掘り下げない批判が多いですね。最初にパン!と猫ダマシのような言葉があって、後の言葉はあまり重要な意味をなさない。
そういうのは「感想」であって、「批判」や「批評」ではないでしょう。そういう文章は、書き手の趣味を推測するための役には立っても、そのディスクに関する情報にはならない。

鈴木 むしろ、自分があまり良くないと思った演奏や音楽をほめている人の話を聞いたり読んだりするのは好きです。それぞれ、いろんな聴き方をしているわけですから、その経験を分かち与えてもらう(あるいは盗んじゃう)、というのが小生の現在でのスタンスです。
「こんな解釈は許せん!!」vs.「こんな素晴らしい解釈は聴いた事がない!!」だったら、得るものがあると思いますが、「なんか、つまんないなあ」vs.「まあ、聴けるんじゃないっすか?」では、得るものはないと思います。

鈴木 どちらかというと、譜面とにらめっこをして、これはなかなかすごいというのではなく、なかなか聞けるジャンという軽い評価ですね。
それが趣味だと言われたら、反論のしようはないわけですが、ヴァントのブラームスは不可だがこのバガテルの録音は可、では、もう何が何やら....。ただ、今回のメンバーの評価の順序が、ヴァントのブラームスの時とはほぼ逆順になっていることに、重要な意味があるかもしれない。





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