奧座敷同人 2004年の 5 盤





さてはて、本年もまた「奥座敷同人5盤」リリースの季節がやってまいりました。
新譜・旧譜に拘わらず、各人が昨年聴いた中でベストと思える音盤を僅か 5 盤にセレクトいただき、とりまとめたものにございます。この場をお借りしまして、同人の皆様には厚く御礼申し上げるとともに、蘊蓄深き各御仁のセレクション及びコメントひとくさりをご快読いただければ幸甚にございます。
なお、執筆者名をクリックすると記事に飛びます。

店主鞠躬




































鈴木


 2004年に、新譜で何を買ったか?
 それを割り出してゆくのは、なかなか大変だ・・・というより覚えていないの だ(^^;。
 購入したCDは、できるだけ早く忘れてしまわないと、次に行けない。それ に、
自分のホームページではクナとテン シュテットが中心で、バリバリ音盤紹介なんてのをブログで作ってはいるが、 「思い出した時に更新」なのであまり整理の対象にはならない。再発ものや中古 で掘り出したもの、今まで何年も聞かないで放っておいたものを改めて聞いた ら、なかなか良かったので取りあげる、なんてことやっているわけだから、新譜 紹介とはとても言えない。
 クナのページでは、なんとかヴァーグナーは終わって、今はブルックナー三昧 だ。テンシュテットはブルックナーが終わるので、次はブラームスだ。毎日、 ヴァーグナー、ブルックナー、ブラームスを聞き暮らしている。「飽きない か?」とも思うのだが、これが不思議と飽きないで、クナやテンシュテット以外 の指揮者のCD、あるいはクナやテンシュテットに録音のない楽曲まで、まった く取りあげないながら参考にしようなどと、それらの作曲家のさまざまな楽曲を 漁っている(室内楽や独奏曲まで漁ってるんだから、仕方ないな^^;)。
 クナ物では、Testamentから3枚のCDがリリースされたが、その中のパリ音 楽院管弦楽団とのR・シュトラウスがステレオ録音で、いままでモノラルしかな かったため、驚いてしまった。もう一種、クナの際立ったリリースとしてバイロ イトでの「パルジファル」1959年盤が発売されたが、せっかくだから、これ は2004年の5盤に入れよう(^^)。その他、ロースヴァイスロートでの「アル プス交響曲」や、初出のブルックナー:交響曲第3番がAltusからリリースされ た。
 テンシュテットは、海賊CDRの花盛りの時期が過ぎ、ライヴ音源がBBC Legends やEMIから正規リリースされることが多くなってきた。これは喜ばしいことだ。 それでも、アメリカのマニアによるSiberian Tigerというレーベルが、プライ ヴェートCDRながら、今まで聞けなかったテンシュテットのソースをリリースし 始めている。ただし、いかんせんSiberian TigerのCDRは音が悪い。一般の音楽 ファンにはとても薦められない。テンシュテット・フリークにしか用のないもの だ。それでも、2004年の5盤の中にひとつだけ入れた(^^)。

(1) Ricahrd Wagner "Parsifal"
Hans Knappertsbusch (cond.)
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele (rec.1959/8/7 L)
〈Golden Melodram/GM 1.0070(Slovenia)4CD〉


その全曲録音は残されていないのではないか?と思われていた、1959年バ イロイトでの公演記録。クナのバイロイトでの「パルジファル」のCDはこれで 11種目である。
1958年は新キャストでの「パルジファル」で、その録音もリリースされて いるが、管弦楽は立派なのだが歌手の出来があまり良くなかった。
1959年は、大方が1958年のキャストだが、クンドリをクレスパンから メードルに入れ替え、歌手に芯ができたからか、あるいは他の歌手も慣れたから か、素晴らしい演奏を繰り広げている。クナファンには、大感動の「パルジファ ル」だ。翌1960年は、パルジファルのバイラーはそのままで、クンドリにク レスパンが返り咲き、他の役はベテランの歌手が脇を固めた。その1960年盤 でバイラーの凄い熱唱が聞け、1958年では違和感のあったクレスパンが大き な魅力をもったクンドリを歌っている。
キャスティングで、クナの指揮はいかに素晴らしかろうとも「パルジファル」 全体の印象は大きく変わってしまうのだ。1959年の「パルジファル」は、 1958年の弱点を払拭し、1960年のバイラー、クレスパンの名唱を引きだ したと言ってもいいかも知れない。さすがに、1959年盤のメードルのクンド リは、老いたりとはいえ聞き物である。
なお、BMGからクナの「ばらの騎士」を含むウィーン国立歌劇場のライヴが 正規リリースされたことがあった。その中に、1961年4月1日ウィーンでの カラヤンの「パルジファル」も含まれていたが、カラヤン盤4枚組CDのうち、 第1枚目がなんとクナ1959年盤だった。いくら、エイプリルフールの収録と 言っても、冗談がきつすぎる(^^;。音は、正規のBMGよりも、幾分出所の怪し いGolden Melodram盤の方が圧倒的に優れている。
とにかく、1959年の「パルジファル」全曲が聞けたことは大きな収穫だっ た。残るは、1955年と1957年(^^)。

(2) Ludwig van Beethoven "Fidelio"
Klaus Tennstedt (cond.) Metropolitan Opera (rec.1984/1/7 L)
〈Siberian Tiger/ST007/8(USA)2CDR〉


今のところ、テンシュテット唯一のオペラ全曲録音である。無論、正規盤では ない。アメリカのマニアによるプレイヴェート盤というか、海賊CDRという か、である。
この録音は(実は別の日のものと2種類ある)アメリカでオンエアされ、プラ イヴェート録音としてかなり流通していたようだ。e-bayにも何回か出たことが あるらしく、小生が発見したときは落とし損なった。
Siberian TigerのCDRは、どこか遠いところでのエアチェックか、あまり電 波状態の良くないところでのエアチェックが元のようで、どれもイマイチだ。そ の中で、この「フィデリオ」はマシな方なのだが、ホワイトノイズはかなり被っ ているし、スイッチングノイズが頻繁にあったりで、一般の音楽ファンにはとて も薦められない。1枚目と2枚目の移り変わり方も唐突で、ショッキングですら ある(^^;。
ところが、演奏は実に素晴らしい。極めて熱い演奏で、推進力があり間然とす ることなくオペラは進行してゆく。レオノーレ役のエヴァ・マルトンは素晴らし い歌を聞かせてくれる。フロレスタンのヴィッカーズも好演だろう。
しかし、何より凄いのがテンシュテットの創り出す音楽で、とりわけ第2幕の 途中で挟まれる「レオノーレ序曲第3番」が圧倒的な名演なのだ。小生、「フィ デリオ」や「レオノーレ序曲第3番」はイヤと言うほど聞いてきているはずなの に、「レオノーレ序曲第3番」とは、こういう曲だったのか!と再認識させられ る思いだった。
最初から最後までテンションの高いオペラ全曲が聞けるが、この「レオノーレ 序曲第3番」が聞けるだけでも極めて価値が高い。

(3) Johann Pachelbel "Kammermusik"
London Baroque(rec.1994/10 S)
〈Harmonia Mundi/HMX 2901539(Germany)〉


最初、Harmonia Mundi Franceからリリースされ、ドイツで廉価盤として出し 直された名盤だ。
パッヘルベルは「カノン」、もしくは「カノンとジーク」だけ異様に有名だ が、その名声の割に意外とリリースされたCDは少ない。実は、この室内楽曲集 を購入した後、パッヘルベルの他のCDはないかとCD屋を探してみるのだが、 cpoからリリースされている宗教音楽だけしか見つからなかった。昔、 TelefunkenのDas Alte WerkシリーズのLPの中に、アルベルト・ボリガーのオ ルガンで「パッヘルベル:オルガン名曲集」が出たことがあったが、CDでは出 ていないのかな?
パッヘルベルの楽曲は実に聞きやすく、清々しい。この室内楽曲集をMDに入 れ出勤途中や出張の車の中、また家でも何度聞いたか分からない。
矢内原伊作に「ジャコメッティとともに」という名著があるが、その中で制作 中のジャコメッティが「ヘンデルはいいよう。邪魔にならない。バッハはダメ だ」と言う件がある。小生にとっては、ヘンデルもなかなか重くて、邪魔になら ない音楽にはなっていないのだが、パッヘルベルだけは、ボリガーのオルガン、 昔持っていたチェンバロ曲集のLPなど、そのジャコメッティの言う「邪魔にな らない」音楽そのものだった。
バロック音楽の多く(室内楽、独奏曲など)は、後にサティが主唱した「家具 の音楽」、イーノが主唱した「環境音楽」の先駆をなすものだ。最近、ソヴィエ ト版映画「戦争と平和」をDVDで再見したが、ボルコンスキー伯爵(アンドレ イの父親)が邸宅の庭を散歩しているときに、庭で楽士たちが音楽を奏でてい る。また、ペテルブルクやモスクワの夜会などでも、片隅で楽士たちが音楽を奏 でている。音楽は貴族の生活に密接に結びついていた。
小生は貴族やブルジョワとはほど遠い負け組の大貧民だが、オーディオのお陰 で、そのような家具の音楽、風景の音楽を日常の中で楽しむことができる。これ は、やはり素晴らしいことなのかな?別に、貴族やブルジョワの生活に憧れては いないが・・・(^^;。
今回取りあげるパッヘルベルの室内楽曲集のCDは、いつでもどこでも、優し く聞く者を包み込み、決して暗くならない。ロンドン・バロックの演奏もそれら しく、何回でも繰り返して聞けるだけのクオリティを持っている。自分にとって の名盤とは、こういうのを言うんだな・・・と思う。

(4) Heinrich Ignaz Franz Biber "Die Rosenkranz-Sonaten"
Andrew Manze, Richard Egarr (rec.2003/1/4-7 S)
〈Harmonia Mundi/HMU 907321.22(USA)〉


アメリカのハルモニア・ムンディの企画によってロンドンで録音され、レーベ ルはHarmonia Mundi Franceで、ドイツで制作されたCDだ(^^;。
普段、ビーバーなんて聞かないものだから、どういう時代に生きた作曲家で、 どういう作風の持ち主なのか、さっぱり分からない。ヤフーやgoogleで「ビー バー」で検索したら、動物のビーバーや、ビーバー・エアコンなんてのがぞろぞ ろ出てきた。「Biber」で検索したら、お目当ての海外のサイトが数多く引っか かってきた。その中にはBiberのホームページなんてのもあり、語学不堪能なが ら、英語なら何とか読めるのでいろいろと勉強になった。結局、日本語では山野楽器 古楽話題盤試聴室に「ロザリオのソナタ」の解説が載っていて重宝し た。もうひとつ、 木曽のあばら屋と言うサイトにも「ロザリオのソナタ」の簡単な解説があっ た。「ロザリオのソナタ」で検索をかけると、このマンゼ盤ではないが、斉諧生 さんのサイトの「お買い物リスト」が引っかかってきた(^^;。
ビーバーは、前期バロックのかなりの作曲技法を持っていたひとで、この「ロ ザリオのソナタ」自体、難易度の高い技法をもった作品だということが分かっ た。副題は「キリストの秘蹟に基づく15のソナタと、パッサカリア」で、聖母 マリアを主軸に、キリストの受難と復活を独奏ヴァイオリンで表現したことも分 かった。
で、小生はどういう風にして聞いているのかというと、例えばパッヘルベルの 楽曲のように明るく周囲を充たしておく音楽、とうわけにはなかなかいかない が、ヴァーグナーやブルックナーの楽曲を大音量で聞いた後、その残滓を洗い流 すようにして聞いている。「ロザリオのソナタ」は、全曲を通じて比較的優しい 情感を持ってはいるものの、集中力を要求される楽曲でもあるので、何も考えず に、ただ、音楽だけを聞きたいときによく引っ張り出して聞いている。
演奏者のマンゼやエガーについては、何も知らない。タワーレコードの新譜 の棚にこのCDが乗っていて、空間に浮かぶ薔薇のジャケットが美しくて購入し ただけだ。
それが、パッヘルベルの室内楽曲集とならぶ、2004年の愛聴盤になってし まった。普段、バロック音楽を意識しながら聞くことは少ないが、この「ロザリ オのソナタ」はその雰囲気共々、じつに素晴らしいアルバムであると思う。「ロ ザリオのソナタ」に関しては、他にCDを持っていないため、今回のCDはその 中の名盤か?と聞かれると、それは小生にはわからない(^^;。

(5) Anton Bruckner : Synfonie Nr.4 "Romantische"
Herbert Kegel(cond.) Rundfunk-sinfonieorchester Leipzig (rec.1960/11/11 S)
〈Weitblick/SSS0031-2(Germany)〉


5盤の最後の1枚に何を入れようかと悩んだ。で、以前に発売されたCDなが ら、中古で購入してショックを受けた1枚を入れることにした。
ケーゲルのブルックナー:交響曲第4番は、ODE Classicsの2枚が既にあり、 それは既に購入済みなので、1960年の録音なのにモノラルのWeitblick盤は 購入しなくてもいいだろう、とタカをくくっていた(ODE Classicsの1960年 ライヴもモノラルだが)。
クナのページがブルックナー:交 響曲第4番にさしかかった辺りで、中古盤を物色していてWeitblick盤を発見、 「安いんだからまあいいか」と参考材料にと購入した。そして一聴、その演奏の 素晴らしさに驚愕してしまった。音も、モノラルながら聞きやすく、その素晴ら しい演奏を堪能できる。
ゆったりとしたテンポの開始から始まり、ブルックナー特有のクライマックス でケーゲルは何の出し惜しみをせずにオーケストラを解放する。その解放の仕方 も素晴らしいが、随所に見せるブルックナーの情感を確実にすくい取ってゆく。 聞き所は多いが、例えば第1楽章333小節からのゆったりとした弦楽器による メロディを聞いていると、ケーゲルのブルックナー:交響曲第4番でとらえてい たヴィジョンが実によく分かる。素晴らしい情感である。この部分だけを聞いて も、ノックアウトされてしまうような素晴らしさだ。
どちらかというと、神々しいブルックナーというより、テンシュテットやクー ベリックのライヴ録音のような軋轢型のブルックナーで、金管の咆哮と穏やかな 部分の落差が非常に大きい。その上で穏やかな部分での情感を確実にすくい取っ ていった演奏であると言える。録音も美しくブレンドされた音と言うより、少し シャリシャリ傾向の音で、落差のある音楽の作り方に聞こえるようだ。
第2楽章の寂寥感もなかなかのもので、前半、孤独な響きでの歩みが胸を打 つ。101小節からの愉悦に充ちたメロディでの行進曲は、それまでの鬱に傾く ような表現と異なり、実に明るい。再び、薄暗い光の中での音楽に回帰してゆく のだが、その徹底した落差のある音楽は、ブルックナー:交響曲第4番第2楽章 の一面での本質を突いている。後半部の実に重い歩みからクライマックスにかけ ての凄みのある表現は、空恐ろしくなるほどの暗部から、輝かしい光の中に投げ 出されるような錯覚に陥る。233小節からのフレージングの素晴らしさ!
第3楽章スケルツォは、目も眩むような金管楽器の響きで開始されるが、さす がケーゲルなだけに、ただ単に派手な音楽にはなっていない。割と派手派手しい 部分とトリオの落差はさすがだな・・・。その、トリオの美しいこと!結晶化し たような美しいヴァイオリンと木管楽器のやりとりが聞ける。
第4楽章の、徐々に盛り上がって、やがて爆発が連続して起こるような最初の クライマックスの響きも素晴らしいが、93小節からのメロディの生かし方、テ ンポ、どこを取っても優れた演奏を聞くことができる。そのような演奏であって こそ、155小節のいきなりの爆発が生きてくる。かなりショッキングだ。 237小節からも粘ること!(^^)
明るい情感のフレーズも、どこか陰を持っているように聞こえる第4楽章だ。 終結部に至るまで、間然とすることのない演奏だった。
試しに、ODE Classics盤も聞いてみた(年代的に近い1960/4/3 L)。これもまた 素晴らしかったが、スタジオ録音の方が、ケーゲルのブルックナー:交響曲第4 番でとらえていたヴィジョンは、より濃厚に聞けるようだ。
ついでにODE Classicsの1971年9月21日のライヴ録音も聞いてみたが、 こちらはより円熟味を増し、スケールの大きくなったケーゲルの演奏を聞くこと ができた。ただ、ケーゲルのブルックナー:交響曲第4番を聞く・・・と言うこ とでは、その表現が徹底しているWeitblick盤がより相応しいようだ。

(次点) Tigran Mansurian : "Monodia"
Kim Kashkasian(viola) Other Artist(rec.2001/11 S)
〈ECM/1850-1(Germany)2CD〉


最近、とんと現代音楽を聞かなくなってしまった。敬遠しているわけではな い。あれこれ物色はしてみるのだが、魅力に富んだ録音と出会わないだけだ。 CD屋の新譜の棚に置かれているCDで、関心の持てそうなものだけをたまに購 入しているわけだから、何がいいのか、さっぱり分からない。
このCDは、キム・カシュカシアン(カシュカシャン)の名前で購入した。カ シュカシアンのCDは全て持っているわけではないが、家捜ししたら何枚か出て きそうだ(^^;。元々、ヴィオラの音色が好きで、CDを漁った時期があり、その 中にカシュカシアンのCDも何枚か含まれていた。
アルメニアの作曲家ティグラム・マンスリアンのことは何も知らない。何も知 らないで、よくこういうCDが買えるな?という声が飛んできそうだが、ジャ ケットと自分の相性や、バイヤーのメモを参考にすることもある。このCDは、 ジャケットとカシュカシアンの名前で購入したようなものだ。
2枚のCDに4曲が収められている。楽曲としては、少し古めの現代音楽って な雰囲気はなくはない。"...and the I was in time again"と題されたヴィオラ 協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、「ラクリメ」、「信仰告白」で、いずれの楽曲も ストイックな雰囲気が漂っている。
カシュカシアンのリーダーアルバムだが、けっこう自分の趣味に合って、気に 入ったのはヴァイオリン協奏曲だった。ヴァイオリンはレオニダス・カヴァコス で、このヴァイオリンがなかなか素晴らしい。暗い曲想を持った協奏曲で、ペン デレツキやシュニトケを彷彿とさせる(武満なんてのも連想したりして)。音楽 は緩やかな部分から、徐々に渦を巻くように錯綜し、また緩やかな音楽に戻って ゆく。絵に描いたような、緩急緩の音楽だ。何か、ノスタルジックでストイック な雰囲気が気に入ってしまったと言えなくはないし、西ヨーロッパの音楽からす れば、いささか古めかしいのは否めないものの、なかなかの佳曲だ。
カシュカシアンのヴィオラでは、2枚目に収録されているヤン・ガルバレクと の「ラクリメ」が聞き物だった。ガルバレクのサクスホーンに、どこか東洋風の カシュカシアンのヴィオラが絡みついてゆく。途中で位置を変えながら、哀しく 透明な歌を奏でてゆく。短いながら、抗しがたい魅力を持った作品、演奏だっ た。
「信仰告白」は、ヒリヤード・アンサンブルとカシュカシアンのコラボレー ション。これは、カシュカシアンに献呈されている。この楽曲が最もカシュカシ アンの魅力に触れることができるかも知れない。カシュカシュアンの厚みはあっ ても、どこかうら悲しいヴィオラの音色と、ヒリアード・アンサンブルの中世の 聖歌を思わせる4声の歌が思わぬ清浄な効果を上げる。他にこういう曲を聞いた ことがないので(ペルトとは、やはり異なるようだ)、マンスリアン独特の世界 か?
音楽はやはりストイックに神への帰依を奏でてゆく。西ヨーロッパの宗教的作 品と異なり、東ヨーロッパ、スラヴ系の宗教的作品はことさらストイックだ。さ らに言えば、神に帰依する自己の投影は、どこかエロティックですらある。
第2楽章の狂信的ともいえる乾きに似た希求から、永遠の平安を得たような第 3楽章まで、魅力的な音楽が連なる。
この2枚組CDは、同時代的音楽としての衣装はいささか古めかしいが、その ストイックさ、作曲技法の斬新さにこだわらない(どちらかというと、古めかし い)作曲者の内奥の言葉として、傾聴に値するような気がした。





野々村


 昨年は、批評サイトはそれなりに更新したが、これまで以上に新しい音楽には向かわなかった1年のような気がする。相変わらず未聴ディスクが残る程度には購入しているが、即興音楽のひとつの時代が終わったことがリリースにも如実に反映され、特に後半は音楽よりも読書に熱心になっていたかもしれない(その反面、印象に残るライヴは後半に集中していた)。というわけで、今回は5+1盤を割と素直に選ぶことができた。

(0) Feldman: Violin and Orchestra, Coptic Light
ファウスト(Vn.) ルンデル(指) バイエルン放響 〈col legno : WWE 1CD 20089〉

 2004年は相対的に現代音楽から受けた刺激が強かった。ディスクのベストはこれ(0位は「別格」の謂)、ライヴのベストはサントリー国際作曲委嘱シリーズで初演されたグロボカールの新作《人質》。ただし、いずれも前衛世代の手になるものであり、やはり彼らが西欧近代古典音楽に連なるフォーマットにリアリティを感じることができた最後の世代なのかもしれない。前衛の時代が過ぎても優れた創作を続けた彼らが、米国東海岸とバルカン半島という、伝統の周縁の出身であることも象徴的だ。これで《***とオーケストラ》シリーズは《Chorus and Orchestra I/II》以外すべて録音され、未録音作品は数えるほどになった。筆者が現代音楽を聴き始めたのはフェルドマン存命中だが、当時は録音が存在する作品を数える方がはるかに易しかった。隔世の感がある。

 2003年のクラシック録音では最も印象的な仕事を残したイザベル・ファウストは、この《ヴァイオリンとオーケストラ》でも素晴らしい演奏を聴かせた。フェルドマンの中期と後期の分岐点に書かれたこの作品のソロパートでは、広い音域を細かく動き回るハーモニクス混じりのパッセージが、1-2分ごとに曲想を変えながら50分に亙って弱音で続く。両時期の作品から、演奏家にとって厳しい部分だけを抽出したようなとんでもないソロパート。これを音楽的に、ライヴでこの精度で弾き通した彼女は凄い。そのような曲想の変転はもちろんオーケストラパートでも同時に起こるが、決して後戻りしない豊かな時間を、ルンデルは的確に紡ぎ出す。併録の《コプトの光》では、作品の本質を捉えたルンデルの解釈がより明確に打ち出されている。個々の要素は明瞭に聴き取れるが全体は混沌としている状況を実現するために、後期フェルドマンは調性的な素材を用いるようになったという経緯が、音として明示された。


(1) mattin & taku unami:死霊のコンピューター 〈h.m.o/r : 01〉
(2) Hubbub: HOIB 〈Matchless Recordings : MRCD60〉

 2004年の新たな出会いは、MattinとJean-Luc Guionnetという「音響派」以降の時代を牽引しそうなヨーロッパの若手と中堅の音楽を知ったことに尽きる。いずれも宇波拓の紹介による。彼自身のスタンスが、楽器と慣習や身体を徹底的に切り離そうとする点はMattinと、想像力を限界まで拡張しようとする点はJean-Lucと共通しているため、出会うべくして出会ったとも言えるが、手弁当で海外ツアーを重ね、彼らと同世代の音楽家たちの日本ツアーもたびたび企画し、互いの自主レーベルからディスクも出しあう積極的な活動が、このような出会いに結びついている。特にMattinとは昨年、互いにヨーロッパと日本を往復して多くの共演を行っており、そこでの成果が充実したリリースにつながった。

 (1)は形の上ではラップトップデュオだが、Mattinは内蔵スピーカーのフィードバックをディスプレイの傾きを変えてコントロールするプレイ、宇波は可聴域外の低音をスピーカーユニットから出し、コーン紙の振動でホーン内に置いたオブジェを鳴らすプレイを基本スタイルにしている。この録音ではさらに、CPUに負荷をかけてファンを回したり、ディスプレイを閉じてその背を爪で擦ったりと、「ラップトップ・ミュージック」の常識を完膚なく打ち砕くサウンドが提示されていく。だが、これらの音響を結びつけた音楽は、ラップトップを用いなければ実現できないことも確かだ。近年の杉本拓の音楽を思わせる長い沈黙の後、突如襲う凶暴なノイズ。死霊=ゾンビをモチーフにしたとんでもないジャケット(インナーはさらに……)は異形の音楽によくマッチしている。宇波のHibari MusicとMattinのw.m.o/rの共同リリースによる新レーベルの第1弾。

 (2)は、Frédéric Blondy (Pf.), Bertrand Denzler (T.Sax.), Jean-Luc (A.Sax.), Jean-Sébastien Mariage (G.), Edward Perraud (Ds.)のユニットHubbubのサードアルバム。Jean-Lucの活動は大きくふたつに分かれ、ひとつは本ディスクの人脈とのフリージャズ的な即興演奏、もうひとつはEric Cordier, Eric La Casaらとのサウンドスケープ的な活動(地下鉄駅でのフィールドレコーディングからパイプオルガンをノイズマシンとして使った録音に至る幅を持つ)。このユニットはフリージャズ人脈でサウンドスケープ的なアプローチを試みる方向に進んでおり、両者が混淆していよいよ面白いことになってきた。各音楽家は自分の楽器を用いているが、セカンドアルバムではまだ残っていた通常の奏法はほぼ排除され、ディスクにも使用楽器は一切記されていない。しかしこの音楽は、音響的即興のアポリアとなりつつある「特殊奏法」のマニエリズムには陥っていない。普段は大音量でブイブイ吹いている人々が、毎回新鮮な気持ちで音楽に向き合っているからなのだろう。


(3) Bartók: Violin Sonata No. 1/2, Sonata for Solo Violin
テツラフ(Vn.) アンスネス(Pf.) 〈Virgin Classics : 7243 5 45668 2 0〉

 クリスティアン・テツラフは90年代前半、J.S.バッハの無伴奏全曲をはじめとする輝かしい録音をVirginレーベルに残した。だが、同レーベルが開店休業状態になってからは、ディスクで聴けるのは例の発電所音楽祭ライヴと現代音楽録音のソリスト程度という状況がしばらく続き、ほぼ競合する(ロマン派のみ相補的な)レパートリーを持つファウストに並ばれた感すらあった。例えばヤナーチェクのヴァイオリンソナタでは、90年代後半の彼の録音よりも、前回のベストでも言及している躍動感に満ちた彼女の録音の肩を持ちたい。だが、2003年に録音された今回のバルトーク作品集は、90年代後半に録音され、ファウストの出世作となったバルトークのディスクよりも聴き応えがある。そもそもテツラフの録音キャリアは、バルトークの第2協奏曲と無伴奏ソナタから始まった。彼が最も得意とするレパートリーに、満を持して帰ってきたのだ。

 Vn.とPf.のためのソナタ2曲は、バルトークが書いた最も先鋭的な作品のひとつだが、ここでのテツラフはあえてゆったりしたテンポと細身の音を選び、弱音のコントロールに絶対的な強みを持つ自らの音楽性を活かしきっている。アンスネスとのコンビも、ヤナーチェク、ドビュッシーらの作品を集めたアルバムの時とは別人のように噛み合っており、バルトーク自演のような深み(具体的には、ふたりの拍のずらし具合と個々の音の明瞭度の精妙なコントロール)に達している。本ディスクの登場でようやく、クレーメル&スミルノフの名盤も歴史の1ページになった。無伴奏ソナタは再録音だが、あらゆる面で最初の録音を凌ぐ。最初の録音ではアクセル全開で乗り切っていた箇所も、今回は隠されたポリフォニーを丁寧に紡いでいく。今回は終楽章が半音版なのは、最初の録音が四分音版だったから今回はこちらということなのだろう。


(4) Brett Larner / Toshimaru Nakamura: after school activity 〈impermanent : ire005〉
(5) Michel Doneda, Jack Wright, Tatsuya Nakatani: from between 〈soseditions : 001〉

 こちらのペアは、従来から注目してきた音楽家ふたり。中村としまるは東京の音響的即興第1世代を代表する音楽家のひとりとして長らく聴いてきたが、彼は2004年の一連のリリースで大きく飛躍した。中谷達也も数年来動向を追ってきたが、ボストンからNYに移って4年、いよいよ国際的な注目を集め始めた。

 (4)は、日本留学中に始めた"Deluxe Improvisation Series"で東京の即興シーンに新たなうねりを生み出したブレット・ラーナーがカリフォルニアに戻り、久々に中村と再会した記録。当時はミルズ・カレッジで作曲を学んでいたラーナーが大学院の講義終了後に行った録音なので、「課外活動」というわけだ。2002年の夏から秋にかけて明らかになってきた中村の変貌の核心は、no-input mixing boardで「歌う」ことを止め、歪んだ波形の発振器としてのアイデンティティを確立し直すことにあった。その背景には、杉本拓ギターカルテット参加などで再びギターを弾く機会が増え、「歌」を託す対象を別に持ったことが大きいように思われる。このディスクでは、中村の鳴らす濁った発振音やホワイトノイズに、より正弦波発振音に近い筝の単音を合わせて強い干渉を生み出す演奏が中心だが、かつては微分音程を密集させた特殊調絃や絃上でジャイロスコープを回す奏法など、「筝らしからぬ音響」に固執してきたラーナーの成熟を感じた。

 (5)は、強靭な「息の柱」をトレードマークに、深い音楽的理解が可能な共演者を求めて世界を旅する孤高のS.Sax.奏者ミシェル・ドネダが、米国における非イディオム的即興音楽の草分けとして孤高の道を歩んできたA.Sax.奏者ジャック・ライトと行った2回の米国ツアーの副産物。彼らの最初のツアーのNY公演で、中谷の自宅スタジオに泊まった際に行った録音が本ディスク最初の2トラック。この成果を経て、2回目のツアーで行ったライヴが最終トラック。そして現在では常設ユニットとして、北米やアジアのツアーも予定されている。音楽観も社会観も共有しているドネダとライトは、自家中毒に陥らずに即興を続けるために、両者の差異を引き出す触媒を求めていた。音空間をビートで直接的に規定するのではなく、密度と音色を通じて間接的にコントロールする中谷の音楽性は、そこにぴったりとはまった。3トラックの並びも、お手並拝見からセッションへ、そしてユニットへと進化していく過程が聴き取れて興味深い。





工藤


2004年は、率直に言って不作の年であった。何といっても、2004年度のレコード・アカデミー大賞がゲールギエフ指揮のショスタコーヴィチ:交響曲第4番である。大のショスタコーヴィチ・ファンの僕が言うのもどうかと思うが、ちょっと毛色の変わった曲をスター指揮者が演奏した、という以上の選出理由が見出せない音盤が大賞とは、この賞の権威には議論の余地があるとはいえ、2004年の音盤界の不振ぶりが明らかというものだ。個人的に今年は音盤屋へ足を運ぶ頻度が激減したため新譜チェックが甘くなったこともあり、残念ながら圧倒的な感銘を受けた音盤を見つけることができなかった。以下の5盤(+α)は、苦渋の選択である。

(1) ショスタコーヴィチ:交響曲選集(第4、5、6、9、11、14、15番)
____ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(Weitblick : SSS0040-2)


厳密に言えば2003年末のリリース。第5番終楽章コーダの鐘や第9番など、別に奇を衒っているわけではないのだろうが、首を捻りたくなるような部分もなきにしもあらずだが、全体的にはさすがケーゲルと言うべき作品の本質をしっかりと捉えた解釈に唸らされる。独特の感覚を持った音世界の凄みに加え、他の追随を許さない楽曲の構成感が傑出している。ただし、ライプツィヒ放送SOの下手糞さには、笑うしかない。技術的に必死であるが故の鬼気迫る緊迫感もあるのだろうが、ケーゲルの解釈を存分に味わうにはオーケストラが完全に力不足。しかしながら、第11番と第15番に関しては、そうした不満をも超えるほどにケーゲルが圧倒的な音楽を作り出している。特に第15番はとんでもない演奏。曲が進むほどに怖くて怖くて身体の震えが止まらなくなる。これにはノックアウトされた。凄すぎて、逆に何度も聴くことができないなんて、何という音楽なのだろう!

物故指揮者の未発表ライヴ録音は、今年も数多くリリースされた。個人的に最も目に付いたのは、ムラヴィーンスキイ関係。1961年2月12日に行われた演奏会(モーツァルト:交響曲第33番、ショスタコーヴィチ:交響曲第8番、グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲)を収録した盤(Dreamlife : DLCA-7003)のようにお馴染みのプログラムや、得意とするレパートリーに既発音源のリマスタをカップリング(ショスタコーヴィチ:交響曲第8番、ブラームス:交響曲第3 & 4番)したもの(Scora : scoracd012)、ハチャトゥリャーンの交響曲第3番の世界初演ライヴ(実際には、モスクワ初演との説が有力)といった珍しくも歴史的意義のある録音(Scora : scoracd011)などが注目に値するだろう。とはいえ、同曲異演の聴き比べはどうしても重箱の隅をつつくような聴き方になってしまうため、特別興味のある曲でなければ必ずしも楽しいものではない。その意味では、シベリウスの交響曲第3番(Altus : ALT083)という全く新しいレパートリーが最も胸躍る一枚であった。同じシベリウスの交響曲第7番に共通する、独特な劇性に満ちた硬派な演奏。いわゆる北欧の抒情には不足するが、それを期待してこのコンビのシベリウスを聴くのも筋違いだろう。論理的な構成を持った解釈は、第3楽章などで格別の説得力を発揮している。ただし、解説書の希薄な内容、そして同一音源に対して擬似ステレオ処理を施したものをカップリングしていることなど、アルバムとして見た場合に甚だしく問題が多いのは残念。

ショスタコーヴィチ絡みでは、交響曲第5番のオーマンディ/フィラデルフィアO盤(Scora : scoracd005)とケーゲル/NHK SO盤(KING : KICC 3058)が、互いに全く異なった傾向ながらどちらも面白かった。また物故指揮者ではないが、現役を引退したK. ザンデルリンク/フランス国立O(Naive :V 4973)による交響曲第10番も忘れられない一枚。同じ曲のスヴェトラーノフ/ソヴィエト国立SO(Scora : scoracd010)盤は、カップリングのモーツァルトが男臭くて楽しいが、肝心のショスタコーヴィチが冴えない。スヴェトラーノフのライヴならば、ラフマニノフの交響曲第2番(Scribendum : SC 033)が本領発揮の名演。煽りに煽りまくった凄い演奏で、特に第2楽章と第4楽章の緊迫感に満ちた熱狂は、他の追随を許さない。

埋もれていた録音の発掘も今ではさほど珍しいものではなくなってきたが、スプラフォン・ヴィンテージ・コレクションはこのレーベルならではの渋いラインナップに加え、世界初CD化の音源も少なからず含まれているという点で高く評価できるだろう。僕が入手したのは シェイナ/チェコPOによるドヴォルザークの交響曲第6 & 7番(Supraphon : COCQ-83866)の一枚だけであるが、これがまたなかなかの秀演。第6番の伸びやかで活き活きとした音楽は、これぞ“お国もの”という説得力に満ちている。


(2) ラヴェル:マダガスカル島民の歌
____ショスタコーヴィチ:S. チョールヌイの詩による5つの風刺
____レスピーギ:夕暮れ
____シュルホフ:3つの印象画
____ブリテン:子守歌のお守り
____マグダレナ・コジェナー(MS)、マルコム・マルティノー(Pf)、ポール・エドマンド=デイヴィス(Fl)、クリストフ・ヘンシェル(Vn)、イルジー・バールタ(Vc)、
____ヘンシェル四重奏団(DG : UCCG-1194)

コジェナーのリート・アルバムは、僕にとって掘り出し物的な一枚。様々な国の歌曲を集めたアルバムなのに、“リート”と名づけてしまうセンスはどうかと思うが。お目当てのショスタコーヴィチは鋭さに欠けるものの、こういう甘い「風刺」も悪くない。アルバム全体の中ではレスピーギが白眉か。透明で清涼感がありながらも清潔なニュアンスに満ちたコジェナーの歌声は、とても素敵。ヘンシェルQ他の器楽陣も手堅い演奏で好印象。

“掘り出し物”といえば、偶然通りかかった大阪駅前第2ビルの地下で行われていた中古市での収穫は、僕にとって今年一番の出来事だった。コンドラーシン/モスクワPOによるハチャトゥリャーンの交響曲第3番他(Victor : VIC-5120 ; LP)はこの曲の定番とされているものの僕は一度も聴いたことがなく、狂喜して即座に確保した次第。他にもヴィノグラードフ独唱の「エルベ河」(Shinsekai : SWG-7005 ; LP)という珍品や、稀少盤というわけではないがそう頻繁に見かけるものではない音盤などが目白押し。しかも、一枚100円!

音盤屋に足を運ぶ機会が減ったものの通販業者は定期的に利用しているが、カタログ全体をチェックせずに特定のキーワードで検索して発注しているため、予期せぬ“掘り出し物”にめぐり合うことはそうめったにない。そんな中で印象に残った面白い音盤は、ロジデーストヴェンスキイ/モスクワ音楽院学生SOの序曲集(Melodiya : C 10-12547-50 ; LP)。何が面白いって、その選曲。グルック:歌劇「エコーとナルシス」、フォルクマン:序曲「リチャード三世」、ラヴェル:夢幻劇の序曲「シェヘラザード」、オーベール:歌劇「マノン・レスコー」より序曲、ヒンデミット:序曲「エロスとプシュケ」、シュポア:歌劇「ファウスト」より序曲、ショスタコーヴィチ:E.ドレッセルの歌劇「コロンブス」のための2つの小品より序曲、スッペ:喜歌劇「スペードの女王」より序曲、というラインナップだが、よくもまぁこれだけマイナーな曲を、それも盛りだくさん集めたものだ。学生オーケストラだけに完全な仕上がりではないが、逆に学生オーケストラだからこそこういうプログラミングができたのだろう。


(3) ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番、ピアノ五重奏曲 (Hyperion : CDA67158)
____イーゴリ・ウリャーシュ(Pf)、サンクト・ペテルブルグ四重奏団

サンクト・ペテルブルグQによるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集の完結巻。ピアノ入りの室内楽とのカップリングだが、弦楽四重奏、ピアノともにソリスティックな華やかさはないものの、しっかりと作り込まれた音楽の充実度が傑出している。最良の意味での室内楽的な演奏、と言うことができるだろう。卓越した技術に支えられた余裕のある演奏は、これらの作品の美質を十二分に引き出している。最近のショスタコーヴィチ関係の録音中、随一の出来。この巻に限らず、彼らの全集は必聴。

ショスタコーヴィチ関係では他に、Claus Myrup (Va)らによるヴィオラ・ソナタ他のアルバム(Classico : ClassCd 420)が非常に素晴らしい内容で感心した。難所も清潔に弾ききる確かな技術にも感心するが、何よりヴィオラの美質を凝縮したような音色の見事さに惚れ惚れとする。ショスタコーヴィチ目当てで購入したディスクだが、他の現代作品(ペンデレツキ、クルターク)も完璧な出来。P. ヤルヴィ/フランス放送POのロシアン・ワルツ集「Ballets Russes」(Virgin : 7243 5 45609 2 7)も、思わぬ拾い物。選曲自体は同種のアルバムに比べて目新しいものはないが、フランスのオーケストラの色彩感と流麗な音楽の流れに加えて、ロシア風の情感やコクが程よく感じられ、個々の作品の魅力を存分に味わうことができる仕上がりになっている。現代的で爆演とは無縁なのだが、コアなロシア音楽ファンもきっと満足できるのではないだろうか。シナイスキー/BBC POの映画音楽集は第2巻(Chandos : CHAN 10183)がリリースされたが、第1巻と同様に重厚かつ華麗な響きと丁寧な音楽作りが素晴らしい。このコンビの映画音楽集は、買って損はない。

1998年に行われたロストロポーヴィチ/ロンドンSOの「ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル・ライヴ」(Andante : SC-AN-4090)も、意欲的な収録曲で話題になった一枚。ただ、交響曲第4番の初稿とも言われるアダージョ断章は、今では複数の録音がリリースされているため稀少価値は失われてしまった。演奏内容は、良くも悪くもロストロ節。三枚組だが、内一枚は丸々ロストロポーヴィチのインタビューというのはどうかと思う。

コレクターとして最も嬉しかったのは、公式の場でのショスタコーヴィチの肉声を収めた「Dmitry Shostakovich Speaks」(Melodiya : 33 M 40-41705-12 ; LP)という四枚組LPをようやく入手できたこと。これでようやく、ショスタコーヴィチ・コレクターとしてスタートラインに立てた気分。


(4) モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番、弦楽五重奏曲第4番 (EMI: DVB 5996849 ; DVD)
____ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4 & 6番
____ブラームス:クラリネット五重奏曲(第3楽章)
____ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番(第3楽章)
____シューベルト:弦楽四重奏曲第14番(第4楽章)
____バルトーク:弦楽四重奏曲第4番(第4楽章)
____アマデウス四重奏団

映像作品にもめぼしい収穫はなく、特筆したいのはこのアマデウスQのDVDのみ。ほとんどが白黒映像だが、いずれも彼らの本領を伝える名演揃い。モーツァルトの「狩」の第3楽章が欠落していることだけが非常に残念。この楽章こそ、ブレイニンのヴァイオリンで聴きたかった。ベートーヴェンの第6番などでは、おっとりとしたオールドスタイルを強く感じるものの、全体には颯爽と、それでいてコクのある音楽に魅了される。ヴィオラのアーロノヴィツの姿を見ることができるのも嬉しい。この5人のボウイングを見ると、全員が完全に同化しているといっても過言ではないことがわかる。ブラームスのクラリネット五重奏曲も、もし全曲の映像があるなら是非見たいところだ。


(5) アストル・ピアソラ ライヴ・イン・トーキョー1982
____アストル・ピアソラと彼のキンテート、藤沢嵐子(Vo)(P.J.L : MTCW 1012/13)


新譜情報を見かけてからリリースまでが待ち遠しかった、数少ない一枚。マスターが既に失われているとのことで、良質なエアチェックテープを探してリリースにまでこぎつけた関係者のご尽力には頭の下がる思い。オビの裏に書いてあった1984年ライヴのマスター探しの依頼文には、尽きることのない制作サイドの意欲が滲み出ていて、ただただ感服。期待が大きかったせいか一聴した時にはあまり感心しなかったのだが、これは僕の個人的な好みからすると全体にテンポが重いことと、テンションの高さが裏目に出たようなアンサンブルの粗さが気になったから。何度か繰り返し聴く内に、客席も含めて異様な緊張感が張り詰める雰囲気に強く惹きつけられるようになった。特に前半(CD-1)では若干硬さが感じられるものの、音楽の密度は比類なく高い。「AA印の悲しみ」は最後の方でアンサンブルが乱れまくるが、部分的には他の録音よりも突出して冴えている箇所もある。一方、藤沢嵐子が入る後半(CD-2)はどこかリラックスしたような雰囲気が、これはこれで素敵。「チン・チン」は、このアルバムの白眉。シーグレルの爆発的なインプロヴィゼイションの凄まじさには、言葉もない。

特別な稀少盤は別として、ピアソラ本人が関係しているアルバムは、例の“ピアソラ・ブーム”のおかげで一時期に集中してほとんどCD化された。僕もその恩恵に与って一気に蒐集したため、今ではこうした新規音源以外の新譜を買うこともなくなったのだが、主要アルバムで唯一CD化されていなかった「オランピア77」が収録された二枚組「ピアソラの挑戦〜リベルタンゴの時代」(King : KICP876〜7)をようやく購入。これは2002年のリリースだが、他の収録アルバムは全て持っているために、この一つのために二枚組の値段を払うのに躊躇があったことと、イタリア時代のピアソラのサウンドにはどうしても馴染めないものがあるために何となく買いそびれていた。内容は非常に充実したもので、この時代のピアソラを再評価させるに十分足るもの。「トロイロ組曲」は、何度聴いても心に沁みる。ともかくもこれでピアソラ蒐集は一段落。


恒例の蛇足を。

私事ながら、
かぶとやま交響楽団を第30回定期演奏会をもって一旦退団した。7年間の締めくくりはモーツァルトの交響曲第32番、レーガーの「モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ」、そしてドヴォルザークのチェロ協奏曲というプログラム。勉強用に仕入れた音盤の中ではそれぞれクリップス盤(Philips : 422 476-2)、サロネン盤(Allegria : 221029-205)、ロストロポーヴィチ&スヴェトラーノフ盤(BBC Legends : BBCL 4110-2)が素晴らしく、印象に残った。2004年に最も感動し、最もよく聴いたのが、クリップスのモーツァルト(第40、32、38番)。自然体であっさりした外見なのに、細部まで音楽的なニュアンスに満ちている。中でも第38番は間然とすることなく、最後まで一気に聴かせる超名演。モーツァルトの魅力が全てここに凝縮されている。サロネンのレーガーは、スコアを的確に音化した秀演で、僕が聴いた中では最も優れたもの。やたらと仔細に書き込まれたアーティキュレーションやデュナーミクを、実に丁寧に再現していることに感心した。冗長なフーガもしっかりと構成を捉えていて、退屈さをあまり感じさせない。ロストロポーヴィチのドヴォルザークは何種類もあるが、これはソ連軍によるプラハ侵攻、いわゆる「プラハの春」当日の演奏ということで一種の歴史的録音。作品よりは演奏者の個性がより強く出た演奏であり、異様なテンションに貫かれた演奏である。滅法荒く、録音状態もあまり良くないので一般的な鑑賞には向かないと思うが、演奏前の野次が演奏後には絶賛の歓声に変わる辺りに音楽の力と、何よりも演奏者の才能とプロ根性とを感じて圧倒された。事情を知った上で聴くべき録音だろうが、第2楽章は無条件に感動的。ちなみに、有名なカラヤンとの共演盤(DG : 447 413-2)はどこが良いのか全くわからなかった。

かぶとやま交響楽団を退団してからは、細々とエキストラでいくつかの演奏会に出演させていただいたが、年末の12月26日にはチャイコーフスキイのバレエ「眠りの森の美女」全曲を演奏する機会に恵まれた。ムラヴィーンスキイによる組曲からの抜粋(Altus : ALT064)が、冒頭から一気にたたみかけるような暴力的なまでの凄まじさで圧倒的。最後のワルツの速さもムラヴィーンスキイならでは。併録のグラズノーフは作品そのものは少々退屈なものの、明晰な造形とキレのいい歌に感心。ただし、録音は悪い。

量的には、Yedang Classics Selection: X'mas Box-Set(Yedang : YBOX50XMAS)という50枚組が最大の買い物であった。この中に、店頭で見かけることのなかったレニングラード・グリンカ合唱団によるロシア民謡集があったため、いくつかのダブり買いも厭わずに購入。セットと言っても企画性はなく、おそらくは在庫一掃の雑多な詰め物だと推測される。とはいえ、旧ソ連の演奏家は大好きなので、悪い買い物ではなかった。こんなことでもなければ聴かないようなアルバムが大半なのも嬉しい。当然、まだ全部を聴き通したわけではないが、このセットを通して今更ながらその凄さに開眼したのがキーシン。10代の演奏がほとんどだが、たとえばショパンの協奏曲(Yedang : YCC-0019)など、音楽的にも技術的にも否の打ち所がないばかりか、作品の魅力を聴き手に再認識させてしまう。天才としか言いようがない。





斉諧生


ペレーニの新譜は別格として、全体に図抜けた音盤はなかったが、かといって不作というわけでもなく、残り4枚を絞り込むのに随分悩むことになってしまった。管弦楽よりも弦楽器、特にヴァイオリンに優れた新録音が多かったという印象である(結果的には1枚しか挙げられなかったが)。
本稿の執筆と並行して『レコード芸術』誌2月号の特集「プライヴェート・ベスト5」を選んだ。そちらは「1年間のコレクションを振り返る」という記事の趣旨や媒体の性格を考慮した面があり、ここでは一部を入れ替えている。

(1) ベートーヴェン:チェロとピアノのための作品全集 (ECM : 472 401-2)
____ミクローシュ・ペレーニ(Vc) アンドラーシュ・シフ(P)


昨年コダーイを挙げたばかりだが、ペレーニが達しつつある芸境の高みは比類なく、やはりまず当盤に指を屈せずにはいられない。
いったいチェロという楽器を、これほど美しく奏でることができる演奏家が、これまでに(これからも)存在し得た(得る)だろうか?
例えばベートーヴェンが楽器の限界に挑戦するかのように書き、他のチェリストが苦しげな音色でしか再現できない高音域を、ペレーニはまったく無理なく響かせる。そして、その音は、音楽の高揚を、作曲家の心の羽ばたきを、軽やかに解き放つ。技術というものが、ひたすら音楽の美そのものに献身しているさまを、彼の音盤からは聴き取ることができるのだ。
ベートーヴェンがこの曲集に託した雄渾で晴朗な感情の流露を、シフのピアノともども、静けさに満ちた表情と自然な力感で再現した名演と頌えたい。この曲集の音盤選びとなると40年ほども前のロストロポーヴィッチとリヒテルの録音が首座とされるのが常だが、ようやくそれに替わるべき名盤が出現したと言ってよかろう。
ペレーニの演奏は、弾き始めや弓の返しで雑音を発しない、言い換えれば弓の存在を忘れさせる。ペレーニ師(尊称の付与を許されたい)の芸術は、いつか「不射之射」(『荘子』田子方篇)の境地に達するのではあるまいか。東海の一愛好家としては、そうなる前に一度でも多く師の実演に接し、師の音盤に耳を傾けたい。


(2) ラフマニノフ:交響曲第1番他 (BMC : CD 101)
____ゾルタン・コチシュ(指) ハンガリー国立フィル


一聴、スピーカーから発せられる音の実在感に胸を衝かれた。ラフマニノフの豪壮華麗な楽想と、むせかえるようなロマンティシズムが全曲を覆って比類ない。
この作品は、初演の大失敗が作曲者を神経症に陥れたことで有名になっており、そのため演奏・録音頻度が極めて低くなっている。たしかに曲の構成はやや散漫ながら、コチシュと
彼の手兵による演奏の力は、この音楽が本来持っている強烈な推進力を十全に音化し、ぐいぐいと聴く者の耳と心を虜にしてゆく。当盤を聴く限り、ラフマニノフの他の2曲はもとより、チャイコフスキーの6つの交響曲と同様に愛聴されても不思議ではないと感じられる。
2001年11月26日にブダペシュトのリスト音楽院大ホールで行われた演奏会のライヴ録音であるが、音楽総監督コチシュは異例にも本番の2週間前からリハーサルを開始させたという。そうした指揮者の思い入れと、練習量に由来する全楽員の確信に満ちた演奏が相俟って、この名盤が誕生したものであろう。譜面がめくられる音までリアルに収録した、鮮度と解像度の高い録音も貢献している。
カプリングのドホナーニ:祝典序曲 作品31 の輝かしさも特筆しておきたい。指揮者自身によるドビュッシー歌曲のオーケストレーションには異論もあろうが、その色彩感は大いに愉しめた。
今年、新しいホールを得た彼らの躍進に、期待したい。


(3) チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 & ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 (Sony Classical : SK 93129)
____フランク・ペーター・ツィンマーマン(Vn) マンフレート・ホーネック(指) オスロ・フィル & パーヴォ・ベリルンド(指) ロイヤル・フィル


現役ヴァイオリニスト数多ある中からただ一人を挙げるならば、斉諧生の見るところ、F・P・ツィンマーマンをおいて他にない。
音程の確かさ、ボウイングの見事さ、暖かい音色の美しさ、格段の技術的余裕の上に立った堂々たる横綱相撲で、古典から現代曲まであらゆるヴァイオリン音楽を鮮やかに演奏してしまう。
1965年生れだから今年40歳になる彼は、20歳代の10年間に綺羅星のような名演をEMIに録音したにもかかわらず、ここ数年は新譜が途絶えていたのだが、今回、2001年6月録音のチャイコフスキーと1999年5月録音のブルッフが登場し、ファンの渇を癒してくれた。
特に初録音となる後者が至高の名演。曲頭のモノローグから壺にはまった音程と美音に陶然となり、あとはただただ音楽はかくあるべしという姿を具現化してゆく。並みの奏者なら四股を踏むかのように気張る重音のパッセージを、軽やかにステップを踏み、美しい和音で駆け抜けてゆく(例えば第3楽章練習番号G後半)。
チャイコフスキーも余裕の演奏で、一般にこの曲から予想される、髪を振り乱し汗みずくになった「熱演」とは正反対。ただここまで引っかかりがないと、この作曲家らしさを失い、好みを分かつかもしれない。普段の彼よりもポルタメントを多用しているのは、そこで濃厚さを演出するためだろうか。
これだけの演奏力を高めてきた現在、ぜひバッハの無伴奏曲集と通奏低音付きソナタの録音を、世に問うてほしいものである。


(4) ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集 (KULTURABTEILUNG BAYER)
____クリスティアン・ツァハリアス(P) ロジャー・ノリントン(指) バンベルク響


ツァハリアスには二度驚かされた。
一つはバッハ:前奏曲第5番 BWV.850 (EMI)の結尾でパイプオルガンが鳴りわたったとき、二つは当盤を第5番から聴き始めたとき。
正直申してピアニストは二の次、古楽系の指揮者と中欧の伝統色濃いオーケストラというミスマッチとも思える組合せに興味を抱いて入手したCDから、えもいわれぬ美しいピアノの音が流れ出してきたのである。
楽器はよほど入念に調整されたのであろう(おそらく古典調律)、ツァハリアスのタッチに応じて絶妙の響きを聴かせてくれる。例えば第5番第1楽章で、短いカデンツァのあとホルンの助奏に独奏ピアノの細かい高音域の音型がppで絡まる部分。ここでの煌めきなど、さながら薫風に舞い踊る金色の花びらのごとし。
演奏自体も、バンベルク響がノリントンの手玉に載ってヴィブラートをかけずフォルテがすぐ減衰する古楽奏法。ツァハリアスが伝統的には「フォルティシモで踏みしめる」ところを「フォルテからすぐピアノに落とす」手法で鮮やかに駆け抜ける。独奏が最弱奏する下で、弦合奏が響かせる和音の美しさ、ピツィカートの面白さ。
「ミスマッチ」どころか、モダン楽器ならではの美しい響きによって、古楽的アプローチに基づく威圧感のない新鮮なベートーヴェンを再現するという、みごとな成果を生んでいる。


(5) パレー:バレエ音楽「悩めるアルテミス」 & 弦楽交響曲 (GROTT : GP0006)
____エドゥアルド・ペロン(指) デトロイト聖母被昇天洞窟教会管


パレーは、1911年のローマ大賞に輝き、作曲家としてフランス楽壇にデビューした。その真骨頂を明らかにする好企画(世界初録音)。
大賞受賞者の特典としてローマ留学中に第一次世界大戦が勃発、パレーも応召したがドイツ軍の捕虜となってしまう。収容所で過ごした4年間は楽器なしで作曲できる特技(?)をもたらし、彼は弦楽四重奏曲などを作り上げた。下って1944年、第二次世界大戦末期の混乱で指揮活動を中断させられたとき、パレーはその四重奏曲を弦楽合奏に書き改め「弦楽交響曲」とした。
悲劇的な第一楽章が、美しい旋律が諦念のたゆたいを示す第二楽章・慰藉の第三楽章を経て、希望への足取りを高らかに歌う終楽章に解決する佳品。弦楽合奏好きの斉諧生としては、ようやく愛聴できるパレーの作品を得た思いである。
バレエ音楽「悩めるアルテミス」(1922年)は、初期のバレエ・リュスでデザインを担当したレオン・バクストが、「ボレロ」初演で有名な舞踊家イダ・ルビンシテインのためにプロデュースした作品。パレーの新古典的な音楽は好評だったが(いま聴いても十分面白い)、ギリシア神話の題材、ブルボン王朝を思わせる衣装(もちろんバクストによる)との取合せに賛否両論があったという。
ディアギレフの人脈とパレーが交錯した歴史の一齣は想像を掻き立てる。二人が出会う場面はあったのだろうか?





佐々木@浮月


2004 年は、この数年来で最も音盤・音楽から離れた年かもしれない。否、漸次的減少傾向か。ゆえあって風琴音盤量が激減。それはいいが、ここ数年とぼとぼ辿ってきたフリー系をほとんど聴いていないのが最も忸怩たるところ。
読書の方も相変わらず雑駁なものでしかないが、ものを考え直すという点で、また私的な興味・興発の原点遡及という点で、良い年の取り方ができたかもしれない。音楽についても、そうしたことをいずれちゃんとやらねばいかんなぁと感じる。バージル・フォックスのDVDやアラブ歌謡多数など取り上げたいものもまだあったが、感想的にまとまっていないので除外した。また『レコ芸』誌で挙げたベスト盤と重複しないものにしておいた。


(1) ルイ・クープラン:クラヴサン曲集
スキップ・センペ(cem) 〈Alpha : 066〉

センペ久々の(?)ソロ・アルバムがルイ・クープラン。どうせ何やら仕掛けが満載だろうと思っていたが、従来のルイ観を転覆させるような才気煥発たる演奏に驚きかつ楽しめた次第。
ルイのクラブサン作品は主にヴェルレ盤で堪能してきたが、ヴェルレにしても、幾分、マニエーレンの味が強いと思っていた。が、センペの場合、その比ではない。それはむろん故意に音楽を歪めているというわけではない。ルイの原初的音楽環境、或いは歴史的流れにルイを置き直した場合、ヴェルサイユ楽派以前のもっといろいろな音楽の要素が混在していることをアッピールした解釈になっている。聴いてみて、ルイは思った以上にフランス古典期がちがちに演奏される必要もないことがわかる。北独の「幻想様式」みたいなものすら引き込んでいたとすれば、なるほどなと思わざるを得ない。
そういう意味で、私がオルガン音楽で感じてきた「神々しき音響のルイ」観を離れ、暗澹とした感傷から生命の雀躍まで幅広く感取できる音楽となっており、センペの強いバネのような快活さも相乗して素晴らしい1枚となった。


(2) ホイットロック : オルガン・ソナタ ほか
ジョン・スコット(org) 〈Hyperion : CDA 67470〉

結果的に、本年、一番量的に聴いたのは風琴音盤となってしまった。何度も書いているが、何百枚聴こうとも、風琴音盤で納得できるものはごく僅かしかない。風琴音盤聴きとは、そうした「賽の河原で石を積む」ような行為に近しいと思っている。その中で、年に3〜4枚でもいいものが見つかれば幸運というべきだろう。風琴新譜の中では、Querstand の『ゴットフリート・ジルバーマン集成』を除けば、私的にはこのホイットロックを挙げておきたい。
英国オルガン音楽の中でも、最も英国らしい気品と叙情を備えているのがホイットロックといえるが、この一番身近な素材に、スコットがまさに満を持して臨んだに相応しい名盤だ。水彩画的といえる色彩とグラデーション、ビターのような苦さと仄甘い叙情、そして少々のメランコリーがしっとり溶け合う長大な《ソナタ》を、スコットはたっぷり絵色を含ませた筆で悠然と、また小気味よく描いていく。また《5つの小品》の可憐さと愛らしさも魅力たっぷり。


(3) オグドン:ラフマニノフ88年録音集成
ジョン・オグドン(pf) 〈EMI : 5 67938 ; 3CDs〉

秋に思うところあって、久々にミハイル・ルディとオグドンの録音をあれこれ聴いてみた。オグドンはスクリヤビンも久しぶりに聴いてみたが、今となっては今ひとつの観あり。BBC Legends のリストの協奏曲集は、初期の切れ味ほどではないけれど、剔りとるような強靱さはよかった。中でも改めて開眼したのは、テスタメントでの74年録音と亡くなる少し前の88年録音のラフマニノフである。後者は「Previously unpublished recordings」と書かれているところ、未発表音源らしい。
オグドンらしいフレーズの巻き上げが聴けるのは好ましいが、テク的にはパッセージがダンゴになってうまくないところも結構あるし、何やら凄味があるわけでもない。しかし、ラフマニノフの暗く沈鬱で深く呼吸するロマンが、この録音では、複雑な起伏を持った太く強靱な感情表現として展開されており、小ぎれいなロマンティシズムは皆無。私的に面白かったのは「音楽に没入しているわけでもないが、表現力にのめり込む」ような感覚か。オグドンは出来不出来が甚だしいとよく言われるけれど、私からすれば、切れ味の違いはともかくとして、演奏的想像力の幅広さ、ドライながら軽くない感傷表現、マッシブな音の豊かさあたりはそんなに変わらないんじゃないかと思ったりする。暴論かな? でも、私はショパンを聴かないからそう思うのかもしれない。


(4) ブラームス:交響曲第4番、モーツァルト:交響曲第40番
ジョージ・セル(cond.) 北ドイツ放送響 〈EMI : 4 76735 2〉

久々にセルのライブ録音が複数リリースされた年だった。BBC Legends からはニューフィルハーモニア管とのベートーフェンの第8・9番が出た。私的にセルの欧州音源をあれこれ聴いてみて、どうも英国オケとのセッションは今ひとつの感から抜けられない。ここでも緊張感が持続できず、緻密さに欠け、セルの強引なドライブばかりが目立つ(特に第8番の第4楽章など)。
ドイツのオケは幾分いいとしても、少し前に出たケルン放送響とのチャイコフスキーの第5番なども機動力はよいのだが、逆にグイグイ引き込む力感に欠けていた。結果、セルはやはり VPO を筆頭とする中欧的な管弦楽の質感でなければダメなのかとすら思ったのだが、NDR 響とのこのライブを聴いて、ようやく組み合わせの妙味に舌鼓が打てた。
ブラームス冒頭の弦のアンサンブルでフレージングやヴィブラートのタテが揃っていないのは残念だが、セルらしい抑揚に深みある重厚な音色が乗る。甘美なロマンは少々抑制気味に感じられるが、クリーブランド管のような肌理の細かさよりも、渋味がぐっと乗った深く沈み込むような重心の低い音響の上で、セルならではの弛まぬ推進力を聴くと、こんなによいものかと思った。
ブラームスは、例えば第 2 楽章あたりではさらに深さと甘さを加えたコクもほしいところだが、全体、ぎっちりタイトでかつ音楽の持つ情念の迸りが強い筆勢で描かれている。 モーツァルトは、むしろ、晩年のセルらしい透明度よりは強靱なアタックと快速なテンポ(特に終楽章)でくっきり濃く描出されており、50年代のクリーブランド管との旧録音に聴けるような味わいに近い。アンサンブルもよく締まっている。

50年代のクリーブランド管といえば、ようやく 55 年録音の Musical Appreciation Society 盤シューマンの第4交響曲(LP)を入手できた。59年録音(Columbia/Sony)の滴るような美しさとピアニスティックなスピード感にはさすがに敵わないが、ドライブの強さと意欲的でホットな演奏力を楽しむことができた。


(5) サンマルティーニ : オルガン協奏曲集
ファビオ・ボニッツォーニ (cond., org) ラ・リソナンザ 〈Glaossa : GCD921505〉

本当に疲れ切った時、私は音楽を聴くことはまずない。却って疲れる。最近、たっぷり音楽に浸りたいと思うことが激減したのは、実は徒にストレス量だけが増大したせいなのかもしれない。
比較的のんびり聴きたい時の音楽は、やはり古典期以前の器楽曲になってしまうようだ。印象に残った古楽系では、このサンマルティーニ、ホロウェイによるシュメルツァーのソナタ(ECM)、エドゥアール&エイシェルベルジェルのビーバーの「ローゼンクランツ・ゾナーテン」(K617)あたりだろうか。
サンマルティーニは、複雑さを避けのんびり音の綾を楽しむにはもってこいということで、何度も午睡用にかけて楽しんだ。当盤のほか、ジェステール盤(Accord)も併せて聴いたが、ジェステール盤は元気が良すぎて却って疲れてしまうのに対し、ボニッツォーニ盤は至って軽い質感と遊戯性、また合奏との総和感が爽快で心地よく、明朗闊達な古楽演奏の魅力に富んでいるのがよい。もともと本作品集はオルガンかチェンバロという指定なので、ボニッツォーニはチェンバロがうまいから、ジェステールがやっているように一部チェンバロでやってくれてもよかったように思う。





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