奧座敷同人 2002年の 5 盤





さてはて、本年もまた「奥座敷同人5盤」リリースの季節がやってまいりました。
新譜・旧譜に拘わらず、各人が昨年聴いた中でベストと思える音盤を僅か 5 盤にセレクトいただき、とりまとめたものにございます。この場をお借りしまして、同人の皆様には厚く御礼申し上げるとともに、蘊蓄深き各御仁のセレクション及びコメントひとくさりをご快読いただければ幸甚にございます。
なお、執筆者名をクリックすると記事に飛びます。

店主鞠躬




































斉諧生


2002年の購入量は、CD、LP、SP、DVDとりまぜて1,000枚くらいに及んだ。当然、熟聴した音盤は激減し、ほとんどはさわりを数分ていど聴いた程度、誠に慚愧に耐えない。本稿執筆に至ってようやく通聴したものも多いが、結果として当初の印象が裏切られること少なかったのは幸いだった。

(1) シューマン:交響曲第4番ほか (HMF : HMX-2905255/9)
____クルト・ザンデルリンク(指) ベルリン響


2002年に最も感動した演奏として、ザンデルリンクの告別演奏会ライヴを推す(CDとしては他の演奏と合わせた5枚組で発売)。
ブラームス;ハイドン変奏曲の冒頭、ゆったりと提示されるコラール主題の表情に接して心うたれぬ人があろうか。どこまでも優しく、そして、明るい寂しさを一杯に湛えている…。
内田光子とのモーツァルト;ピアノ協奏曲第24番の厳しく深い音楽を挟んで、シューマン;交響曲第4番まで、音楽は、ひたすら「あるべきように」進行する。
シューマンの第1楽章序奏のズシリとしたトゥッティ、主部に入って堂々たる行進と緩徐主題のレガートな美しさ、そして重厚な終結。最上級のブラームス演奏にも似た、秋の景色が眼前に広がる。
「美しさ極まって哀感至る」趣の第2楽章やゴツゴツしたドイツ正統派の味わいを持つスケルツォも素晴らしいが、クライマックスはスケルツォ終結からフィナーレ序奏にかけて訪れる。
万感の思いをこめて引き延ばされた木管の歌が鎮まる淵から弦が最弱音で歩み始める、その息を呑む緊張感! 「強いピアニッシモ」という逆説が逆説でなくなる、まさに永遠を思わせる瞬間である。
かつて東ドイツ(当時)の地味な指揮者としか認識されず、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したブラームス以外にはほとんど重んじられる録音もなかったザンデルリンク。
音楽生活の最後の最後、2002年5月19日のベルリン・コンツェルトハウスで花ひらかせた神品のような演奏が、一人でも多くの人に聴かれることを願ってやまない。


(2) ステーンハンマル:劇場のための音楽 (STERLING : CDS-1045-2)
____アルヴォ・ヴォルメル(指) ヘルシングボリ響


2002年中にリリースされた新譜の中で、最も喜びを与えてくれた音盤。
作曲者の創作活動の晩年を彩った、ヨェーテボリのロレンスベリ劇場での仕事のうち、これまで音として聴くことのできなかった『夢幻劇』(ストリンドベリの戯曲による)や『お気に召すまま』・『ロミオとジュリエット』(もちろんシェークスピア作品)のナンバーが、抜粋の形ではあるが、耳にすることができた。
そして、単なる稀少価値に留まらず、彼の気品ある音楽を堪能できる優れた演奏によって届けられたことを、心から喜びたい。
なかんずく『お気に召すまま』の第12番「プレスト」は、わずか1分40秒の音楽ながら、名作「セレナード」第1楽章を思わせる、切ない抒情を湛えている。


(3) ベートーヴェン:交響曲第9番 (LIVE NOTES : WWCC-7430)
____高関健(指) 大阪センチュリー響


2002年に最も素晴らしい演奏会を提供してくれた指揮者として、高関健の名前を挙げたい。
3月の「春の祭典」(大阪フィル)の水際だった指揮もさることながら、5月のブルックナー;交響曲第4番(大阪センチュリー響)の精緻かつ造型堅固な音楽は彼の大器ぶりを十二分に示していた。6年間にわたって常任指揮者を務めた大阪センチュリー響を年度末で離任するのは痛惜のかぎりである。
両者の協働関係の精華として、足かけ3年に及ぶベートーヴェン;交響曲チクルスの掉尾を飾った「第九」のライヴCDをお聴きいただきたい。
曲頭、第1ヴァイオリンが出す主題の断片だけからでも、フレージングが緻密に磨き上げられ、音色が冴えに冴えていることが聴きとれるだろう。
全曲を通じて、美しく緻密な弦合奏、内声部や木管楽器の動きが埋もれずに聴き取れるバランスの妙、まことに清新で引き締まったベートーヴェンである。
ベーレンライター新全集版に準拠したとか、室内管編成でヴァイオリンの対向配置を採用したとかいった外形的な要素だけの問題ではない。9曲を演奏する中で、指揮者の意図がオーケストラに浸透しきった結果であろう。
そしてフィナーレ終結では、絶妙なテンポ・ダイナミクス設計が、初めてこの曲を耳にするような興奮を聴き手の胸に沸き立たせる。ここだけでも高関の非凡な才能は明らか、もっと大きな舞台での活躍を期待せずにはいられない。


(4) ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』第1幕 (TDK : TDBA-0017)
____ハンス・クナッパーツブッシュ(指) ウィーン・フィル


2002年は、DVDの普及に伴って、発掘された映像も多かった。斉諧生にとってはマルケヴィッチと日本フィルの演奏やヨッフムの来日公演でのブルックナー、シュミット・イッセルシュテットの『フィガロの結婚』などが貴重なものだが、演奏内容として群を抜いていたのが標記の1枚。
カメラが歌手を追いがちでクナの指揮振りを堪能できないのは残念だし、1963年のものとしては音声のクオリティに不満もある(けっして聴きづらいわけではない)。
しかしながら、演奏の白熱ぶりは、ワーグナーの楽劇にさほど親しんでいるとはいえない身にも、ひしひしと感じられる。約70分弱、金縛りにあったようにTVの前から動くことができなかった。ワーグナーの好きな人なら、熱を出してしまうのではないか。
往年のウィーン・フィルの音色、合奏の素晴らしさも特筆しておきたい。


(5) ブルックナー:交響曲第8番 (BBC LEGENDS : BBCL-4086-2)
____レジナルド・グッドオール(指) BBC響


2002年に出版されたクラシック音楽関係書籍のベスト・ワンとして、山崎浩太郎『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』(洋泉社)、すなわちイギリスのワーグナー指揮者レジナルド・グッドオールの評伝を推す。
66歳にしてようやく認められるまでの雌伏と復活の劇的なドラマ、関係者の性格や人間関係の把握、オペラ後進国イギリスと日本の比較、レコード産業や国の芸術振興政策といった歴史的状況を絡めた叙述は、まさに一読三嘆せざるをえない見事な出来栄え。
このCDは、出版に先だってリリースされた、1969年9月3日のロイヤル・アルバート・ホールにおけるライヴ録音である。
グッドオールが親炙したクナッパーツブッシュの録音より演奏時間が長く、まことに悠々たるテンポを取るが、音楽が少しも停滞しないのはさすが。要所要所での「タメ」やリタルダンド、金管の雄壮な咆哮や木管の可憐な歌が、ブルックナー好きの琴線をかきむしる。終楽章コーダでの大減速に至っては、随喜の涙を誘うものだ。
惜しむらくは弦合奏に厚みがなく、対位法の立体感を表出しきれていないこと。イギリスのオーケストラの通弊か、あるいは録音の加減か。





浮月斎


死に近づいただけで、何の華も咲かぬ、詰まらぬ 1 年であった。頽廃した日常に対するアンチテーゼか、音楽や文学は、陰惨な情念、暴力的エネルギーの発露にその活路を求めた気もする。風琴以外の泰西古典音楽では、ほぼ赴く儘の出鱈目な跛行となり、系統立てて買う状況になかった。古典で買ったものは全て聴いた程度の購入量(?)なので、さしたる収穫もなく、気になったところでは、ルーセルの室内楽、ミトロプーロス、Urania のジョルジュ・セバスチャン、エルネスト・ブール、ケーゲルの Weitblick の幾つかと「アルルの女」再発くらいか。あ、件のシナファイも。でも、内緒で「君のベストワンは何か」と尋ねられたら、 1903 年にプーニョがアップライトピアノで蝋管録音した復刻をこっそり挙げると思う。「古典演奏って何だ? 音楽って何だ?」という解のひとつが、この録音にあるのじゃなかろうか。
今回は中途半端な加減で取り上げても申し訳ないので、全編、風琴ものにて御免。アラブ歌謡、マロン派やコプトの典礼音楽から高瀬アキの新譜を始めとするフリー系まで、古典以外の方が面白いものが色々あったが、こちらも遠慮しておく。なお、吾が神様だったキース・エマーソンの期待のソロ新譜は、残念ながら期待に適わず。


(1) Hommage à Maurice Duruflé (Calliope : CAL 9939 )
____Thierry Escaich (org), Cambridge Voices


年末年始にティエリ・エスケシュの録音に我が耳が席捲されて了ったため、2 盤もエントリとなった。
エスケシュによるデュルフレ・トリビュート。ジャズでなくとも、トリビュートとはかくありたいものだ。「組曲」op.5 は、オルガン演奏に於ける単なるテクスチュアの見本市に非ず。この曲の本質的ダイナミクスを徹頭徹尾引き出したこの演奏は、他に類例を見ない凄絶さを剔抉する。4 つのモテットに応唱する即興も見事だが、デュルフレ採譜によるトゥルヌミールの即興は、決して譜面辿りのための小品ではなく、演奏者個々による即興的な音楽性の取り戻しこそが必要と改めて感じさせて呉れる。なお、当盤を聴いたのは、今年の年頭なので正確にはエントリ除外だが、ご容赦。


(2) Thierry Escaich : Improvisations (Chamade : CHCD 5635 )
____Thierry Escaich (org)


昨年聴いた風琴即興演奏の中で、イチオシはやはりエスケシュ。彼の持ち味は、振幅の激しい情念表現と迅速膨大な伝統書法の処理能力である。これは 4 主要聖務 (Office) に資する即興録音で、ここではその暴力性は勿論のこと、スパコンのような音楽形成の演算能力の方に驚嘆する(さすがは、パリ音楽院で 8 プルミエ・プリ取得の怪物だ)。
多様な伝統書法の包摂を実現しながら、風琴を多彩なパラメータでダイナミックに操縦してゆく。風琴演奏では難しい細かなデュナーミクの技法は、全く見事なものだ。中でも「聖週間(Semaine Sainte)」の 3 つの即興が特に素晴らしい。彼の持ち味は、視覚イメージにもよく訴求する点で、大変わかりやすい音楽であるが、激しい情念の波には、恐怖を覚えてくるかもしれない。


(3) Jean Langlais : Improvisations ( FESTIVO : 6951842 )
____Jean Langlais (org)


昨年聴いた風琴即興では、トップにエントリすべきと考えていたジャン・ラングレは、年末で 2 番目になってしまった。ラングレ最晩年にあたる、86、87 年のミサから、グレゴリアンに基づく 5 つの即興演奏を拾遺した録音。これほど複雑変幻で濃厚な即興も珍しい。しかし一方で、作品以上に掴みどころが困難でもある。これらは予測不可能な「意外性」に富み、音楽は自在に伸縮、分断と接合を繰り返しながら、壮麗な伽藍と化してゆく。
作品以上に jazzy な感性と伝統的典礼音楽が混淆した感覚すら受けてしまう。ラングレが今一つ人気薄の理由は、このような掴みにくさのためかと思われるが、即興演奏に関しては、オルガンという楽器の音色・音響を知悉した上での、ユニックな improvisator でもあったラングレの貴重な記録である。


(4) L'âme en bourgeon : Hommage à Olivier Messiaen (Rejoyce : JOYCLASSIC 004)
____Catherine Salviat (récitante), Naji Hakim (org)


メシアンの母、セシル・ソバージュの詩『芽生える魂』に基づくナジ・ハキムの即興演奏。実は、メシアン本人による同じ即興演奏(勿論、即興なので音楽内容は全然別)の録音もある。メシアンの即興は今一つ冴えなかったが、同じトリニテ教会でのハキムの録音は、先達の轍に全くはまらず、詩想をよく映じた想像力豊かな即興で、音色の明るく美しい彩りが彼らしく見事だ。それにしても、ハキムがこのコンセプトを取り上げたとは全く意外であった!
昨年 2 月に初来日し、素晴らしい演奏を聴かせて呉れたハキムだが、自作自演の妙味は格別ながらも、またこのようなコンセプチュアルな即興も、作品の創造力に塁を摩す充実したものである。昨年のハキムの中では、Aeolus の「l'Orgue Stahlhuth」とともに高く評価されるべき録音であろう。
なお、詩の朗読とオルガン即興の組み合わせは、実に想像力溢れるコラボになることがわかった。昨年では、エーベンによるコメニウスの『世界の迷宮と心の桃源』(Clarton)、エスケシュによるクローデルの『十字架の道行き』(Calliope)も甲乙つけがたい出来映えであった。


(5) Henri Carol : Œuvres pour orgue (SOLSTICE : SOCD 173)
____Gabriel Marghieri (org)


マルギエリによるアンリ・カロル集。聴き返す度に独特の心地よさがあり、今夏はこれを聴きながらよく昼寝した(笑)。その音返し、いや恩返しにエントリした。簡単明瞭に特徴づけると、これらは「現代のノエル」と言えるだろう。どれも皆、南仏の宗教音楽に通底する明るい色調を持つミニアチュア的な汎調性音楽で、聴きやすさだけでなく、その風情の悦楽が耳をくすぐる。いにしえのノエルの世界が南の陽光に浴し、現代に転生してきたかの気分だが、私には古い時代のノエルよりずっと心地よく耳に響く音楽である。マルギエリも、パステルのような音色感に佳い味を持つ。





工藤


音楽の聴き方、楽しみ方は人によって様々だろうが、僕の場合、どうも“熱いドラマ”に対する執着が強いようだ。最近話題になる演奏家や音盤は、響き、リズム、奏法、楽譜といった細部に拘泥しているといった感が強く、いくら理論的に造形がしっかりしていても、鳴っている音楽に心奪われることがない。決して懐古趣味に走るつもりはないのだけれども、結果として陳腐な5盤になったことをご容赦願いたい。

(1) シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」&ブラームス:ピアノ四重奏曲全曲
____フェスティヴァル四重奏団(BMG-RCA : BVCC-37326〜27)


年初に発売されたこともあり、新たに入手したものとしては年間を通して最もよく聴いた音盤である。極上の室内楽が持つ愉悦を存分に味わうことができる名演。渋みのあるくすんだ感触の輝かしさをもった響きが、いかにも作品にふさわしい。手堅い楽曲解釈に基づいた構成感のある仕上がりも素晴らしいが、この団体の魅力は主要主題の展開よりもむしろ、さりげなく登場する経過句のしっとりとした情感表現にある。これは演奏曲目の特性ともよく合致している。ゴールドベルグ、プリムローズといったビッグネームを擁しながらも、いかに彼らが“気の合った仲間”であったかがわかる。僕が何度も繰り返し耳を奪われたのは、「ます」第二楽章中間部のヴィオラ。これぞ音楽、というような音。

この復刻シリーズ(RCA RED SEAL Vintage Collection)からは同時に、ジュリアード四重奏団によるベルクの「抒情組曲」他(BMG-RCA : BVCC-37328)もリリースされた。こちらは今さら僕がコメントする必要などない、定盤中の定盤。


(2) ショスタコーヴィチ:交響曲第7番
____ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(Weitblick : SSS0028-2)


2002年に発売されたショスタコーヴィチ作品の音盤中、間違いなく最高の位置を占めるといって過言ではない超名演。もちろん、ライヴであることに加えて技術力がさして高くないオーケストラだけに、瑕は多い。この演奏の凄さは、下手くそなオケを締めあげて、いわゆる“爆演”を成し遂げるといったところにあるのではない。ひとえに、ケーゲルの卓越した楽曲解釈が、この演奏を超名演たらしめている。本作品といえばやはり「ちちんぷいぷい」の第一楽章が有名で、展開部後半の巨大な音響を期待する聴き手が多いのは事実。実際、それで感覚的な満足は十分に得られるに違いない。しかし、それでは全曲で70分を超えようかという長大な作品を聴き通すことは辛い。バーンスタインのDG盤のように、圧倒的な情念のうねりで聴かせる方法もあるだろう。スヴェトラーノフのように、地鳴りのする響きを体力に任せて次々と繰り出す方法もあるだろう。ここでケーゲルは、(意外にも)誰も成し遂げることのできなかった“交響曲”としてまとめあげることに成功している。各楽章毎にドラマが完結するのではなく、全4楽章を貫くドラマが表出されているのだ。第二楽章がこれほどまでに意味深く響いた演奏は、他にない。そして、第三楽章の多彩な内容。胸をかきむしるような情感、戦慄をおぼえる静寂、不安、希望、美化された過去…。“不幸”とは何かを知り尽くした人間でなければ、このような音楽は奏し得ないだろう。この楽章があるからこそ、あの第四楽章が成立するということを、恥ずかしながら僕はこの演奏で初めて知った。

ケーゲルといえば2002年最大の話題は、「アルルの女」組曲の再発(Berlin Classics : 0094772BC)だろう。音楽の美しさとは何か、と問われれば、黙ってこの音盤を差し出せばよい。そこに、今さらながらようやく入手した「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(Deutsche Schallplatten : TKCC-15112)を添えるのは、蛇足であろうか?


(3) ショスタコーヴィチ:交響曲第6番&ヴァイオリン協奏曲第1番
____ダヴィド・オイストラフ(Vn)、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(Altus : ALT046)


ライフワークであるショスタコーヴィチ作品の音源蒐集は、2002年も変わらず続いた。最新録音としては、ハーン独奏のヴァイオリン協奏曲第1番(Sony : SK 89921)が注目に値する出来だったが、オーケストラに不満が残るので、ここではコンドラシンの日本公演ライヴを取り上げる。わが国で当時こんなプログラムの演奏会が行われ、こんな音楽が鳴り響いていたのだという歴史的価値を無視したとしても、やはりこれだけの水準に達した演奏は、そうはない。特に交響曲第6番の隙がない緻密かつ豪放な音楽は、ソヴィエト音楽の楽しみを最良の形で具現化しているといえるだろう。ヴァイオリン協奏曲は、少々オイストラフが不調のように感じられるのが惜しいが、それはあくまでも彼の他の録音と比較した上での話であり、当たり前のように紡がれるフレーズの端々に、数多のヴァイオリニストを寄せ付けない貫禄と凄みが満ちている。

過去の名盤の中では、ミトロプーロスの交響曲第5番(Sony : S2K89658)とアンチェルの交響曲第10番(DG : 463 666-2)の復刻が目立った出来事だろう。どちらも、今さら何かを付言する必要のない名演。ニューヨークPOデビュー直後の若きバーンスタインによる交響曲第5番の放送音源(Symposium : 1295)というのも登場した。僕は好きなタイプの演奏ではないが、それなりにおもしろい。

他に、あまり知られない楽曲の初録音もいくつか発売された。Delosレーベルからリリースされた「歌曲全集」の第1巻と第2巻(Delos : DE 3304/3307)は、René Gaillyレーベルの企画を引き継いだものだが、「レールモントフの詩による2つの歌曲」と「ギリシャの歌」という作品の世界初録音が収録されている。未発表作品「フィンランドの主題による組曲」(BIS CD-1256)の登場も注目された。「1930年代」というアルバム(Mandala : MAN 5039)には、「ジャズ組曲第2番」が含まれている。キューブリック監督の「アイズ・ワイド・シャット」にも使われた、シャイー指揮のアルバムで有名になった同名の作品はまったく別の素性のもので、今回録音されている楽曲が“真正な”「ジャズ組曲第2番」ということらしい。ただし、ピアノ・スコアしか現存しておらず、イギリスの音楽学者マクバニーが編曲している。このように紹介すると、「皆さんの知らない曲にも良い作品がまだまだいっぱいあるのですよ」と主張しているように受け取られるかもしれないが、残念ながら、この作品はつまらない。「チェンバロ・レボリューション」(tamayura : KKCC 3004)というアルバムには、映画音楽「ハムレット」の中から「オフィーリアの踊り」というチェンバロ・ソロのための小品が収録されている。こちらは、どこからどう聴いてもショスタコーヴィチ節全開で、大変おもしろい。


(4) シューマン:交響曲第4番他 (harmonia mundi : HMX 2905255.59)
____クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団


“最後の巨匠”の引退公演のライヴ録音を含むBOXセット。セットとしてはやや散漫な構成ではあるが、このシューマンを含む引退公演が凄い。僕にとって、K.ザンデルリンクは(失礼ながら)ショスタコーヴィチの交響曲第15番のスペシャリストという位置付けであり、“最後の巨匠”だから、“引退公演”だから、といってさしたる思い入れはない。それでも、ここで鳴り響く弱音にはちょっと形容する言葉が見当たらないほどに、ただただ圧倒された。そう、弱音ではあるが、確かに“鳴り響”いている。安易に熱狂することを許さないその崇高さに、僕は夢中になった。


(5) J. S. バッハ:フーガの技法 (Yedang : YCC-0143)
____ルドルフ・バルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団


Yedangレーベルの登場も、2002年の大きな話題であった。が、大半はRevelationやRussian Discと同じ音源が多く、結局元を辿ればMelodiya音源ということで少々期待はずれ。“KGB仕込みの雑音除去システム”というのも、聴いた範囲ではあまり大した効果がないようだ。
などと悪態をつきつつも、未聴のタイトルが発売されれば聴かずにはいられない。中でもこの音盤は思わぬ拾い物。彼らのバッハは、今となっては噴飯ものの演奏様式なのだろうが、その極めて完成された演奏には十分に説得力がある。当時のバルシャイには「仏造って魂入れず」といった傾向があるが、この作品においてはそれがプラスに作用していると言って差し支えないだろう。ここでバルシャイがショスタコーヴィチから聞いたという「バッハだけはどう演奏しても素晴らしく聴こえる」という言葉を引用するのは悪意以外の何ものでもないが、騙されたと思って一聴されることをお薦めする。

本年の“5盤”は以上だが、実は2002年に楽しんだのはDVDで発売された映像作品の方が多い。ドキュメンタリーとしては、チャイコフスキー国際コンクール(Triton : DIBC-45001 ; DVD)とエリザベート王妃国際コンクール(Cypres : CYP1105 ; DVD)のドキュメントが実に面白かった。LDで既発のモンサンジョン監督によるオイストラフ(Warner : WPBS-90093 ; DVD)とリヒテル(Warner : WPBS-90104 ; DVD)のドキュメントも何度なく見た。またEMIからリリースが始まったシリーズからも目が離せない。レオニード・コーガンのもの(EMI : DVB 4928359 ; DVD)やロストロポーヴィチ&リヒテルによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集(EMI : DVA 4928499 ; DVD)は文句なしに素晴らしい内容だ。また、年末に話題になったクナッパーツブッシュ指揮ウィーンPOの2点も堪能した。特にワーグナの楽劇「ワルキューレ」第1幕(TDK : TDBA-0017 ; DVD)は凄いの一言。このご時勢、収録にただの録音よりも経費がかかる映像作品の新作はなかなか出ないだろうが、可能な限り活発にリリースが行われることを望みたい。





鈴木


2002年の5盤・・・と言っても、2002年に新譜で出た5盤というよりも、2002年に聞いたCD、と言う方が合っている・・・、というか、最近では購入するCDは中古がほとんどで、新譜はあまり購入しなかったし、新譜で買ったものの中で「お!これはなかなか・・・」というCDにはあまり出会えなかった。DVDプレーヤーを購入したので、古い映画作品などに、CD購入予算が回っている、ということも大きい(^^;。
結局、2002年の小生はヴァーグナーに明け、ヴァーグナーに暮れた年で(2003年はさらにヴァーグナーの泥沼にはまりこんでいるが)、クレメンス・クラウスを再発見した年でもあった。

恥ずかしい話、入手しにくかったと言う理由もあるが、クレメンス・クラウスのヴァーグナーを、今まで真剣に聞いたことがなかったのだ。1953年の「ニーベルングの指環」や「パルジファル」のバイロイト・ライヴを聞くにつけ、ナチシンパであったクラウスの音楽を、色眼鏡をかけ、矮小化して聞いてきたなと言う印象が強い。
さらに、カラヤンのバイロイト・ライヴ(1951〜1952年)をあれこれを聞くにつけ、カラヤンのバイロイトでの業績が一変して聞こえるようになってしまった。カラヤンのバイロイトというと、1951年の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」がEMIからリリースされているが、MYTOから出たCDは、音がまったく違った。CDとしては、EMIの方がいいのはむろんだが、音を整音し過ぎたためか、そのライヴから聞こえる「本物の質感」のようなものが、こそげ落ちてしまった感がぬぐえない。「マイスタージンガー」は、MYTO盤で聞くべきだろうし、1951年「ラインの黄金」や、1952年「トリスタンとイゾルデ」も、次々とGOLDEN MELODRAM盤、URANIA盤、MYTO盤がリリースされている(正規にリリースされたバイロイト・ライヴは、1951年「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲と、1951年「ヴァルキューレ」第3幕)。
自分の好みに合った新譜CDを聞くと、聞き始めからビリビリと痺れるような感じに襲われることがある(^^;。そして、そのCDをしばらく他のCD群とは別の場所に置いたりする。2002年は、そのような特別扱いできるCDはあまりなかったということか。

(1) ウィーン芸術週間 1962 :ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番ほか (TDK : TDBA-0016 ; DVD)
____ウィーン芸術週間 1963 :ヴァーグナー:「ヴァルキューレ」第1幕 (TDK : TDBA-0017 ; DVD)
____ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


今まで、多くの音楽評論家諸氏やファンたちは、憶測でクナの指揮姿を書いてきたと言ってもいい。吉田秀和氏や岩城宏之氏の著作に書かれている内容が一人歩きし、みな好き勝手に書いてきた。それまで、クナの指揮姿に触れる機会がなかったのだから仕方がない。これらのDVDを見て分かるとおり、クナは小男でも必要以上に棒の振幅が小さな指揮者でもなかった。百聞は一見に如かず。この2つのDVDを見ると、クナがどういう指揮をしていたのか、実によく分かる。

どちらも、アン・デア・ウィーン劇場での収録で、オーケストラはウィーン・フィルである。特に、ヴァーグナーが凄い。「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死における全身を使ったクナの表現と自然に呼吸する管弦楽、最後にニルソンの息が続かなくなってしまう箇所はあるものの、実に見事な「トリスタンとイゾルデ」だ。「ヴァルキューレ」第1幕は、カメラはクナの指揮姿よりも歌手達に焦点を合わせている時間の方が長いが、それでも、その最後に音楽が白熱して燃え上がるかのようなオーケストラ、ジークムントとジークリンデはさすがに凄った。

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番での確信を持って遅く指揮棒を振るクナや、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番でのバックハウスとの共演も、ずれているようでお互いに歩み寄ろうとしている姿勢が実に面白かった。
モノクロの映像、モノラル録音で、昨今の豪華絢爛のクラシックDVDやテレビ映像からすると、かなり貧弱な印象は否めないが、それでもクナ最晩年のヴァーグナーの映像を見ることができる、ということは大きな福音である。
詳細は、
http://www.syuzo.com/new-information/information004.html


(2) ヴァーグナー:「ニーベルングの指環」全曲 (GALA : 999791)
____ヴァーグナー「パルジファル」全曲 (ARRECCHINO : ARLA18-A2)
____クレメンス・クラウス指揮バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団&合唱団


「ニーベルングの指環」は手前のホームページの常連さんからいただいたもの、「パルジファル」はYahoo!オークションで入手したものである。「パルジファル」は、かなりの出費を覚悟したが、競合相手が現れず、けっこう安く入手することができた。
クナは、1953年のバイロイトにはヴィーラント・ヴァーグナーとの意見の相違から出演せず、クレメンス・クラウスが替わりにメインの指揮者になった。ヴィーラントは、クラウスを1954年以降もバイロイトのメイン指揮者として据えたかったようだが、1954年5月、クラウスは楽旅先のメキシコ・シティで倒れ、亡くなってしまう。クラウスの替わりに、懇願されてバイロイトに急遽やってきたのはまたまたクナだった。第2次大戦前の、ナチが政権を奪取してゆく中で、クナはナチによってミュンヘン州立歌劇場音楽監督の地位を剥奪され、その後を襲ったのがナチの息がかかったクラウスだった言うこともあり、クナとクラウスを天敵同士のように扱っている解説書もある。ただ、当時は師弟関係ででもなければ、指揮者同士あまり仲は良くなったらしい。指揮者はお山の大将であり、それぞれの指揮者の音楽が自立して他の指揮者よりも優れている、と自負しなければならなかった。そうでなければ、指揮者としての威厳も体面も保てなかったと考えられる。指揮者は、メダカのように群れてはならない職業音楽家なのだ。まぁ、聞き手である我々には、それぞれの指揮者の個性を聞き比べることが、音楽を聞く大きな楽しみのひとつでもあるのだが。

隠棲してしまった指揮者オトマール・スウィトナーはNHKのインタビューを受け、その回想の中で「一番指揮がうまかったのはクレメンス・クラウスで、その次がクナだった」という趣旨のことを語っていた。日本では、クラウスはウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの創始者として、「しゃれていて、粋な音楽をやる」というステレオ・タイプのイメージがつきまといがちだが、その残された遺産を聞いていると、聞き手である我々がそのイメージに安住することは、とんでもない間違いであることに気づく。クラウスは、傑出したオペラ指揮者のひとりであり、ドイツ音楽を中心として、実に鮮やかに音楽を鳴らすことのできた大指揮者だった。

このふたつのクラウスによるバイロイトの記録は、クナとはずいぶん個性は違うものの、実に見事なヴァーグナーを聞かせてくれる。http://www.geocities.com/vioricaursuleac/を見ると、クラウスの1953年夏は、バイロイトとザルツブルクを行ったり来たりで、大変なスケジュールをこなしている。翌1954年5月16日のメキシコ・シティでのコンサートを最後に亡くなってしまうので、生き急いだ観がなくもないが、その創り出される音楽は、非常に分かり易く、それでいて下世話にならない。クナのヴァーグナーの音楽は、まるで音楽自体が生命を持つかのような重い呼吸感が独特だが、クラウスのヴァーグナーは明るく息づき、音楽の持つ感動を素直に知らしめてくれる。「ニーベルングの指環」4部作、「パルジファル」とも、ライヴ特有の演奏の傷はあるものの、素晴らしい記録である。
これだけ素晴らしい記録なのに、なぜかマイナーレーベルからしかCD化されたことがない。どこかのレーベルが正規発売しないものか。


(3) ヴァーグナー:
  • 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲 (MYTO : 022.H068)
  • 「ラインの黄金」全曲 (URANIA : URN 22.206)
  • 「トリスタンとイゾルデ」全曲

  • (GOLDEN MELODRAM : GM 1.0054) , (MYTO : 021.H061) , (URANIA : URN 22.218)
____ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団&合唱団

これだけで大物オペラのCDが5セットだが、クナのヴァーグナーを聞いていると、他の指揮者のヴァーグナーも聞かなくてはと言う強迫観念に駆られ、その上で「発見」していってしまった悲しいサガの産物だ。
カラヤンは、第二次大戦後復活したバイロイト祝祭歌劇場で、1951年と1952年に出演した。1951年は、人類の偉大なる遺産とまでいわれるフルトヴェングラーのベートーヴェン:交響曲第9番の特別演奏会の他は、クナとカラヤンがヴァーグナーの楽劇を指揮した。1952年は、ヨーゼフ・カイルベルトが加わり「ニーベルングの指環」を指揮している。それぞれの年の出し物と指揮者は以下のようになる。

1951年
  • ベートーヴェン交響曲第9番:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  • パルシファル:ハンス・クナッパーツブッシュ
  • ニーベルングの指環:ヘルベルト・フォン・カラヤン、ハンス・クナッパーツブッシュ
  • ニュルンベルグのマイスタージンガー:ヘルベルト・フォン・カラヤン、ハンス・クナッパーツブッシュ
1952年
  • パルシファル:ハンス・クナッパーツブッシュ
  • ニーベルングの指環:ヨーゼフ・カイルベルト
  • ニュルンベルグのマイスタージンガー:ハンス・クナッパーツブッシュ
  • トリスタンとイゾルデ:ヘルベルト・フォン・カラヤン
カラヤンは、ヴィーラント・ヴァーグナーと決別、1953年以降にバイロイトのオケピットにもぐり込むことはなかった。
後年、カラヤンは自身の組織したザルツブルク復活祭音楽祭で、ヴァーグナーを自分の理想と考える演出で上演した。
カラヤンのバイロイト・ライヴは、正規にはEMIの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と「ヴァルキューレ」第3幕しかないが、「ニーベルングの指環」全曲はHUNT/ARKADIAや、その他のレーベルからCDでもリリースされていたのだそうだ。
小生は、まずEMI盤「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を聞き、「なんじゃ、これ」と思ってしまった。そのライヴの割にはあまりに整音され過ぎた音、レモンの絞りかすのようなフレーズ、ヴァーグナーではなく、ヴェルディやプッチーニ、R・シュトラウスでのオペラでも聞いているような響き。ヴァーグナーの楽曲に対する愛情やリアリティは微塵も感じられなかった。まるで、帝王カラヤンの(まだ帝王と言われる前の録音だが)、お説教を延々と聞かされているようなイヤミたっぷりな演奏に聞こえてしまった。 小生、「これはダメ演奏だ」とレッテルを貼ってしまった。

ところが、CD屋に行くと、同じ年の「ニュンベルクのマイスタージンガー」が別のレーベルでリリースされているではないか!正規録音が発売されているのに、なぜMYTOなどが同じ録音を発売しているのだろう?と不思議に思いつつ、購入してしまった。
そして、たまげた。音の物理的特性はEMI盤の方が遙かにいいのに、MYTO盤からは、しっかりとカラヤンのヴァーグナーに注ぐ愛情が感じられるのだ。これは、EMIの録音エンジニアがプロデューサー、ウォルター・レッグの細君エリーザベト・シュヴァルツコップの歌を上手に聞かせようとこねくり回して加工した音ではなく、放送録音かバイロイト・アールヒーフそのままの音だろう(多分、放送録音)。
EMI盤が、原石を磨きすぎてガラス玉に変質させてしまった音(原石がガラス玉になるようなことはないが、もののたとえで^^;)だとするなら、MYTO盤は原石そのものながら、本物の宝石の質感を持っている。
MYTO盤からは、ヴァーグナー演奏史に革命をもたらし、バイロイトの聴衆を驚愕させたカラヤンの姿がしっかりと見える。
カラヤンのヴァーグナーを見直してしまった。
CD屋に行くと、「ラインの黄金」や「「トリスタンとイゾルデ」も出ているではないか!結局、「トリスタンとイゾルデ」だけで同じ録音の別レーベルを3セット購入してしまった。
カラヤンの後年の録音やショルティ盤のような音の良さは全くないが、「生きたバイロイトの記録」として、カラヤンの覇気に富んだ頃の録音として、これらの記録は素晴らしかった。

(4) モーツァルト:ディベルティメント集 (ERATO : WPCS-21028)
____トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団


これは国内廉価版である。2002年に買ったものか、その前年に買ったものか判然としない(^^;。それでも、2002年にモーツァルトの演奏の可能性と、その清々しい演奏の美しさによく聞いたCDだ。確か、出張中に地方都市のショッピングタウンで購入したものだ。
トン・コープマンは、ずっと以前にオルガンでのコラール・プレリュードを聞き、小生が好きなヴァルヒャやリヒターとはまるで異なる軽く明るいオルガンの音色、どこまでもコロコロと転がるような装飾音の扱いに反発して、あまり好きな演奏者ではなかった。元々、コープマンの師匠であるグスタフ・レオンハルトの息が詰まりそうな演奏も好きではなかったので、その流れがダメなのかも知れない・・・と、思っていたら、コープマンがTELDECで進行しているバッハ・オルガン曲集成の録音をいくつか聞き、逆に最近ではコープマンの演奏が好きになりつつある。

小生はクナの大ファンを標榜している関係上(^^;、ピリオド楽器(これはもう死語?)による演奏が全て良し、とは思えない頭の固い人間だ。特に、ベートーヴェンの交響曲第3番以降の演奏は、逆にピリオド楽器ではダメなのではないか、と考えているところは古くさいヒューマニズムから脱却できていないからか(^^;;;;。
それでも、モーツァルトの弦楽合奏でのディベルティメントやセレナーデは、ホグウッドやアーノンクール盤をはじめとして(その前は、コレギウム・アウレウム合奏団の演奏があったな)、ピリオド楽器の演奏で実によく聞いてきている。中には、よく分からないレーベルや演奏家のものがあったりして、結構マニア気分で楽しんだりしているが、その中でも、このコープマンの廉価版は傑出して良かった。
ネアカなコープマンの個性が、オーケストラのくすんだ響きに中和されたとでもいうのか、清々しいのだけど、それだけではない陰影のようなものが感じられ、大人の表現として、実に見事なモーツァルトが聞ける。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の小生のフェヴァリッツは、クナの1944年録音を別格にすれば(^^;、TELARCのマッケラス盤と、オワゾリールのホグウッド盤だが、コープマンはその両者ともまた異なる「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を聞かせてくれる。各フレーズの息づかいが素晴らしい。ゆったりとした呼吸感を感じ取れる「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」で、ピリオド楽器の音色の魅力もあり、数ある「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のCDの中でも、最も優れた録音のひとつだろう。


(5) Overture : KAO(vn) (GREEN ENERGY : GECA 1081)

このCD、実は2003年に入って聞いたのだが、下手をするとヴァーグナーばかり5盤選んでしまいそうなので、無理矢理5盤の中に入れた(^^;。2002年リリースのCDなので勘弁してくれ(^^;;;;。
現在、ヴァーグナーの楽劇で耳と頭を痛めつけながら(ヴァグネリアンにとって、本当はこれほどの法楽はないのだが^^;)、その合間に一番よく聞くCDだ。
これは、クラシックのCDではない。ミュージカルナンバーをクラシックの室内楽曲風にアレンジしてある。小生、普段はミュージカルはあまり見ないし聞かないが、ここに収録されているナンバーはたいがい耳に残っている。

演奏しているKAOさんは女性で、劇団四季をはじめとして、さまざまなミュージカルでコンサート・マスターを務められているのだそうだ。元々、クラシック畑の人で、さまざまなコンテストで入選、どういう経緯でミュージカルを演奏するようになったのかまでは知らないが、多くのクラシック・アイドルの演奏とはまったく異なる。
まず聞いていて感じられるのが、各ナンバーに対する愛情の深さである。譜面を音にしました、と言う幼稚さは全くなく、自然に音楽が紡ぎ出されてゆく呼吸感があり、各ナンバーが手の内にあるためか、戸惑いのない表現が聞ける。しっとりとした情感が豊かなナンバーから、きついアタックのナンバーまで、見事なメロディのエッセンスが詰まっている。なにより、その音程の確かさと、もたつかないテクニック、楽曲やフレーズによって適切に変化するヴィヴラートなどを聞いていると、爽快ですらある。
各ナンバーも、七面倒くさいことを考えずに、その豊かな情感に浸りながら聞けることがありがたい。

あまり、一般的なレーベルからの発売ではないが、1枚でも多く売れることを期待したい。 女性ヴァイオリニストでは、もうひとり川井郁子の「インスティンクト」も良かった。川井郁子は、それまでの2枚のアルバムは小生にはあまり良くなかったのだが、「インスティンクト」には魅かれるところが多かった。
詳細は、http://www.syuzo.com/zatu/zatu012.html
このような、クラシックとのフィールドとは少し距離を置いたところで、自分の表現を深化させるふたりのヴァイオリニストは、今後も注目してゆきたいと思う。 なお、KAOさんの応援ホームページがあり、そこの掲示板にはKAOさん自身も書き込んでおられる。
http://www.keller.co.jp/kao.htm
これは、斉諧生さんに教えていただいた。さすが、チェックが細かい(^^)。





野々村


 昨年は、9月いっぱいまで米国に留学し、ボストン即興シーンのライヴにはかなり足を運んだが、 ディスク購入は『
ExMusica』誌の大友良英論を中心に回っていた感がある。帰国後もディスク購入よりもライヴ通いが中心で、購入枚数はここ数年では少ない方だった。クラシックでも、ギーレンのマーラー8番&シェーンベルク『ヤコブの梯子』 (hanssler, CD 93.015)、エロイカ四重奏団のメンデルスゾーン第2集 (harmonia mundi usa, HMU 907287)など興味深いディスクも幾つかあったが、米国のクラシックCD入荷状況は極めて貧しく、まともなフォローはできなかったので、今回は即興音楽と現代音楽のみのリストアップである。全12部60組を挙げたが、(1)〜(12)の順序は便宜的なもので順位とは関係ない。


(1) 日本の即興音楽:大友良英, Sachiko M周辺
   大友良英:Ensemble Cathode
   (Improvised Music from Japan, IMJ-502)


 というわけで、まずは大友のディスクから。 『Ensemble Cathode』に収められた3曲は、1999年のベストに挙げた『Cathode』と、2001年のベストに挙げた『Anode』の橋渡しをする作品である。大友は、コンセプトを日々刷新して過去を切り捨てていくタイプの音楽家だが、この作品ではコンセプトの展開と録音時期がマッチし、充実した音楽になった。ONJQのライヴもこれに勝るとも劣らない出来だが、このバンドは現在も発展し続けており、今後も取り上げる機会はあるだろう。どちらのディスクについても書き始めるときりがないので、詳細はExMusicaのサイト参照ということでお許しを。Sachiko M (sine waves, contact microphone)のリリースは、Sean Meehanとのデュオ(self-made CD)やKaffe Matthews, Andrea Neumannとのトリオ(Improvised Music from Japan, IMJ-503)など色々あったが、このサマーツィスとのデュオが、非反応型の音楽家との共演という最近の展開の出発点であり、最も聴き応えがある。もう1枚は、吉田アミ(Vo.)の2つのユニットの音源を、Spitzでのライヴを中心に組み合わせたもの。Sachiko MはCosmosの相方である。端正なCosmosと、パンキッシュなAstro Twin(ユタカワサキとのデュオ)の対比が面白い。

・Otomo Yoshihide's New Jazz Quintet: Live (DIW, 942)
・Philip Samartzis + Sachiko M: Artefact (Dorobo Limited Editions, DOR LTD7)
・Astro Twin, Cosmos (F.M.N. Sound Factory, FMC-026/7)


(2) 日本の即興音楽:宇波拓周辺
   michi: norma
   (hibari music, hmcdr-11)


 1976年生まれの宇波は、国際的な評価を確立した杉本拓、 中村としまるらの世代の次代を担う中心人物のひとりである。 彼は1999年にCD-Rレーベル「Hibari Music」を始め、 昨年からCDリリースと一般ディストリビューションに着手した。 どのリリースも興味深いが、まずは宇波(lapsteel G.,laptop)、角田亜人(G.)、 植村昌弘(Ds.)の「ミチ」の初音源から。既成の音形を脈絡なく、 しかしカットアップの快楽は生じないような緩さで見取り図に沿って連結し、 「不毛な音楽」を生み出す。もちろん、分析的に生み出された「不毛さ」は、 無自覚な不毛さとは全く違う。次は、一楽儀光(bowed Cymbal)、 木下和重(Vn.)、宇波のトリオ。音の疎らさが多彩な音色を引き立てる。 杉本拓(G.)、江崎将史(Tp.)、宇波(laptop)のトリオは、 音数も音色も徹底的に切り詰め、絶妙な間合いだけで聴かせる。 大蔵雅彦(A.Sax.)、ユタカワサキ(analogue Syn.)、秋山徹次(G.)トリオのリリースは、 このレーベルの自演にこだわらない視野の広さを伝える。 こちらも音数は少ないが、渋いながらも豊かな音色とダイナミクスが聴きもの。

・Ichiraku / Kinoshita / Unami: cymbal violin lapsteel (hibari music, hmcdr-10)
・Taku Sugimoto / Masafumi Ezaki / Taku Unami: trio at off site (hibari music, hibari-01)
・Masahiko Okura / Utah Kawasaki / Tetuzi Akiyama: bject (hibari music, hibari-02)


(3) 日本の即興音楽:エレクトロニクス
   高柳昌行:カダフィーのテーマ
   (Jinya Disc, B-05)


 このジャンルでの最大の話題は、高柳晩年のソロライヴ「アクション・ダイレクト」の中でも、 彼自身が最も気に入っていたという音源がCD化されたことだろう。ギターノイズは機械的に発生させ、 テープループやオブジェも加えた重層的な音響操作に専念している。 情念的な湿度を振り切り、旋律的ないし和声的な素材も取り込んだ音圧の饗宴は、 90年代のメルツバウとは一味違う、ジャズに土台にしたノイズの完成形である。 これとどちらを採るか、最後まで悩んだのが若手音響ユニットminamoの新作。 安永哲郎(laptop)の抽象的な発振音と杉本佳一の乾いたギターに、 岩下裕一郎の仄かにポップなギターが加わり、音楽の幅がさらに広がった。 無調的で抽象的なプレイは、彼らの一回り上の杉本拓らの世代では既に日常言語だったが、 杉本佳一のプレイに端的に表れているように、70年代末に生まれた彼らの世代になると、 調性的な要素を抒情と切り離して扱えるようになっており、 後期フェルドマンの浮遊感も、いよいよ日常言語に降りてきた。 ユタカワサキのソロアルバムは、高校生時代の自主制作カセットから最近の音源まで集めた、 ベストアルバム的な1枚。近年のライヴで聴ける禁欲的な音選択は、 かくも多様でダイナミックな達成を経た後での新機軸だったのかと納得。 稲田光造と*0も、minamoと同世代の若い音響作家。 稲田は多様な素材と単純な内部構造のバランスの悪さ、 *0は可聴域外の素材を用いるというコンセプトの先に何を求めるかに課題があったが、 ふたりが同時演奏すると、この課題はあっさりクリアされた。 「共演」がここまでツボにはまるのは珍しい。

・minamo: .kgs (360°records, 360R17)
・Utah Kawasaki: utah.mod.radi (Radio, R888)
・kozo inada + *0: b[ ] + 2.7K (v2_archiev, v231)


(4) 日本の即興音楽:その他いろいろ
   音樂美學:音樂美學
   (Bishop Records, EXJP008)


 「音樂美學」は、神田晋一郎(Pf.)を中心とするユニット。 このアルバムの時点では、則包桜(Perc.)とのデュオ編成だった。 即興音楽家集団EXIAS-Jのメンバーでもある神田のピアノは、 音色と間合いに気を配り情念と手癖を極力排除した、「自由即興音楽らしい」もの。 調性的な要素を用いても抒情に流れないあたりはminamoと共通しており、 内部奏法を用いてもこの基本線は些かもブレない。則の打楽器も、 音色と空間性に配慮してパワープレイを避け、神田の美学に呼応している。 鈴木昭男は、日本のサウンドアートを代表する音響作家として国際的にも高く評価されてきた。 従来の音源では、肉体性の残滓が少なからず感じられて興醒めな面もあったが、 今回の2枚組ではそのあたりがきれいに漂白されて彼の良さがストレートに出ている。

 Go There!は、南博(Pf.)、竹野昌邦(Sax.)、水谷浩章(Bs.)、芳垣安洋(Ds.)のカルテット。 ビル・エヴァンズに連なる真っ当なジャズだが、今回のアルバムでようやく、 1999年のベストに挙げたホーンレスの南博トリオに追いついた。トリオ編成では、 Pf.が和声と旋律を一手に担うので、南の硬質で透明な音色の魅力だけで保つが、 カルテット編成になると旋律的要素の大半はSax.に任せることになるので、 作曲ないしアレンジの比重が増す。南博カルテット名義の過去2作からの飛躍は、 竹野の暖かく素直な音色を生かす術を南が掴んだことを意味している。 倉地の音楽は、無理にジャンル分けすればギター弾き語りフォークになるのだろうが、 シュールなイメージと乾いた抒情が両立した詞と、曲ごとに異なった変則チューニングを施し、 詞に即した脱臼が繰り返される音楽は、滅多に聴けるものではない。 今回挙げたのは、数年間探していて見つからなかった1995年のファーストアルバムだが、 昨年の「詩のボクシング」全国大会で晴れて優勝し(彼の才能をもってすれば、出場すれば当然だとも思うが)、 Festival Beyond Innocenceに参加することになったので、会場の物販でゲットできた。

・鈴木昭男:奇集 (HOREN, MIMI-012/13)
・Manam Hiroshi Go There!: Celestial inside (Body Electric, EWBE 0005)
・倉地久美夫:太陽のお正月 (きなこたけレコード, きなこ−2)


(5) 日本の即興音楽:コンピレーション
   Improvised Music from Japan presents Improvised Music from Japan
   (Improvised Music from Japan, IMJ-10CD)


 昨年は、即興音楽のコンピレーションにも収穫が多かった。 Improvised Music from Japanホームページ開設5周年を記念した、 このページで取り上げている音楽家(あるいはユニット)全員の未発表音源集10枚組は、 一番の話題作。Festival Beyond Innocenceの大阪での再開を記念する、 1996〜2000年の最初の5年を振り返ったライヴ音源集も聴きどころ満載。 現在もOff Siteで続けられているふたつのライヴシリーズ: 杉本拓のComposed Musicシリーズ(ここでの「作曲」は、「即興に制限を付けること」を意味している)と、 秋山徹次&中村としまるのImprovisation Meetngシリーズの音源も、 最初のリリースが行われた。即興音楽は、その場限りで終わらせず、 録音してディスク化することで未来につながっていく。

・Festival Beyond Innocence:A Brief History in 67 Chapters (innocent records, FBI 102-105)
・Off Site composed music series in 2001 (a bruit secret, 101/102)
・Meeting at Off Site (reset, 003 / Improvised Music from Japan, IMJ-501)


(6) 現代音楽:今日の現代音楽を支える人々
   Luc Ferrari: Cycle des Souvenirs (1995-2000)
   (Blue Chopsticks, BC8)


 現代音楽のポストモダンの質を支えたカーゲルとグロボカールは、 90年代後半に到って明らかに失速し、時を同じくしてラドゥレスク、 アペルギス、モネ、レヴィナス、ディロンらにも翳りが見えてきたが、 今日でもまだ面白い作曲家は残っている。リュック・フェラーリはその筆頭だ。 米国西部自動車旅行のフィールドレコーディングに基づく新作『Far west News』(1998-99)第1部を含むアルバム (Signature / Radio France, SIG 11014)も素晴らしかったが、1枚に絞るとすれば、 フィールドレコーディングとスライド上映を組み合わせたインスタレーション作品をCD用に編集したこの1枚。 『Interrupteur』『Tautologos 3』の再発(Blue Chopsticks, BC1)に続く、 デヴィッド・グラッブスの個人レーベルからのリリースである。 単独ではかなりポップな電子音と環境音が絶妙なタイミングで呼応し、 70歳を過ぎた現在が、フェラーリのピークなのではとすら思わせる完成度。 昨年1月の初来日時に行われたテープ音楽を中心とする連続コンサートで、 プログラムノートの一部を担当できたのは大きな喜びだが、2003年秋にも再来日が予定されている。 今回は委嘱新作を含むアンサンブル作品が中心になるだろうとのこと。今から楽しみだ。

 若い世代に目を転じると、1968年生まれのノイヴィルトが一番の注目株だ。 ジャズピアニストを父に持ち、彼女もジャズトランペッターを目指していたが、 交通事故の後遺症でその道を諦めて作曲を始めただけに、ポピュラー音楽コンプレックスとは全く無縁。 レベッカ・サーンダース、望月京ら女性作曲家が台頭している同世代でも彼女は特に目立っている。 それだけに委嘱も多く、ここ2〜3年は脱臼したジャズ風アンサンブルを名刺代わりにした、 軽く流した曲が増えてきたのは気がかりだが、このアルバムは文句なしの力作揃い。 1958年生まれのペッソンは、スペクトル楽派ともアカデミズムとも距離を取った独立独歩の作曲家で、 デュサパンが燃え尽きた後のフランスでは注目したい。今回のアルバムは、 ブルックナー7番第2楽章の第2主題が霞の中から浮かび上がるプロセスを聴かせる表題作など、 クラシックを素材にした作品が多い。 同世代のシュールホルン(1962年生)の失速と同じ歩みなのが気がかりだが、 アンサンブル・ルシェルシェの共感に満ちた演奏は素晴らしい。

 シュトックハウゼンが今日の現代音楽を支えているのかどうかは微妙なところだが、 少なくとも同世代で生き残っているリゲティ、ブーレーズ、ベリオらの近作よりは、 はるかに時代にシンクロした音楽を書き続けていることは間違いない。 彼は10数年前、DGから音源を買い取って自主レーベルを始めた。当初はドン・キホーテ的に映ったこの行為も、 電子決済が発達してCDがカードで買えるようになってみると(http://www.stockhausensociety.org/ 参照)、 クラシック部門切り離しに動いているメジャーレーベルに依存するよりもはるかに賢明な選択だった。 近作も何枚か買ってみたが、昨年に買った中で最も印象に残ったのは結局、 「プラス=マイナス記譜法」時代の『Prozession』(1967)の濃密さだった。 シュトックハウゼンと並んで、クセナキスは実験的な音響を愛する若い世代から支持されている。 『シナファイ』を含む管弦楽作品集第3集(Timpani, 1C1068)の売れ行きは話題になったが、 この難曲を相手に余裕すら感じさせる大井浩明のピアノは見事だったものの、選曲は今ひとつ。 昨年のクセナキスのリリースで注目したいのは、テープ音楽の最高峰『ペルセポリス』を、 メルツバウ、大友良英、池田亮司、フランシスコ・ロペス、カルコフスキらがらがリミックスした1枚だろう。 UPICで制作された電子音楽を集めた2枚組(mode, 98/99)では、クセナキス作品が他の中堅〜若手を圧倒していたが、 こちらでは大半のリミックスが『ペルセポリス』に見劣りしない強度を保っている。

・Olga Neuwirth: Vampyrotheone etc. (KAIROS, 0012242KAI)
・Gerard Pesson: Mes beatitudes (aeon, AECD 0106)
・Karlheinz Stockhausen: Prozession, Ceylon (Stockhausen Verlag, 11)
・Iannis Xenakis: Persepolis + Remixes Edition 1 (Asphodel, LTD 2005)


(7) 現代音楽:アメリカ実験音楽再訪
   James Tenney: Forms 1-4
   (hat[now]ART, 2-127)


 昨年はアール・ブラウンも世を去り、ニューヨーク楽派の生き残りは最年少のウォルフだけになった。 ナンカロウとチュードアも既に亡く、オリヴェロスとウォルフにも往年の鋭さはなくなってきて、 20世紀後半のヨーロッパ全体に匹敵する成果を挙げたアメリカ実験音楽の時代も終わろうとしている。 その中で、現在でも気を吐いているのがテニーである。ヨーロッパではほぼ黙殺され、 日本でも調律の探求の側面以外は無視されているが、彼の作品世界は実に広大で、 アメリカ実験音楽の歴史を彼一人で引き受けていると言っても過言ではない。 今回取り上げるアルバムは、ヴァレーズ、ケージ、ウォルペ、 フェルドマンに捧げられている『Forms 1-4』(1993)の4曲を、 この4人の1曲ずつと組み合わせたアルバム。 表題作はことさらに捧げた作曲家の様式に倣っているわけではなく、 フェルドマン流の持続をロングトーンの滲みで表現したような音楽。 ケージ『Seven』の刺激的な解釈とフェルドマン『Numbers』の初録音も嬉しい。 カーゲル作品の優れた録音が記憶に新しいムジーク・ファブリークの熱い演奏。

存命中の作曲家では、ルシエも忘れたくない。正弦波発振音と生楽器の干渉という、 大友の『Modulation』シリーズの原点になった方向性に80年代初めから取り組んでいたことが今回の収集の原点だが、 60〜70年代には、1作ごとにさまざまなアイディアが提起されており、「実験音楽」の精神を体現している。 今回挙げたのは、朗読のテープを再生し、それを録音して再生するプロセスを繰り返して、 当初の素材がぼやけ、会場の音響特性が増幅されていくプロセスを聴く作品。 「音響派」を通じて耳が鍛えられ、ようやくこれらの作品を楽しめるようになった。 トム・ジョンソンは、数学的な秩序を直截に音にしてきた作曲家だが、 これまで聴いてきた作品は、それ以外のシステムの設定に無頓着なため、 コンセプトは理解できても音楽として楽しむことは難しかった。だがこの作品は、 1オクターブの中のすべての和音をある規則に従って順番に弾いていく、 という単一のシステムですべての音が決まっており、その問題はない。 7音和音のセクションが一番長く、それより音が増えても減っても短くなる規則も、 音数が少ないと単純すぎ、音数が多いと和音どうしの区別がつかなくて退屈する、 という生理にうまく対応している。

 後期フェルドマン最長の作品、弦楽四重奏曲第2番の録音が同じ年に2つ出たのには驚かされた。 半音階的なフレーズとくすんだ和音が淡々と続く、5時間前後という物理的な長さ以上に無時間的な作品だけに、 フェルドマンの人気が安定してきたことを象徴するリリースと言えるだろう。 ケージ『Variations II』のチュードアによるリアリゼーションは、 ピアノの内部奏法を増幅し変調した、ハーシュノイズを予言する壮絶な音響の伝説的な録音で、 これがメジャーレーベルから復刻されたのも驚きだ。伝説的な録音の復刻といえば、 小杉武久『Catch Wave』も忘れられない。可聴域外の発振音の差音のうねりに旋法的な生楽器を重ねる、 という70年代前半の彼の路線が典型的に表れた2作だが、Sachiko Mらの音楽に慣れた耳で聴くと、 実にポップで人なつっこい。ケージの後を継いでカニングハム舞踏団の音楽監督を務める小杉が出てきたところで、 フルクサス流の音楽を今日でも書き続けている塩見允枝子の新作にも触れておこう。 フルクサス関係者80名を選び、その名前の音名から導かれる音形を機械的に演奏する、 というコンセプトで一見尽きている音楽だが、実は楽器や音色の選択が人物評になっているのが面白い。

・Alvin Lucier: I'm Sitting in a Room (Lovely Music, LCD 1013)
・Tom Johnson: The Chord Catalogue (XI Records, XI 123)
・Morton Feldman: String Quartet (II) (Ives Ensemble; hat[now]ART, 4-144)
・John Cage: Variations II etc. (David Tudor; SONY, SICC 78)
・Takehisa Kosugi: Catch Wave (SHOWBOAT / sky station, SWAX-502)
・Mieko Shiomi: Fluxus Suite (? Records, 10, 2002)


(8) 現代音楽:ヴァンデルヴァイザー楽派とその周辺
   Radu Malfatti: das profil des schweigens etc.
   (Edtion Wandelweiser, EWR 9801)


 後述するベルリンやウィーンの音響的即興を調べる過程で否応なく浮上してきたのが、 1992年にベルリンで創設されたEdition Wandelweiserに集う作曲家たちである。 「ヴァンデルヴァイザー楽派」と呼ばれるこの作曲家=演奏家集団は、 アメリカ実験主義のドイツ語圏での受容を足場にして、 即興演奏の経験を前提に音楽を極度に単純化・簡素化し、 演奏の現場で音楽の最終形が決まるような「作曲」を行う。 なかでも注目したいのが、ウィーン出身のマルファッティである。 彼は、ヨーロッパ自由即興音楽第一世代のTb.奏者として、 イギリスやドイツのフリージャズ寄りの現場でキャリアを積んできたが、 しだいにこの種の「即興」には限界を感じるようになり、 ヴァンデルヴァイザー楽派に加わった。このアルバムには、 1997年のTb.ソロと弦楽四重奏のための2作品が収められている。 一音の力を生かして一切の無駄を削ぎ落とし、密度は極めて高い。

 このレーベルは、ケージ、ウォルフ、ルシエ、ノーノらの作品もリリースしている。 いずれも隙間が多く即興性の高い作品で、彼らの志向を端的に物語る。 ケージの作品の中でも特に即興的な自由度の高い、 植物を素材にした物音を集めた『Branches』の端正な録音はその代表である。 マルファッティ作品の深遠さとは対照的なシュナイダー作品の単純さも、 思いのほか印象に残った。異教的な儀式を思わせる声と打楽器の単純反復を、 ホワイトノイズで断ち切りつつ1時間続ける。このような反則技的な面白さは、宇波拓の音楽に通じるものがある。 最後に、彼らと縁の深いZeitkratzerアンサンブルに触れておこう。 結成当初は、楽派の小品に加えて「聴きやすい現代音楽」路線の曲も演奏していたが、 近年はハードなエレクトロノイズをアンサンブルで再現することに打ち込んでいる。 ここで取り上げたダンカンの2作品もこの路線の一環で、 生楽器ならではの微妙なズレやゆらぎが積み重なった迫力は一聴の価値あり。 ルー・リード『メタル・マシーン・ミュージック』の再現はマスコミでも話題になった。

・John Cage: Branches (Edtion Wandelweiser, EWR 9901)
・Urs Peter Schneider: Sternstunde etc. (Editon Wandelweiser, EWR 0101)
・John Dunkan: Fresh (John Duncan / zeitkratzer; Allquestions, AQ 03 / X-tract, x-t 2005)


(9) 世界の即興音楽:ベルリンとウィーンの音響的即興
   Phosphor: Phosphor
   (POTLATCH, P501)


 杉本拓、中村としまるら「Off Site系」の音楽家たちを辿っていくと、 ベルリンとウィーンのシーンに行き当たる。杉本とベルリンのクレブスのギターデュオ、 杉本とウィーンのシュタングル(G.)、Martin Siewert(G.)、 Werner Dafeldecker(Bs.)とのカルテットが今回のチョイスにも入った。 一押しのPhosphorは、Axel Dorner(Tp.)、Andrea Neumann (inside Pf.)、 クレブスらベルリンシーンを代表する音楽家が集まったオクテット。 尖鋭的な音響を十分な隙間を取って空間にばら撒いていく、ラッヘンマンの国の即興アンサンブル。 ウィーンシーンからは、Franz Hautzinger(Tp.)、マルファッティ(Tb.)、 シュタングル、Gunter Schneider(G.)のカルテットDachte Musik。 孤立音志向のPhosphorとは対照的な持続音志向は、両シーンの性格の違いに対応している。 ホーティンガーはZeitkratzerのメンバーでもある。近年のマルファッティは、 即興でも作曲作品でも極度に沈黙が多いが、使っている音自体は持続音である。 ウィーンシーンでは、シュタングルも特筆しておきたい。 この1997年のソロリサイタルでは、物質的なギターに抒情的なピアノを挟み、 両者の違和感を聴かせる。アンサンブルに加わった時の彼は当然、進んで異物になろうとする。

 東京から杉本らが訪れて共演するように、これらのシーンの間にも交流がある。 ヨーロッパの音響的即興の祖にあたるスイスのギュンター・ミュラーが、 ウィーンのターンテーブル奏者dieb 13とベルリン出身(現在はチューリヒ在住)の打楽器奏者カーン (彼は中村としまるとrepeatを結成している)を迎えたアルバムもその一つと言えるだろう。 静かに地を這い続ける音楽。このような動きに影響されて、ベルリンの高瀬アキ(Pf.)はDempaを結成した。 Aleksander Kolkowski (Vn.), Tony Buck (Ds.)とのライヴエレクトロニクストリオ。 特にバックは、かつては大友らとPerilを結成し、カットアップ系の即興を行っていたが、 ベルリン移住後は音響的即興シーンに溶け込み、ミュラーをも凌ぐ音楽家に成長した。 このユニットでの高瀬の役回りはむしろ異物だが(しかし、彼女が乗ってくると、 バックは一転してホットなドラミングで合わせる)、即興音楽の現状へのアンテナの鋭さは流石。

・Dachte Musik: Dachte Musik (GROB, 313/314)
・Burkhard Stangl: Recital (Durian, 006-2)
・Taku Sugimoto & Annette Krebs: Eine gitarre ist eine gitarrre ist keine gitarre ist eine gitarre.... (rossbin, RS005)
・SSSD: Home (GROB, 431)
・dieb 13, jason kahn, gunter muller: streaming (For 4 Ears, CD 1343)
・Dempa: Nine Fragments (Leo Records, CD LR 346)


(10) 世界の即興音楽:ボストンの若手たち
    James Coleman: Zuihitsu
    (Sedimental, SEDCD30)


 昨年のベストでは、Bhob RaineyとGreg Kelleyのデュオユニット「nmpereign」を選んだが、 ボストンには注目したい音楽家はまだまだいる。テレミン奏者James Colemanは、 オーストラリアで電子音楽やシンセサイザーを学んだ後、ボストンに移り住んだ。 彼の演奏を聴くと、テレミンはシンセやオンド=マルトノで代用できる楽器ではなく、 数オクターブに及ぶグリッサンドを最も高速に、かつ微分音を最も細かく演奏できる、 本質的なメリットを持った楽器であることが実感できる。このアルバムでは、 過半数のトラックに中谷達也(Perc.)が参加している。Kelley, Liz Tonne(Vo.), Vic Rawlings(Vc., Colemanとこの3人で「undr quartet」), Raineyも各々数曲に加わり、 ボストンシーンを知る最初の1枚にふさわしい。KelleyとLescalleetのデュオは、 即興音楽とノイズの親近性という、このシーンの大きな特徴を物語る。 Lescalleetは、RRR/PUREレーベルで80年代から活躍していた米国ノイズの重要人物の一人だが、 彼がテープループで生み出すノイズ(短いループが磨耗する過程も計算に入っている)に、 KelleyがTp.の多様な物音系サウンドを乗せていく。 Kelleyは変名でノイズユニットにも参加しており、彼の活動は一言では括れない。

 Mike Bullockの自主レーベル第1弾は、自身のベースソロ。 1曲目ではフィードバックノイズの静かなコントロール、2曲目は断片的な乾いた音を散乱させる演奏で、 意識的にせよ無意識にせよ、ウィーンとベルリンの即興シーンを思わせる音楽になっている。 上述のRawlingsは、チェロとノイズ回路を均等に用いる、Kelleyと同じ意味でボストンシーンならではの音楽家だが、 ポータブルカセットデッキを並べて操作するStelzerと物音系ターンテーブルのTalbotとのトリオは、 彼のノイズ側の顔を見せてくれる。このCD-Rは、後述するシカゴのTV Powが運営するレーベルから出ており、 非商業的な音楽家たちのネットワークが垣間見える。最後に取り上げるのは、 音色と間合いを大切にする即興にボストンで目覚め、現在はニューヨークで活動している中谷の手焼きCD-R。 手数の多さに加え、弓で弾いたり小物を載せたり、息の出し入れでドラム中の気圧を変えて音程を変化させたりと、 あらゆる手段でドラムセットの音色的な可能性を拡張し続けている。 近年はニューヨークのTim Barnes (Perc.)との共演の機会が多く、 彼のレーベルQuakerbasketから新作が予定されている。今後は米国外でも聴ける機会が増えてくるだろう。

・Greg Kelley / Jason Lescalleet: Forlorn Green (erstwhile, 019)
・Mike Bullock: Initial (chloe, 001)
・Vic Rawlings, Howard Stelzer, Jason Talbot: open (BOXmedia, BOXCDR204)
・Tatsuya Nakatani: Green Report 10 (self-made CD-R)


(11) 世界の即興音楽:エレクトロニクス
    bernhard gunter: Then, Silence
    (trente oiseaux, TOC 011)


 ベルンハルト・ギュンターにはアンビエントな電子音楽の人、という程度の認識しかなかったが、 本作を聴いて見方を改めた。生楽器と電子音が交じり合ったドローンが刻々と表情を変えて行く上に、 乾いたプリペアド・ピアノが時折見え隠れし、知らず知らずに深みへ引き込まれてしまう。 2003年は、彼の音楽をまとめてチェックすることになりそうだ。 ヒュー・デイヴィスは、シュトックハウゼン・アンサンブルでも活躍していたヴェテラン。 さまざまな自作電子楽器による、身近で温もりのあるサウンドが楽しめる。 ジンガロは、レアンドルとの共演も多いポルトガルの即興ヴァイオリニスト。 エレクトロニクスにも長く取り組んできたが、厳しく鋭いヴァイオリンと同一人物とは思えない、 チープで拍子抜けするような音楽が多かった。だが、ヴァイオリンと同時演奏した本作では、 生楽器に見劣りしないレベルの音響に仕上がっている。

 エレクトロニクスと生楽器という組み合わせでは、ピアノを用いるのが流行っているようだ。 上述のDempaもそういう編成だったが、表現の幅広さとニュートラルな音色がポイントなのだろう。 2001年のベストでも取り上げたマルチェッティ&ノタンジェのアナログ電子音に、 アグネルは浅めのプリパレーションで同化する。 肌触りは現代音楽部門で取り上げたシュトックハウゼン作品に近い。 Mephistaは、Silvie Courvoisier, Susie Ibarra, Ikue Moriのトリオ。 打楽器的なアタックを生かしたモリのラップトップに、 イバラは富樫雅彦を思わせる滑らかなドラミングで沿い、 クールヴァジエールは鍵盤上のロマンティックなフレーズと厳しい内部奏法を対比させる。 明確なコントラストとせわしない変化は、いかにもニューヨークの即興だ。 最後は、アイスランド出身のstilluppsteypaとシカゴのTV Powという、ラップトップトリオの共演。 環境音と発振音が緩やかに溶け合った、フェラーリを思わせる音楽が紡がれていく。 これらのアルバムは、電子音響は今日では日常の一部になったことを教えてくれる。

・Hugh Davies: Warming up with the Iceman (GROB, 324)
・carlos zingaro: cage of sand (SIRR, 2007)
・Sophie Agnel, Lionel Marchetti, Jerome Noetinger: rouge gris bruit (POTLATCH, BP205)
・Mephista: black narcissus (Tzadik, TZ 7704)
・stilluppsteypa & TV Pow: we are everyone in the room (erstwhile, 016)


(12) 世界の即興音楽:旧世代の踏ん張り
    姜泰煥:I Think So
    (IMA静岡, ima-szok 01)


 今回は、これまで以上に新世代を多く選んだが、60年代後半〜80年代前半に即興音楽を始め、 地道に経験を積んできたヴェテランたちも相変わらず踏ん張っている。 なかでも、姜泰煥が2002年5月に行ったソロライヴをそのまま収録した1枚は特筆したい。 これまでの彼は、ひとつの特殊奏法に基づく一続きのフレーズのブロックを順次連結していく (同じく2002年にリリースされたソロアルバム『Seven Breath』(News Entertainment)では、 この1ブロックが1曲という扱いになっている)タイプの即興を行ってきたが、 このアルバムではそれらがひとつに溶け合った新たな段階に踏み出している。 AMMも結成から35年余り、現在のメンバーになって沈黙を重視する方向性に移ってからも20年が過ぎたが、 この2001年5月のライヴでは沈黙の力はそのままに、サウンドに初期を思わせる力強さが戻っている。 ベイリーの新作はスタンダード集だが、何を弾いてもベイリーはベイリーなのだ。 間章のレーベルから出た日本でのライヴ2枚組『New Sights, Old Sounds』(Incus, CD 48/49)も、ついに復刻された。

 自由即興音楽第2世代に移ろう。レアンドル(Bs.)と沢井一恵(筝)のデュオには、彼女たちのパワフルな側面が凝縮されている。 特殊奏法のインパクトを武器にしてきた彼女たちが通常の奏法を多く使うようになってきたことは、音楽的成熟の表れと言えるだろう。 斉藤徹(Bs.)とドネダ(S.Sax.)のデュオも、息長く続けられている。今回のアルバムは、 2001年の春にヨーロッパ各地を旅しながら行ったフィールドレコーディングをまとめたもの。 「個性的な音」にこだわる第1世代とは対照的に、彼らはますます匿名的な、 環境に違和感なく溶け込むような音に向かっている。この春の日本ツアーにも期待したい。 最後は、即興ヴォイスの大御所ミントンの自在な歌唱に、ブッチャーが第2世代随一のテクニックで合わせていくデュオ。 声もSax.も、管の中の空気の振動で音を出している点では似たようなものだと思えてくるくらい、二人のサウンドは同化している。

・AMM: Fine (Matchless Recordings, MRCD46)
・Derek Bailey: Ballads (Tzadik, TZ 7607)
・joelle leandre - kazue sawai: organic - mineral (in situ, IS235)
・Tetsu Saitoh, Michel Doneda: Spring Road 01 (Scissors, 003)
・John Butcher & Phil Minton: Apples of Gomorrah (GROB, 429)


最後に、この中からさらに「5盤」をピックアップしておこう。本文では発売年度は気にせずに選んだが、 こちらは2002年(ないし2001年末)発売のディスクに限定した。このように5枚だけ並べてしまうと、 普段からよく話題にしているビッグネームの新作を並べただけの無難なチョイスと見分けがつかないので、 本文では60枚という膨大な枚数を挙げる気になったわけである。 読み返してみると、情報をフォローするのに手一杯の情けない文章だが、 得意分野に安住するよりはこの方が好きなので仕方ない。

   1. Luc Ferrari: Cycle des Souvenirs (1995-2000)
   2. 姜泰煥:I Think So
   3. Improvised Music from Japan presents Improvised Music from Japan
   4. 大友良英:Ensemble Cathode
   5. 高柳昌行:カダフィーのテーマ







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