さてはて、昨年はゆえあってお休みいただいた「奥座敷同人5盤」ですが、本年再開致しました。 新譜・旧譜に拘わらず、各人が昨年聴いた中でベストと思える音盤を僅か 5 盤にセレクトいただき、とりまとめたものにございます。この場をお借りしまして、同人の皆様には厚く御礼申し上げるとともに、蘊蓄深き各御仁のセレクション及びコメントひとくさりをご快読いただければ幸甚にございます。 なお、執筆者名をクリックすると記事に飛びます。
店主鞠躬
2001年は見るべきCDをあまり購入していないと言うか、手前のHPの構成上、最近はヴァーグナーの楽劇ばかり購入しては聞いている。小生は、元々オペラ聞きではなく、ヴァグネリアンでもないため、好きなクナの演奏以外はかなり苦痛を感じながら聞く羽目に陥っている(^^;。クナの演奏の魅力に触れたい一心だが、こうなると修行のようでもある(^^;;;;。 ヴァーグナー以外では、昨年から声楽によるネオ・クラシック(と呼んでもいいのか)の当たり年で、フィリッパ・ジョルダーノ、ラッセル・ワトソン、サラ・ブライトマン(この人のデビューはもう少し前だが)、シャルロット・チャーチの4thアルバムなど、特徴的なアルバムをよく聞いた。「軟弱者!」と罵られそうだが、実際、これらのCDは疲れたときに打ってつけで、いつも気が付いたらCDプレーヤーの中で回っていた(^^)。 その他では、クナを取り上げる以上、ナチ時代の渦に巻き込まれた音楽家に関心を持ってしまい、ナチに虐待された音楽家とは逆に、賞揚された作曲家や指揮者たちのCDをよく聞いた。賞賛するにしても批判するにしても、どんな音楽か分からなければ、どうしようもないからだ。クナがなぜヒトラーに嫌われたか、その反面を知りたいためでもある。中でも、マックス・フォン・シリングスの作曲した作品のCDはcpoから何枚か出ているが、「耽美的で退屈で、当時の大衆には人気がなかった」そうだが、意外にも面白くて聞き入る結果になってしまった。 以下、苦し紛れのひねりだし5盤(組み物があるので、何枚になるのやら・・・)。 (1) ヴァーグナー「ニーベルンクの指輪」全曲 (GOLDEN MELODRAM : 1.0052) ____ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭歌劇場 (rec.1958 L) 1958年のクナによる「リング」が蘇った。他のレーベルからも、同じ録音がリリースされたことはあったが、今回のリリースはモノラルながら音がよく、その堂々としたスケールの演奏をよく伝えていて、「素晴らしい!」の一言に尽きる。この演奏記録を聞いてしまうと、この呼吸感に合わせられる人は、恐らく他の指揮者の「リング」から満足感を得られなくなってしまうだろう。それだけ、内容的には破格で、恐るべきリングの演奏会記録と言える。 GOLDEN MELDRAMからは、1956年、1957年に続いて3種目の「リング」登場となったが、1958年盤が最もスケールが大きく、大人の風格を感じさせる演奏である。 (2) クナッパーツブッシュ名演集 (TAHRA : TAH 417-418) 以下の演奏が、今までの復刻版からは想像もつかなかった優れた音質で復刻された。
(3) charlemagne Palestine Schlongo!!!daLUVdrone (Cortical Foundatin : Organ of Corti 23) CD屋で偶然手にしたCD。初期ミニマリストによるパイプ・オルガンを使用したパフォーマンスのライヴである。オルガンの鍵盤の間に紙を挟み、そのドローンと、他の音を挿入することにより生まれる倍音の変化をクレッシェンドさせながら延々と75分間収めている。その音量や音の厚みが極限まで増して行く構成は常套的だが、やはりクライマックス(?)での輝かしい宗教的法悦感は音のシャワーを浴びたような爽快感がある。この体験はなかなか良かった。 このCDは、小生のHPの「CD雑聴記 その4」で取り上げた。 (4) Jens massel "Senking_Trial" (static4 : catalog cdr-035) チープなビニール袋に青い紙と、ジャケット面が一面青いCDが入っている、テクノ・ミュージック。テクノや音響派は今さまざまに分裂しているらしく、多様な音楽を聞くことはできるが、このアルバムはどちらかというとポップで聞き易い(完璧にポップ音楽というわけではないが)。そして、そのスピード感と音の選択のセンスの良さはなかなかのものである。騒音をまき散らすインプロビゼーションやパフォーマンス型ではなく、あくまでよく練られて作られた缶詰型音楽だが、そのリズムとエコー処理が心地よくて、あまりたくさんは購入していないが、テクノ系では今年一番の小生のお気に入りである。 (5) LTTLE TEMPO "RON RIDDIM" (1999) (AVEX : CTCR 11057) このCDは、実は2001年にリリースされた同じグループによる「KEDACO SOUNDS」が気に入り、遡って1999年にリリースされていた彼ら(彼女も含まれるが)のCDを購入し、気に入ったもの。スティール・ドラムを中心とした日本のダブ・ミックス系のグループの音楽で、「KEDACO SOUNDS」はスケールの大きなリゾートなごみ系だったが、この「RON RIDDIM」はその研ぎ澄まされたような感性と、ソリッドなリズムが心地よかった。その音楽に対する姿勢が非常に真摯で好感を持って聞いた。
今年は休日出勤の多い職場に異動したこともあって、未聴率が非常に高くなった。どの盤についても「音盤狂日録」を書きながらさわりを数分ていど聴いてはいるものの、「これはこんどちゃんと聴こう」とか「この曲も音盤が増えてきたから聴き比べたいな」とか考えつつ、そのままになってしまっている。2002年は、ぜひ、少しでも改善していきたい。 (1) マーラー:交響曲第6番 (東芝EMI : TOCE-9663/4) ____クラウス・テンシュテット(指) ロンドン・フィル 今年、「斉諧生音盤志」に何回か聴き比べを掲載したが、その中で最もインパクトが強かった音盤である。 音楽に込められたエネルギー、一音一音から伝わってくる指揮者の強烈な思い入れに圧倒された。すべてが尋常の緊張感ではない。弱音器をつけた金管の強調、ピツィカートの強奏、弦合奏のちょっとしたアクセント、特定のパートの突出等々、もはや共感というよりも、テンシュテットがマーラーに同化、いや、化身となって噴き出させたかのようだ。その濁流のごとき音楽に、聴き手は冒頭から呑み込まれてしまう。 彼岸を渇仰するようなクライマックスに至るアンダンテ、運命との葛藤・相剋・苦悩・破滅、すなわち「修羅」を思わせる終楽章。他盤と懸絶した演奏であった。 なお、これは国内でリマスタリングされた盤で、輸入盤とは音の傾向がかなり異なる。 (2) チャイコフスキー:交響曲第6番 (キング : KICC3031) ____イーゴリ・マルケヴィッチ(指) NHK響 かねて「悲愴」のベスト盤に挙げてきた指揮者急逝直前のライヴ録音が、今年ようやく一般発売された。 第1楽章冒頭から凄まじい緊張感に覆われているが、再現部はまさしく黙示録的な、天地の慟哭・世界の破滅を想起させる音楽となる。金管の猛烈なクレッシェンド、トロンボーンの凄まじい呻き声、無限に膨れ上がっていくようなティンパニの最強打! 更に、慰藉の歌が心に沁みる第2楽章、第3楽章281小節における乾坤一擲のリタルダンド、第4楽章での深い嘆き、マルケヴィッチの天才的な表現力を示す一枚であり、ぜひぜひお聴きいただきたい。 (3) チャイコフスキー:交響曲第5番 (RELIEF : CR991051) ____ウラディーミル・フェドセーエフ(指) モスクワ放送響 今年聴いたコンサートのベストは、このコンビ(7月7日、京都コンサート・ホール)。そこで演奏された第5番を取り上げたい(CDは昨年の発売だが)。 フェドセーエフは、センチメンタルな泣き節や慣用的なリタルダンド、これ見よがしな煽りを、ことごとく排する。第1楽章終結の素っ気なさが好例だ。 その反対に、大らかなフレージングの歌、音価を短めにとって追い込む迫力、重層的・立体的なバランスから、まことに雄渾な音楽を生み出していく。特に、第2楽章での硬派なロマンティシズムの高揚は、チャイコフスキーを嫌う人をも納得させるだろう。 第4楽章におけるティンパニの最強打は、実演での活躍をまざまざと思い出させる。あの日、舞台から引き揚げる奏者に握手を求める聴衆が相次いだことも。 (4) ムソルグスキー(ヴァユリネン編):展覧会の絵 (MILS : 9862) ____ミカ・ヴァユリネン (アコーディオン) 「展覧会の絵」ならば、本来、今年発売された長谷川陽子さんとの共演盤を挙げるべきだが、独奏盤の素晴らしさが隔絶しているため、あえてこちらを。 なにより、アコーディオンという楽器からかくも勁烈な音を出すことができるのか、と驚かされる。「ビドロ」や「バーバ・ヤガーの小屋」の凄まじいこと! ひょっとして録音の賜物かもしれないと考えていたが、なんの実演ではそれ以上だった(12月1日、神戸学院大)。音のキレ、和音の美しさも筆舌に尽くしがたい。 一方、例えば「古い城」での弱音を活かした遙かな歌、「リモージュの市場」の軽やかさなどは、ヴァユリネンの表現の幅を示すものだ。この名手が広く聴かれるようになることを期待する。 (5) 一噌幸弘:リーヤリ (ビクター伝統文化振興財団 : VZCG241) 紋付袴姿でジャズ奏者たちと丁々発止の即興演奏を楽しむ能楽笛方の名流、一噌幸弘(いっそう・ゆきひろ)。名盤「東京ダルマガエル」が幻となっている今、このCDでようやく渇を癒した。 能管(田楽笛、篠笛、ゲムスホルンほか)とヴァイオリン、ウッド・ベースのトリオによる演奏だが、日本の祭囃子のようでもあり、シルクロードの民族音楽のようでもあり、ヨーロッパの中世・ルネサンス器楽曲のようでもあり、現代のジャズのようでもあり、まこと摩訶不思議な味わい。 もちろん歌心と懐かしさに満ちた、きわめて上質な音楽であり、邦楽コーナーに足を運んで手に取られたい。
今年は、10月から海外留学という大きな生活の変化もあってか、ディスクから受けた印象はあまり強くない。2月にクセナキス、10月に松平頼則と、戦後前衛音楽を支えた大作曲家が相次いで亡くなったことのショックの方が遥かに大きい。だが、年末にあらためて振り返ってみると、面白いディスクは結構あった。 一昨年は、メルツバウと大友良英のディスクを大量に選んだが、彼らは今年も興味深いリリースをコンスタントに行っている:
ただし、Sachiko Mと大友のエレクトロニクスデュオfilamentの、2000年9月29日の神奈川県民ホールにおけるライブ録音:
今年は大友の大部の紹介原稿を準備したが(現在も執筆中)、関連あるバンドの音源を色々と聴き漁る過程で、ヤマタカEYEのボアダムスとジョン・ゾーンのネイキッド・シティという、それなりに聴いてはきたものの、印象は決して良くなかったバンドの最高傑作をようやく聴くことができた:
旧譜を挙げた機会に、何年も探していてようやく今年入手し、内容も期待を裏切らなかったディスクを2枚挙げる:
これらと比べられるようなクラシックのリリースは、今年は残念ながら殆んどなかった。強いて挙げるとすれば、
既に10枚挙げたが、実はすべて前振りで、本題はこれから。最終的に5枚まで絞り込んだが、それぞれに素晴らしく、順位は付けられないので、購入順に挙げることにした。 実験的ポピュラー音楽の世界では、今年は興味深い復刻が色々あった。解散時の不和のために、四半世紀にわたって正規盤が出ていなかったジャーマンロックの異端児NEU!が、ようやく盤起こしの海賊盤以外でも聴けるようになった:
☆高柳昌行、阿部薫:集団投射 (DIW : 424) 1970年の伝説のライブの初出音源。録音状態もかなり良い。昨年はクセナキス『ペルセポリス』のCD化を堪能したが、それに全く引けを取らない音楽が、前年にライブで実現されていたという事実に打ちのめされた。ひとたびシリアス音楽を離れれば、日本は当時から世界の先端を走っていた。 今年は、クラシックの正規盤は寂しい限りだったが、現代音楽はかなり豊富だった。圧倒的なディスクこそなかったものの、これまで良い録音がなかった曲が一挙にリリースされた。その中核を担ったのが、昨年から急に現代音楽に力を入れ始めたKAIROSレーベルである。シリアス音楽だけで今年のベスト10を作れば、半数以上がここになったはず。その代表として、ラッヘンマンが最も輝いていた1970年代前半の管弦楽曲3曲を、ギーレンが振った1枚を挙げる:
☆Nono: Al gran sole carico d'amore (独TELDEC : 8573-81059-2) を取りたい。1972年から74年にかけて書かれたこの作品は、革命歌が全編で歌われ、表出性の強いオーケストラ書法と相まって、まさに新ロマン主義を予言する音楽と言えよう。むしろ、新ロマン主義の最良の部分はこの1曲で汲み尽くされている。この曲を書いたからこそ、彼は70年代後半以降も高踏的な音楽を超然と作り続けられたのだとわかった。それにしても、現代音楽で残るのは往年の名曲ばかり.... 今年の収穫の中で、ジャンル的に最も稔り豊かだったのは音響的即興だろう。戦後前衛音楽の精神と語法はこの分野に継承され、本家を遥かに凌ぐ成果を挙げている。例えば、
☆marchetti_voice crack_noetinger: double_wash (独GROB : 318) である。ミュジーク・コンクレートのリアルタイム・テープ操作と日常的なオブジェを用いたライブエレクトロニクスが出会い、60年代後半のパルメジアーニとシュトックハウゼンが合体したような、とてつもない密度の音楽が生まれた。このような音楽がエリートだけのものではなくなった今日、「現代音楽」はその役割を終えたのかもしれない。 音響的即興の日本代表は、Sachiko Mをおいて他にいない。彼女が主導するfilamentはそのひとつだが、中村としまるとのデュオも素晴らしい。最近の3公演をまとめた1枚:
☆酒井俊:四丁目の犬 (SSLabel : RO-2005) 彼女の歌唱は、何よりも「うた」としての魅力にあふれており、ジャズか否かの議論など超越した次元に達している。それを可能にしたのは、黒田京子のクールで包容力豊かなピアノが、太田恵資のサービス精神あふれるヴァイオリン、関島岳郎の堅実で誠実なチューバ、竹内直の若々しく一本気なサックスをまとめる、アンサンブルの絶妙なバランスだった。このような音楽を生で聴ける幸せは逃したくない。 今年の5盤の締めくくりは、30年以上にわたってニュー・ミュージック界を支えてきたフリスの久々のギターソロ:
☆bhob rainey / greg kelley: nmperign (独SELEKTION : SHS 009) Sax.とTp.のデュオとはにわかに信じ難い極度の集中力で、息音や有声音や摩擦音を音楽に編み上げたライブ。これと比べると、いかにラッヘンマン作品が伝統的か実感できる。やがて会場はざわめきを忘れ、この種のライブでは異例な、礼儀正しく熱狂的な拍手に包まれる。シカゴ即興シーンはもはや過去のものになった。彼らの素晴らしさを、誰かが日本に伝える必要がある。留学中の仕事が、ひとつ増えた。
実に哀しい逆説のようだが、蒐集が進めば進むほど、購入点数の増加に反比例して印象に残る音盤の数は減っていく。本年購入した音盤は、量的には家族を憤慨させるに十分な数(無論、奥座敷の諸先輩方には遠く及びませんが…)だったものの、一種の義務感で蒐集したものがその大部分で、繰り返し手をのばしたくなるような魅力を持った音源にはなかなか出会えなかった。もっとも、レコード店の新譜コーナーの惨澹たる状況は僕がここで改めて論じるまでもなく、特に新録音には全くと言ってよいほどめぼしいものがなかったということでもあるのだろうが。 (1) The SHOSTAKOVICH Multimedia Experience (Chandos : CHAN 55001 ; DVD-ROM) 音盤とは言えないが、ショスタコーヴィチ・ファンにとって今年最大の収穫といえば、間違いなくこのDVD/CD-ROMだろう。内容の詳細については僕のWWWページ上で紹介しているが、貴重な一次資料が惜し気もなくふんだんに盛り込まれた、極めて優れた内容を持つ資料集である。この媒体だからこその仕上がりでもあり、今後この分野でも優れた商品が数多く製作されることを期待せずにはいられない。 (2) Herbert Kegel Legendary recordings (edel : 0002332CCC) 最近は、古い音源の復刻がBOX単位で発売されることが多い。特にケーゲルに関してはこのedel盤15枚組、Capriccio盤8枚組、ODE盤ブルックナー選集7枚組の、3つのBOXが発売された。いずれも既CD化の音源を多数含み、大部分がダブり買いになってしまったものの、どれも格安の社会主義価格。躊躇することなく購入した。内容については今さら僕が何かを語る必要もないだろう。これらの中にもまだ収められていないケーゲルの貴重録音が新たなBOXセットで日の目を浴びることを期待しつつ、何度聴いたか知れないヴィヴァルディをまた取り出してみる。 (3) フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番&シューマン:ピアノ五重奏曲 (BBC BBCL 4002-2) ____ルービンシュタイン(Pf)、パガニーニQ (BMG-RCA : BVCC-37311) 過去の隠れた名盤の復刻と過去の大演奏家達の発掘されたライヴ録音とが、レコード店の新譜コーナーの大半を占めるようになって久しい。このCDは、あのルービンシュタインの貴重な室内楽録音、といった主旨で復刻されたのだろうが、何といっても知る人ぞ知るパガニーニQの格調高く清冽な美しさを持った音色と音楽性を味わうべき録音だと、僕は思う。巨匠とよばれた指揮者とヴァイオリニスト、ピアニストそして歌手に集中しがちな復刻音源の中で、渋みとともに大きな価値を持った一枚と言っても過言ではないだろう。 未発表のライヴ音源ということでは、タネーエフQのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集(Boheme)、コンドラーシン&モスクワPOのマーラ交響曲第9番(Altus)、スヴェトラーノフ&N響のカリンニコフ交響曲第1番(NHK)、それから今年の新譜ではないが、ブリテンが指揮した一連のモーツァルト協奏曲(BBC Legends)辺りを楽しんだが、やはり繰り返し聴くには辛い部分が皆無とは言えないのが惜しい。それに比べると隠れた名盤の復刻ははずれが少なく、安心して楽しめる。特に、最終プレスとなったBMG-Melodiyaレーベルから発売されたヴェデルニコフの録音(J. S. バッハ:パルティータ、イギリス組曲、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番他)は圧倒的な内容。 (4) ムーソルグスキイ:展覧会の絵&ショスタコーヴィチ:ピアノ・ソナタ第2番 (Triton : DICC-26059) ____ヴォスクレセンスキイ(Pf) 5枚を選ぶにあたって、本年購入した音盤をざっと見返してみたところ、優れた内容を持った音盤は悉く物故演奏家のものだった。そんな中でこの録音は、磨き上げられた技巧と地味ながらも重厚で剛毅な音楽性で、とりわけ筆者の印象に残った。発売は昨年10月だったが当時はほとんど話題に上がらず、筆者も偶然に近い形で本盤にめぐりあった。 (5) アート・オブ・ヴァイオリン (Warner : WPBS-90033 ; DVD) 最後にまたCDではないメディアを取り上げるが、今年のクラシック関連商品を語る上で、この映像作品をはずすことはできないだろう。僕はこれを見るためにDVDプレーヤーを購入したほど。最初のメンデルスゾーンの協奏曲をリレー形式でつないでいる部分も興味深いが(エルマンが登場する部分のインパクトはかなり強烈)、全体を通して各人の際立った個性が見事に表出されていることに感心する。それにしても、登場する巨匠達が奏でる音の素晴らしさといったら…。なぜ、今ではこういう音を出す奏者がいなくなったのか、などと理屈をこねても仕方があるまい。新しい世紀を迎え、今後どのようにこのクラシックというジャンルが展開していくのか、希望をもって見守りたい。
(1) The Glenn Gould Edition <34> : Arnold Schoenberg (Sony Classical : SRCR 9671-2) 21世紀の最初の一年が過ぎようとしています。 今年はこれまでの価値観が大きく揺らぎ、変化していくのを格別に感じた一年でもありました。これからの時代に芸術表現がまた大きく変容していくような予感を感じます。というのも、前の世紀を振り返ると、20世紀の初頭もやはりそれまでの規範・価値観が大きく揺らいだ時期であり、「社会の変化」が様々な面において芸術表現の革新に繋がっていった時代であったからです。 19世紀美術から20世紀美術へ、絵画はその存在自体が全く変化しました。 宗教画・神話画にしろ、静物画にしろ、それまでの絵画はみんな、写実的な表現によって、額に囲まれた面の上に仮構の世界を築いてきました。これに対して、20世紀は、絵画が仮構の世界であることをやめ、絵画がそのもの自身として、はじめて存在することとなった時代といえます。20世紀初頭にはこういった現象の顕著なあらわれ(伝統を突き抜けた先)を、カンディンスキーやモンドリアン、マレーヴィチらのいわゆる抽象絵画に見ることができます。新しい表現への模索が伝統を崩すというのはいつの時代でもそうですが、伝統を大きく解体する背景がこの時代の空気に含まれていたという要素も大きいでしょう。 音楽においても、20世紀初頭は大きな変革が見られた時代です。シェーンベルクはこの時代に、音楽において伝統を突き抜けました。オーストリア=ドイツ音楽における伝統とは「調性」と「様式」にありますが、長い歴史の中で、作曲家たちは新しい音楽、新しい響きを求めて調性から遠ざかり、様式を拡大してきました。そして遂に最初に無調による作曲へ進んだのがシェーンベルクであったわけです。 20世紀初頭に絵画において個人の感覚に従って制作する志向が強まったのと同じ傾向をここにも見ることができます。というのも、シェーンベルクが最初の無調作品である『第2弦楽四重奏曲』と『架空庭園の書』が書かれた1908年に彼の妻は友人である画家のリヒャルト・ゲルステルと一緒に暮らすためにシェーンベルクのもとを去っているからです。強い幻滅と失意をあらわすためには、伝統に守られた手段ではなく、全く個人的な性格の音楽的手段=無調がどうしても必要であったのでしょう。 アマチュア画家としても知られるシェーンベルクは、無調の探求を開始したこの時代に数多くの油彩画や水彩画を描き、1910年にはウィーンで彼の個展も開かれました。彼の絵はカンディンスキーやギュータースロー、ココシュカなど、同時代の画家たちからその精神性を高く評価されていました。シェーンベルクが「自分にとって絵を描く事は作曲することと同じ意味を持っている」と語っていることからも、シェーンベルクの表現に対する切迫感は、この時期に音楽のみならず絵画においても強く発揮され、創造的な爆発を見たということができるでしょう。音楽においても、絵画においても、形式より真理が重要だったのです。 そしてこうした背景のもとに、この時期(1910年頃)のシェーンベルクの絵画を見たとき、陰惨な色彩、暗いトーンは、彼がいかに強い内的感情(と表現への欲求)を秘めていたかが分かるような気がするのです。 とはいえ、シェーンベルクの絵画が同時期の20世紀絵画と比較すると保守的なものであったように、彼は根っからの改革者ではありませんでした。彼はオーストリア=ドイツ音楽の伝統を尊敬していました。彼の意識は常にその延長線上にあり、その線の上で強い内的感情に押し出されて無調の領域に踏み出したのです。 グレン・グールドの弾くシェーンベルクは、私にとって、「伝統に根ざした改革者」シェーンベルクを強く感じさせるものです。響きがまろやかで、ロマンティックなシェーンベルク。 シェーンベルクが無調へと踏み出した契機が強い幻滅と失意であり、そこには剥き出しの生の感情が渦巻いていたとしても、彼の音楽はあくまでもオーストリア=ドイツ音楽の延長線上にあり、感情は昇華され、本質的に歌うものでありました。そしてそのことを改めてよく感じさせてくれるのが、このグールドの演奏であるように思います。
音楽に於けるマニエリスムとは何か?という疑問から年頭出発、今日の(クラシカル)音楽のマニエリスムがどのような様態なのか、一人よがりではあるけれど、その稜線は描けたように思う。 今年聴けた音楽の質量は近年最低かもしれない。実際はクラシカルよりもアフリカの民族音楽、世界の「歌姫」渉猟、フリー漬けなど、相変わらず聴き散らかしているだけ。ここでは、なるべくクラシカルを挙げてみたい。どれも今年の買物記で触れたものばかりである。 (1) Otto Klemperer : The Complete 78 rpm Recordings (archiphon : ARC-121/25 ; 5CDs) この時代のクレムペラーの指揮ぶりも素晴らしい。だが、私が本当に驚いたのは、これらの音から染み出てくる大変に強い成熟した文化の芳香と意気軒昂ぶりだった。演奏技術的には、確かに今日には及ばないところもある。が、そのような瑕疵を瑕疵とも思わせず、クラシカルが全音楽活動の中で主導的役割を演じてきた時代と人による勁い響きには、咽ぶような濃厚さがある。これを味聴していくほどに、今日の管弦楽演奏の貧しさから逃れたくなる。クラシカル音楽には、何と幸福な時代だったのだろう... (2) Pierre Cochereau : l'organiste de Notre-Dame (SOLSTICE : SOCD 94/96 ; 3CDs) ____Pierre Cochereau (org) 畢竟、音楽は人間存在の全的表現のひとつの在り方なのである。今日のクラシカル界にほぼ失われた赤裸な人間性の発露は「即興演奏」だ。ただオルガン音楽の世界だけが、それを辛うじて保持している。 その大きな嶺の一つであったコシュローの Retrospective を挙げる。彼の膨大な録音の中から「作品演奏家」「即興演奏家」「典礼オルガニスト」の 3 面をカルブとパンスメイユが編んだ。やはり即興演奏家コシュローの姿は、改めて驚異的と言えよう。暴力的でありながら洒脱であり、鈍重でありながら敏捷であり、絢爛たる意匠を持ちながら朴訥な深さがある... チリのヴィンテージワイン、レカバレンによる「Domus Aurea」の強かさを想起する。 (3) Le Cahier du Bal (leo records : CD LR 319) ____高瀬アキ (pf) 高瀬アキの「舞踏会の手帳」。今年一番聴いた音盤かもしれない。種々の舞曲形式を藉り、高瀬アキの音楽感覚の諸要素が、一層研ぎ澄まされた形で集約されている。しかも、より淡泊で思弁的な方向に向かったと感じる。素っ気ないほど強靱に磨きあげられたピアノが持つ原始的な要素音、しかし他方、プリペアドでの音表現の変幻自在で豊穣な世界が併置され、広大な高瀬アキ的表現世界が堪能できる。アキさんのプリペアド奏法は、地球一である。 (4) The Organ Music of Petr Eben vol.2 (hyperion : CDA 67195) ____Halgeir Schiager (org) ペーテル・エーベンという作曲家は破格に面白い。どん底で蠢くような晦渋な和声もさることながら、オルガンを非常に効果的にパーカッシヴに扱うのがミソ。また、複雑に交錯・変容するリズムの妙味を楽しませてくれ、かつ技巧的にも卓れたオルガン作品であり、Naji Hakim ともに、現代のオルガン作曲家を語る上では外せない人物と思われる。 しかしそのエーベンも、このシアゲルというオルガニストなしでは、本当に正しく評価されたであろうか? それほどにシアゲルの演奏は、音楽内容をかくも見事に明解に引きずり出した。実に冷徹・緻密、リズムの扱いも素晴らしい。もともと第 1 集は VICTORIA レーベルから Hyperion 扱いに転じたものだが、第 2 集からは Hyperion 企画である。続編が待ち遠しい。 (5) Alexander Scriabin : Piano Music (pianovox : PIA 535-2) ____Sophie Cristofari (pf) クリストファーリも挙げたい。スクリヤビンの持つ蠱惑を引き出した素晴らしい録音。しかし、印象が変わってきた。最初の印象は、全体に大変濃厚な奔放なピアニズムであり、下手をすると野放図になるかもしれないが、どこが最後のギリギリの一線で品格をちゃんと保っている、そういうアブナイ部分に感じ入っていた。 しかし、後になって聴いてみると、むしろエロスを突き抜けているというか、逞しいながらも敏捷かつ自然な音楽性であり、知的なピアニズムすら感じられたのである。彼女の官能性は、音色に多くを依存するものかもしれない。しかし、最初に私が感じた或る種の野生的な奔放さよりも、多様な躍動の綾を音楽の中に窮めて知的かつ自在に溶け込ませているということなのかもしれない。愚かな聴き手の慢心を痛感したのだった... Back to okuzashiki top |