imada kunen ni itarazu
an intimate history of Po do






『列子』仲尼第四・第六に曰く。子列子の学ぶや、九年の後、心の念(おも)う所を横(ほしいまま)にし、口の言う所を横にして、亦我の是非・利害を知らず、外内進()きたり。
酔墨軒は、直に四年の迎えなり。しかし、未だ心に是非を念(おも)い、口に利害を言うのみ。此、列子先生(おやぶん)の三年にも及ばざる思念なり。さても苦念(九年)は長きものよと、爾云(しかいう)。




壱.電網駆け出しの頃 ( 1996 / 97 )


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開始頁画像 其の壱
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開始頁画像 其の弐
吾が網站 « A Pseudo-POSEIDONIOS » は、元々、HTML 勉強の実践ということで、精々、至極個人的な「内輪咄」を怪誕に見せんがために設置(おん・ねっと)したのが嚆矢で御座います。時は 96 年 7 月 2 日。従って、最初期の開始(とっぷ)頁画像を知る方が居られるならば、それは吾が半径拾米以内に御座します職場の人間程度であろうと思います。

画像は、最初がアントワーヌ・セシルの Dendera 神殿(1799) 、次がカール・フリードリヒ・シンケルの「魔笛」のステージ・デザインから取りました。なお、驚くことに、何と背景色は「#F2E0E5」を使用していたのであります。今にしてみりゃ、まっこと卦体に御座いましょう。

詰まるところ、もとは単なる戯言(ばかばなし)にて、例の稚拙な前口上を貼り、何やら詰らぬ物品や所有物の話題を御供(おふぁー)とし、己が bookmark 用に古典関係のリンクを設けた程度が、吾が網站の原初形態だったのであります。抑も主人(うぇぶますた)本人からして、不真面目専一、莫迦の限りを泥馬(でまごーぐ)しようという程度に過ぎませんでした。

この時期の項目建ては、「肖像と鏡像」「古典調律技法」「オルガノロジー」「西洋古典学」「イコノロジー」「オーデイオ」「中古音盤堂」「偏頗古書店」「買物計画」「杣道」となっておりました。勿論、殆ど出来ませんでした。

なお、此の前口上にある「加納隨天」なる占筮師、此は何者? という話ですが、日放協(えぬ・えっち・けい)の大河ドラマ「信長」の記憶が出所(もと)なので御座います。隨天役は平幹ニ朗。信長の母に懸想(すとーかー)。成就するも、信長に見つかり破滅。実に intimate(うぢうぢ)で wet(どろどろ)な大河ドラマでした。脚本(ほん)屋の田向正健氏は、徳川慶喜も同じ。歴史ドラマは、正常位 正攻法で攻めねば悦(きもちよ)くはありませぬ。おっと、無駄口。

最初の三月ばかり(96年 7 月から 9 月)は、インターネット・ジャー(jah.ne.jp)に籍を置いておりました。しかし、都下より都内への通信費が嵩むこと、またトラブル多く遂に見放し、9 月に現ドルフィン・ネットへ移動(ひっこ)しました。ジャーに居る頃は、wasser という ML で親しくなったごく一部の方と今も楽しくオフなど続いていますが、音楽関係は全く居ませんでした。



弐.enfant terribleへの途 ( 1997 / 99 )


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開始頁画像 其の三
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開始頁画像 其の四
斯様が如く、元来より全く私的網站でしたが、某かの御奇特な方々より電箋を頂戴するようになりました。見栄悪(みっともな)き内輪ネタを幕引きし、古典と音盤ネタの転回(すたんす)へと相成りました。

前者は、「Perseus Project」推奨の希語フォントを用いて、ポルピュリオス、プロティノス、ポセイドニオス等の電子テクストをオンする予定でしたが、時間的問題、また著作権問題で断念。
後者は、偶々、佐々木@CD三昧日記さんとお近づきになったのを機に、音盤堂に「試聴室」なる真似(みみっく)を入れ込み、やがてこれが吾が網站の主力建頁(こんてんつ)となってゆくのでした。

この時期の開始(とっぷ)頁画像ならば、見たことのある方はそこそこおられるでしょう。画像は、南仏サンマクシマンの修道院にあるイスナール風琴の写真、そして再びシンケルの「魔笛」のステージ・デザインとなります。

97 年 2 月、「魔笛」画像となった際、計画していながらも当面構築出来そうにない項目を一旦削除しました。「肖像と鏡像」「西洋古典学」「中古音盤堂」「偏頗古書店」「買物計画」「杣道」の六建頁になったのは、これ以降です。

そしてこの年初夏、職場のメーリングリスト・サーバを建てるを機に、私用許可を頂戴。これが当網站の大きな変節となりました。音盤堂の奧座敷なる同人を募ったところ、松宮さん、佐々木さん、鈴木さんの御三方が参集、後に工藤さん、野々村さん、さらに後、山下さん、大黒さんが加わりました。こうした方々が一堂に梁山泊(つど)うなど、向後はあり得ぬのではないかと思います。

甲斐(ちから)なき座主ゆえ、此方が毎日啓発されることが多く、斯くも遙かな高みにまで引っ張られるとは思い到りませんでした。お蔭で、雑だった聴き方も随分改善され、鼓膜も幾分広く深くなったように思いました。

反面、音盤ばかり毎週のように更新しても、殆ど反応を頂戴できませんでした。電網は交誼(つきあい)が広がると期待していただけに、空(すか)を引いた感覚でした。病気のためもありますが、98 年末頃には、吾が電網活動も次第に無気力が、その鎌首を扛げ始めました。

やがて画像も、敦煌 codex、フラッドの絵となってゆきます。



参.綴り方に至る途 ( 1999 / 2000 )


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開始頁画像 其の五
上記の結果、99 年の改訂へと繋がりました。但し、項目建ては同じ儘、文章を取り払ったものです。日本の網站で、評言(つづりかた)なき web など如何に詰らぬかは、もとより己が確と理解しております。にも拘らず、全く言葉を拭い去るということは、結局、私自身の電網生活に対する鏡像(りふれくしょん)だったのかもしれません。

本に戻り始める中、書に関しては益々文言なしでは無理があると感じ始めました。所期の「ムネモシュネ」計画を多少歪める気になったのは、この改訂とほぼ同時でありました。

そのうち、音盤網站に比して、本や映画に就いて語る網站の方が、フェア且つ清澄に書き手自身が顕現されているのではないか、と思い至りました。本に対して書くには、表層辿り書きくらい無意味なものはないのです。書物蘊蓄の網站は、書き手の文化背景が、望むと望まぬと、くっきり透けてしまうからです。勿論、物欲も学問も衒学もたっぷり入れられます。しかしこれには、音盤以上に蓄積されたもの、特に縦掘力よりも横掘力の方が物を言います。


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開始頁画像 其の六
私は再度、自分なりの愉楽を「綴り方」として見つけなおすべきではないかと、とある電網地下活動から学びました。評論(のようなもの)ではなく、物欲を併記し、自分というフィルタをきちんと介した言葉と印象から結像(ふぉーかす)する。そしてそれはまさに心象。薄識を絞り出してみるうちに、ちらと現れる叡知(ぬーす)。斯くなる叡知の瞬時の明滅を消さぬように、頻々と積み上げた時、己が背景が見通せるかどうか、という拘泥に他なりません。

なお、この間、「從吾所好」を何度か訪問、自分なりの道筋を考える示唆(ひんと)になりましたこと、御礼共々附記させていただきます。

矢張り、未だ九年に到らず、という状態です。







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