(2004.09) リスト雑感 − 9 月風琴音盤記、多分其の壱−
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かなりの無音にて御免。
日々の買物雑録は、ウェブログに記しているとおり。今回は、そこでも触れたリストの録音を少し纏めてみた。

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Franz Liszt : Orgelwerke
( Arion : ARN 68099 )
- Fantasie et fugue sur le Choral "Ad nos, ad salutarem undam"
- Prélude et fugue sur B.A.C.H.
- Variations sur "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen..."
Louis Robilliard ( org : Großmünster, Zürich )
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最初に聴き始めた契機は、ロビヤールの「デュプレ、フォーレ、デュリュフレ」の Festivo 新譜である。 (註1) デュリュフレの「組曲」を聴き、特に〈トッカータ〉のトリビアルな音の動きを克明に活写しているあたりが非常に面白かったので、Festivo のロビヤールを全部発註し、加えて Arion で買っていなかったリスト集を購入、試聴した。
チューリッヒの大聖堂での録音。近接ながら明晰な音像だ。快速なテンポでぐいぐい進み、スカッとした演奏という印象。ロマン派楽曲演奏特有の「粘り」がほとんどない、実に淡々とした演奏だが、次の点で鮮烈な印象を与える。
3 曲とも、音楽を構成する部分部分の音響要素を見事に摘出する。しかし強引にそれらを糊付けし、全体を形成している感があるのが「玉に瑕」。全体が有機的に結合されていないように聞こえるわけだ。リズム感が今ひとつシャッキリしないところもあるが、とにかく前進的に斬り込む小気味よさ、人工的なほどの清潔さは、ロビヤールのユニックな美点と思う。演奏としては真っ向から正当なものだが、出てきた音楽は新奇なアプローチに聞こえる。しかし、リストのオルガン曲が、これほどあっけらかんと、そして鮮烈・明晰に弾かれた演奏はまずないのではないか。
その最たる例が〈Ad nos〉。この曲を構成するモザイック状の緻密さと論理性の明快さは聴き応えがある。しかし、部分部分は面白い反面、一貫した音楽の流れをあまり感じない。この曲の持つ波状的な高揚に聴き手は引き込まれていく筈だから、その感覚が弱いのが残念。〈BACH〉は、自由闊達で、ピアニスティックとさえいえる音楽作りには、私的に非常に好感が持てる。マニエリスティックながらも、音像のクリアさも奏効し、清々しさと鋭さが心地よい。〈Weinen, Klagen...〉では、ロマン派オルガン音楽に纏わる「おどろおどろしさ」をきっぱり排除した意志的な強さを感じる。ただ、後にリストがこの作品に救済的浄福性を追加したように、本作の「聴かせ場」はラストに向かう静謐な甘さだ。もう少しとろりとした甘美さがほしい。

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Robilliard : Poète & Virtuose à l'orgue
( Festivo : 6931 722 )
- Liszt (arr. Robilliard) : Funérailles
- Mendelssohn : Sonata VI in d
- Liszt : Präludium & Fuge über das Thema B-A-C-H *
- Brahms : Choralvorspiele "Mein Jesu, der du mich" op. 122-1
- Brahms : Choralvorspiele "Herzliebster Jesu" op. 122-2
- Liszt : Variationen über "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen" *
Louis Robilliard ( org : St.Sernin, Toulouse - * ; St.François-de-Sale, Lyon)
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次に、Festivo で 98 年に録音されたリスト、メンデルスゾーン、ブラームス集を聴く。ここではリストの〈フュネライユ(葬送)〉がロビヤールの編曲で収録、あとは〈BACH〉と〈Weinen, Klagen...〉で〈Ad nos〉は入っていない。結論的には、ロビヤール自身も、あのあっけらかんとしたドラスチックなリスト演奏から「並」の音楽意匠に変わってしまった。Festivo の一連の録音から〈Ad nos〉を外したのは、そういう背景があってのことなのかと穿ってしまう。
〈フュネライユ〉は、やはり原曲のピアノのような豊かなデュナーミクがもっともっと欲しいが、カヴァイエ=コルの楽器では限界がある。〈BACH〉と〈Weinen, Klagen...〉は、Arion 盤と大きな解釈上の変化はないが、音響的に、より恰幅の大きい幻想的な味わいへと深化している。無論、その分あのモザイックな面白味は減じてしまったのであるが...
結局、リストにトゥールーズのサン=セルナンの C=C を使うという意義が、どうも明確には生きてこない。これだけクセのある楽器では、ロビヤール本来の意図は、十二分に発揮できないのではないか。 (註2) つまり、旨味を逃がしているのは、楽器そのものという可能性が高いと言えるのではないか。

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Franz Liszt : Orgelwerke
( Alpha : 059 )
- Liszt : Präludium & Fuge über den Namen Bach (1856)
- Mendelssohn : Aria Jerusalem, die du tötest den Propheten
- Mendelssohn : Lied ohne Worte en mi bémol majeur, op.30-1
- Liszt : Prélude d’après "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen" (1859)
- J.S. Bach : Aria "Erbarme dich" from Matthäus Passion
- Liszt : Fantasie und Fuge über den Choral "Ad nos, ad salutarem undam"
Yves Rechsteiner ( org : Schwerin Dom, Germany )
Monique Simon (ms), Amandine Beyer (vn)
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Liszt : Organ Works
( Brilliant Classics : 92208 )
- Prrelude & Fugue on the name of B.A.C.H.
- Variations on "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen"
- Fantasie & Fugue "Ad nos, ad salutarem undam"
Hans-Jürgen Kaiser ( org : Schwerin Dom, Germany )
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ロビヤールを聴いた後で、シュヴェーリン大聖堂のラデガストのオルガンを使った 2 つの録音を聴き比べてみることになる。レヒシュタイナー盤とカイザー盤である。
前者は、1856 年、メルセブルク大聖堂のラデカスト・オルガンの奉献演奏会におけるリストとその弟子(A・ヴィンターベルガー)の演奏光景を再現しようという試みである。間接音を豊かに取り込み、ロマンティシズムの荒く深い陰翳を意図的に強意した録音技術にはドキッとさせられる。但し、ラデガストの音響がこんなデモーニッシュな交響なのか、やや疑問だが...
その演奏会の再現性もあってか、この〈BACH〉は通常弾かれている 1870 年版ではなく、1855 年版の模様だ。 (註3) しかし、解説中には使用版について明記がない。〈Weinen, Klagen...〉は、後年拡張した 1863 年版ではなく、ピアノ原曲をオルガンへ編曲した、短い前奏曲としての 1859 年版を使用している。〈Ad nos〉は一応現行版ではあるが、レヒシュタイナーによるカデンツや装飾が多く加えられており、本人も意図的に「異稿」的な演奏を行った由。 (註4)
演奏はよくまとまっている。音響の荘厳さに比して、演奏は比較的淡泊ながら、運動性もそれなりの旨味はある。しかし、音楽の「核」のようなものが析出してこないのである。
リストの持つ誇大妄想性を唾棄したロビヤール旧盤のような意匠を、レヒシュタイナーが求める筈もない。だが、即興的な添加にさしたる魅力は加わらず、むしろ作品の根底にある情感のダイナミクスが抑制気味に聞こえること、音楽的想像力の惰弱さが隠見することなどの方が私は気になる。「古楽奏法」の援用だけでは、リストのオルガン作品の音楽的な豊かさを必ずしも拡げるものではなさそうだと改めて感じる。
他方、カイザー盤は、SACD 盤。同じ楽器での録音であっても、録音技術とカイザーが求めている音楽性がレヒシュタイナーとはほとんど正反対になっている。むしろ、此方の録音技術の方が、音的にはラデガストの音響の形をくっきりと捉えているのだが、奏でられる音楽は濃厚でおどろおどろしい、ほとんど「音楽的化物屋敷」である。
3 曲とも、一般的な録音時間の 1/3 以上は遅く、〈Ad nos〉に至っては 37 分もの時間を要しており、ロビヤール旧盤と比べ 14 分も遅い! カイザーは、レーガー録音で実に色彩的でダイナミックな演奏をしていた (註5) のだが、ここでは単に怪物的にデフォルメした演奏でしかなく、うんざりした。慥かに、シュヴェーリン大聖堂の音響では、普段どおりのテンポでは音楽の輪郭が茫洋とするのかもしれないが、それを逆手にとって徒に音楽を肥大させても、緊迫感が弛緩する以外に効果はなかったということだ。〈BACH〉ですらそうだし、〈Ad nos〉は生演奏ならともかく、聴いていられない。 (註6)
私的には、レヒシュタイナー盤の録音技法を、カイザー盤に持ってきたなら、それはそれで最強のおどろおどろしい録音になったと思う。どうせなら、そこまでやってもらいたかった。
さて、こう聴き込んでみて感じることは、リストのオルガン作品は「ロマン派的」という名のもとであれ、解釈的「中庸」は無害だが無益なだけ、演奏的「中庸」は音響との相補性によって大きく価値が変わる、ということか。
■ 註 ■
(註1) 当盤については、ウェブログの 「2004年09月02日(木)」を参照のこと。デュリュフレの「組曲」は、〈シシリアンヌ〉だけサン=フランソワ・ドゥ・サルで、両端はサン=セルナンでの録音。

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Dupré, Fauré, Duruflé
( Festivo : 6961 9428 )
- Dupré : Symphonie-Passion op. 23
- Fauré (arr. Robilliard) : Suite "Pelléas et Mélisande" op. 80
- Duruflé : Suite op. 5
Louis Robilliard ( org : St.Sernin, Toulouse ; St.Francois-de-Sale, Lyon )
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(註2) その割に、動きや音色変化の少ないブラームスやメンデルスゾーンは、サン=フランソワ・ドゥ・サルのような楽器で、内省的なしかし重すぎない佳い味わいを出している。リストのように振幅が自在で、ドラマに満ちた音楽では、C=C の楽器、特に轟音系トゥールーズの楽器ではどうしても鈍重に過ぎてしまうことは、Arion であのような録音をしたロビヤールにもわかっていただろうと思うのだが...
(註3) この解説によると、初回の奉献演奏会は 1855 年 9月末だったが、この時はリストの筆が間に合わず、〈BACH〉ではなく〈Ad nos〉がヴィンターベルガーによって演奏されたとのことである。なお、1856 年 5月、メルセブルク大聖堂での 2 度目の記念演奏会が催された際、〈BACH〉はヴィンターベルガーによって初演された。よって、1856 年版ということを間接的には述べている。1855 か 1856 かの標記問題は、近々改めて調査してみる。
さて、1855 年版については、実のところ、そう録音が多いわけではなさそうだ。私自身も不勉強ながら、トマス・トロッターが Argo に 1855 年版と 1870 年版の両方を録音していること、またジャン・ギユーがこの両版とピアノ版を混淆した「ギユー版」で録音をしていること(Dorian)程度しか理解していない。 1855 年版録音については、さらに勉強する予定。
(註4) 解説におけるレヒシュタイナーの言に拠れば、
「...実のところは作曲者たちの中にも自分の書いた楽譜をごく自由に解釈することに異議をさしはさんだりしない人もいたのであって、リストなどはまさにそうした作曲家のひとりだった。置かれた環境にしたがって楽譜は逐次違った形のものとなる──オルガンの種類しだい、演奏する場所しだい、演奏者しだい... つまりそれは事実上、もはや『異稿』なのだ」 と、このように前提した上で、
「現在、リストはもう生きてはいない。彼の偉大な創意はこれ以上の版の変更をもたらさないのである。それでもなお、彼の作品は敢えて 19 世紀の習慣にしたがって演奏されるべきではないか、と私は思う──縦横無尽に、自由自在に。ここで私が〈Ad nos〉を、いくつものカデンツァや(スケッチから決定稿までの間に削除された様々な楽想がその源泉になっている)、楽想や装飾音を追加して演奏しているのは、そうした考えにもとづくものである」 と演奏背景を説明している。
ここでレヒシュタイナーが述べていることに、我々が驚くべき発明はない。だが、もしそういう姿勢を是とするならば、なぜ〈BACH〉を 1870 年版で、そしてなぜ〈Weinen, Klagen...〉を 1863 年版で演奏しないのだろうか。リストの創意が最後の版まで音楽的、演奏的に深化したものとリスベクトするのであれば、私はここでオリジナルに近い版を使う意義が理解できない。特に〈BACH〉は 1855 年版が、ピアノ版同様、あまり面白いものと私的には思えないからである。
(註5) 彼のレーガー録音については、『レコ−ド芸術』2004年10月号における「海外盤試聴記」の拙稿を参照。ウェブログでも、2004年08月08日(日)「レーガー オルガン作品集第3集 (Naxos)」に、この盤に関して記述してある。

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Reger : Organ Works, Vol. 3
( Naxos : 8.554207 )
- Fantasia and Fugue on the name of B-A-C-H op. 46
- Organ Pieces op. 59 Nos. 1-6
- Fantasia and Fugue in D minor op. 135b
Hans-Jürgen Kaiser ( org : Fulda Cathedral, Germany )
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(註6) カイザーのリストは〈BACH〉と〈Ad nos〉で、当盤以前の他録音を架蔵している(下記 2 盤)。それらの具合いだが、実のところ、基本解釈路線はほとんどかわり映えしないのである。どうやらカイザー自身がリスト作品に対して、窮めて通俗的な解釈フレームしか持ちあわせていないのではないだろうか。この 2 盤を聴いても、たっぷりしたテンポをとった雄大な歩みだが、あまりキレを感じない平凡な演奏。それにしても、この Brailliant Classics 盤はデフォルメが過ぎているが、本人はそれとわかってやっているのだろうか? 結局、その背景はよく理解できない。

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Die Klais-Orgel im Dom zu Fritzlar
( Da Camera : DaCa 77 116 )
- Mendelssohn : Orgelsonate Nr.2 c-moll op.65-2
- Mendelssohn : Orgelsonate Nr.3 A-dur op.65-3
- Liszt : Präludium & Fuge über Bach
- Vierne : Carillon de Westminster op.54-6
- Guilmant : Sonate I d-moll op.42
Hans-Jürgen Kaiser ( org : Fritzlar Cathedrale, Germany )
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Orgelmusik der Romantik II
( RBM : CD 463 174 )
- Reubke : Der 94. Psalm
- Liszt : Fantasie und Fuge über den Choral "Ad nos, ad salutarem undam" (1850)
Hans-Jürgen Kaiser ( org : Fulda Cathedral, Germany )
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■ 関係作曲者 ■
省略
■ 関係風琴 ■
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