(2003.04) 彌生の夜に人は死ぬ− 3 月音盤味到記−



「弥生の夜に人は死ぬ」は、私がくたばった話ではなく、光瀬龍『明治残侠探偵帖』の第 1 作よりお題拝借。本作は私のお気に入りで、続篇がなかったことは惜しいばかり。



Hyperion : CDA67363


Elger : Enigma Variations & Organ Sonata
( Hyperion : CDA67363 )
  1. Organ Sonata in G major op.28
  2. 'Enigma' Variations op.36 ( transcribed by Keith John )
Keith John ( org : The Temple Church, London )


3 月は 9 日、白石 CUBE へ。カルロ・カーリーによる来日公演は、オルガンという楽器の表現力がかくも幅広いものかという感嘆とともに、彼の巧まず豊かな音楽性に溢れ、深く記憶にとどまるべき演奏会となった。
さて、今回の演奏会の目玉、エルガーのオルガン・ソナタは本邦初演の由。エルガーのソナタといえば、カーリーの『Organ Imperial』 (註1) にも収録されているが、当日の演奏はやや走りこそすれ、深々と豊かな浪漫、誠実な感傷といった音楽性、そしてそれを支える豊潤な音のパレットとデュナーミクの奏効など、大変印象深い見事な演奏だった。この体験からさして時を経ずして、このキース・ジョン (註2) の Hyperion 移籍?初のエルガー録音を聴くこととなる。

まず結論から。この種のアルバムとしては疑いなく秀逸であるが、ジョンの録音としては聊か腑に落ちないものを感じる。カーリー公演の記憶を差し引いても、従来聴いてきたジョンからは違った側面が見え、私自身、評価を固定できない部分がある。まず、録音全体が鋭利さに欠けるのである。従来の完膚なきまでの明晰さから稍々遠のき、音像もやや遠目で濁り気味、そして矢鱈と超低域が強調されている。楽器のせいでもあろう、ジョンの魅力が最大限発揮されぬ憾みがある。エルガーにテンプル・チャーチとは、あまりに stereotype だが、ジョンのこと、敢えてそうすることで、超然とその常識を覆すものと期待したのだが、やはりそれは難途のようだ。この録音では、むしろ、ソナタも「エニグマ」も、ゆったりしたテンポの音楽におけるトリビアルな音栓技法やアーチキュレイションが聴きものになっている。

ソナタは、悠揚たるテンポを取りながら、音楽が整然と対比・統合された発語を持ち、フォルムの明快な音楽にはなっている。しかし、抜群の音響的均衡性と透明度が豁然としない儘に終わってしまった歯痒さを残す。というのも、今まで聴いてきたジョンの印象に拘泥する所以もある。しかし、それ以上に、この響きの「濁り」には納得できないのである。
「エニグマ」は彼の編曲でもあり、期待していたところ。ジョンらしい巧妙さは部分部分に見られるし、変奏によっては原曲よりずっといいと思う。但し、原作そのものの懐が広くはないので、どう料理しても詰まらぬものは詰まらぬ面は否めない。ジョンらしさは、快速なパッセージが錯綜する第 4、7、11 変奏あたりに出ている気がするが、この中では「航海中のある女性」を題した第 13 変奏が、静かな航海での波をイメージさせる超低域のうねりの模倣など、彼らしい技巧性と音色の交差が一番出ているところか。それにしても、この超低域は「うるさい」。





Cantate : C 57619

Kantors and Organists at St Thomas, Leipzig
( Cantate : C 57619 )
  1. Seth Calvisius : " Unser Leben währet siebzig Jahr "
  2. Johann Hermann Schein : " Nun danket alle Gott "
  3. Johann Sebastian Bach : Präludium, Largo und Fuge C-dur BWV 545
  4. Johann Sebastian Bach : Toccata und Fuge F-dur BWV 540
  5. Johann Kuhnau : " Tristis est anima mea "
  6. Johann Sebastian Bach : Passacaglia und Fuge c-moll BWV 582
  7. Johann Sebastian Bach : Präludium und Fuge Es-dur BWV 552
Dresdner Kreuzchor, Rudolf Mauersberger (dir) ; 1
Stuttgarter Hymnus-Chorknaben, Gerhard Wilhelm (dir) ; 2
Windsbacher Knabenchor, Hans Thamm (dir) ; 5
Günther Ramin ( org : Thomaskirche, Leipzig ) ; 3/4
Hannes Kästner ( org : St. Georgenkirche, Rötha ) ; 6/7


大林師匠に多謝。ライプツィヒ聖トマス教会の歴代カントルの作品/演奏のコンセプチュアル・オムニバス。このような通観は興味深い。何が「興味深い」かと言えば、或る国の音楽演奏に於ける重要な流れが、師と弟子との相関を通じて垣間見られることである。ここではギュンター・ラミン (1898 - 1956) 、そしてハンネス・ケストナー (1924 - 1996) の録音に触れたい。

ラミンは、トマス教会のザウアー・オルガンによる。最近 Archiv から JSB のモテット集が復活し、Berlin Classics でも JSB のカンタータやオルガン録音が纏められているようだ。また、Organ レーベルから古い録音もリリースされているが (註3) 、残念ながら聴いていない。ラミンに関しては、以前、JSB のカンタータ録音の一部を聴いたことはある。使用校訂譜の古さを除けば、中庸・穏当な解釈だったと記憶している。
さてオルガンの方だが、BWV 540 のトッカータなど速いテンポを打った堂々とした演奏である。録音の聴きにくさを多少差し引いても、ペダル音を強調した揺るがぬピラミッドバランス、リズム感の悪さに相即した音価が長めの鬱陶しいアーチキュレーションを除けば、多くの人に忌避されるような大時代性は見られない。古臭さを感じるとすれば、フーガの進行くらいなものだ。矢鱈とスケール感を拡げようとする割に線的な綾が聴き取りにくいが、これはラミンだけの問題ではなく、この時代のドイツの音楽家に通じる話だろう。とはいえ、これといった強い特質がないのも確かだ。音楽のロマンティックな内実は明らかだが、音響に比べ、音楽に重さはそれほどなく、堅実な音楽構築が優先されている。
果たしてラミンが、現在に至るドイツ風琴演奏の亀鑑となったのか否かは知らないが、この「破綻はないがさして面白くもない」演奏規範がここから産まれたとすれば、弟子の一人であるカール・リヒター(1926 - 1981)は、独奏に於いても JSB 宗教作品に於いても、ドイツ全体に通底する健全だが固陋な音楽精神に対する「カウンターバランス」となった (註4) としか言いようがない。なお、BWV 545 のラルゴは、BWV 529 の 2 楽章が使われている。

一方のケストナー。彼もまたラミン門下であった。早くからレーガーと JSB 演奏で知名度を確立、来日もしており、よく知られた存在である。Eterna での 「Bachs Orgelwerke auf Silbermann-Orgeln」の 1 枚が原盤で (註5)、レータのゴットフリート・ジルバーマン&ヒルデブラントのオルガンによる録音。
録音時期は 60 年、つまりケストナーが 30 歳代半ばの意気軒昂な時期のものである。彼が若くして聖トマスのティチュラーとなった理由も、これを聴けば理解可能で、新鮮な息吹きの感じられる佳演だ。従って、先のラミンとは一概には較べられないが、ラミンの中に隠見するロマンティックな内実は影を潜め、むしろ、ザッハリヒな感触に近くなった。だが、余情が膨らまずタイトなボディの JSB となっているのは、私には好ましいところだ。
BWV 582 は恬淡ながら聴かせどころはよく押さえており、全体に清々しい。また、BWV 552 では、テンポも速めで明快なフレージングを伴いイン・テンポで通している。ケストナーも卓越した特徴が特にあるわけではないが、微温的な情感の膨張も殆どなく、外連味のないストレートさを高く評価できるのではないか。このあたり、その来し方が似ているようでも、同じラミンの弟子であるヘルムート・ヴァルヒャ(1907 - 1991)とはかなり違った側面を持っている。 (註6)
このように、ケストナーは大変しっかりした技術がありながらも、彼が依拠する音楽基盤(パラダイム)は比較的古い儘であったことが、惜しいところだ。もし彼もまた東独から脱していれば、M.-C.アランより先に JSB をスポルティフな感覚へ導けたかもしれない。それはまた、リヒターとは逆方向でのカウンターバランスになったかも... などと想像したりする。ともあれ、「師の屍を踏み越える」後継者を育てたという意味で (註7)、ラミンは卓れた教師だったと見做せようか。





Musica Rediviva : MRCD 009

Bach Cahman Tribukait
( Musica Rediviva : MRCD 009 )

Bengt Tribukait plays the 1730 Cahman organ at Drottningholm
  1. Toccata in D major BWV 912
  2. Partite diverse sopra il chorale " Ach was soll ich Sünder machen " BWV 770
  3. Patorale in F major BWV 590
  4. Toccata in c minor BWV 911
  5. Contrapunctus I, IX, Fuga a 3 soggetti from "Die Kust der Fuge" BWV 1080
  6. Choral " Vor deinen Thron tret' ich hiermit " BWV 668
Bengt Tribukait ( org : Drottningholm palace, Sweden )


音楽之友社・田中さんに多謝。MVSICA REDIVIVA なる聞き慣れないレーベルは、スウェーデンのイェテボリにある。「真性」海外レーベルとしては珍しく、投げ込みのみならず、web サイトまで日本語が並記されている。北欧音楽贔屓の日本人も多いから、我が国も明確な市場標的になっているということだろう。

それはさておき、ストックホルム郊外にあるドロトニングホルム王宮のヨハン・ニコラウ ス・カーマンによるオルガン(1730年)が使われている。勘の良い方なら収録曲からおわかりのとおり、ペダルがなく、手鍵盤のみの 6 ストップの小型オルガンである。1974 年に一度修復され、94 / 95 年、コペンハーゲンの楽器博物館のカーマン楽器をモデルに、オリジナルな形で完全修復された。調律はヴェルクマイスター III が使われているが、オリジナルも W-III に近い調律だった由。
さて、ここでは BWV 911 / 912 のようなチェンバロ作品も録音されている。意外にもこれが自然に響いており、会堂の清冽な空気感も相俟って、斬れ味の良い演奏となっている。BWV 590 もフレージングの小気味良さとともに、ストップの彩りも巧まず奥行きを作る。全体、鈍重さとは無縁な爽快かつ愉悦溢れる演奏で、仕舞いまで楽しく聴き通せた。
ベンクト・トリブカイトは 64 年生まれ、ハンス・ファギウスやトルヴァルト・トレーン門下で、オールトメルセン、サンガーにも師事した由。それで成程、トリブカイトもそういえばファギウスの直球勝負的な JSB の味わい (註8) に似てなくもないが、ここではトリブカイトの方が綽々たる余裕を見せている。尤も、この録音だけでは、演奏家としての総力量は測りがたいが、たかだか 6 ストップの小型楽器を弾いている割に、清潔ながら、明快多彩な音栓技能は卓れている。また、この人はピアノやアンサンブルもこなし、コンテンポラリもやるらしいから、他の録音があれば聴いてみたいものである。
なお、先に挙げた web サイトの日本語頁から、日本オフィスにオーダーも可能のようである。





Accord : 4722162

Thierry Escaich
( Accord : 472 216-2 )
  1. Concerto pour orgue et orchestre
  2. Symphonie n°1 " Kyrie d’une messe imaginaire "
  3. Fantaisie concertante pour piano et orchestre
Olivier Latry (org), Claire-Marie Le Guay (pf)
Orchestre Philharmonique de Liège
Pascal Rophé (dir)


Hortus : 024

Theirry Escaich : Le Dernier Évangile
( Hortus : 024 )
  1. " Le Dernier Évangile " sur un récitatif de Nathalie Nabert
  2. Trois Danses improvisées
  3. Poème symphonique
Ensemble Orchestral de Paris, Maîtrise Notre-Dame de Paris
Chœur Britten [ Nicole Corti (dir)]
Olivier Latry ( org : Notre-Dame Cathedral, Paris )
John Nelson (dir)
Theirry Escaich ( org : Notre-Dame Cathedral, Paris ) ; 2/3


エスケシュを 2 題。ひとつは 1 月に脚注で取り上げた「管弦楽を伴う作品集」。もうひとつは宗教作品『最後の福音』とパリ・ノートルダムでの即興演奏の録音である。
Accord の作品集は、交響曲第 1 番の神妙さが今一つよく把握できないが、私にも大変面白いものであった。特にオルガン協奏曲は、彼ならではの暴力性と陰惨な思念性とに溢れ、非常にスリリングである。ここでは、彼の情念表現が包括的に描かれているだけでなく、オルガン独奏とは異なるわかりやすい遠近感・立体感を伴って、音楽の起伏はハンマーの如く襲いかかってくる。しかし、フルオケの割には色彩感はさほど感じられなかった。またラトリの演奏を云々できるほどオルガンの役割は単純ではなさそうで、コンサート曲目として取り上げるのは困難かも。また、オルガン・パートが別録音のミックスダウンであり、遠近感が少々わかりにくく、音響的な恣意性を感じてしまうのはやむを得ないところか。

一方、Hortus の宗教作品『最後の福音』は、「ヨハネ福音書」のプロローグに基づいて書かれたもの。彼の声楽作品は、欧州辺境地域のキリスト教声楽に近い感興を思わせるが、これはさらに全体が中世風の彩りに満ちているといえる。それはさておき、私的なこのアルバム聴きの目的は、パリ・ノートルダム大聖堂でのエスケシュの即興演奏にある。
エスケシュも随分聴いてきた所為か、彼ならではの表現方法にこちらも段々慣れてきたが、コシュローの凄絶な音楽の媒体であったこの楽器による彼の即興ならば、「あの」激烈な情念表現がどんなであろう... と矢鱈期待が高かった分、意外にも大人し気な音塊と情念の放出振りに、ややスカされてしまった感じ。勿論、エスケシュらしい複雑多岐な音楽技法も「3 つの舞踏即興」では多々見られるが、ここではかなり sophisticated というべきか、音の知的遊泳が彼ならではの音のパレットから紡ぎ出されている。こういう味わいも慥かにエスケシュではあるが、今まで聴いてきた中では、最も印象に薄いのもまた事実。

まぁ、今回はジョンといい、エスケシュといい、今までの耳のありようから期待して聴くと、彼等各々の音楽的歴程とはやや違った側面が聴け、それなりの面白さを会得した反面、本心的にはちと寂しい気もする。しかし、聴き直しているうちに、ふとわからなかったことがわかる時も多々あるので、再度時間をおいて聴き直してみようと思う。





■ 註 ■

(註1) エルガーのオルガン・ソナタ録音は、エルガー協会の水越氏によれば、30 種を超えるそうだが(
水越氏のサイト情報、または『レコード芸術』2003 年 5 月号)、大林さんの話では、中でもカーリーの録音を筆頭にあげる人が多いそうである。私自身も、この演奏で刷り込んできた所為か、4 楽章など他演を聴いて初めて、この録音の速さを知る由となった。なお、当盤には「エニグマ変奏曲」のうち「Nimrod」が収録されているが、こちらはカーリーならではの暖かな叙情をゆったりたっぷりと謳いあげた演奏である。

Argo : 433 450-2

Carlo Curley : Organ Imperial
( Argo : 433 450-2 )
  1. Elger : Imperial March
  2. Parry : Chorale Prelude on 'Eventide'
  3. Wesley : Chorale Song and Fugue
  4. Wesley : Air and Gavotte
  5. Elger : Chanson de nuit op. 15 no.1
  6. Elger : Chanson de nuit op. 15 no.2
  7. Cocker : Tuba Tune
  8. Whitlock : Folk Tune from 'Five short pieces'
  9. Lemare : Rondo capriccio op.64
  10. Elger : 'Nimrod' from Enigma Variations op. 36
  11. Vaughan Williams : Prelude on 'Rhosymedre'
  12. Elger : Sonata for Organ in G op. 28
Carlo Curley ( org : St. Mary Redcliffe, Bristol )




(註2) キース・ジョンの初来日が決定した。今夏 8 月 24 日(日)14:00 より、
白石 CUBE にて行われる。プログラムも発表されており、彼自身の編曲者のほか、リストの「Ad nos」も演奏される予定。


(註3) この原稿を書くために
OHS にオーダーを出しているのだが、いつまで経っても届かない(怒)。1936 年から 41 年までのラミン戦前の貴重な記録である。レーガーやラミン自身の即興が収録されているのも興味深いが、JSB のコラールはどのような解釈をしているのか、(註6) でのヴァルヒャ小論の内容と併せて、検討してみたいところである。いずれ聴いた際にはご報告したい。

Organ : ORG 72032

Günther Ramin, Orgel
( Organ : ORG 72032 )
  1. Reger : Introduktion und Passacaglia in d
  2. Ramin : Freie Improvisation über gegebene Themen
  3. Bach : Passacaglia und Fuge BWV 582
  4. Bach : Chorale " Herzlich tut mich verlangen " BWV 727
  5. Bach : Chorale " Das alte Jahr vergangen ist " BWV 614
  6. Bach : Chorale " In dulci jubilo " BWV 608
  7. Pachelbel : Chiacona in f
  8. Buxtehude : Chorale " Wie schön leuchet der Morgenstern " BuxWV 223
Günther Ramin ( org : Thomaskirche, Leipzig ; Wiener Funkhaus, Wien )




(註4) リヒターの強烈な情念表現、劇的な音楽構成については、独奏者の顔としては、例えば、最後の録音になったフライベルクでのジルバーマンによる JSB 集(Archiv)のように、窮めて強力なロマンチシズムの支配的泳動を念頭において、勝手にそう書いている。これを聴くと、リヒターは政治的に自ら東独を脱したのではなく、実は音楽的な理由から西側へ「流竄(るざん)」せざるを得なかったのではないかと思える(無論、冗談)。余談ながら、こうしたリヒターの振幅の大きい「揺れ」の実態は、録音時にビールを飲み過ぎた「酩酊状態」とも風聞しているが、どちらにしてもあまり健全ではなかろう。
しかし、旧東独の生真面目で、主観的情感に誘導されただけの鄙臭い演奏意匠に対してのみならず、例えば、アルノ・シェーンシュテットなどに代表される旧西独に於いても、そこに瀰漫していた「訓詁学」的な風琴演奏に対して、或る意味でリヒターはカウンターバランスになってもいたのではないかと憶測している。但し、そうは言えども、リヒターのような音楽家が西独のメイン・ストリームになる筈もなく、シェーンシュテットなどへの対置として、ジグモント・サットマリーがドイツで教鞭をとり始めたあたりが、実のところ、西独のカウンターバランスだったのかもしれない。


(註5) 近年、Berlin Classics より「Bachs Orgelwerke auf Silbermann-Orgeln」(Eterna ; 21 LPs)の CD リイシューとして「Das Orgelwerk auf Silbermann-Orgeln Vol. I - X」がリリースされた(下記 2 つ目を参照)。しかし、精査していないが、この CD 全集も結局は 21 枚の LP の音源全てが網羅されておらず、一部割愛されている模様。レータのケストナーも Cantate 盤に収録されている BWV 552 が残念ながら割愛されている。レータのケストナーのオリジナルは Vol.5 としてリリースされたものを挙げる。

Eterna : 8 25 664


Bachs Orgelwerke auf Silbermann-Orgeln : 5
( Eterna : 8 25 664 ; LP )
  1. Präludium und Fuge Es-dur BWV 552
  2. Passacaglia und Fuge c-moll BWV 582
  3. Choralbearbeitung " Herzlich tut mich verlangen " BWV 727
  4. Partite diverse sopra " Sei gegrüßet, Jesu gütig " BWV 768
Hannes Kästner ( org : St. Georgenkirche, Rötha )


Berlin Classics : 0093602BC

JSB : Das Orgelwerk auf Silbermann-Orgeln Vol. I - X
( Berlin Classics : 0093602BC ; 15CDs )
  1. Doms, Freiberg ( Große und Kleine Orgel )
  2. St. Georgenkirche, Rötha
  3. Dorfkirche, Crostau
  4. St. Petrikirche, Freiberg
  5. Dorfkirche, Ponitz
  6. Kirche, Großhartmannsdorf
  7. Schloßkirche, Burgk
  8. Dorfkirche, Frau
  9. Katholischen Hofkirche, Dresden
  10. Dorfkirche, Nassau
Robert Köbler, Arthur Eger, Christoph Albrech
Hannes Kästner, Günter Metz, Herbert Collum, Johannes Schäfer
Hans Otto, Johannes-Ernst Köhler, Erich Piasetzky




(註6) ラミンを同じ師としながらも、ケストナーとヴァルヒャとは一見似たような行き方ながら、その位相は随分異なるように私は感じる。正直に申し上げて、ヴァルヒャは巷間の評価が高すぎるのではないかと私は思うのだが、3 者を比較してみて一層その思いを強くした。ヴァルヒャの JSB 解釈が、たとえロマンチシズムと訣別し、それとは無縁なものに行き着いていても、私にはケストナーの方がより明快に JSB の音楽に到達しているように思える。
ヴァルヒャが 40 歳台前半に録音したモノラルの JSB オルガン作品集(Archiv)を聴くと、ケストナーのような外連味のないストレートさといった要素は殆ど見当たらない。むしろその多くは、スタッカートの多い、鷲掴みにするような気の荒さ、素気なさの方が強く印象に残る。慥かにアーチキュレーションや音栓感覚の点では、ラミンのような滑らかさや剛毅なピラミッドバランスへの拘泥から離れ、より即物的感覚で JSB の音楽に向かっていったのだろう。
ロマン的とはいえ、しかし、ラミンの JSB 演奏は矢鱈たっぷりした音響に満ちていながらも、意外と「軽く質樸」な音楽なのである。決して重くはない。逆に、ヴァルヒャのオリジナリティは、ラミン張りの音響的大袈裟さや量感を払拭はしたが、JSB の音楽内容そのものに厳格さと重さを加増して了ったことにある。
JSB の器楽作品は、決して精神性に横溢するだけの狭い領域ではなく、知的遊戯性が軽やかに混淆する「抽象性」なくしては語れないだろう。その抽象性とは、エーテルのようなものだろうと私は思っているのだが、結局、ヴァルヒャは己が精神性を JSB の音楽に添わせた結果、JSB の抽象性を見事に揮発させてしまい、窮めて重厚で高邁な価値観にかたぶかせたのである。カペルやアルクマールなどの古典楽器の演奏に卓れた理解と実践を見せ、贅肉を削ぎ落とし清澄な空気感に「響き」を発展させながらも、JSB に必要以上の価値と意匠を加えたからこそ、コラール以外の自由曲の面白味を半減させた。ステレオ再録音では、さらにそこに「恒ナル微笑」の如く微温性まで羽織り、余計詰まらなくなった。反面、アルサスのジルバーマンの響きの扶けもあって、コラール系が最も彼の価値感と和合して成功した。だが、少なくともライプチヒに根を生やしたラミン及びその後裔は、たとえ時代時代の音楽演奏のパラダイムに即した変化があったとしても、JSB の音楽そのものは質樸な儘であり、ヴァルヒャのような特別な価値観を付与することはなかったのである。

Archiv : 2722 036 ; 14LPs

J.S.Bach : Das Orgelwerk
( Archiv : 2722 036 ; 14LPs )
  1. St.Jakobikerk, Lübeck ( Kleine Orgel )
  2. Kirche, Cappel
  3. St.Laurenskerk, Alkmaar
Helmut Walcha ( org )


Archiv : 463 712 ; 12CDs

J.S.Bach : Das Orgelwerk
( Archiv : 463 712 ; 12CDs )
  1. St.Laurenskerk, Alkmaar
  2. St.Pierre-le-Jeune, Strasbourg
Helmut Walcha ( org )


この辺、ご批判・反論は歓迎したい。私もいずれきちんと深耕して纏めてみたいとはいえ、傍証を正確にしていない以上、まだ「試論」の域でしかない。但し、誤解なきように申し上げるが、私自身はヴァルヒャのコラールには深く傾倒してきた一人であり、決してこの壮大な録音事業を貶めるような意図もない。
そもそも、ヴァルヒャのモノラル JSB 録音が初めて江湖に送り出された時代を考えてみよう。他に流通していた JSB 録音を挙げてみれば、まずはシュヴァイツェル博士であり、古いマルセル・デュプレやギュスターフ・ブレ、アンドレ・マルシャルらのフランス側の浪漫的演奏であったことを考えると、ヴァルヒャの高邁で潔癖な精神性は、使用楽器の素樸な響きとともに、当時のリスナーの感銘を誘ったのは想像に難くない。しかし、その価値観がいつまでも曳行されるのは、単に我々にドイツ・オルガン界の知識がなかっただけのことなのではないか。その意味で、本来、リスナーである我々にとってヴァルヒャとは、過渡的な存在だったかもしれない。


(註7) 唐突ではあるが、生物学者、團勝磨博士(1904 - 1996)曰く、「教師の運命とは、自分が行くところまで行って倒れたときに、弟子がその先生の屍を踏んで先に進むからこそ意味があるんだろう」(『夢と真実 生物学者は語る』)。ここで團博士が述べた意味は、自分が師事した美国ペンシルバニア大学のハイルブラン教授のクラス選別法(創造性のある者とない者とに分別して教育する)が定礎されているわけで、「先生の屍を踏んで先に進む」とは、あくまで「師のエピゴーネンとして大成する」こととは大きく意味が違うことを覚えておきたい。
尤も、同書では、岡田要博士(1891 - 1973)の言も奮っており、「大学なんかでも、たとえば教授が定年になったとき、自分のあとを継ぐものがないとか言ってうぬぼれておるが、あれほど馬鹿げたことがあるだろうか。これは怠慢だぜ。先生は大学に少なくとも数十年はおったはずだが、そんなに長い間に自分の後継者をようつくらんというのは恥じゃないか」とも。蓋し名言であるが、これとて師のエピゴーネンを養成することとは意味が違うわけである。
話を戻し、上記の意味では、決してラミンだけではなく、ケストナーも同様だったのではないか。例えば、『Orgel Jazz Improvisation』でジャズと即興の見事な統合をやってのけた異才ダフィート・ティム( David Timm )は、ケストナーの弟子である。だがリヒターは...?

Raum Klang : RK9711

David Timm : Orgel Jazz Improvisation
( Raum Klang : RK9711 )
  1. Timm : Præludium
  2. M.Petrucciani / Timm : Looking up
  3. K. Rommel / Timm : Du hast uns, Herr, gerufen
  4. N. Hermann / Timm : Wir danken dir, Herr Jesu Christ
  5. Timm : Meditation I
  6. Timm : Meditation II
  7. Timm : Meditation III
  8. V. Young / Timm : Stella by Starlight
  9. Timm : Toccata über " Christ ist erstanden "
David Timm ( org : St. Nikolai, Bad Liebenwerda )




(註8) ファギウスの JSB 集は、オリジナルが BIS レーベルであるが、最近、Brilliant Classics がライセンスを受け、Bach Edition の一環として、全 17 枚の廉価箱を出した。ここで申し上げている「直球勝負的」とは、この録音でのファギウスの爽快・明朗な直線的演奏を指している。

Brilliant Classics : 99365/1-8 ; 8CDs

J.S.Bach : Das Orgelwerk
( Brilliant Classics : 99365/1-8 ; 8CDs )


Hans Fagius ( org )


Brilliant Classics : 99381/1-9 ; 9CDs

J.S.Bach : Das Orgelwerk
( Brilliant Classics : 99381/1-9 ; 9CDs )


Hans Fagius ( org )






■ 関係作曲者 ■

省略

■ 関係風琴 ■

省略



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