(2002.11) 改めてアランを難ず−「Toccata集」弐題−



ERATO : REL-8027

Les Grandes Toccatas
( ERATO : REL-8027 ; LP )
  1. J.S. Bach : Toccata et Fugue en ré mineur BWV 565
  2. Boëly : Fantaisie en si bémol majeur
  3. Dubois : Toccata en sol majeur
  4. Gigout : Toccata en si minuer
  5. Widor : Toccata en fa majeur ( from Symphonie N°5 )
  6. Vierne : Carillon de Westminster
  7. Vierne : Toccata en si bémol majeur
  8. Boëllmann : Toccata en ut mineur ( from Suite Gothique )
  9. Albert Alain : Toccata en sol majeur sur "Cantemus Domino"
Marie-Claire Alain ( org : Cathédrale St-Croix, Orléans ; rec. 1980 )


ERATO : 4509-94812-2

Great Toccatas
( ERATO : 4509-94812-2 )
  1. J.S. Bach : Toccata et Fugue en ré mineur BWV 565
  2. Widor : Toccata en fa majeur ( from Symphonie N°5 )
  3. Dubois : Toccata en sol majeur
  4. Gigout : Toccata en si minuer
  5. Boëllmann : Suite Gothique op. 25
  6. Guilmant : Final ( from Sonate N°1 op. 42 )
  7. Vierne : Carillon de Westminster
  8. Vierne : Toccata en si bémol majeur
  9. Albert Alain : Toccata en sol majeur sur "Cantemus Domino"
  10. Jehan Alain : Litanies
Marie-Claire Alain ( org : Eglise St-Sulpice, Paris ; rec. 1993 )


最初に率直に言おう。
70 年代後半以降の「事切れた」マリー=クレール・アランを、なぜ評論家は誰も糞味噌に断罪しないのだろうか。

偶々、某所でアランの「トッカータ集」の話題が挙がった。ところが、お互いに同じ録音を指して語っていると思いきや、どうやら楽器が違うことが判明。結局、その答えは、何と 2 枚の類似盤がリリースされていたということだ。
題名「Great Toccatas」(尤も LP のタイトルは仏語であるが...)として、私の所有盤は、LP でのオルレアンのサント=クロワ、相手の所有盤はパリのサン=シュルピス。それにしても、後者はサン=シュルピスの録音なのに、ジャケット写真がなぜハーレム・聖バーヴォのミュラー風琴なのか... 「内容ガ如何ハシキモノナリ」とでもいう予防線の意味か?
  • 思うに、両盤とも劣悪の典型。「技術的には無機的で無難なだけ... でも音楽は何も語られていない...」と譬えるに最たるもの。だが、93 年盤では、その技術ですら「無難」とは言えなくなっている。


  • これらの演奏を通して聴くと「うまい」と感じる人もいるだろう。しかし、下手でなければうまいといえるのか? これらの演奏は、特筆すべきほどに音楽的共感も霊感も皆無で、微塵も音楽足り得てはいない。


  • まともに練習した気配も皆無だ。にも拘わらず、相当なテンポで無理に弾き切ろうとするのは何故か。これがライブならまだ許せる。しかし、これは商用録音なのである。


  • 両盤とも殆ど同じラインアップ。大きな違いは、まずボエリの有無だ。老女史には、この難曲はもはや弾けないことがわかったのだろう。しかし逆にギルマンを入れ、藪蛇を召喚するとは...  ボエルマンの「ゴシック組曲」を全曲に替え、得意の兄ジャンの「リタニ」まで入れる。畢竟、トッカータというコンセプトは既に意味を失っている。


  • どういうわけか、父アルベールのこの曲だけを、私が知っているだけで 4 回も録音している。兄ジャンの「リタニ」に至っては、多分、十指に余るだろう。だが聴けば、ただのアラン家の売名行為に過ぎぬとわかる。


  • 両盤を通じて「少しく」音楽になりかけているのは、演奏の巧拙に引き摺られず音楽の顔が現れるデュボワくらいだ(尤も 80 年録音の方が幾分マシ)。ボエルマンも「Suite Gothique」ではなく「Suite Grotesque」だ。中間 2 楽章の可憐な味わいが歪んでいるし、終曲もギスギスする。況してギルマンなど彼女の手に負えよう筈もない。


  • そもそもアランは古典演奏だけの人なのか? 録音レペルトワールからすればそうは思えないが、実態は「古典も駄目な上に、ロマン派以降は音楽の体裁をなさない」と言いたい。バーチュオーゾ・ピースの取り上げ方すら、欺瞞を感じるのだ... 広く見えるだけで、実際は妙に狭くまた偏頗している。特に 20 世紀では、アラン父子が入っているのに、同時代或いはそれ以降の主要な作曲家のバーチュオーゾ・ピースは何一つない。師匠デュプレの作品でも演奏してみたら如何か。
彼女を甘やかしたリスナーはオルガン愛好家よりも、バッハ・ファンの「郷愁」によるものではなかろうか。慥かに 60 年代のアランにはキレもあったし、北欧楽器での「JSB 全集」は、スポルティフな JSB のオルガン音楽の姿を聴き手に示し、新鮮な名演であった(この点については、いずれ総括したいと考えている)。だが、その後のアランの「焼き直し」録音に何の存在意義があるというのか。さらにアランもアランで、知名度だけを利用して頻繁に来日、莫迦高い料金で地方を巡業、荒稼ぎしまくっている。それが実態である。

この両盤で彼女のやっていることは、カラヤンよりも天文学的に劣悪な名曲アルバムの類なのだ。日本の熟練リスナー達は、カラヤンは散々虚仮にしながら、一方でこのような愚劣窮まりない演奏家を野放しにしているではないか。ピアノで同じような演奏家がいたならば、日本の聴衆から黙殺されるだろう。なぜオルガンではそれがないのか?

未だにオルガンではそれが通じてしまうのは、日本の中でパイプオルガンとその音楽の裾野が如何に拡がっていないかという証左である。「腐朽した」大家の録音を賞揚する提灯批評や蒙昧な記事は読みたくはない。パイプオルガンによる音楽に関し、「楽器フェチ」のみに陥ることのない評価が、これからどんどん出てきてもいいのではないか。

 ※快く「Graet Toccata」音源を提供していただいた廣川氏に多謝。




■ 関係作曲者年代譜 ■

Composer 1700 1750 1800 1850

J.S. Bach (1685 - 1750)

CUBE1685 - 1750

Composer 1800 1850 1900 1950

A.-P.-F. Boëly (1785 - 1858)

CUBE1785 - 1858
Théore Dubois (1837 - 1924) CUBE1837 - 192
Eugène Gigout (1844 - 1925) CUBE1844 - 1925
Charles-M. Widor (1845 - 1937) CUBE1845 - 1937
Léon Boëllmann (1862 - 1897) CUBE1862 - 1897
Louis Vierne (1870 - 1937) CUBE1870 - 1937
Jehan Alain (1911 - 1940) CUBE1911 - 1940

Composer 1850 1900 1950 2000

Albert Alain (1880 - 1971)

CUBE1880 - 1971




■ 関係風琴 ■

Cathédrale St-Croix, Orléans
Cathédrale St-Croix, Orléans
Eglise St-Sulpice, Paris
Eglise St-Sulpice, Paris


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