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Saturday, 01 May 2010 04:34 |
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やうやく、ポセイドニオス堂を解體することにしました。
今までのサイト内容につきましては、いつたんすべてを破碎させていただきました。從ひまして、このサイトは、今後、以下のやうに進めようと考へてをります。
● 過去の買物記や試聽記などは、再録に値するもののみ徐々に移送します
● 以前のブログに掲載してゐた内容もリチヨイスの上、再掲するものもあります(尤も、壞れた日本語は大幅な斧鉞を加へて再掲します)
● その後の雜録 (ブログの再開ではありません)
● 從來から豫定だけしてあつた資料關係については、基本的にやめる(この數年で、我々の關心が大きく變はつたため)
● 過去に撤退させたが、他所で情報がない儘のデータについては一部復活させる
● 一般公開では著作權に牴觸する可能性のある情報は、「for members only」扱ひとする(我々の本意ではないが、仕方ありません)
過去のポ堂に掲載してゐた内容(特に文章)は、現在の眼で再録の意味が最低限あるものだけを吟味し直し、形をかへて少しづつこちらに移送する意向です。むろん、面倒な場合はやめにしますので、豫めご海容冀ふ次第です。
last but not least、既にこれらは「過ぎ去つた」斷片でしかありませんので、缺落内容をこちらで勝手に埋めてゆくことはあつても、インタラクチブな要素を持たせてをりません。これらに對する質問や要望にはお應へしかねますので、それも併せてご理解冀ふ次第です。
演算浮月組(ofg) 鞠躬
*更新情報は「Holzwege」をご覽下さい。
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1. タイトルの由来
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| (1) ポセイドニオスとは?
ポセイドニオス(ΠΟΣΕΙΔΩΝΙΟΣ)は、後期古代ギリシャ哲學に於いて竹帛に名を垂れた人物。彼はいはゆる後期ストア派に屬する哲學者であり、シリヤのアパメイヤ出身と言はれてゐる。殘念ながら纏まつた著述は殘存してゐない。 天文學・地理學・博物學など實驗科學において博覽彊識の知識を持つ一方、東洋的な星晨思想とストア哲學とを融合し、靈魂の不滅を唱へた。古代最後の創造的天才の譽れ高くも、冷靜に捉へるなら、彼は表面を天文學で整へながらも形而上學にオリエント思想を混ぜ合はせ、極端に神秘主義化を進めた人である。
(2) なぜ「僞(えせ)ポセイドニオス」か?
後期ストア派は、羅馬共和制時代の最後期、激しく價値觀の變轉した時期にあつた。この時期には新ピユタゴラス派、グノーシスや種々のオリエント出自の秘教的宗教も哲學のありかたに大きく影響し、謂はば世紀末的シンクレチズム(混淆主義)が瀰漫した時代であつた。思想史上の功罪はともかく、この百科全書家には、或る種熟し過ぎて腐敗しはじめた芳香とともに恐るべき求心力をも感じる。 「えせポセイオニドス」とはペダンチツクな記憶術の使い手を象徴して命名した惡ふざけだが、眞面目なところでは、到底ポセイオニドス師には及ばぬといふ作者の潔い諦念も錯綜してゐる。
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Elihu Vedder: The Questioner of the Sphinx (1863)
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2. 記憶術-フオルトトレランスの方法
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蒐集資料がたとへ灰燼に歸すことにならうとも、資料自體の精細な知識と内容の記憶を蘇生させるにはどうしたらよいのか。その苦惱から解放し、蒙を啓く鍵となつたのが右の2册の本との邂逅だ。 記憶術とは「<場>と<イメエジ>を刻み込むことによつてものを憶え込む」手法である。印刷術普及以前の西洋古代~中世においては、例へば、辯論者は記憶すべき内容を彼が辯論する場の建築や場所の個々の要素にイメージとして對象化させ、彼はその記憶を想起しながら演説したのである。ならば、ウエブといふ場を使つて自己の蒐集物の明解な記憶をイメージに貯へておけば、そのイメージからいつでも記憶を遡及・蘇生させられるのではないかと考へたのである。そこへアビ・ヴアルブルク(1866~1929)が登場する。 彼の未完のプロジエクト『ムネモシユネ(記憶の女神)』では、「占星術の傳統の中でオリユムポスの神々の辿つた變遷」と「中世以降の藝術・文明における古代的情念の定型表現の役割」との2つを視覺化するスクリーンを自分の關心列上に多數竝べかへ、その羅列法によつて自己の精神的營爲と研究テーマの意味とを示さうとした。ヴアルブルク的手法の顰みに倣ふべしとこのサイトは意圖された。
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 [写真左]P.ロツシ『普遍の鍵)』 [写真右]F.A.イエイツ『記憶術(The Art of Memory)』
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3. 本サイトの自慰的紹介
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當「A Pseudo-Poseidonis」は、作者の縁のある音盤(LP、LD及びCD)、書物や物品について、その體驗記憶を想起させることを目的に配置してあります。各基本は單なるスノツブであり、單なる藏庫であり、トリビアルな自慰的滿悦のために制作してゐます。しかし、ここでやつてゐる/やらうとしてゐることは至つて平凡な發想と實踐です。 また、當「A Pseudo-Poseidonis」は「Dear Visitor」でも述べたとほり、本質的には評論や積極的な情報發信ではありません。
(1996.07誌)
[附記] なほ、本項はあくまで所期の話題の再掲であり、この間、大幅な意識の變化と怠惰により、既に目的そのものが變化してゐたことを書き添へさせていただきます。 (2010.03誌: ofg)
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Sir Edward Coley Burn-Jones: The Dream of Sir Lancelot at the Chapel of the Holy Grail (1896)
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