Wagakokoro no Ressentiment / 1998.06


2.



Music & Arts : CD-821


Wanda Landowska in performance vol. 1
( Music & Arts : CD-821 ; 2CDs )
  1. C.P.E.Bach : Concerto in D major
  2. Händel : Concerto in B-flat major op. 4-6
  3. Poulenc : Concert Champêtre
  4. Mozart : Piano Concerto No. 13 in C major K 415
  5. Piano Concerto No. 22 in E-flat major K 482
Wanda Landowska (cem, pf)
CBC Chamber orchestra, Adolf Koldofsky (dir) [1]

New York Philharmonic Symphony Orchestra
Leopold Stokowski (dir) [2,3]
Artur Rodzinski (dir) [4,5]



ランドフスカと云えば、即 JSB ということになろうが、私にとっては、まずモーツァルトのコンチェルトであり、プーランクの「田園合奏」である。しかし実は後者については、恥ずかしながら、これまで聴いたことがなかった。Music & Arts からストコフスキーとの 49 年のライブが出ているとは知らず、少し前に取り寄せた。

まず「田園合奏」。最近聴いたルージィチコヴァ&ザンデルリンク盤を基準に比較してみると、むしろスマートな演奏。ミスタッチが多いが、やはり風雅でたおやかな演奏ではないことには首肯。第 1 楽章ラストの畳み込みなどなかなか凄腕っぽいが、少々雑。またアタックの切れ味に薄く、第 2 楽章ではアルペジオの多用が気になる。さすがにモダン・チェンバロらしい弾きっ振りの妙味はあるが、第 3 楽章も初頭のテンポを維持していけないのは少々情けなく、ぽっかり空くパウゼにびくりとするが、颯爽と流さず密度を考え弾いているといった感じ。ストコフスキーもトリビアルな敷衍解釈がほとんどなく、割に淡々と進む。どちらかと言えば、後年のプーランク本人&ミトロプーロス盤の方が、ひとかたならぬ色仕掛けを作っているように思える。

さて、ランドフスカのモーツァルト。彼女のピアノは本当に素晴らしいと思っている。
ランドフスカは、シュナーベルの美学とも、カーゾンの芸の濃さとも、カサドシュの透徹とも違ったモーツァルトのピアニズムではないかと考える。とにかく力みというものに無縁であり、ロココ風の雅やかさだけとも違う、芯のある硬質なタッチである。女流だからなせる技とも思えない。リリー・クラウスやデ・ラローチャなどと比べても、全然上を行く。音楽的素養の懐の深さが違うと言えばそれまでだが、要は音楽に対する真摯な人間性の幅そのものの違いかもしれない。

私が知る限りでは、彼女のモーツァルトは、13・22・26 番の録音が遺されている。彼女の 26 番は、モーツァルトのアポロン的本然を自然な儘に磨き上げた佳演だと思っているが、ここに収められた 13・22 番も同様に素晴らしいものである。久々に邂逅した次第(Music & Arts以外からもリリースされている)。

玲瓏な珠玉の如き感触ながら、表情がとても暖かく、羽毛のような味わいがある。しかし、微塵の甘さも出てこない。カデンツは全てランドフスカ自身のものだが、13 番の 1 楽章のカデンツなど心身が軽くなるような心地よさ。そして 22 番は、数ある盤の中でもピアノだけならこの演奏が好きである。ピアノのように、平然と音に濁りのある楽器においても、これくらい「きれいな音」で鳴ることだけでも嬉しいが、音楽も極上の鮮度なのである。第 2 楽章でのさっぱりした、しかし細やかな抒情の陰翳など、聴き手のイマジネーションを喚起する。まさにランドフスカらしいところ。惜しむらくは、管の絡みが滋味に薄いことと、ロジンスキのバックにもう一つ軽やかなアタックと透明度があればというところだ。




1.



CBS SONY : SOCZ38-43 + YBCC-4


Beethoven : Symphonies No. 1 - 9
( CBS SONY : SOCZ 38-43 + YBCC-4 ; 6LPs + 1 )
  1. Symphonies No. 1 - 9
A.Addison (sp), J.Hobson (ms), R.Lewis (tn), D.Bell (br)
The Cleveland Orchestra & Chorus
George Szell (dir)


CBS SONY : 00AC 1313-20


Beethoven : Symphonies No. 1 - 9
( CBS SONY : 00AC 1313-20 ; 8LPs )
  1. Symphonies No. 1 - 9
  2. Overture " Egmont "
  3. Overture " Leonore " No. 3
  4. Overture " Fidelio "
L.Popp (sp), E.Obraztsova (ms), J.Vickers (tn), M.Talvela (bs)
The Cleveland Orchestra & Chorus
Lorin Maazel (dir)


TELARC : CD-80200


Beethoven : Symphonies No. 1 - 9
( TELARC : CD-80200 ; 6CDs )
  1. Symphonies No. 1 - 9
  2. Overture " Leonore " No. 3
C.Vaness (sp), J.Taylor (ms), S.Jerusalem (tn), R.Lloyd (bs)
The Cleveland Orchestra & Chorus
Christoph von Dohnányi (dir)



(註)以前出したものに、大幅に手を入れた改訂版です。


ベートーフェンの交響曲全集ほど指揮者に辛く、またこれほど実力の試金石として安逸に聴き手が期待するものはないだろう。では、現マエストロを睥睨してみると、ベートーフェンの交響曲全集を出している指揮者がどれほどいることか。ラトルが VPO と新全集の録音を予定している以外、特に明確な話もないし、全集録音をプロデューサが慫慂したがる指揮者が現在ほとんどいないということは、問題のように思う。
しかし、このような現況を鑑みた場合、VPO や BPO のような超名門を除き、ひとつの楽団が 3 人の音楽監督のもとに、各々ベートーフェンの全集を録音したことは異例の話である。精査してはいないが、多分、美国のオケで指揮者の違う 3 つのベートーフェン全集を出しているのは、クリーヴランド管だけではないか。
クリーヴランド管の音楽監督は、セル以降、ブレーズの受け渡しを経て、マーゼル、ドホナーニと続いているが、この全集を聴くと、このオケの変化がよくわかる。面白いのは、マーゼルは音楽的には機能主義的傾向に徹底してはいるが、セルが培った管弦楽の扱いの要素がちゃんと積まれていることだ。しかし、もはやドホナーニにはそのかけらも残っていない。


1. George Szell


ここには薔薇が咲いたにちがいない
J.P.ヤコブセン 『ここに薔薇ありせば』


セルについては、ここでもはや言うまでもない。特に第 3・8 番はこれ以上はない演奏。音楽の完成度もさることながら、それまで人々に膾炙されてきたベートーフェン像を蝉脱した意義は大きい。しかし、機能主義的ベートーフェンと勘違いしている人が多過ぎる。無駄がなくタイトで、骨格の明快なベートーフェンというのが正しい表現と心得たい。インテンポでぐいぐい進むからといって、トスカニーニと同根と判断するのも、これまた違うのではないかと思う。旋律を豊かに謳いあげるトスカニーニの快活でイタリア的ベートーフェンと、独墺古典の玲瓏なる様式感を厳密に築き上げるセルのそれとにあまり類似はない。

さて、セルの全集の場合、考慮しなければならないことがある。この全集が 57 年から 64 年という 7 年に亘る中で録音されてきたことだ。以前も書いたように、この間、楽団もセル自身も大きな変化を遂げつつある時期であり、また録音技術の進捗とも交差しているだけに、全集として一律に論じにくいものがある。例えば、それは聴き手のセルへの期待によって変わる。第 1・2 番が録音された 64 年以降にまとめて録音してほしかったと思うか、最初期の 60 年前後に録音してほしかったと思うか、そこでセルに対する思いが異なる。私は、できれば 61 年までに全部録音して欲しかったと思うクチである(尤も、最晩年に EMI で再録音... がもっと良かったけれど)。第 3 番や第 7 番というセルの十八番である作品が、比較的早い時期に録音されていたのは幸いである。第 5 番については、55 年のモノラル録音で大体のフレームは掴めるが、第 2 番は 55〜59 年の間の録音で聴きたかった。



2. Lorin Maazel


仕方がないワ。貴方の御出世の首途(かどで)だから、後の語り種に遣って見ましょうヨ
杉山茂丸 『百魔』


今の莫迦げたマーゼルからすれば、クリーヴランド時代の彼は実にクールで鮮明な味わいだった。彼はベートーフェンでは、一部的な弦のフレージングを除けば、阿漕な捏ねまわしまではしていない。クリーヴランド管の音は、隙のない潔癖さから、やや華麗でグラマラスな音色へと変わったように思う。しかし「エロイカ」を聴けばよくわかるが、セル時代の響きがまだかなり残っている。マーゼルの音のパレットは多彩だが、緻密でタイトに締めるためか、ベートーフェンでは特にそれを感じない。とにかく録音のカラーもあるが、冷め過ぎているくらいクールというのが全体の印象である。

そもそもマーゼルの時代は、レペルトワール拡張の影響も大きかった。この時代の変化は何かと言われれば、第一に弦の豊饒で色艶のよく搭った質感への変化だろうと考える。セルは、弦については同質感を徹底重視し、フレージングの弛緩と積みあげる音の濁りを廃してきたため、古典以外の作品での音のパレットの幅には、どうしても或る種の狭隘さがあった。来日公演でのメシアンや LP でのフランクの交響曲などを聴いてわかったのだが、刻みに正確なだけの弦のこれまでの抑制をマーゼルは解きほぐし、艶っぽい音をパレットに加えたと言えよう。しかし、彼はこのオケに信頼を置いていたせいか、あまり徹底して自分の求めるカラーに染めようとしなかったのは、結果的にはよかった。セル帝国直後のマーゼル治世では、何でもセルと比較され過ぎて気の毒ではあったが、意外とマーゼル帝政期は、クリーヴランド管のフォルム安定拡充に大いに奏効したものと私は評価している。

ベートーフェンに話を戻す。セルの全集に比べると、マーゼルのものはさらに徹頭徹尾クールだ。密度は濃いが、緩徐楽章をみっちりとやりすぎるきらいがある。だが、自分が興味の薄いところなどあっさりとやってしまう。特に第 9 は、第 2 楽章の恬淡さをはじめとした淡泊さなど、よくも悪くもマーゼルにしかできないものである。クリーヴランドの管弦楽の機能性をとことん追求したということでは面白いが、第 2・4 番など弦のフレージングを知的にコントロールしすぎて、音楽全体の活力ある流れが今一つ乏しく、やや理窟っぽく聞えてしまう。逆に第 8 番は冷淡。また、第 5・7 番などリズムの躍動感と冷めながらも昂揚を見せるのは、マーゼルらしい。ただ、ベートーフェンは無理にいじると、うまく作品の骨格が滲み出てこないことがある。マーゼルはその意味ではやはり「独墺古典の様式感」を構築できる人ではなかった。



3. Christoph von Dohnányi


いいや、俺は誰か前にやらかした事なんざぁ、これっぱかしも真似しやしない!
ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』


さて、今回の来日プログラムのインタビューで、ドホナーニは「セル時代よりメロウな音になった」とご自慢のようだが、楽しい冗談だった。いい意味でドラスチックな響きの構成要素を持っていた楽団であったのに、中庸化路線に引き込まれると、如何に優秀な楽団でもスポイルされてしまったというのが現実。彼が云うメロウな音とは「生暖かく濁った鈍い輝き」であり、ブルックナーをはじめとする霞がかった柔腰の響きのことなのである。かつてのあの凛とした響きはいずこへ行ってしまったのであろうか...

ドホナーニという指揮者のどこがいいのか、私は皆目見当がつかない。テンポひとつとってもその意図がわからない。セル、マーゼルと「緻密路線」だった道筋を、ひたすら「微温化」に走る。彼は実際、ヴィーンで多くの仕事を経てきたのではあるが、ヴィーンでの仕事はロマン派以降の生温い官能ばかり(例えばベルクや R・シュトラウスのアルバム)であって、古典やコンテンポラリィを綿密に培ってきた人ではない。

ベートーフェンはどうかといえば、彼のバルトークと同じ素性。とにかくフォーカスが甘く、雰囲気だけで進行している。音楽の流れを直観的に鷲掴みにして、聴き手に吐き出すなどということもまるでない。慥かに音楽の古典的「情緒」を求めている要素はあるが、ドホナーニの作り上げる音像とバランスには、ベートーフェンの音楽のフレームに対する必然性というべきものが感じられない。第 2 番はリズムの切れがお粗末、「エロイカ」はふくよかで丹念ではあるが、音のエッジもフレージングも浮ついている。逆に第 5・7 番ではスピード感だけはあるが野放図で、リジッドに管弦楽をドライブするという感触がない。しかし、録音年の一番早い「エロイカ」が一番まともに思えるのは皮肉な結果である。



4. 簡易總括


[提案]

この 3 者の比較には「エロイカ」をおすすめします。その違いが明確にわかります。


[感想]

こうしてクリーヴランド管の推移をベートーフェンで追ってみて興味深かったのは、音楽監督自身がどの程度トレーナとしての能力があるのかもはっきりわかることである。しかし、実のところ私には、各々の指揮者のよさを比較しては楽しむというよりも、ただセル時代のカラーの残滓と減退度合いがどういう具合に進行したかを知る術でしかないものかもしれない。しかもうまい具合に、セルが 60 年代、マーゼルが 70 年代、ドホナーニが 80 年代という時期に録音されたこれらの全集は、この楽団の実力の貴重な証言ということにもなるだろう。


[參考:タイム比較]

ConductorTimeTotalDate
Symphony No. 1
Szell09:16 - 06:54 - 03:49 - 05:4525:441964/10
Maazel08:20 - 08:24 - 03:12 - 05:3625:591978/04
Dohnányi09:03 - 06:58 - 03:54 - 05:3925:341988/10
Symphony No. 2
Szell10:09 - 11:30 - 03:37 - 06:1631:321964/10
Maazel11:48 - 11:47 - 09:3033:051978/04
Dohnányi11:55 - 10:04 - 04:37 - 05:5832:341988/10,12
Symphony No. 3 "Eroica"
Szell14:46 - 15:34 - 05:33 - 11:2747:201957/2
Maazel17:26 - 14:50 - 05:35 - 11:2849:191977/10
Dohnányi16:30 - 15:10 - 05:12 - 11:2548:171983/10
Symphony No. 4
Szell09:58 - 09:45 - 05:54 - 05:5631:331963/4
Maazel11:02 - 09:03 - 05:40 - 06:3532:201977/10
Dohnányi10:59 - 08:54 - 05:31 - 06:1731:411988/10
Symphony No. 5
Szell07:31 - 10:01 - 05:30 - 08:3231:341963/10
Maazel07:26 - 10:30 - 15:0833:041977/10
Dohnányi06:58 - 09:12 - 04:45 - 08:1329:081987/9
Symphony No. 6 "Pastorale"
Szell9:53 - 11:52 - 05:34 - 03:48 - 10:1741:241962/1
Maazel11:38 - 12:50 - 19:3644:041978/2
Dohnányi10:59 - 12:47 - 05:06 - 03:48 - 09:3842:181986/12
Symphony No. 7
Szell11:46 - 07:32 - 07:17 - 07:1233:471959/10
Maazel14:08 - 09:20 - 07:14 - 08:4039:221978/2
Dohnányi11:33 - 07:38 - 08:18 - 06:3434:031987/9
Symphony No. 8
Szell09:40 - 03:46 - 05:27 - 07:5126:441961/4
Maazel09:40 - 03:30 - 04:59 - 07:0925:181978/4
Dohnányi09:31 - 03:49 - 05:12 - 07:4226:141983/10
Symphony No. 9
Szell15:34 - 11:23 - 15:20 - 24:0666:231961/4
Maazel15:57 - 10:05 - 14:55 - 24:4365:401978/10
Dohnányi15:05 - 11:27 - 14:57 - 24:3266:011985/10



[附記 : 990817]

ドホナーニに関してボロクソに言うのは、DECCA の古い録音からかなり聴いてきているからだ。彼が過去にやってきたことと、クリーヴランド着任後にやっていることとは、基本的に何も変わってはいないのである。そして「これぞ彼の仕事だ」というものが、今も昔も何ひとつない指揮者でもある。
こういう指揮者が、この楽団に培われてきた要素を崩すことなく、自己表現をなし得ることは無理なのであり、私はそれを「クリーヴランド管の不幸」と呼んでいるに過ぎぬ。もし、ドホナーニが好きで「セル時代を凌駕する」と考える人があれば、それも私からすれば「不幸な耳」だと言うしかない。勿論「相対的に」ではない。

時はセルが逝きて 30 年近く経つ。いつまでも過去の栄華を偲んでみても詮なきことかもしれない。





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