Wagakokoro no Ressentiment / 1998.03


3.



AUDITE : 95.453


Mozart : Piano Concerto No.21 & 24
( AUDITE : 95.453 )
  1. Piano Concerto No. 21 in c major K 467
  2. Piano Concerto No. 24 in c minor K 491
Clifford Curzon (pf)
Symphonie-orchester des Bayerischen Rundfunks
Rafael Kubelik (dir)


BMG CLASSICS : 60732-2-RC


Barber : Symphony No.1, Piano Concerto etc.
( BMG CLASSICS : 60732-2-RC )
  1. Symphony No. 1 op. 9
  2. Piano Concerto op. 38
  3. Souvenirs op. 28
John Browning (pf)
Saint Louis Symphony Orchestra
Leonard Slatkin (dir, pf:3)


SONY CLASSICAL : SM3K 47269


The Legendary Concerto Recordings (1950 - 1956)
( SONY CLASSICAL : SM3K 47269 )
  1. Mozart : Piano Concerto No. 21 in C major K 467
  2. Mozart : Piano Concerto No. 25 in C major K 503
  3. Schumann : Piano Concerto in a minor op. 54
  4. Beethoven : Piano Concerto No. 5 in E-flat major op. 73
  5. Brahmus : Piano Concerto No. 2 in B-flat major op. 83
  6. R.Strauss : Burleske for pino & orchestra in d minor
Rudolf Serkin (pf)
Alexander Schneider (dir) Columbia Symphony Orchestra [1]
George Szell (dir) Columbia Symphony Orchestra [2]
Eugene Ormandy (dir) Philadelphia Orchestra [3-6]



実はこの 3 盤、全てセルとの関連で聴いたものである。カーゾン&クーベリックは 24 番の 3 楽章のカデンツがセルによるもの、バーバーは同じブラウニングでのセル盤との聴き比べ、ゼルキンのモノラル録音輯は勿論セルが入っているからである。しかし、各々セルとは切り離しても、なかなか楽しめるものであつた。

まず、カーゾン&クーベリックによるモーツァルト。独国アウディテというレーベルによる、放送音源シリーズの第 1 弾としてリリースされたもの。ルフランから出ている音源と同一。これは放送録音ではあるけれど、通例のレコーディング・セッションとほとんど変わらないクオリティ。カーゾンのモーツァルトは、ケルテスとの録音でもその素晴らしさは実証済み。いまさら言うこともないが、ケルテスのバックがイマイチだった分、こちらに軍配か。彼のピアニズムは、端正かつクリアでしかも芸が濃いが、クーベリックのサポートが実に素晴らしい。リズムはやや甘いが、緩徐楽章でのしみじみとした歌こそ、カーゾンの芸の細かさの筆頭か。カーゾンが 21 番でブゾーニのカデンツを使用していることで、いい意味で、微温的で心地よいモーツァルトからふっと離れる刺激があり、この一瞬のカラレーションの不調和がまた密度を高めているように思える。しかし、24 番はやはりセルとやってほしかった。そもそもセルが、カーゾンのピアニズムを高く買っていたことを、この録音を聴いてなお一層思った次第である(実は VPO との 23 番の録音が DECCA にあり、お蔵入りのままと聞いている)。

[附記 : 980328 ]
なお書き忘れていたが、24 番 3 楽章のセルによるカデンツはケルテス盤(Decca)と全く同じである。特別な意味に( 70 年という)用いられたものというよりは、カーゾンがずつと気に入って使っていただけだろう。たまたま明示されたので目立ったというわけである。

[附記:20030222 ]
セル& VPO との 23 / 27 番の DECCA 録音がやっと最近発売された(Decca Original Masters : 4731162 ; 4CDs )。64 年 12 月の録音。

次は、ブラウニング&スラトキンによるバーバーのピアノ協奏曲。同じブラウニング&セル盤とこの盤以外、この曲は聴いていないのだが、2 楽章の清楚な抒情ではセル盤の方が素晴らしいと思うが、トータル・デザインでは、セル盤はやや切れすぎて、スラトキンの方が聴き映えはいいように思う。ブラウニング自身も、スラトキンとの方がかなりこなれて弾けているように思うが、緊張感ということではセル盤は見事だ。しかし、こう言ってしまっては何だが、この曲は 2 楽章以外あまり聴きどころがないように思う。交響曲第 1 番もそんな感触であるが、ワルターが NYP と遺したものもあまり感心していなかっただけに、スラトキンでもその矩は超えず。

最後にゼルキン。かなり前に買ったまま放置しておいたもの。「The Legendary Concerto Recordings」といっても、モノラル録音であるだけで、稀少録音ではない。LP では未だに簡単に手に入るものばかりを CD 化しただけの話。セルとの録音は、CD で現在入手可能なのはモーツァルトでは 19・20 番だけだが、実は 17 番とこの 25 番もモノ時代に録音している。ここでは残念ながら 25 番だけである。
55 年の録音で、ゼルキンのピアノは朴訥だが腰の強いモーツァルトで、セルのバックも見事。しかし 19・20 番の時にも感じたのだが、どうもこの組み合わせでのモーツァルトは、セルの精細かつ端正なバックに対し、ゼルキンのピアノは重いというか、鈍重ささえ感じる。セルは 4 年後に同じ 25 番をフライシャーと再録音しているが、こちらの方が遙かにセルのバックがぴったりくる。20 番もやはりモノラル期のカサドシュとの録音と比較し、同様に感じている。しかし、である。これら 17・19・20・25 番とも、この微妙なズレが不思議と音楽に豊かな陰翳を反映していることを聴き逃せない。そしてこの性向がほとんど変わらぬまま、やがて後年このコンビでのブラームスの協奏曲で自然に結実しているのは、なるほどと理解できるのである。

ゼルキンはプロデュースの意向だったためか、この時期のほとんどがオーマンディ&フィラデルフィアとの録音ばかりなのが不満だった。しかし今回、通してこれらを聴いてみて、その理由がよくわかった。オーマンディ&フィラデルフィアは、言葉として絢爛豪華、流麗美という印象が前面に出過ぎているが、この時期の録音を聴くと、いやはや全くストレートで非常に筋肉質な響きなのだ。甘ったるい余情など聊かもなく、時として聴ける弦や管の滴るような優美さがむしろ意外に思えるくらいだ。つまりは、カラレーションとしてはオーマンディの方が合うのである。
シューマンのコンチェルトを、例えばフライシャー&セル盤と比較すれば、フライシャー&セル盤の方が遙かに甘美な表情を持ち、むしろゼルキン&オーマンディの方がまるで無骨ですらある。しかしブラームスの 2 番を後年のセルと比較すれば、2 楽章など先のモーツァルトでの齟齬を逆にオーマンディ盤の方に感じたりもする。中でも、50 年のベートーベンの「皇帝」は、両者がっしり組みあった見事な演奏で、この組み合わせの全集もいずれ堪能したいと思ったくらいだ。



[附記 : 990817]

どういう理由か、このページだけ数ヶ所にリンクされていた。あるサイトにリンクされていたからだろうが、ちと困惑した。

[附記 : 20030222]

今にして上述を読むと、まだ存分にヒストリカル録音を堪能していなかった時期でもあり、耳の詰めが甘いものだと赤面の至り。バーバーの話は、セルよりスラトキンの方が良いなんて、セル狂に殴られそうだが、実際、今聴いてもそう思う。セルは響きの美しさとシャープさには卓越しているが、バーバーの音楽は「もっと緩い」ものなのであって、セルの理想とは本来性質が違うのではないかと思う。
オーマンディ&フィラデルフィアは、その頃まで聴いていた内容が比較的偏頗していたこともあり、独逸古典系を聴いて、改めて見直したように覚えている。




2.



Disques PELLEAS : CD-0101/2


J.S.Bach : Wohltemperierte Klavier I
( Disques PELLEAS : CD-0101/2 ; 2CDs )
  1. Das Wohltemperierte Klavier I

  2. ( Praeludium und Fuge Nr.1-24 BWV 846-869 )
Scott Ross (cem)


Disques PELLEAS : CD-0103/4


J.S.Bach : Wohltemperierte Klavier II
( Disques PELLEAS : CD-0103/4 ; 2CDs )
  1. Das Wohltemperierte Klavier II

  2. ( Praeludium und Fuge Nr.1-24 BWV 870 - 881 )
Scott Ross (cem)



カナダの放送局音源がもう少しあるのではないかと思っていたのだが、スコット・ロスにこんな大作の音源が遺されていたとは驚きであった。録音は、極めてオンマイクでデッド、おそらく深くマイクを突っ込んでいるため、鍵盤アクションの暗騒音までたっぷり拾っている。放送用録音のためか、かなりよくは録れているものの、金屬的なトーンが耳に障り、やや辛いものがあるといえばある。ただ耳がその程度に止まる人は、この盤を聴くだけ無駄だろう。

演奏の方は、多少の瑕疵はあってもやはり見事。これを聴いてなお、ロスという人が、早くから自分のスタイルを確固として築いたことがよくわかり、特にタッチの素晴らしさには感心する。勿論、彼の晩年のゴルトベルクのライブのような、均質美と推進力の止揚といった味わいまではここにはないが、彼の特質ともいえる音楽の均質・均衡美の剔抉たる姿勢がこの中に既に色濃く出ており、特に「Wohltemperierte Klavier」を衒わずに、そのまま音楽の形を外示・外在させた手腕を高く評価したい。
特に感心したのは、なかなか面白いとは感じない第 1 巻の堂々とした解釈で、これらがこれほど密度の濃い味わいを持つものかと久々に開眼した次第。全般的にフーガが素晴らしい。彼は、多声部の綾を胸を透くような明晰さで淡々と弾くのである。声部の増減もくっきり現れている。大抵は弾き流されがちな 10 番ホ短調フーガなど面白い。第 2 巻もバッハ( JSB )の懐の深さを淡々と弾きこなしてゆくものの、その端麗さを支えるアーチキュレイションとタッチの素晴らしいこと、この上ない。

彼のモントリオール時代は、良くも悪くも、優等生的な生真面目さがまだ強く、音楽的な深さはあまりない。この頃の放送録音のリリースとしては、『Art of Scott Ross』vol. 1・2 があるが、私は感心しなかった。落ち着きすぎて無表情に聴こえるのだ。もう少し奔放な想像力が欲しい。しかし、この JSB では、一般的にマニエリスティックに傾きがちな気概を一掃し、均衡美そのものから作品の持つ音楽構造を照射した感がある。他のバロック作曲家では面白くなかった側面が、JSB では逆転的に面白くなっているところが興味深い。その意味で、この録音はロスがひと皮むける端境期の頃と思われ、彼の録音の中でも、微妙な面白さがあるといえるが、これはロスの技芸の全てではないことに注意したい。



1.



SALZBURG FESTIVAL THE CD-ROM


SALZBURG FESTIVAL THE CD-ROM
( Chocolate Multimedia Production )
    The Database from 1920 to 1997



たまたまリンクの張り替えでザルツブルク音楽祭のサイトに入ると、このチョコレート・マルチメディア・プロダクションに当たる。ザルツブルグ音楽祭のアーカイブを探していた私にとって、千載一遇、早速手続きを。約 2 週間程度で落手。サイトからでも申し込みは可能だが、セキュリティはかかっていないのでご注意。送料他全部で 818 オーストリア・シリング、およそ 1 万円弱である。因みに英語版と独語版があるが、マニュアルが英語か独語かの違いと画面ボタンの違いだけのようだ。Windows でも Macintosh でもどちらも使える。但し、NEC の旧 PC-98 なんてマシンでどうかは知らぬ。

これまでザルツブルク音楽祭のデータについては、入手不可能に近い本が出ていたのは知っているが、音楽祭のスタートからのデータベースが、パソコンから楽に引けるというのは便利。検索データをテクストに出力もできる(但し、ウムラウトなど外字コードは未対応につき、文字化けする)し、音や映像のアーカイブもある。あれこれと書く必要も特にないが、古い指揮者・演奏家のデータを必要としている方には必携。





Back to wagakokoro no ressentiment
Back to regarding onban
Back to index.htm