4.

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Galliano-Portal : Blow up
( DREYFUS : FDM 36589-2 )
- Mozambique
- Libertango
- Taraf
- Little Tango
- Oblivion
- Chorinho Pra Ele
- Ten Years Ago
- Viaggio
- Leo Estante Num Instante
- Blow Up
Richard Galliano
Michel Portal
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Michel Portal : MENS'LAND
( LABEL BLEU : LBLC 6513 )
- Ahmad The Terrible
- Mens' Land
- Pastor
- Easy' Nuff
Michel Portal, Mino Cinelu
Jack Dejohnette, Jean-François Jenny-Clark
Dave Liebman, Harry Pepl
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Brahms : Quintettes op.111 et 115
( Harmonia Mundi : HMC 901349 )
- Quintette à cordes No.2 op. 111
- Quintette pour clarinette et quator à cordes op. 115
Michel Portal (cl), Gérard Caussé (vla)
Melos Quartett
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ポルタル頌の続き。
それにしても独特の世界を持つ人だ。前回取り上げた「Turbulence」や「Dejarme Solo」、以下の「Any Way」のように凝りに凝ったスタジオ録音も見事だが、「Blow up」や「Mens' Land」のようなライブも素晴らしい。
アコーディオンのガリアーノと一騎打ちの「Blow up」は、ジャズというよりは息を呑むコラボという感覚。時にプーランクでも聴いているような心地よさがある。87 年の「Mens' Land」。Amiens の国際ジャズフェスティバルでのライブ。他作に比べ、ポルタル自身のカラレーションが薄いように思えるが、インタープレイの妙味は抜群。それから「Any Way」。出来映えは「Turbulence」より更に完璧であり、Toccata の計算された荒れなど凄いけれど、一方でやや「作り物臭さ」もなくはない。
という意味では、「Turbulence」と「Dejarme Solo」を筆頭に挙げた次第。しかし、バスクラならではの低音を楽しむなら「Any Way」が一番良い。ポルタルの境地がより濃厚な一作である。フリーでのポルタルは端倪すべからざる才能で、表情の多彩さ、鋭い音感覚、即興と既筆部分との高い止揚、インタープレイの密度の濃さなど、どれをとっても一級である。
締めはクラシカルに戻る。楽しみにしていたブラームスの五重奏曲。ここでのポルタルは、ソナタに聴こえていた僅かなよそよそしさがなくなり、気持ちのほど滋味晴朗な歌を織りなす。これはバックのメロスの活力にインスパイアされていることも大きいかもしれない。この辺がジャズでのポルタルと源泉は同根であると見て取れた。また、工藤氏ご推奨の弦楽五重奏曲の方も、凡そ演奏の瑕疵などまるで気にならず、瑞々しき彼岸へと放られていくような浄福感に浸り切る。ホットでいながら潤いに満ちた音の流れに、こういうブラームスを聴かされると、管弦楽の作曲家と同一人物とは思いがたいほどイッてしまう味わいだ。素晴らしかった。
[附記 : 990817]
ふとしたところからハマって、結局、大きな影響を受けたアーチストは、この数年の中ではポルタルが筆頭かもしれない。フリーの方が面白いが、独特の多面的境地は、各々に於いて有効である。ここには挙げなかったが「Cinema」も非常に好きなアルバムだ。フリーでの姿を彷彿すると、クラシカルでのポルタルは、少々よそよそしく聴こえるのは仕方がないのだろうか。クラシカルでは、ブラームスのソナタ(EMI 盤)やプーランクのソナタ(これも EMI 盤の方)が、最も魅惑的のように感じる。でもモーツァルトは大して面白いとは思わないのだが、これは私個人の趣味の問題...
3.

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Finzi : Dies natalis
( CONIFER CLASSICS : 75605 51285 2 )
- Dies natalis op. 8
- When I set out for Lyonnesse
- Interlude for oboe and strings op. 21
- Farewell to Arms op. 9
- Two Sonnets op. 12
- Let us garlands bring op. 18
Rebecca Evans, Michael George
Toby Spence, Nicholas Daniel
Bournemouth Symphony Orchestra
Vernon Handley (dir)
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Finzi : Dies Natalis, Intimations of Immortality
( Hyperion : CDA 66876 )
- Dies natalis op. 8
- Intimations of Immortality op. 29
John Mark Ainsley (tn)
Corydon Orchestra, Corydon Singers
Matthew Best (dir)
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Finzi : Cello Concerto etc.
( CHANDOS : CHAN 8471 )
- Finzi : Cello Concerto op. 40
- Leighton : Suite "Veris Gratia" op. 9
Rafael Wallfisch (vc), George Caird (ob)
Royal Liverpool Philharmonic Orchestra
Vernon Handley (dir)
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Finzi : Requiem da Camera etc.
( CHANDOS : CHAN 8997 )
- Finzi : Requiem da Camera for baritone, chorus and orchestra
- Britten : " Deus in adjutorium meum "
- Britten : " Chorale on an old French Carol "
- Britten : Cantata misericordium op. 69
- Holst : Two Psalms ( Psalm 86 and 148 )
John Mark Ainsley (tn), Stephen Varcoe (br)
City of London Sinfonia, The Britten Singers
Richard Hickox (dir)
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Vaughan Williams, Delius and Finzi
( EMI : 5 65742 2 )
- Vaughan Williams : Piano Concerto in C
- Delius : Piano Concerto in C minor
- Finzi : Eclogue for piano and string orchestra
Piers Lane (pf)
Royal Liverpool Philharmonic Orchestra
Vernon Handley (dir)
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関東地方は大雪の第 2 弾に見舞われ、首都圏の交通はほぼ麻痺。どうせなら休日でない日の方がありがたいが、こういう日は積まれた CD を聴くにはもってこいだ。ということで、ジェラルド・フィンジの作品を幾つかまとめて聴く。雪の日の静かさに相応しく、閑かにどっぷりと浸る。
このところ「Dies Natalis(生誕の日)」−端的に言えば、キリストの降誕−という擬古典的書法の作品だが、その高雅な感傷がすっかり気に入ってしまい、何種類か聴いた。ブリトゥンの「イリュミナシオン」同様、for high voice なので、ハンドリィ盤ではソプラノだが、以前のマリナー盤やマシュー・ベスト盤はテノール。私的には、これもテノールの方が好ましい。曲の詩は、トラハンという馴染みのない 17 世紀の詩人によるもので、特に濃厚な内容ではないが、淡く清い喜びに溢れる。合奏の精度は別としても、マシュー・ベスト盤が一番好ましい。そんなに綺麗な装いで片づけてもらっては、この作品の意味が薄まるからだ。レシタティーヴォを美化し過ぎず、ダンツァの音の動きも意味が付与されているところがよい。
フィンジの魅力とは「詩と音楽の美しい融合」にあるのではなかろうか。ハンドリィの「Dies Natalis」盤には他にも佳曲が入っており、その繊細な詩情と感傷に浴する。また、ヒコックス盤にある「レクイエム・ダ・カメラ」は、残念ながら未完。ボードリアン・ライブラリーで発見された手稿を、フィリップ・トマスが補完した由。完成していれば、作品の意味も含めると、素晴らしい作品であっただろう。しかし、ワーズワースによる「Intimations of Immortality」は、そのインスピレーションは、私には退屈。その意味でも、フィンジは長大な作品より小品の方が卓れている。
では、彼の器楽作品ではどうか。有名なクラリネット協奏曲は素直に名曲と思うが、チェロ協奏曲は、正直言うと、あまり感心できなかった。2 楽章は素敵な歌に単純に酔いしれるが、1 楽章の展開などは退屈。また、3 楽章のシンバル、そして最後のトライアングル、そして最後の最後でのスネアでスカされてしまう。ラプソディックな 3 楽章は全般、チェロ協奏曲としての味わいが薄い。演奏はとてもよかったのだが... それはピアノと弦楽合奏の「牧歌」も同じで、曲の美しさはともかく、ピアノである必然性はないように思えた。
酷な言い方をすれば、詩という意味を実体化させる手だてなくして、純粋器楽でのフィンジの想像力は、少々脆弱なのではないかと思わざるを得ない。そこが抽象も描けるヴォーン=ウィリアムスとの差なのだろう。
[附記 : 990817]
この頃、まだモランは聴いていなかった。チェロ協奏曲では、私的には現在のところ、フィンジよりモランの方が素晴らしいと思っている(同じ Wallfisch で聴いた)。
フィンジは、基本的に「歌」の人であるが、器楽作品の中では、魅惑的な「歌」をどのように展開させてゆくかという敷衍性こそが、作品の出来映えを左右するのではないか? さらに声楽、管楽はなぜか非常にはまるのだが、ピアノもチェロもはまらぬのは何故なのか?
もしかすると、彼は「息」のあるものに、フレーズの波長があうのだろうか。フィンジの作品はこの pneuma こそ、重要な役割を担っているのかもしれない。
2.

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Britten : Les Illuminations, Serenade
( BERLIN CLASSICS : 0090352BC )
- Les Illuminations op. 18
- Serenade op. 31
Peter Schreier (tn)
Runfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
Herbert Kegel (dir)
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Britten : War Requiem op.66 etc.
( BERLIN CLASSICS : 0210 012 )
- Britten : War Requiem op. 66
- Berg : Violin Concerto
- Penderecki : Threnos Dedicated to the victims of Hiroshima
Kari Lövaas (sp), Anthony Roden (tn), Theo Adam (bs-br)
Hansjürgen Scholze (org), Manfred Scherzer (vn) (2)
Rundfunkchor Leipzig (1), Dresdner Kapellknaben (1)
Dresdner Philharmonie (1,2), Runfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig (3)
Herbert Kegel (dir)
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昨年夏から晩秋にかけ、ケーゲルを集中的に聴き込む。随分蒙を啓いてもらったが、ケーゲルによる数々の録音の中でも、特にブリトゥンは素晴らしいと思った。殊に「イリュミナシオンとセレナード」での、抉るような彫りの深さと冷徹な表現ぶりには、聴き終えて暫し一言もないほどの驚嘆を、また「戦争レクイエム」での厳格・濃密な表現に痛く感動した次第。ブリトゥンという作曲家を、微温すら廃し、これほどまで冷色に染め上げることのできる指揮者は、多分、ケーゲルが最初で最後かもしれない。
まず「イリュミナシオンとセレナード」。英国人指揮者・演奏家では、まずあり得ぬカラレーションだろう。怜悧なだけでなく、水面よりずっと深くに叙情を潜行させながらも、沸々と熱い情念が強く溢出してくるところが凄い。「イリュミナシオン」では、詩と音楽との同化ではなく、音楽が詩に向かって戦いを挑んでいるかのように感じる。弦が刃物のように、シュライアの歌う詩を抉り・刻み・吐き捨ててゆく。シュライアも良いが、ケーゲルの煽り方もひとかたならず。「セレナード」は、もう少しこの研ぎ澄まされた感覚から開放されてもよいとは思うが、4 曲目の「Elegy」では、静かながらもブレイクの魔宮に引き込まれるかのようだ。
次に「戦争レクイエム」。この晦渋・複雑なる大作を、濃厚なシリアスさで抉り出した名演である。深い憂いと祈りが、かくまでも冷徹緻密に表現し切られる。とにかく、ケーゲルの指揮には、聊かの逡巡も曇りもない。ブリトゥンの作品という以前に、徹底して彼のカラーで纏めあがっていることに注目したい。しかも、聴き手が音楽の進行から逃げ延びることを一時たりとも許さないのである。我々の評価は、彼の音楽のこうした性格を許容できるか否かだけにかかっていると言ってよいだろう。
「狂気」で一笑に付されがちな妙な色合いの演奏もあるにはあるが、全く尋常ではない深淵を聴き手の目の前に現前させてしまう、こうした作品でのケーゲルの手腕はやはり凄いとしか言いようがない。
[附記 : 990817]
もともと本文に入れていた話。この少し前(11 月)「すみだトリフォニー」にて、ロストロポーヴィチと新日本フィルによるブリトゥンの「戦争レクイエム」をゲネプロで聴いた。熱の入った良い演奏だったものの、その時、私自身はショスタコーヴィチでも聴いているような錯覚に陥った。その後、このケーゲル盤を聴くと、まるで違う作品に聴こえたのだった。
1.

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Delius : The Four Violin Sonatas
( CONIFER CLASSICS : 75605 51315 2 )
- Sonata in B op. posth. (1892)
- Sonata No. 1 (1905 - 14)
- Sonata No. 2 (1923)
- Sonata No. 3 (1930)
Tasmin Little (vn)
Piers Lane (pf)
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George Lloyd : Works for Violin and Piano
( Albany : TROY 029-2 )
- Lamento
- Air
- Dance
- Sonata
Tasmin Little (vn)
Martin Roscoe (pf)
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タズミン・リトルによるディリアスとロイドを聴く。
最近鬼籍に入られた故三浦淳史によれば、ディリアス・エヴァンジェリストの一人、ハリソン姉妹(姉メイは vn、妹ビアトリスが vc )がヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタを愛奏し、爾來、ディリアスのヴァイオリン、チェロ・ソナタは女流に限るという鄙諺が流布していたそうである。ラルフ・ホームズのような名演があるのだから笑殺する程度の話ではあるが、自分がインプリントした演奏はウィルコミルスカ盤であるだけに、女流ならではの息遣いと情緒とが好み。リトル盤もその点首肯できる。但し、ウィルコミルスカの濃厚な情念溢れる成熟(としま)ぶりを聴くに、リトルはまだまだ「若い」と思わざるを得ない。ウィルコミルスカがフルボディの馥郁たるコクと香りとすれば、フルーティで爽やかなフレバーがリトル盤と喩えられようか。もともとこれらの作品は、雪の結晶のように美しく軽やかな叙情たることを改めて認識した次第。
ロイドのヴァイオリンとピアノの作品を初めて聴いた。作品としては、少々くどい。リトルの弾きぶりは澄明清廉ではあるが、ソナタなどやや苦々しい晦渋がストレートに現れてしまうあたりは仕方のないところか。リトルの今の味わいで、シマノフスキあたりに是非挑戦してほしいところである。
[附記 : 990817]
リトル、ウィルコミルスカの違いは、各々「女の匂い」の違いのようなものと感じる。ウィルコミルスカ盤では、特に濃厚なポルタメントに悩殺されることをこよなく好んできた。ほかメニューイン盤、ホームズ盤もよい味わいではあるが、ホームズ盤は、フェンビーのピアノが矢鱈と出しゃばり過ぎるのが大きな瑕疵。ディリアスということでは、リトルのような清澄な響きこそが、或る意味で、本来の在り方なのかもしれない。
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