4.

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New York Philharmonic The Historical Broadcast vol. 3
( NYP : 9706/07 ; 10CDs )
- Poulenc : Concert champêtre
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Francis Poulenc (pf)
New York Philharmonic
Dimitri Mitropoulos (dir)
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Emile Gilels Live Recordings vol. 1 : Chopin and Poulenc
( Melodia : BVCX-4081 )
- Chopin : Piano Concerto No. 1 e minor op. 11
- Poulenc : Concert champêtre
Emile Gilels (pf)
Moscow Philharmonic Orchestra
Kirill Kondrashin (dir)
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プーランクの「田園合奏」をピアノ版で聴いてみたいと思っていた。ピアノではまた違うよさがあるだろうと思った次第。たまたま 2 種類ゲットでき、しかも片方はプーランクの自演、もう片方がギレリスと不思議なラインナップとなった。どちらも通常聴いているのとはかなり違い、妙にゴツイ印象。
まず、プーランクの自演。こちらは、最近出たニューヨーク・フィルの放送アーカイブの集成 10 枚組の一部。48 年 11 月の録音。プーランクは、この作品をピアノで何度も自演しているとのことだが、この録音は会場内の喧騒がやかましく、プーランクのピアノの細部まではなかなか聴き取りにくい。かなり流暢なピアノであるが、矯めて弾き流している感じで、味わいも何もない。ミトロプーロスのバックは明快で、面白く誠実にやろうとしているようだが、肝腎のプーランクが弾き急ぎ、うまくあわせてくれない。3 楽章などしなやかというよりは粗野でごつい感じで、チェンバロの使用如何に拘らず、もともとそれほど優美な作品ではないのかもしれないと感じる。多分、ランドフスカの演奏もこんな感じに近かったのではと思う。
それがギレリス盤で更に裏付けられた。こちらは、62 年 10 月のライブ。アタックの鋭いコンドラシンのバックの影響もあろうが、バロックから換骨した軽妙な新古典の作品という感覚ではない。かなりシリアスな響き、ホルンの扱いなどもよく考えているが、凡そ風雅というものから遠く鄙くさい...
もともと「田園合奏」の題名どおり " rural " という感覚に非ず、ロシア的大地の泥臭さの意味での鄙くささだ。
ギレリスがこの曲をなぜやる気になったのか釈然としない。しなやかだが、時々見せる熱っぽい打鍵は余計。この演奏、第 3 楽章後半部を不自然に大幅カットしており、一番いいところなのになぜ? と思わざるを得ない。おまけにカット指示が徹底していないせいか、吹き間違えた木管がいるのが笑える。
3.

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Mahler : Symphony No. 2
( First Classics : FC-123-4 ; 2CDs )
- Mahler : Symphonie Nr. 2 c-moll "Auferstehung"
Edith Mathis (sp), Doris Soffel (ms)
Sinfonieorchester des NDR, Hamburg
Klaus Tennstedt (dir)
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Mahler : Symphony No. 2
( Berlin Classics : 0090112BC )
- Mahler : Symphonie Nr. 2 c-moll "Auferstehung"
Magdalena Hajossoyava (sp), Uta Priew (alt)
Chor der Deutschen Staatsoper Berlin
Staatakapelle Berlin
Otmar Suitner (dir)
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フィリップ・カーの『ベルリン 3 部作』(新潮文庫)を読んで以来、前半 2 作の舞台となった 1938 年付近の時代背景描写を疑似体験しようと、音楽の世界でもヴァルター& VPO のマーラーの 9 番や「大地の歌」(Dutton 盤)、シューリヒトの「大地の歌」などなど、珍しくマーラーを多く聴き込む機会となった。しかし、一番の疑似体験は、Glen Grant 1936年を飲ったことだ。これは凄かったが、貴重品ゆえおかわりは断られた。
この 2 枚は、その頃に勉強のつもりで買ったもの。私は、もともとマーラーには見向きもしない人間であり、況して餓鬼の時分にバーンスタインの録音による胸焼けが癒えないまま、今日に至ってきた。特に「復活」はあの青臭い楽想が耐え切れなかったのだが、今聴くとなかなか面白い作品と思えるようになった。
多言を要さず、この 2 枚に触れる。テンシュテットは、正直それほど期待していなかったのたが、これには驚いた。この白熱振りに魂消ただけでなく、表現の彫り込みが実に濃いのには降参。最初から凄まじいが、特に「原光」の味わいの深さ、第 5 楽章のめくるめく表情の転変は忘我的境地と化す。ライブとはいえ、これくらい完全に「いかされてしまう」演奏を聴き、価値観が変わらないなら音楽を楽しむ必要はないだろう。しかしバーンスタイン的放熱とは全く違い、或る意味では、狂気に一歩近い世界。
もう 1 枚のスゥイトナー盤も見事なできばえ。但し、テンシュテット盤を聴いた後では、さすがに少々霞んでしまった。こちらは、劇的要素もなかなか濃い熱演ではあるが、スゥイトナーらしく、作品本来の実直さが筆致太く描かれていて、こういう演奏なら悪くないと思う。格好ばかりよく、栄養素の薄っぺらな演奏を聴くなら、この 1,000 円強のスゥイトナー盤の方がよほど良心的というものだろう。
2.

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Gerald Finzi
( PHILIPS : 454 438-2 )
- Concerto for Clarinet and String Orchestra
- Romance for String Orchestra
- Nocturne (New Year Music)
- " Dies Natalis " Cantata for Tenor and String Orchestra
Andrew Marriner (cl), Ian Bostridge (tn)
Academy of St.Martin-in-the-fields
Sir Neville Marriner (dir)
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" At Twilight " : Choral Music By Grainger and Grieg
( Hyperion : CDA66793 )
- Grainger : Irish Tune from Country Derry
- Grainger : Dollar and a Half a Day
- Grainger : Shenandoah
- Grainger : Stormy
- Grainger : The Gypsy's Wedding Day
- Grainger : Brigg Fair
- Grainger : Mo nighean dubh
- Grainger : O Mistress Mine
- Grieg : How fair is Thy face
- Grieg : God's Son hath set me free
- Grieg : Jesus Christ our Lord is risen
- Grieg : In heav'n above
- Grieg : Ave Maris Stella
- Grainger : Soldier, soldier
- Grainger : Mary Thomson
- Grainger : Ye banks and bears
- Grainger : Dalvisa
- Grainger : Australian Up-Country Song
- Grainger : Near Woodstock Town
- Grainger : The Sussex Mummer's Carol
- Grainger : A Song of Värmrland
- Grainger : At Twilight
David Wilson-Johnson (br), Paul Agnew (tn), Polyphony
Stephen Layton (dir)
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...『あなたの方法はまちがつてゐる。なぜなら文體を硬いものにし不愉快にしてゐるからである』といつてみても、これでは批難したことにはならない。『私としては何と言はれても致し方がない』と昂然と答(いら)へるであらう。また、『私はあなたの方法が嫌いである。なぜならあなたの方法が導き出す原理は私の道徳上の信念を損ふからである』といつてみても、いさゝかも批難したことにはならない。『まことにあなたにはお氣の毒です』と謙遜に應へるだけであらう。
イッポリト・テーヌ 「精神的事象に於ける依存関係と諸條件とに就きて」:『文学史の方法』
どうも誤解している方がおられるようで、敢えて作者のスタンスを今一度上記テーヌの言葉を藉りて申し上げます。作者のこの場での目論見は、ディスク批評そのものにはありません。もっと窮めて私的なものです。
英国の田園風景というのは、或る種、背景に荒涼とした何かを感じさせることが多い。事実、英国の庭園美学の嚆矢とも言える F.ベーコンの「Of Gardens」で既にそれが語られているが、実際には、ミルトンの『失楽園』第四書に、そのような楽園の姿が描かれており、文学的原型が、現実の造園へと作用したのではないかと思うほどだ。これがやがて、ホレス・ウォルポールによるランドスケープ式庭園規定やワーズワースによる「飾られぬ自然」観へとつながってゆく。
英国は、仏国や蘭国で流行した整形式庭園を採らず、ランドスケープ式庭園を選択したのは、ひとつには英国の田園風景が持つ、自然のありのままの姿の豊かさだろうが、決定的なのは自然賞揚の美意識ではないかと思う。18 世紀の人、ジョゼフ・アジスン曰く「自然の作りあげたものが好感の持てるものであればあるほど、それは芸術作品に似てくる。芸術作品が快いものであればあるほど、それは自然のつくったものと似てくる」。
しかしアジスンの言は、あるが儘の野生の自然を意味しているのではなく、手を入れた自然、想像力に下支えされた自然を想定しているようである。そしてこの淵源はタッソー辺りにまで遡及しうるであろう。
こうした野生を包摂した「芸術的自然」の取り込みは、英国の作曲家にまで受け嗣がれる。これは感性的叙情というだけでなく、この国の作曲家の文芸的素養の高さから取り込まれた部分も大きい筈だ。バターワースやヴォーン=ウィリアムズ、ディリアスのような人々以外で作者が好きな一人がフィンジである。フィンジの詩情こそ、英国式ランドスケープを音の世界で造園したような妙味があると思っている。
フィンジといえば、クラリネット協奏曲が有名だ。マリナーによる新譜が出ていたので購入したが、昔のマリナーであれば、もっとクリアで輝きのある滑らかな音だっただろう。ロマンの香りを意外にも濃く湛え、しかし粘らず枯れた色合いも出ている。ちと驚いた。クラ協奏曲は、2 楽章の哀切、3 楽章のやや抑制された躍動感がいい。また「Dies Natalis」もトマス・トラハーンの詩による美しい作品。ランドスケープ式庭園は、やがてロマンチシズムの流れを汲み、より人間の感性に強力に働きかける在り方へと展開していくが、フィンジのそれはまさにその延長にあるのではなかろうか。
さて、英国の庭園は、ロマンチシズム庭園の流れとともに、異国情緒を内在化する展開も始まる。例えば、キュー・ガーデン。そもそもこの庭園は、18世紀、プリンス・オブ・ウェルズ、のちのジョージ 3 世治世の初期、リッチモンドとキューの所領に造園し、脚光を浴びるようになる。庭園内には、東洋趣味に彩られた数々の奇怪な建築物が配置されている。
中国風パコダ(塔)や孔子廟、アルハンブラ宮殿、さらにはギリシャ風廃墟やトルコ風モスクなどがあり、その周囲には各々のモチーフに近い自然造景が張られ、散策者はまるで大陸を横断する錯覚にさえ陥る。これらは、ジョージ 3 世お抱えの建築士チェインバースによるものである。彼自身、風景庭園の理論家であり、また彼の代表的著作『東洋庭園論』はかなり偏頗した東洋趣味を色濃く反映しており、それがこれらの妙な間を持って豎立する建築物の意匠の源泉になっている。このように異国情緒をデフォルメしてミクロコスモスとして取り込んでしまう、一種の野外博物館のような趣すらある。
もう一枚のグレンジャーの合唱曲は、まさに音楽のキュー・ガーデンだ。このアルバムは、グレンジャーがグリーグと邂逅した、1906 年前後をコンセプトとしてまとめたもので、グリーグの作品も入っている。グレンジャー自身は、もともとはオーストラリアの人である。彼は英国を含めた様々な地域の歌謡をベースに合唱作品を遺しているが、ディリアスのパートソング以上に国境のない、不思議な浮揚感のある異国情緒が漂う。
変転調の妙味もさることながら、歌詞を無視して聴いていると、ある時は黒人霊歌に聴こえ、ある時はロシア正教の聖歌に聴こえるような、メルティング・トポス的世界だ。中でも「Brigg Fair」の漂い感、「The Sussex Mummer's Carol」など英国のフォークソングに基づく作品たちの、ちょっとほろ苦い郷愁と哀切が素晴らしい。ランドスケープ的庭園の派生として、自国の自然から異境のそれまでをシンボリックに同化してしまうというのも、また英国的な詩情ということでは面白い話かもしれない。
[附記 : 990822]
庭園論に就いては、学部の頃の講義でインスパイヤされ、爾来楽しみながら、文芸・芸術との分水嶺を探す勉強をしてきた。ある誌面に寄稿した文章をもとに、この 2 盤を付けて書き直した。これは内容の学的確証性より、イマジネーションのお遊びとして捉えていただければ幸甚である。
1.

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Szell and Cleveland Orchestra in Lugano
( Ermitage : ERM106 )
- Schumann : Symphonie Nr. 2 C-dur op. 61
- Debussy : " La Mer " Trois esquisses symphoniques
- Berlioz : Marche hongroise
Cleveland Orchestra
George Szell (dir)
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Brahms : Piano Concertos etc.
( SONY Classical : MH2K 63225 ; 2CDs )
- Piano Concerto No.1 d minor op.15
- Variations and Fuge on a Theme by Händel op.24
- Piano Concerto No.2 B-flat major op.83
- Waltzes op.39
Leon Fleisher (pf)
Cleveland Orchestra
George Szell (dir)
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Mozart : Requiem K 626
( archiphon : ARC-4.1 )
- Mozart : Requiem K 626
Maria Stader (sp), Marga Hoeffgen (cnt), Nicolai Gedda (tn), Otto Wiener (bs)
Wiener Singakademie, Wiener Philharmoniker
Carl Schuricht (dir)
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... 人よ、おのれを低くせよ。さうすれば汝は高くのぼる。歩みを止めよ。さうすれば汝の歩みが始まる。
シレジウス 『霊的後退』
セルを 2 盤。ひとつは、57 年 5 月のルガーノにおけるライブ。彼らの欧州演奏旅行のライブ録音の中で、正規録音の曲とダブったものは、多分これが初めてかもしれない。特にシューマンの 2 番は特筆もの。
EPIC から出ていた 2 番の録音が 58 年 10 月だから、それよりほぼ 1 年前になる。しかし、ライブとは言えどうだろう、この完璧さとクールさ。58 年の録音とほとんど同じ水準であるが、ホットな音楽の躍動はそれをも凌駕する。特に 2 楽章最後の、寸分狂わぬアチェレランドには魂消た。いつもの明快至極な音楽ながら、ライブだけあり完全燃焼しており、この空前絶後のアンサンブルに、聴衆は舌を巻いたに相違ない。「海」も、怜悧で極度に引き締まった響きにホットさが加わり、録音ものとはまた違う味わいがある。これは私が理想の「海」とは全然違うが、ひとつの頂点ではあるだろう。アンコールのラコッツィ行進曲も凄演。
次はフライシャーとのブラームスのピアノ協奏曲集。58 年と 62 年の録音。ブラームスのピアノ協奏曲集といえば、親父ゼルキンとの名盤があり、この録音は隠れがちであるだけに、Heritage シリーズでの復刻は大いに喜びたい。セルがフライシャーを使うのは、彼の素質を買っていただけでなく、自身優秀なピアニストであるだけに、理想的な演奏をバックのみならず、ソリストまでもトータルに考えていたからだろう。
何よりも、セルのバックのきびきびとしたフレージングと極めてクリアな音の見通しのよさが絶妙、逞しい推進力も抜群。スタンスはゼルキン盤と同じ。しかしこの時期は、楽団自体が上昇気運に満ち溢れていたためか、音にかなり力がある。また、ゼルキン盤での共演の深さとは違い、若いフライシャーをセルがかなり厳しく指導したものと思われ、手加減せず胸をかすという感じだ。フライシャーの打鍵も活き活きとして心地よいが、音楽の流れは完全にセルの掌中にある。ゼルキンとは 2 番の方が好きなのだが、フライシャーとは 1 番の方が好ましい。この Heritage シリーズのリマスターは非常に素晴らしく、どうせならセルを全部やってもらいたい。廉価盤でなくともその方がずっとありがたい。
最後に、私がセルとともに敬愛するシューリヒトを 1 枚。
やはりシューリヒトの方が、セルの見事さ以上に、深い感銘と情感があるように思う。このモーツァルトのレクイエムは、62 年 6 月ヴィーンの有名なシュテファン大聖堂でのライブ。archiphon のシューリヒト・エディツィオンの掉尾を飾るに相応しい 1 枚となった。
これは素晴らしい録音だ。思っていたほどではないが、テンポは比較的速め。いつもどおりの入念緻密な味わいは勿論、通常は抑制しているシューリヒトの情念が、ふっと湧出している気がする。シューリヒトにしては、劇的な深みを索めている感すらあり、全般的にテンポとデュナーミクの対比が濃く描かれている。Domine Jesu など深さより侃さがある。しかし、一聴、終曲の Agnus Dei などは淡々としているようだが、何と味わい深い表情であることか!
ジャケット表紙を見ると、シューリヒトの墓の写真。そこに書かれていた文字は「CANTATE DONINO」。これを聴きながら、その言葉を噛みしめてみる。雪の積もったシューリヒトの墓...
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