Wagakokoro no Ressentiment / 1997.03 : (結果的に) フェルツマン小特集


2.



Music Masters : 67132-2


J.S. Bach : Keyboad Concertos vol. 1
( Music Masters : 67132-2 )
  1. Concerto in d minor BWV1052
  2. Concerto in E Major BWV1053
  3. Concerto in D Major BWV1054
The Orchestra of St.Luke's
Vladimir Feltsman (pf & dir)


Music Masters : 67143-2


J.S. Bach : Keyboad Concertos vol. 2
( Music Masters : 67143-2 )
  1. Concerto in A Major BWV1055
  2. Concerto in f minor BWV1056
  3. Concerto in g minor BWV1058
  4. Concerto nach Italienischem Gusto
The Orchestra of St.Luke's
Vladimir Feltsman (pf & dir)



フェルツマン其ノ弐。
このクラヴィア協奏曲の 2 盤のうち、vol. 1 だけ out of stock で何度か注文、やっと入手。ソロ協奏曲を全曲録れたのかと思いきや、結局、第 6 番へ長調は録音していない。これもグールドの真似なのだろうか。
フェルツマンのソロでの持ち味が、この協奏曲でもよく活かされていて、非常に小気味よい。勿論、ソロで聴かされた妙な効果はない。ストレートに快活・闊達なタッチ、音楽も意欲的に前進し、グールドが遺した何曲かの協奏曲を彷彿させる。しかし、特徴的と言えるほどの美点は、取り立てて何もないように思う。
しかしイタリア協奏曲。これは何なのだろう? もしや「打ち込み」ではないかと感じさえするほどの疑問符。テンポの動きが妙にギクシャクし、聴いていて首を捻りっぱなしだった。作風の面白さに光を当ててみたかったのだろうが、よくこれで OK テイクになったものだ。もしこれを入れんがために、第 6 番の録音を止めたというなら、まったく愚かな話ではないか。



[附記 : 990814]

JSB に拘泥するアーチストには、何やら不思議なオーラを持つ人が多いが、ソロを聴く限りでは、フェルツマンもその一人だろうと考えていた。しかし、この協奏曲集を聴いて、何か感じることがあるとすれば、できればトッカータとかイギリス組曲とかパルティータなど録音した方がまだよかったのではないかということだけである。




1.



Music Masters : 67093-2


J.S. Bach : Goldberg Variations
( Music Masters : 67093-2 )
  1. Bach:Goldberg Variations BWV988
Vladimir Feltsman (pf)


Music Masters : 67173-2


J.S. Bach : Art of Fugue
( Music Masters : 67173-2 )
  1. Art of Fugue BWV1080
  2. Contrapunctus No. 13a
  3. Contrapunctus No. 13b
Vladimir Feltsman (pf)


Music Masters : 67105-2


J.S. Bach : Well-Tempered Klavier vol. 1
( Music Masters : 67105-2 )
  1. Well-Tempered Klavier vol. 1 BWV846-869
Vladimir Feltsman (pf)


Music Masters : 67162-2


J.S. Bach : Well-Tempered Klavier vol. 2
( Music Masters : 67162-2 )
  1. Well-Tempered Klavier vol. 2 BWV870-89
Vladimir Feltsman (pf)



フェルツマン氏も大バッハ弾きのようだ。JSB ばかり弾いているわけではないようだが、ディスコグラフィ上の主要作曲家は、どうも JSB のようだ。特に面白いのは、モスクワ音楽院でのライブ録音である「ゴルトベルク変奏曲」で、聴きはじめもこのディスクから。フェルツマン自身のライナーが面白い。曰く、

1. この曲のリピートは、最後のアリア以外は全部やるべき
2. それだけでは退屈だから、大概の演奏者は、ダイナミックやアーチキュレイションを変化させるが、自分(フェルツマン氏)にとっては、なおもまだ十分ではない(somehow was not enough)
3. ゆえに、articulation / dynamics / ornamentation / registration / "interswitching" of the voices という、5 種類の変化をつける

とのことである。

フェルツマン氏はモダン・ピアノを駆使しながらも、各声部の配置、音程の弾き分け、タッチの微細な変化など、トリビアルな執着を見せる。但し、チェンバロやクラヴィコードの模倣が目的ではない。
特に " interswitching " of the voices という技巧が、具体的にどのような効果なのか明確にはわからないが、例えば第 14 変奏のように、声部の交叉を音域的に拡張するような内容かと思われる。しかし、これは妙な立体感のため、船酔い気分紛いとなる。そして、高域部への右手声部のトランスファは、ピアノの高域が嫌いな人間にはちと辛い。また、変奏の各々がこんな感じで入れ込み過ぎており、妙に人工的で、かつ、この曲全体での構成感と即興的な感興とが殺がれてしまう。

このゴルトベルク変奏曲から、フーガの技法や WTK などはさらにユニックな演奏を期待していたのだが、さほど奇を衒ったものではなかった。
「フーガの技法」は、曲の排列の問題はさておくとしても、各声部のバランスと動きの明晰さという点で、かなり拘った演奏と思われる。ピアノによるこの曲の演奏を、これまでほとんど聴いてこなかったが、成程ピアノにはこういう味わいがあるのかと感心。ピアノによる「フーガの技法」は響きが非常に明晰であるが、フェルツマン氏の場合、さらにそれを強く感じる。彼はここで、線的な動きの明晰性を引き出すために、声部のバランスを巧みに偏頗・分散させるなどしているのだ。そういう「技」は慥かに面白いが、あまりに細かな「技」は、聴く者が却って鬱陶しく感じてしまう。

最後に「Well-Tempered Klavier」。これはざっと聴いただけなので断言は避けるが、特徴的に際立った演奏ではない。勿論、今まで述べた要素が各曲に散りばめられているが、しかし、トータルとしてはそれほど意欲的に artificial な技を目立つようにはしていない。些末なチャレンジの割に、総体的な思想に薄いのである。
グルダやアファナシェフなどが吐き出すほど強烈な個性はないし、一部的にグールドのような味わいも隠見するが、さりとて格調高さには乏しい。第 2 巻より第 1 巻の方が、楽しんで聴くことができそうだ。第 2 巻は音楽自体の完成度が高いためか、ややくどくさえ感じるし、第 2 巻はそういう小賢しい技能など受け付けぬ、純として屹立する作品というべきかもしれない。面白い演奏であるし、話のタネには十分なのだが、何か確固とした核のようなものを捉えたという感慨に至らないのが結論。



[附記 : 990819]

フェルツマンの「ゴルトベルク変奏曲」は、ccd戸塚氏が面白盤として投稿されたもので、それに惹かれて聴き始めたものである。なぜかゴルトベルクだけは、都内各所で見掛けたものの、他盤については殆ど見掛けなかった。「フーガの技法」は美国出張で、WTB は電網店で買った。

[附記 : 020419]

ccd とは、クラシカルの音盤の話題について「のみ」投稿できるという、窮めて特殊な Mailing List である。私は遙か以前に辞去して了ったので、現在も恙なく稼働しているのか定かではないし、もはや興味もない。





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