6.
5.

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Frescobaldi : Partite & Toccate
( ASTRÉE : E 8585 )
- 10 Toccate [1615, 1627]
- Cento Partite sopra Passacagli
- Capriccio di durrezze
- Canzona terza
- Balletto e Cianccona
- Partita sopra Ruggiero
- Partita sopra l'Aria di Follia
Pierre Hantai (cem)
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Lebegue : Piece de Clavessin
( PIERRE VERANY : PV796101 )
- Piece en a mi la re [ Premier Livre, 1677 ]
- Piece en d la re sol [ Premier Livre, 1677 ]
- Piece en g re sol ut [ Premier Livre, 1677 ]
- Piece en c sol ut fa [ Premier Livre, 1677 ]
- Piece en g re sol bemol [ Second Livre, 1687 ]
- Piece en g re sol becarre [ Second Livre, 1687 ]
Bibiane Lapointe (cem)
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アンタイのブルに続く新録音を聴く。ニュルンベルクの博物館にある 17 世紀のイタリアン(製作者不明)のコピーを使っている。玄妙な響きのイタリアン。アンタイの演奏は、いつもどおり、弾き方にイネガル癖があるが、音が飛翔する軽やかさは十分。実のところ、私はフレスコバルディは好きではない(特にオルガン作品)。が、チェンバロであれば、和音の余韻たなびく間は好ましい。アンタイの演奏は、楽器の味わいを活かしながら爽快にその間を作る。アレッサンドリーニのトッカータ集とともに、最近のフレスコバルディの中でも出来ばえのいい録音のひとつ。
もうひとつは、珍しくルベーグのチェンバロ作品がまとまった録音。18世紀の 2 段フレンチ・コピー。17 世紀の Chaumont の調律法を使用。オルガン作品とは違い、この時代のクラブサン作品集の趣きに近いが、それほど美麗でも優雅でもない比較的退屈な作品である。ルベーグはやはりオルガンに限るということか。奏者のラポワントは、仏語圏カナダ出身で、ロス、M・ラガセ、コープマンらに師事した人らしい。個人的に最も関心があったのは、ナグラの 20bit デジタルデッキでの録音ということ。
4.

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Sibelius : Symphony No. 1 & 7
( Berlin Classics : BC3033-2 )
- Symphony No. 1 e-minor op. 39
- Symphony No. 7 C-major op. 105
Dresdner Philharmonie
Carl von Garaguly (dir)
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Sibelius : Symphony No. 2
( Berlin Classics : 0030962BC )
- Symphony No. 2 D-major op. 112
- Symphonic Poem "Tapiola" op. 43
Gewandhausorchester Leipzig
Carl von Garaguly (dir)
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先日、あるきっかけで、ふとこのディスクが思い出された。この録音は、随分昔に図書館で LP を聴いた印象が強く残っている。ガラグリの指揮は、特に第 1 番などシベリウスにしては突慳貪でがさつな気もするが、ホットにして直線的、鋭角的な面白さがあり、面白いシベリウスだ。但し、第 7 番はいただけない。第 5 番以降は、この人のやり方では却って面白くなくなるだろう。情緒溢れるご当地のシベリウスもいいし、カラヤンの演出も嫌いではないが、ここではスリルのあるシベリウスが楽しめる。
しかし何よりもオケの音に惹かれる。特に第 2 番でのゲバントハウス管の音。60 年代前半にしては、不思議なほどモダーンでシャープな切れ味なのに感心。が、50 年代くらいの古風で無骨、やや鄙びた音でこういう演奏だったら、その違和感がもっと面白くさせただろうと思う。しかしストレートさという意味では、私はセルの第 2 番よりこちらの演奏の方をより好ましく思う。夾雑物を取り混ぜず、くっきりした音楽のフレエムを描き出しながら、なかなかに熱弁。名指揮者の一人であったと思う。
3.

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Brahms : Symphonies No.1, 2, 4
( RCA : BVCC-8887/88 ; 2CDs )
- Symphony No.1 in c-minor op. 68
- Tragic Overture op. 81
- Symphony No.2 in D-Major op. 73
- Symphony No.4 in e-minor op. 98
Boston Symphony Orchestra
Charles Munch (dir)
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根本的にミュンシュのブラームスは、墨痕鮮やかで線の太い独自の書体。時に外れることもあるが、概ね古典の規定演技はクリアしている。しかし、その集中力はただものではない。加えて、引き出される響きが実に瑞々しい。まさに一期一会的快演で、こういうブラームスを聴かせてくれる指揮者は現在いるだろうか。第 3 番がないことを残念に思う人もいるだろうけれど、こういう指揮では第 3 番はなくてもいい。ミュンシュも第 3 番はあまり好きではなかったのでは? 今のように、何でも全部録音すればいい、というものでもなかろう。
第 1 番では、有名なパリ管の録音があるが、気宇壮大かつ鬼気迫るパリ管の演奏に決してひけをとるものではない。粗さはあるが、むしろ BSO の方がかなり情熱的で、聴き手を奔流に引きずり込むが如き力勁さがある。2・3 楽章の歌と憧憬の描出もこみ上げるものあり。第 2 番は、さらにその響きの瑞々しさと求心力が強まる。若々しく情熱的な響きだが全然青臭くない。2 楽章など枯れた味は少しもないし、4 楽章の追い込みも素晴らしい。一番よかったのは第 4 番。ブラームス流の鬱々とした重暗さや渋さを引かせ、太い筆致で一気に描き切る。下手をすると、三流指揮者がよくやる勢いだけの演奏に成り下がりがちだが、ぎりぎりで品性を見切っているのは感嘆。悲劇的序曲も佳演。ミュンシュのブラームスはまさに自家薬籠中そのもの。
それにしても、改めて BSO の音はよかった。このような明快で弾力性に富み、クリアな響きを持っていた訳だ。アンサンブルも清冽、特に弦の爽快で明るく、また厚い響きは今の BSO の音と比較すると信じられない。ミュンシュが煽りに煽った感じもあるが、そういう真剣さが直截的に音になって現われている。ハイティンクのブラームスなど比ではなく、小澤にもとてもできない芸当だ。同じ BSO でも、こういう時代があったのだ。
2.

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Scarlatti : Sonatas for Harpshichord
( EMI : CDC 7 54094 2 )
D.Scarlatti : 23 Sonatas for Harpshichord
K.159, K.421, K.72 ,K.132, K.461, K.133, K.175, K.146, K.124
K.105, K.430, K.23, K.397, K.443, K.535, K.87, K.377, K.215
K.216, K.380, K.531, K.450, K.519
Anthony Newman (cem)
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J. S. Bach : Toccatas for Harpshichord
( VOX Classics : VOX 7520 )
- Chromatic Fantasy and Fugue in d-minor BWV 903
- Toccatas f-sharp minor BWV 910
- Toccatas c minor BWV 911
- Toccatas D Major BWV 912
- Toccatas d minor BWV 913
- Toccatas e minor BWV 914
- Toccatas g minor BWV 915
- Toccatas G Major BWV 916
Anthony Newman (cem)
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トニー・ニューマンは、ブレイクした米 Columbia から離れ、VOX で復活する 70 年代後半から 80 年代半ばまでは、録音上、謎の空白地帯である。その後、90 年前後に Newport Classics でのゴールドベルク変奏曲で久闊を叙すものの、かつての超人的面影は随分薄らいでいた。再録音もあるが、ニューマンは Newport に、今までの録音にない広いレパートリーを精力的に録音している。自作も幾つかある。こうしたものは、もっと早くに録音していてほしかった。しかし Newport に録れた数々の新メニューも、フォルテピアノによるモーツァルトのソナタやベートーベンの協奏曲、マタイ受難曲の指揮など、私が期待している分野はそう多くはなかった。
そういう背景から、この 2 枚も全く期待はしていなかったが、スカルラッティはまだよかった。88 年の録音。チェンバロもイタリアンのコピーのようだし、何といっても生き生きした表情と装飾、そしてスピード感は「昔の」ニューマンを彷彿。とはいえ、どことなく根はおとなしい。鋭さと伸びのよいバスラインが退化している。
一方、JSB のトツカータ集は惨憺たるものだった。演奏が雑、ただ速く弾こうとしているだけ。ラジカルな JSB などとはとても言えないシロモノ。トッカータは、ほぼ全滅。録れ直しのクロマチックは、新録音のゴールドベルクを聴いた時と同じ心境。彼は既に超人ではなかったのである。
1.

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Vierne : Complete Piano Works vol. 1
( ARION : ARN 68270 )
- Douze preludes op. 38
- Trois nocturnes op. 35
- Silhouettes d'enfants op. 43
George Delvallée (pf)
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Vierne : Complete Piano Works vol. 2
( ARION : ARN 68312 )
- Suite bourguignonne op. 17
- Solitude op. 44
- Ainsi parlait Zarathoustra op. 49
- Le glas op. 39
- Deux pieces pour piano op. 7
George Delvallée (pf)
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Tournemire : Piano Works vol. 1
( ADDA : 581162 )
- Douze Préludes - poèmes pour le piano op. 58
George Delvallée (pf)
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Tournemire : Piano Works vol. 2
( ADDA : 581238 )
- Rhapsodie op. 29
- Poéme Mystique op. 33
- Cloches de Chateauneuf - du - Faou op. 62
- Etudes de Chaque Jour op. 70
George Delvallée (pf)
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両人はともに1870年生まれ、かつ、ともにフランク門下。オルガニスト兼作曲家である(ピエルネやダンディもフランク門下ではあるが、オルガンという点でこの 2 人とは乖離した存在)。ヴィエルヌはサンフォニック・オルガンの途を歩み、一方のトゥルヌミールは典礼オルガンの伝統に棹差す。8 つの交響曲や多数の室内楽も書いたトゥルヌミールもピアノソロの作品はさして知られておらず、ヴィエルヌもオルガン作品とピアノ五重奏曲以外まず認知されていない現今、ともに珍しい録音が佳演で登場したのは慶賀。
まずヴィエルヌ。virtuosity の高い曲も多いが、オルガンのような独特の厚い響きは後退し、幻想的でロマンの濃い作品が目立つ。オルガンでの幻想曲集とは随分異なり、そのニュアンスはかなり細やか。この時代に生きた人としては珍しく古典的な調性から逸脱することなく、オルガンではできなかった、或る種世俗的芳香を持つ作品を遺している。
作品 38「12 のプレリュード」のプロローグのくすんだ華麗さ、作品 44 の「孤独」の音楽性は素晴らしい。また「ツァラトゥストラはかく語りき」という作品まである(ヴィエルヌ最後のピアノ作品の由)。ドゥルバレのピアノは、時に重苦しく泥臭い。明晰で澄明感溢れるという興趣ではなく、渋めでやや模糊とした音色であり、それは曲趣にあっているように思う。
その点、ドゥルバレの色合いは、トゥルヌミールの方が奏功している。トゥルヌミールの作品には、ヴィエルヌのような世俗的風雅も、調性の固守もない。オルガンにはない簡素でデリケートな響きを求めているように思える。トゥルヌミールの場合、ヴィエルヌとは違い、オルガン作品とピアノ作品の音楽の土俵は同じだが、オルガン作品に見られる独特の神秘的交歓には薄い。トゥルヌミールには「poém」と名づけられた作品が多いが、詩情の訴求より、むしろ感興の赴く儘に書き、形式的に自由になり過ぎた結果の題名と考えられる。音楽構造はかなりシンプルで、音の谷間に浮沈する瞑想的味わいが濃い。トゥルヌミールらしい聴かせどころがあるのは、作品 33 の「神秘的詩曲」であろう。また「12 の前奏詩曲」はコラール的雰囲気が濃厚で、ピアノ作品としては少々退屈。
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