Wagakokoro no Ressentiment / 2002. 03


4.



初めて使う英国電網店 Crotchet にて風琴 3 盤。Woodman さんの「Les soupers du Roi Ubu」から店舗を知る。OHS 辺りでも発註可能なレーベルなのだが、最近の OHS の非常にだらしない受注管理に嫌気が差し(尤も円安ゆえ米国電網店からは割高で買う気もないが)、 偶々、エーベンの新譜を急ぎ欲しかったところ、買おうと思っていた残り 2 つも在庫があり、纏めて購入した次第。対応は比較的早かった。


Hyperion : CDA67196

Petr Eben : The Organ Music 3
( Hyperion : CDA67196 )
  1. Hommage à Henry Purcell
  2. Ten Chorale Preludes
  3. Momenti d’Organo
  4. Kleine Choralpartita über " O Jesu, all mein Leben bist Du "
  5. Versetti
  6. Due preludi festivi per organo
  7. Mutationes for One or Two Organs
Halgeir Schiager (org : Oslo Cathedral, Norway)
Kåre Nordstoga (org II) - 7



まず、最近の私的熱烈注目風琴奏者シアゲルによる、エーベンの続篇(第参集)新譜(註 4)。今回は、晦渋なコラールを含む小品ものが多く集められている。さすがに「ファウスト」や「ヨブ」など大作を主皿にした前篇までとはかなり違った内容であり、今回は私も霞を掴むが如く、あまり明解に把捉できない状態でいる。曲が曲だけに、毎度のシアゲルの冴え冴えした冷徹さは感じにくい。エーベンのコラールも、実際小品ゆえに却って難解なのだが、不思議と音楽要素が面白く聴けるのも、やはりシアゲルのお蔭なのだろう...



AEOLUS : AE-10141

Séverac : L'Œuvre intégrale pour orgue
( AEOLUS : AE-10141 )
  1. Mulet : Tu es petra
  2. Séverac : Suite en mi mineur
  3. Séverac : Versets d'Orgue
  4. Séverac : Petite Suite Scholastique
  5. d'Indy : Prélude et petit Canon
  6. d'Indy : Prélude en mi bémol mineur
  7. Chausson : Trois Antiennes
  8. Chausson : Vêpres des Vierges
  9. Mulet : Carillon-Sortie
Michelle Leclerc (org : Gloton de Notre-Dame d'Auteuil, Paris)



... 実際、セザール・フランクの大きな影が 50 年間あらゆるオルガニストの上にさしていたとしても、まずは彼の名前に直接の弟子たちの名前を繋ぎ合わせるのが妥当だろう。ダリエ、ロパルツ、ピエルネ、ダンディは有名で、そのうち幾人かは他の肩書きで知られているが、オルガンの作品はかなりフランクの影響を受けている。
Norbert Dufourcq『L'Orgue』

... ソラブジのロマン派から20世紀のオルガン作曲家に対する意見であるが、(中略) 非常に過大評価されている作曲家としてセザール・フランクがやり玉に上がっている。彼の構築性の欠如が指摘され、夭折したロイプケこそはより優れた作曲家であると主張する。
大林師匠報告より抜萃引用


次は、近年風琴録音では「気を吐く」組の AEOLUS レーベル。なかなか意欲的な録音が多いので、昨年暮れだったか、AEOLUS の話題で某 ML にて音盤探検隊長や大林師匠よりご報告のあったセヴラックの風琴音楽全集+ others。主皿に挙げておきながら、肝腎のセヴラックは生硬であまり面白くない。風琴の体格では、ピアノのように敏捷な粋や洒脱が反映しえないためか、セヴラックの意匠が出てこないようだ。
フランクの筆頭弟子であるダンディの風琴作品も、ショーソンの小品も初めて聴いてみたわけだが、演奏されてこなかった理由はやはり明らかというべきだろう。上述したデュフルクの言が、フランクの影響を是と唱えるのか逆なのか、その意識を明確に知る由もないが、特にダンディは単にフランクのエピゴーネンと呼ぶに相応しく、退屈窮まる。ショーソンも、これならば 2 台の洋琴の方が素敵なのでは?

この中で、なぜミュレ(註 5)だけが両端を飾るのか不思議だったが、何のことはない、organist = composer の作品の方が卓れているわけで、皮肉にもミュレが一番良いということになる。私的には、このカヴァイユ=コルの楽器の音色は好ましいと思う反面、ルクレルク女史はレジストレーションのパレットがここでは実に狭隘で、表現性全体が活力を失い平坦であることは残念に思う。



Priory : PRCD669 AB

Tournemire : L'Orgue mystique (excerpts)
( Priory : PRCD669 AB ; 2CDs )

[ CD 1 ]
  1. Office 2 (Immaculate Conception) "Postlude"
  2. Office 3 (Christmas) "Paraphrase" *
  3. Office 7 (Epiphany) "Fantaisie"
  4. Office 11 (Purification of the Blessed Virgin) "Diptyque"
  5. Office 27 (Corpus Christi) "Fantaisie paraphrase"
  6. Office 29 (4th Sunday after Pentecost) "Alleluia" N°1
  7. Office 30 (5th Sunday after Pentecost) "Alleluia" N°2
  8. Office 31 (6th Sunday after Pentecost) "Alleluia" N°3
  9. Office 32 (7th Sunday after Pentecost) "Alleluia" N°4

[ CD 2 ]
  1. Office 33 (8th Sunday after Pentecost) "Alleluia" N°5
  2. Office 35 (Assumption of the Blessed Virgin) "Paraphrase and Carillon"
  3. Office 43 (16th Sunday after Pentecost) "Choral alleluiatique" N°1
  4. Office 44 (17th Sunday after Pentecost) "Choral alleluiatique" N°2
  5. Office 45 (18th Sunday after Pentecost) "Choral alleluiatique" N°3
  6. Office 46 (19th Sunday after Pentecost) "Choral alleluiatique" N°4
  7. Office 47 (20th Sunday after Pentecost) "Choral alleluiatique" N°5
  8. Office 51 (23rd Sunday after Pentecost) "Fantaisie sur le Te Deum et Guilandes Alleluiatiques " *
Marie-Bernadette Dufourcet (org : La Sainte Trinité, Paris )
( * = La Basilique du Sacre-Coeur, Paris )



最後は、トゥルヌミール。現在「神秘的風琴」の全集録音が複数レーベルで遅々として進んでいるが、それ以外で纏まった録音としては久しぶりのような気もする。
マリー=ベルナデット・デュフルスこと、ハキム夫人による「神秘的風琴」の大抜萃盤。ハキム夫人は、実は同じ Prioy よりサクレ=クールでのトゥルヌミールを 1 枚出していた(註 6)。しかし、本盤に一部あるサクレ=クールでの録音データを較べると、90 年 4 月と同じで(但し、演奏時間に違いがあり、別テイクの可能性もある)、過去録音で一部補填し、トリニテで新たに録音を継ぎ足した風。多分、全曲録音の可能性はなさそう。

とりわけ繊巧崇美な和声推移が主の緩徐作品では、清楚な美しさが印象に残る。旦那ハキムの影響か?、とにかく柔和で明るい色彩が大変心地よい。だが残念ながら、トゥルヌミールの特徴たる、聖歌−パラフレーズの過程に於ける機能和声の崩壊と収斂で放出される晦渋な力感は、前盤どおり物足りない。ひとつはイン・テンポにその原因も感じるのだが、むしろトゥルヌミールのような豪奢な音響演出に対して、トリニテの楽器では性格が弱すぎるため−特にペダル音域の脆弱さ−のように私には思える。
運動性が高く、雄弁に神性の高みへと幻化してゆく作品よりも、素直にパラフレーズの和声展開の充実した作品に彼女の良識を認める、そういう演奏である。




3.



Jecklin : JD 686-2

Sigfrid Karg-Elert : Chamber Music
( Jecklin : JD 686-2 )
  1. Suite pointillistique op. 135 for flute & piano
  2. Sinfonische Kanzone op. 114 for flute & piano
  3. Sonate A-dur op. 71 for violoncello & piano
  4. Kleine Sonate C-dur op. 68 for violin & piano
Verena Bosshart (fl)
Hansheinz Schneeberger (vn)
Walter Grimmer (vc)
Stefan Fahrni (pf)


HUNGAROTON : HCD 31925

Late Romantic Impressions by Sigfrid Karg-Elert
( HUNGAROTON : HCD 31925 )
  1. Sonate in B major op. 121
  2. Impressions exotiques op. 134
  3. Chaconne for flute solo op. 107-Nr.30
  4. Sinfonische Kanzone op. 114
  5. Suite pointillistique op. 135
  6. Sonate in einem Satz für Flöte Solo op. 140
  7. Jugend op. 139a
Gergely Ittzés (fl, pic)
Csaba Klenyán (cl), Gergely Sugár (hrn) - 7
József Gábor (pf)



... カイクシュルー・ソラブジ (Kaikhosru Shapurji Sorabji) の評論は殆ど "Musical Opinion" 誌上に掲載されたようだが、オルガンビルダーのヘンリー・ウィリス(3世)が出版していた季刊誌 "The Rotunda" に発表(1930年)された "MODERN COMPOSERS AND THE ORGAN"と題する一文がある。(中略) 彼によれば、20 世紀に台頭した重要な作曲家としては、カルク=エーレルトとレーガーの 2 人の名前を挙げている。前者は、非常に有能な作曲家だが、内面的なロジックの欠如ゆえに、いくら表面的な華やかさがあってもそれは空虚であり、知的な統制が無くては巨匠 (Master)とは言えないと喝破する。
大林師匠報告より抜萃引用


Berkshire Outlet での拾いもの。カルク=エレルト(独式発音ではカアク=エラアトと思う)の室内楽を 2 盤。
珍しさもあるが、オルガンやハルモニウム作品以外のエレルトは面白いのか? ヨンゲン(Joseph Jongen)もそうだが、室内楽もひとつの答えにはなるだろう。中でもフルートの作品集は素晴らしい風情があり、私としてはケックランの感覚をリマインドした(註 3)。但し、詩情優先たる感興は良しとしても、或る意味ではケックラン同様、知的構成力に欠けるという瑕疵もなくはないのだが(その点、ヨンゲンは見事だ)...

イェックリン盤は、総じて真面目平凡な演奏のため、殆ど面白味を感じなかった。ヴァイオリン、チェロの各ソナタを入れているものの、何やら要領を得ない不定型な輪郭がため、たとえ或る程度うまい演奏で聴いても、大きくその印象は変わらないだろうと思う。フルートの作品集は、フンガロトン盤の Ittzés の方が遙かに表情豊かである。こちらで聴いて、より一層、佳品だと理解できると思う。




2.



Old Jacket ; ASTRÉE : AS128556

Pergolesi : Stabat Mater
( ASTRÉE : AS128556 )
  1. Stabat Mater
  2. Motet " Pro Jesu Dum Vivo "
Isabelle Poulenard (sp), Jean-Louis Comoretto (alt)
La Grande Écure & La Chambre du Roy
Jean-Claude Malgoire (dir)



A bit of memory : di Napoli

1600165017001750

Investiganti

CUBECUBE

Vico (1668-1744) CUBECUBE
Giannone (1676-1748) CUBECUBE
A.Scarlatti (1660-1725) CUBECUBE
Pergolesi (1710-1744) CUBECUBE


... 長らく列車を待つ必要はなかった。車室はがら空きだった。マンフレートは横になると、すぐに眠り込んだ。目が覚めるとナポリはとっくに過ぎていた、はるか南に。マグナ・グラエキアの門はマンフレートの背後で閉ざされた。
「最後の旅」 〜 G.R.ホッケ『マグナ・グラエキア』




1.



ASTRÉE : E 7800

l'Œuvre du XXè siècle Tome I : Paris
( ASTRÉE : E 7800 ; 4CDs )

[ CD 1 : Claude Debussy ]
  1. La Mer ... Dec 11/12, 1968
  2. Khamma ... Feb 24/26, 1987
  3. Jeux ... Feb 7, 1968
[ CD 2 : Maurice Ravel ]
  1. Rapsodie Espagnole ... Mar 4, 1967
  2. Ma Mère l'Oye ... Mar 27, 1972
  3. Valses Nobles et Sentimentales ... Jan 26, 1967
  4. Le Tombeau de Couperin ... May 4, 1974
[ CD 3 : Igor Stravinsky ]
  1. Le Sacre du Printemps ... Dec 5, 1969
  2. Le Chant du Rosignol ... Jan 25/26, 1972
[ CD 4 : Albert Roussel ]
  1. Suite en Fa op. 33 ... Dec 22, 1965
  2. Symphonie N°3 en sol mineur op. 42 ... Jul 29, 1977
  3. Symphonie N°4 en La majeur op. 53 ... Sep 20, 1967
Sinfonieorchester des Südwestfunks, Baden-Baden
Ernest Bour (dir)




... ジャンバッティスタ・ヴィーコは、文字どおり十八世紀前半のナポリの知の体現者と言えようが、(中略) 誤解を恐れずに言えば、当時の時代思潮の本流であるデカルトの思想・哲学に異議を唱えた変わり者なのである。(中略) ヴィーコの思想の奥行きの深さと人間重視の人文主義的本質をしっかりと受け継いできたがゆえの豊かさが、やはり内側から独自の光を放って人々を惹きつけてやまないからである。
澤井繁男『ナポリの肖像』


脳裏に飛び交う断片的なイメージを拾遺してみると...
  • 以前、ブレーズと BPO によるラヴェル(DGG)を聴いた時(註 1)、私は今まで、わかっていながら、肝腎のブレーズ自身が本性的に索める指揮姿を敢えて意識しなかったのではないかと考えて了った。


  • 森の中の開けたところをロスバウトとしよう。ここを端緒とする杣径が、ある方角へと深い森の中に進んでゆく。それをブレーズとする。そしてある人は、ブレーズと端緒は同じながら、別の杣径が森の中へと続き、全く前者とは違った道筋を辿ることを知っている。それが SWF 系指揮者の流れといったら間違いだろうか... こちらの杣径を辿る時、杜絶寸前と思われるほど地味な深い森の獣道のようだが、時々木漏れる光景の何と絶景なることか。


  • プールとの縁は、唯一、ラヴェルの「子供と魔法」(TESTAMENT)だけであった(註 2)。しかし、その頃は素晴らしい指揮者と喝破できたわけではない。当たり前の音が、ごく当たり前に鳴っている...


  • ソツのなさだけでは、こんなに当たり前に鳴らない。ブールの個性とは、フランス音楽の音の陰翳が、この南独の機動的で骨太の楽団の音の中からも「ざっくりと」姿を顕してくること! これは凄いと思うのである。普通は苦心・腐心して「ニュアンス」という漠然とした表象を究めるのであるが、ブールの場合は言葉どおり「ざっくり」である。しかし、それがまた何の無骨さも違和感もなく、当たり前であるかのように聴き手に対して振る舞う。それが「古典」という意味を我々に投げつける。


  • ここにあるものは、色彩栄耀、情緒饒富、芳香馥郁たる世界ではなく、豊穣な「古典」の世界観である。ドビュッシーとルーセルにその妙味を見る。


  • 何も「ブレーズをデカルト、ブールをヴィーコ」とは喩(い)わない。ブレーズが既に音楽の「共通感覚」を跨いだのちも、ブールは、音楽に対する沈着な視座から淡々と聴き手の記憶表象を召喚する... その恬淡たる世界観こその凄さである。






いつの間にやら、独りでに鹿爪らしい音盤咄に逆戻りしてしまうものだと拱手憮然。
しかし、私の音盤咄は「音盤評」には達していない。今さら音盤批評の傍杖すら食いたくもない。あくまで好事家的自慰に止住したいのが我が意である。大体、こんなものに説得性を依拠させようという意識など毛頭ないわけだし、個人体験を綴る意義だけが意味と化するのだ。
最近、ひとつだけありがたいことがある。この数年の買い物が殆ど風琴ばかりなので、そんなケチ臭い音楽を好んで聴くお莫迦など、益々誰も相手にして呉れなくなったことだ。鞠躬。




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