Wagakokoro no Ressentiment / 2001. 12


4.



BIS : BIS-CD-1084

Sigfrid Karg-Elert : Organ Music Vol.1
( BIS : BIS-CD-1084 )
  1. Ach bleib mit deiner Gnade (Symphonic Chorale) op.87-1
  2. Seven Pastels from the Lake of Constance op.96
  3. Eight Short Pieces op.154
  4. Trois Impressions op.72
  5. Passacaglia and Fugue on BACH op.150
Hans Fagius (org ; Aarhus Cathedral, Denmark )



危うくこの盤を忘れるところだった。石丸電気参号店にて。
録音の殆どない「コンスタンス湖による 7 つのパステル」の新録音が出たので、つい買った。Vol.1 と称するところ、BIS でもエーレルトのオルガン作品全集を始める心算らしい。が、結局、白羽の矢がファギウスでは... と思いつつも、この録音では意外な善戦ぶりに感心。まだ「コンスタンス湖」がリリースされていないとは云え、cpo の退屈窮まるシュトックマイアの全集(進行形)よりは、期待できそうに思う。
JSB の録音(BIS が原盤だが、Brilliant Classics で超廉価な JSB 全集が出ている)などを聴いてわかるように、ファギウスは直線的で真面目な演奏にかたぶく。曲によってはそのような硬質な味わいもよいのだが、主皿の「コンスタンス湖」は陰翳の深さ、浮遊する繊細な叙情にはやや力不足か。しかし、1 枚に纏まっているエーレルトの中では安心して聴ける。不勉強ながら、「BACH によるパッサカリアとフーガ」を初めて聴いたが、これは佳品である。




3.



Berlin Classics : 0021582BC

Junge Deutsche Philharmonie jubiläums edition 2
( Berlin Classics : 0021582BC )
  1. Brahms-Schönberg : Klavierquartett g-moll op. 25
  2. Webern : Passacaglia für Orchester op. 1
  3. Mahler : Adagio from Symphony No. 10
Junge Deutsche Philharmonie
Hans Zender (dir - 1)
Gary Bertini (dir - 2/3)


Berlin Classics : 0030342BC

Debussy, Schönberg, Mahler
( Berlin Classics : 0030342BC )
  1. Debussy : Prélude à l'après-midi d'un faune
  2. Schönberg : Verklärte Nacht op. 4
  3. Mahler : Adagio from Symphony No. 10
Staatskapelle Dresden, Otmar Suitner (dir) - 1
Gewandhausorchester Leipzig, George Sebastian (dir) - 2/3





珍しく管弦楽ばかり続いている。
ベルリン・クラシクスを 2 題。2 盤とも再発機会の買い直し的買物である。塔音盤店 にて。
最初の「ユンゲ・ドイッチェ・フィル・エディツィオン」は、ツェンダーによるブラームス(シェーンベルク編)ピアノ四重奏曲の初 CD 化がゆえである。但し、(P) で記されているとおり、この録音は元々 LP でドイツ・グラモフォンからリリースされた(国内盤含む)ものである。当時スコアを買ったため、必死に同曲の録音を探した結果、初めて手に入れた録音であり、随分聴き込んだ。莫迦げていると言っても過言ではないほど、これでもかというほどの管弦楽法繚乱たる編曲ながら、ツェンダーの交通整理が見事に浸透し、大変見通しの良い演奏だ。また、この楽団も技術的に大変巧く、同曲の佳演として記憶に留められるべきだろう。

もうひとつは、以前 edel レーベルとして出ていたジョルジュ・セバスチャンの再リリースである。特に音的に向上・改善がなされたようには感じられなかった。セバスチャンのよさは、清楚で高雅な表情に魅惑されながらも、特に弦で芳醇な響きを召喚することだろう。「浄夜」はしっかり重い割にはまろみに富み、逆にそれが鼻につくかもしれない。だが思った以上に、浪漫的血潮の濃さからは距離をおいており、ふくよかな弦の響きに幾度も耳を奪われる。マーラーの 10 番では、厚いながらも醇乎たる響き、暗示的な曲調に見る不思議な清浄さは、この作品の本来在るべき姿ではないのかもしれないが、依然、私のお気に入りである。
実際、この盤には塔音盤店得意の POP がつけられ、「この指揮者を知らなかったが、こんなに素晴らしいとは思わなかった」の由。まぁ、好みは別としても、わかる人にはわかる筈である。




2.



BIS : CD-1286/88

Sibelius : The Complete Symphonies
( BIS : CD-1286/88 ; 4CDs )
  1. Symphony No.1 - 7 ( including No. 5's 1915 version )
  2. Tapiola op. 112
Lahti Symphony Orchestra
Osmo Vänskä (dir)





HMV@ がセットもの半額セールを実施した際に発註した。無責任な対応への非難も聞かれるようだが、まぁ、かくも無謀なセールをやっただけでも偉いと思う(私も、結局、未だに届かないブツがある)。

こういうセールでもない限り、管弦楽のセットものを調達することは暫くなかろうと思い、評判のヴァンスカ&ラハティ響によるシベリウス全集を買う。かくも「曲線美を廃した」風情のシベリウス解釈も大いにありだろう。古楽風とさえ言える鋭い切り込みはあるが、むしろ澄明な情緒に溢れ、決して分析的に覚めた演奏ではない。中でも峻烈・敏捷な音楽の所作、管弦楽全体に浸透する凛冽ともいえる音の佇まいには、この演奏を以てシベリウスの魅力と魔力を感じざるを得ない説得性がある。特に 4 番交響曲は、その発せられる「音色」が素晴らしい。まさにそれに相応しいものとして魅了される。

所謂「北欧的」という表現は、「極東」と同じくらい胡散臭いと思うので(笑)、音の要素を違う表現で考えてみる。結果的に、多くのシベリウス録音と比べ、ヴァンスカ&ラハティ響が実現している魅力の主因は、「鮮明なモノクロームの勝利」ではないかと思われた。

徹底した管、特に木管の怜悧な響きに注目しよう。彼等木管はここでは、ソロも含め、楽器本性としての魅惑を振る舞うことはない。ビブラートの瀰漫を抑え、ストレートで禁欲的な音の存在とさえいえる。同時に金管もまた、鋭利で強靱なアタック、輝かしくはあるが、徹底して光輝をアッピールしない醒めた色になっている。まるで人脂にまみれた混濁を、響きの中から可及的完全に掃洒したいとでも言わんばかりの、色彩的拡散への厳しい抑制が管には課せられている。そしてこういう演奏は古楽同様、速いテンポ解決に必然的にならざるを得ない(古楽に親近感があると、すんなり馴染みやすいのだろうか?)。翻って思うに、昔日のシベリウス演奏に対し、どことなく違和感として感じていたものは、「生温さの残存」だったといえそうだ。

シベリウスは、喩えるなら、精細度の低いカラーテレビでは諒解しづらい。高精細モノクロモニタ、或いは高精細がゆえにやや色調が暗く感じられるハイビジョンの世界にあって初めて、グラデーションの存在が理解できる。だからこそ、微細かつ鮮明な画質ながらも、色の温度感の低さに近づいた感覚に、多くの方が惹かれていくのではなかろうか。まぁ、私もシベリウスならその方がいい。

この特徴をよくよく考えてみると、下の音盤話に逢着する。なぜシベリウス・ファンとブルックナー・ファンが多く重複するのかと思っていたのだが、これで理由がはっきりしてくる。両作曲家の持つ音楽語法は大きく違うし、管弦楽や響きの組み立ても大きく開きがあるのはわかっている。しかし両ファンにとって、ともに演奏上冀求される響きの哲学とは、行き着くところ、峻厳なモノクロームの世界なのではなかろうか。




1.



AUDIOPHILE : APL 101.565

Bruckner : Symphony No.8
( AUDIOPHILE : APL 101.565 )
  1. Bruckner : Symphony No.8
Concertgebouworkest Amsterdam
George Szell (dir)
[ 28 June, 1951, Amsterdam ]


Ars Nova : ARS 001


George Szell / Cleveland Orchestra : Live in Russia
( Ars Nova : ARS 001 )
  1. Rossini : Overture to " La Gazza Ladra "
  2. Debussy : " La Mer "
  3. Brahms : Symphony No. 3 in F major op. 90
  4. Dvorak : Slavonic Dance No. 3 op.46-3
Cleveland Orchestra
George Szell (dir)
[ 19 May, 1965, Leningrad ]




久々にセルを 2 盤。ともに Tower Records にて。

私は、セルとブルックナーの link とは何なのか、ずっと理解し難かった。ところが電網会話において、改めてセルのブルックナーとは何だったか? ということを考える機会を与えていただいた。かくして啓かれた蒙により、少しはセルのブルックナーに対する考え方(の経緯)というものを理解できたような気がする。詳しくは、私を適切に唱導して下さった Ton さんこと吉田教授が最近建てられた「George Szell Chronology」を御覧いただきたい。とりわけ「Szell の Bruckner」(1)(2) における卓れた考察は、私が長年茫洋と感じてきたもの(或いは誤解してきたもの)を明晰に剔抉した見事な分析である。

最初は、コンセルトヘボウ管弦楽団との 51 年のブルックナーの 8 番のライブ。版の問題は上記サイトでの分析に譲るとして、60 年代後半の正規録音を聴く限り、構築把握の基本線に大きな変化はないと感じられた。50 年代はじめのセルの録音に見られる、力で押し切るような強靱なドライブが懐かく聞こえてくる。一方で、3 楽章などセルらしからぬ?静謐な叙情とクラスター的総奏の対比ぶりが意外なほど明瞭なのは、セルの当時の解釈だったからなのか、ライブだからなのか。しかし、余りにも潔癖なデュナーミク、また曲調の段差をテンポの変化で帰結する手だてなど、私には却って鬱陶しく感じられることの方が多かった。

話は逸れ、蒙昧ながら、近年抱いているブルックナー演奏の疑問を書いてみる。
ブルックナーの 8 番という作品、まさに様々な要素が盛りだくさんであるが、「ブルックナー・サウンド(註)の支配あるべし」なるご意見は、実のところ、私は完全には首肯できない。何ゆえかというと、それがブルックナーの作品演奏に於いて、真に先んじるべき本質的属性を抽象したものと言えるかどうかわからないのである。
聴き手が音響イメージを帰納的に同心円として描くのは、あくまで管弦楽的塑性の側面からの抽象なのであって、作品に内在する多様性の側面からではないことを按ずるわけである。
特にこの作品や 9 番交響曲の持つ、多様な内在物が錯綜・調和を繰り返し、反定型的な漣が産まれては定型的波動へ収斂してゆくダイナミクスが、まるで弁証法的に繰り広げられる姿態の面白さを思えば、響きこそ偶有的属性であって、こちらの方が本質的属性ではないかという問題意識に逢着してしまう。
つまり、作品に内在する形式への離反と収斂、機能和声からの乖離と整合など、相反する混沌とした内在の「止揚過程」が反映されて初めて、この作品は本質を顕わにしてくるように思う。その意味で、たとえ「響き」の支配原理から外れたとしても、上記の問題解決を聴かせて呉れる演奏の方が私には面白いし、その場合、所詮響きは偶有的な属性でしかなくなる。

そんなことを考えながらこのセルの録音を聴くと、近年のブルックナー演奏には感じられない、作品に潜伏する調和と破壊とが、局地的には粗暴なほど慇懃に示されながらも 、全体としてはちゃんと大きな力強い波動へと収斂する。この手合いも、間違いなく、ブルックナー演奏のイデーとしての面白さにはなっている筈だ。

(註)ブルックナー・サウンドについては「奥座敷 第19回」の議論をご覧ぜよ。


さてもう 1 盤は、知る人ぞ知る旧メロディア原盤からの板起こしによる復活である。オリジナルのメロディア原盤について、下記に纏めておこう。今や 2 盤とも入手は困難だが、記録としてはさておき、音としての魅力が極端にうすいものであるから、この CD を入手していれば差し当たって問題はない。

1. Melodia M10 47027 002
  • ( 1-1 ) Weber : Overture to " Euryante " *
  • ( 1-2 ) Rossini : Overture to " La Gazza ladra "
  • ( 2-1/3 ) Debussy : La Mer
* = Live at Cleveland, 17 December, 1967

[Matrix] Side 1: M10-47027/2-1, Side 2: M10-47028/2-1

2. Melodia M10 47029 007
  • ( 1-1,2, 2-1,2 ) Brahms : Symphony No. 3 in F major op. 90
  • ( 2-3 ) Dvorak : Slavonic Dance op. 46 No. 3
[Matrix] Side 1: M10-47029/2-2, Side 2: M10-47030/2-1

これらの録音は、ウェーバーの「オイリアンテ」序曲を除き、1965 年 4 月半ばから 6 月末の長期にわたるセル&クリーブランド管の欧州ツアーの中、レニングラードでの演奏記録である(5 月 19 日レニングラード・フィルハーモニー大ホール)。なぜか (C) は 1986 と遅い。如何にも「板起こし」がゆえに、強奏が割れ邦題で、音も汚いように感じておられる方が多いと思うが、実はオリジナルがひどいのである。余程ひどい録音かカッティングであるため(オイリアンテ序曲の音源はソビエトではない筈だから、音の傾向が同様であるところ、プライベート録音という可能性は薄い)、皮肉な話、これでも板起こしとしては優秀である。実のところ、私も以前、両盤の板起こし音源を作って関係者に CD 配付したことがあるが、頑張ったところで、この程度にしかならなかった。

演奏内容は、セルのライブをご存じの方なら、特記すべきものはないだろうと思う。前菜のロッシーニはラストの猛速が冴え、サービス精神満点。二菜目のドビュッシーは 57 年のルガーノのライブと比べると、聊かあの見事なまでに硬質な律動が薄らいだように思う。主皿のブラームスは、ライブならではの感興ではあるが、あの正規録音の瑞々しい演奏と比較してしまうと、やはり少々サービス過剰かと思う...

上記に挙げた「George Szell Chronology」でも、この録音−特に「海」−について触れられているが、ライブであそこまで行き着けるのは彼岸到達一歩手前(笑)とすら思えた、ルガーノのライブが最も忘れられない....



12 月下旬に親父が急逝、年末年始は葬儀や手続きに終始。予定していたアップデートもかなわぬ儘、その後の肉体的・精神的事情もあって、今日に至る。この音盤日記は、途中まで構想され書きかけていたメモに手を入れ、既にジャケット画像を作成・保存していたものだけを、現在の感興で新たに加筆。本当はもう少しとりあげる音盤があった筈だが、何分にも当時の記憶が既に遐域に迯れて了った。(2002.03.31 記)





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