6.

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Johann Adam Reincken : Hortus Musicus
( Pierre Verany : PV 796052 )
- Partita I in A minor
- Partita II in B Flat major
- Partita III in C major
- Partita IV in D minor
- Partita V in E minor
- Partita VI in A major
Les Cyclopes
... Manfredo Kraemer, Laura Johnson (vn), Guido Balestracci (gamba)
... Brian Feehan (theorboro & baroque gtr), Bibiane Lapointe (cem)
... Thierry Maeder (positive org)
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Janacek : Suites / Idyll
( CHANDOS : CHAN 9195 )
- Suite for Strings
- Suite from " On an Overgrown Path " ( Orch. by Jarmil Burghauser )
- Idyll for String Orchestra
London Jupiter Orchestra
Gregory Rose (dir)
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Berkshire での拾いもの第 3 弾。
某 ML で話題に上ったラインケンの作品。彼には「Hortus Musicus(音楽の庭園)」というトリオ・ソナタ集がある。原曲よりバッハがこの曲集から鍵盤(チェンバロ)独奏用に編曲した BWV 954, 965, 966 の 3 曲の方が知られているくらいだ。しかし JSB の編曲は、装飾や声部交代だけではなく、JSB 自身が加筆を行うなど、純粋なトランスクリプションとは必ずしも言い難い。反面、ラインケンが持っていた音楽語法と JSB のそれとはかなり親和性が高いため(JSB がラインケンからも少なからず影響を受けたということもあろうが)、何ら違和感がないどころか、元々 JSB の作品であるかのような顔をしている...。原曲が気になる。
JSB 編曲での鍵盤のアーチキュレーションと間の取り方に慣れてきたせいか、原曲の編成で聴くと、細かなフレーズの受け渡しに於ける楽器交代がどうにも煩わしい。緩徐楽章に於いてすら、妙に急かされているかの如き印象である。特に第 1 番イ短調は、私が気に入っている BWV965 a-moll の元。彫りが深く陰翳の美しい音楽として、アスペレン盤で刷り込んできた私にとっては、なおのことそう感じる。その意味では、演奏ももっとゆとりを持って雅致をこなせば、JSB が逆にもたらした陰翳の彩美が現出したのではないだろうか。やはり JSB の圧倒的消化力には感服せざるを得ない。
ラインケンは、時代を先取りした音楽性を持つシャイデマンの弟子にしては、音楽はもっと古風な方向へと戻っている。長たらしいだけで退屈な「バビロンのほとり」にしても、書法的な完成度は高いかもしれないが、音楽としては冗長。ここでも全体的に旋律もさして美しくなく、また曲の差異に薄い。であればインスピレーションに溢れたブクステフーデの方が遙かに面白いように感じる。
もうひとつは、ヤナーチェクの弦合奏作品を集めた録音。
「草陰の小径を通って」は、数曲セレクトしてブルクハウザーが弦合奏に編曲したものである。以前から存在は知っていたが、この種類にはよく騙られてきたので、やはりバークシャーあたりで確認できるのは無難。
こざっぱりしたよい演奏だが、如何せん、ヤナーチェクの光の部分ばかりが耳に入り込み、不条理な翳の部分が不思議なほどなくなっている。「牧歌」などはそれでも悪くはないのだが、どこかもの悲しい眸光がなくなってしまうと、何か違う作品を聴いているかの心持ちになってくる。「草陰の小径を通って」も、情念や暖かさ、黄昏た悲哀などがピアノのニュアンスほど現出してこない。
5.

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Jaques Berthier : Requiem de 1951
( STUDIO SM : D2703 SM 63 )
- Mater Dilorosa
- Requiem de 1951
Martine Honorat (sp), Elisabeth Maury (alt), Jean-Marie Cottin (tn)
Scola Saint-Sauveur de la Cathédrale d'Aix en Provence
Chantal de Zeeuw (org)
Jean-Françios Sénart (dir)
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Gherardeschi : Messa per organo etc.
( foné : 93 F 22 CD )
- Kyrie
- Gloria
- Offentorio
- Sanctus
- Elevazione
- Agnus Dei
- Preludio e Postcommunio
- Magnificat del sesto tono
- Rondò
- Sonata a guisa di banda militare che suoma una marcia
Corale S. Michele Arcangelo di Corsanico
Nicola Luisotti (dir)
Luigi Ferdinando Tagliavini (org ; S. Michele Arcangelo, Corsanico)
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Berkshire での拾いもの第 2 弾。
ドゥサンクロ以来(註 1 )、現代の教会音楽、特にローカルなオルガンと合唱の作品を調べている。フランスのジャック・ベルティエ「レクイエム 1951」はそれで引っかかったもの。音楽的には今ひとつの内容だが、ドゥサンクロのような「薄明の中の浄化の世界」とは違い、もっと抹香臭い感性が濃い。南仏にはトマジやドゥサンクロのように吹っ切れた宗教音楽が目立つけれど、稍々まともなクチかも。シャンタル・デ・ゼーウのオルガン伴奏を、リストの「Via Crucis」以来、久々に聴けた。
一方は、18 世紀イタリアの人、ゲラルデスキ(未だに読み方がわからない)。この作曲家の作品は、コープマンによるアンソロジー(註 2 )で 1 曲しか聴いたことがない(そのお下劣な曲が当盤最後に収録されている)。
基本的には、フランスのラスー( Guillaume Laseux )からルフェビュル=ウェリ( Lefébure-Wély )あたりまでの音楽観とほぼ同一だろう。オルガンを世俗的な楽器として扱う人々というわけだ。デュフルクに云わせりゃ、オルガン音楽史的には頽廃の極みなのだろうが、ミサと云いつつも頓珍漢なほど軽妙なこの世界も、逆に莫迦らしくて面白い。タリアヴィーニが演奏しているというのも、何やら不思議(あやしげ)な気もする。92 年の録音。アルテルナティム(註 3 )で演奏されているが、アルテルナティムだからこそ、音楽が異様に浮きまくっているこの姿態を、是非ご試聴あれ。
(註 1 ) 当篇、2000年 7 月度の 2 を参照のこと。
(註 2 ) PHILIPS 9502 095 (LP) " Musica Barocca Italiana per Organo " Ton Koopman (org)
(註 3 ) 同じく、当篇 2000年 7 月度の 3 を参照。
4.

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A Shropshire Lad
( Meridian : CDE 84185 )
- Somervell : - A Shropshire Lad - Cycle
- Butterworth : 6 Songs from " A Shropshire Lad "
- Peel : When the lad for longing sighs
- Peel : Reveille
- Peel : In summertime on Bredon
- Gurney : - The Western Playland - Cycle
Graham Trew (br)
Roger Vignoles (pf)
The Coull String Quartet
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Prospice
( DUO : DUOCD 89026 )
- H. Walford Davies : " Prospice " op. 6 for Baritone & SQ
- Butterworth : " Love blows as the wind blows " for Baritone & SQ
- Somervell : " A Brocken Arc " for Baritone & Piano
- Geoffrey Bush : " Farewell, Earth's Bliss " for Baritone & SQ
- Vaughan Williams : " 5 Mystical Songs " for Baritone, SQ & Piano
Martin Oxenham (br)
Catharine Durran (pf)
Bingham String Quartet
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久々の Berkshire Outlet での拾いもの。
今年はクラシカルでは、再度、英国音楽主体に遊弋してみる予定。上記 2 盤とも歌曲集であるが、上は高名な「シュロップシャの若者」関係、下は弦楽四重奏とバリトンの歌曲を主とした録音である。前者ではガーニィ、後者ではブッシュの作品に引き込まれる。それにしても、バリトンと弦楽四重奏の組み合わせは、RVW に限らず、良い味わいだ。なお 2 盤併せて、ソマーヴルの歌曲の叙情が沁み入る。DUO 盤の「A Brocken Arc」は、実に美しい作品。2 曲目の「Meeting at night」あたりは、フォーレの歌曲のようだ。
比較的録音の多いバターワースやクウィルターの歌曲も大好きだが、ガーニィやソマーヴルなども素晴らしい質感である。この辺り、もっと録音が出てほしい。
3.

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The Complete Vogue Recordings, Vol.1
( BMG : 743214 09322 )
20 Works
Martial Solal Trio : Martial Solal (pf) and ...
(1) Pierre Michelot (bs), Pierre Lemarchand (drm) : May, 1953
(2) Jean-Marie Ingrand (bs), Jean Louis Viale (drm) : Feb. & Nov., 1954
(3) Joe Benjamin (bs), Roy Haynes (drm) : Oct., 1954
(4) Benoit Quersin (bs), Jean Louis Viale (drm) : Apr, 1955
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The Complete Vogue Recordings, Vol.2
( BMG : 743214 09332 )
26 Works
Martial Solal (solo pf)
Martial Solal - Fats Sadi Qaurtet
- Martial Solal (pf), Fats Sadi (vib),
Jean-Marie Ingrand (bs), Jean-Louis Viale (drm) -
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At Newport '63
( BMG : 743212 57682 )
- Poinciana (The Song Of the Tree)
- Nuages
- Suite Pour Une Frise
- Stella By Starlight
- What Is This Thing Called Love
- 'Round Midnight
- Boplicity
- All God's Chillun Got Rhythm
Martial Solal (pf)
Teddy Kotick (bs)
Paul Motian (drm)
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Suite for Trio
( MPS : 843 110-2 )
- Coming Yesterday
- No Delay
- Suite for Trio
- 'S Wonderful
- Cherokie
- Here's That Rainy Day
Martial Solal (pf)
Niels-Hennig Ørsted-Pedersen (bs)
Daniel Humair (drm)
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Martial Solal
( Poljazz : Z-ZX-0696 ; LP )
- Body And Soul
- I'll Remember April
- All The Things You Are
- 'Round Midnight
- Sophisticated Lady - In A Sentimental Mood (Medley)
- Stella By Starlight
- Bis
Martial Solal (pf)
[ Live : Dec. 10, 1978, Warsaw, Poland ]
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またしても久々にソラルである。ここに挙げた盤は、一部某 ML でのクイズの景品も含まれる(笑)が、全て大林師匠@東欧 JAZZ 評論よりご都合していただいた。多謝であります。特に貴重な「Poljazz」盤には篤く御礼申し上げたい。ここでは、その小総括を。
ソラルは、作品の出来映えはさておくとしても、現代音楽風作曲もやる人だから、sophisticated なジャズマンとの印象が強い。時にそのクールさがあだとなり、日本では人気がないそうである。吾がソラルの印象は、知的というよりは「醒めた人」という感じ。出す音そのものに自分という人間を託すジャズにあって、これ程音そのものが素っ気ない人もあまりいないのではないか。或いは、そういう姿勢とは真っ向から対峙し、音表現とは違う方向に深い意味を見出しているのかもしれないけれど...。
まず仏 Vogue に録音した 4 枚の集成(初期にセッションが多かった Lucky Thompson との録音集もある)から vol. 1 と 2 。vol. 1 は、近年、国内盤でビクターから紙ジャケのリマスタ盤が 2 枚リリースされているが(私も既にそれで持っている)、それが 1 枚に収載されたものである。音的には Vogue の方が硬い。溌剌とし、躍動感溢れるインタープレイではあるし、サイボーグの如き((C) Mr. Toku Ohbayashi )闊達な指回りながら、どうしても音色感−ピアノの音響感−に豊かさが出ない。「溌剌とし、躍動感溢れる」と言うのも、イケイケ的バップでのトリオの他の面々の方で、ソラルは馬力的には素晴らしいが、一人能面のようなクールさ。vol. 2 は、ソロは面白いが Fats Sadi とのヴァイブものは面白くない。
それは「At Newport '63」でも同じである。美国でのライブかと思ったら、スタジオ録音に applause をダビングしたものらしい。即興性も高いし、音のスリルもあるのだが、叙情とか情念のようなもの、詰まりジャズマンとしての彼の ethos があまり感じられない。「Suite for Trio」も凡そ上記の傾向だが、何せペデルセンのギターの如きベース( (C) 寺島靖国 )の妙技に耳を奪われっ放しで、今ひとつソラルの影が薄い。特に「No Delay」あたりの快速性など、巧者的感心はするが、音楽はどこか余所余所しい気もする。
ところが、ワルシャワでのソロ・ライブ「Martial Solal」! 大林師匠が今まで諭して呉れたソラルの真の面白さをやっと見せた! 以前「improvise pour France Musique」を聴いて感じたのだが、やはりソラルはソロの方が破格に面白い。かつ、大林師匠によれば、「ソロかつライブ」なのだそうである。
とにかく、ここでの音楽の流れよう溢れようといったら、どう表現したらよいのだろう。激流のように湧き舞うインスピレーション、その飛沫の大胆な生命力、そしていつもよりずっとファミリアな音の表情も! 毎度の小難しい技の披瀝はあるが、音楽は騎虎の勢いの感あり。これらの enthusiastic なソラルの演奏は、決して通常の彼から全く乖離したものではなく、あく迄も延長上にある。しかし、この境位に達した瞬間を捉えた録音が少ないということなのだろう。これが理解できただけでも、有り難き体験であった。
2.

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Fauré : Requiem op. 48
( EMI : TOCE-55147 ; JP )
- Requiem op. 48
Louis Noguera (br), Martha Angelici (sp)
Maurice Duruflé (org)
Chanteurs de St-Eustache et Orchestre Columbia
André Cluytens (dir)
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(cf.) Fauré : Requiem op. 48 etc.
( EMI / Musicalnote : 18MN-1001 ; JP )
- Fauré : Requiem op. 48
- Franck : Poème Symphonique "Psyché"
Louis Noguera (br), Martha Angelici (sp)
Maurice Duruflé (org)
Chanteurs de St-Eustache et Orchestre
Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire
André Cluytens (dir)
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クリュイタンスのフォーレの「レクィエム」は、リリースの関係で、62年録音ばかりが知られていた。しかし、或る程度の年齢層や高邁な古典音楽ファンによって、この 50 年録音が賞揚されてきた。だが、何分にもリリースに恵まれず、私も LP を入手するには長い時間がかかった。
CD では 94 年に MUSICALNOTE が EMI と共同でリリースした「クリュイタンスの遺産(全 9 巻)」の中で復刻されたが、原マスターが不良につき破棄されているため「板起こし」の由。そして昨年末、「Message To Our Friends」の中の 1 盤として、HS 2088 マスタリングで、再び江湖に送り出された。吉祥寺「RECOfan」にて。しかし、これ 1 曲でフルプライスとはねぇ...。
デジタル・リマスタ技術そのものにはさして関心がないので、「我が家の装置で」音の振る舞いだけ勝手に言わせていただければ、板起こし盤よりも、遙かに音像のディテールが見えるようになった。デュリュフレのオルガンの定位と見通しも良くなった。ただ、LP で聴く限り、音はもっと奥深い綾を豊かに醸し出しているから、CD では洗顔しすぎの顔艶たる印象。それからここでは「マスターテープにノイズ云々」の注意書きはあるが、板起こし盤のような注記はない。マスターのコピーでも出てきたのかしら。まさか××××の××××ではないでしょうね...。
さて 50 年録音だが、その暖かな表情はクリュイタンスならではの「此岸のドラマ」である。62 年録音との違いは「常なる微笑み」((C)Bernard Gavoty )の自然な開きの差でもあるが、内的表現追求への意欲の違いではなかろうか。ゆえに透明度を高め、人間的汚濁の世界から乖離すべく味わいとは聊か違う。同じ頃録音されたフルネ盤は、音楽がもっと硬いが、見通しは彼岸にある。彼岸か此岸かなど詮無き話題だが、クリュイタンス盤は、感傷の深い襞が作品の崇高さを超える、とでも言うべき味わいがあるかもしれない。それが 50 年録音の方に色濃く出ているというべきだろうか。
なお、従来、聖ユスタシュ合唱団+管弦楽団との表記であったが、新盤では資料に従い「コロムビア管弦楽団」と追記した由。と云っても、勿論、常設の楽団ではない。
1.

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J.S.Bach / Labadie : Goldberg Variations BWV 988
( DORIAN : xCD-902817 )
- Goldberg Variations BWV 988 (arr. by Labadie)
Les Violons du Roy
Bernard Labadie (dir)
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さて年末、NHK-FM の特別番組「磯山 vs 宮澤:グールドの魅力」。新旧ゴルドベルク変奏曲を挟んでの長時間の放送。久々にゴルドベルク変奏曲を楽しんだ。
そこで、四方さんから以前教えていただき興味のあった、上記、弦合奏+通奏低音の編曲録音を買い、年末から正月にかけて楽しむ。ゴルドベルク変奏曲に多種多様な編曲があることは、四方さんのサイトを見ていただければわかるが、演奏可能態の幅広さと実演の音楽的興発とは全然別な話だ。弦楽三重奏版のように退屈なものもあれば、この弦合奏+α版のように、単純に楽しめるものとはっきり分かれてしまう。
ラバディの編曲版、意外にも私は気に入ってしまった。明らかに JSB の音楽意匠ではない中に、JSB の音楽が朗らかに鳴っているからである。この編曲は、全ての変奏が一律弦合奏ではなく、弦重奏+テオルボの変奏など、変奏ごとに音の彩りや量感が違うので、飽きがこない。溌剌とした演奏もこの録音を楽しめる一因。
0. 余滴

Kegel's " Gurre-Lieder "
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年あけて最初に聴いたのは、ヘルベルト・ケーゲルによるシェーンベルク「グレ・リーダー」だった。
霊となったヴァルデマールの彷徨シーンなど、ケーゲルの特徴である過度に力を圧縮して解放する炸裂性、また圧縮の際に深く沈潜する剔り込みは濃密だ。しかし、これはあく迄一部的なものである。全編、此程に清逸な感性で美しさを湛えた演奏はない。音を練り上げる彼の術は、質量を軽くせぬ儘に一切の鈍重な濁りを廃するもので、特に弦の音色は、よく練り上げられた甘美さであり、明るく健全な透明度を持つ。寧ろ、ブレーズ盤の方が、臆面もなく腐爛的甘美さを溢出させているとさえ思う。
そもそも、ケーゲルは「闇の表現者」ではない。徒にこの側面を強調するのは、おかしな議論である。
ケーゲル最大の特徴は、特に独逸浪漫とその後裔における、こうした音色の清澄な美感にあると思うが、それは常に、暗澹たる怜悧な剔り込みと同居している。時としてこの澄み通った甘美さは、或る種の陰惨さへと面変わりする瞬間がある(コンテンポラリィでは、その清澄さから甘美さだけが消え、過酷な怜悧さに変貌するのだが...)。それは、独逸浪漫それ自体が歴史的に保持していた「陶酔と嗜虐」という自家撞着性と不可分なのだが、その点からも、ケーゲルは明らかに彼の umwelt にあった音楽の伝統によって育ち、正しくそれを固守した人ではなかったかと思うのだ。
そこには国際的な共通音楽言語という普遍の鍵はなかった。そしてその状態こそが、本然的な西洋古典音楽の土壌であった筈だ。「爆裂」と失笑を買う彼の指揮は、偶々彼がその作品と share できる共通言語がない、というだけのことなのである。
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