3.

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Realities and Illusions : Music and ideas around Philip II of Spain
( GLOSSA : GSP 98001 ; 3CDs )
Works by Fuenllana, Pisador, Cabezón, Valderrábano, Milán, Narváez,
Mudarra, Ortiz, del Enzina, Daça, Maymón, Páez
and anonymous composers
Ensemble la Romanesca
José Miguel Moreno (viuela, dir)
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De Occulta Philosophia J.S. Bach
( GLOSSA : GCD 920107 )
- Chaconne-Tombeau (from BWV 1004)
- Sonata BWV 1001 (trans. by Moreno)
- Sonata BWV 1004 (trans. by Moreno)
Emma Kirkby (sp), Carlos Mena (counter)
José Miguel Moreno (lute)
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何のご縁も悦びもない Christmas。買物ついでに、久々に吉祥寺「新星堂」に寄る。ケチ臭いワゴンセールをやっていた。アバド& BPO によるベートーベン全集など、他所より安価だったが、更に 1 割引で売っていた(さすがに完売したようだ)。この GLOSSA 2 盤はその中から拾う。
GLOSSA というレーベルは実に面白い。まず、タイトリングが振っている。
musica speclativa の集成たるサワークリームによる「passion of reason」もそうだったが、上記 2 盤もモレーノのリュート(ビウエラ)という地味な音楽ではあるけれど、人を惹きつける題名である。結局、私は各々単に題名とリュートの録音であるということだけで買った。特に後者は、JSB の使用楽器問題と楽曲に封された数秘に関する卓れた探究が解説に織りなされ、「JSB の隠された(神秘)哲学」というタイトルになっている。また前者は、元々、4 枚の単独リリースからの抜粋編集ではあるが、CD のプラケースよりも分厚く奢った解説書が附いている。勿論、内容も非常に読ませるものである。
解説といえば、GLOSSA のサイトを訪れて驚いたのは、CD の投げ込みが PDF ファイルでダウンロードできることである。興味がある盤ならば、先に解説を読んでみたいと思うこともある。その向きには堪らぬフォローだ。逆に言えば、最近の音盤の投げ込みが、如何に内容粗略なものが多く、装丁もいい加減かを揶揄した、彼等の自信の顕示と言えなくもない。
演奏に云々はない。「Realities and Illusions」は知らない作品ばかりのせいもあり、2 枚目の舞曲を除けば、ビウエラの郷愁に和むひとときを得た。リュートとしては、その力量に舌を巻きつつ好んで聴くオデットのような達者な技巧はないが、モレーノのビウエラの余韻が堪らない。また、JSB の方は、音の綾がリジッドに聴き取れる所為か、技術的には今ひとつ嶺を越えて欲しい部分もあるが、彼の撥弦には生きた間がたなびき、朴訥たる風雅を添える。これが気に入り、何度も楽しんだ。
これを聴きながら、学生の頃、ギター曲しか掛けない不思議な喫茶店に入り浸っていたのを思い出した。午後のまったりした陽差しの中、口は珈琲の香りを、眼は活字を、耳はギターやリュートの音を。しみじみ、これらの音たちは宇宙(microcosmos)だと思ったものである。
2.

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Clérambault : Motets pour Saint-Sulpice
( Virgin : 5 45415 2 )
- Panis angelicus
- Exultet omnium
- Domine salvum
- Domine à trois voix et deux violons
- O deliciis affluens
- Magnificat à trois parties
- Salve regina
- O piissima, o sanctissima
- Domine salvum
Gérard Lesne (alt)
Mark Padmore (tr), Josep-Miquel Raman i Monzó (bs)
Il Seminario Musicale
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Sources : Devotional Chants of Southern India & Medieval Europe
( Virgin : 5 45440 2 )
- Kamala Sulochana
- Alfonso el Sabio : Rosa das rosas
- Malarum Malarada
- Ave vergene & Raga Caliani
- Viderunt omnes
- Raga Hemavati
- Reading of the Genealogy of Christ
- Mahisha Sura Mardhini & Lalitha
- Hildegard von Bingen : O felix anima
- Kantamam
- Naadabindu
Aruna Sairam (vo)
Diminique Vellard (vo)
Gayatri Sairam (tampura)
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引越先に落ち着いたのは、12 月も半ば以降のことである。オーディオに血道をあげること再び。受ける音の量感が違うと、音楽や演奏の印象がかくも変わるものか、と改めて実感したのが、引越後の最大の収穫か。
さて、この数年、音楽との付き合い方が稀にみるほど濃厚だったため、無音地帯(パウゼ)の後に、自然に手が伸びる音楽は何か、が実は我ながら楽しみであった。しかし、予想に反し、まずは物欲が先陣をきる。
EMI の「Reflexe」10 巻(全 60 枚)を一気に買う。これは LP 時代の欠損を埋めんがためであった。ただ、未だ漠としているのだが、Reflexe の名のもとにはもっと多くの音源がある筈だと思う。しかし、此処にはその全部は収録されていない。エスペリオンものだけでも、単売でリリースされていた録音で見あたらないものが幾つかある。結局、聴きたい中身は限られているので、それらをさっさと聴くと片づけてしまった。
実際に、聴きたくて触手を伸ばしたのは、まず上記 Virgin の 2 枚である。職場近くの「HMV」で久々に。
まず、レーヌのクレランボー。クレランボーはサン=シュルピス教会のオルガニストを勤めた人だが、サン=シュルピスのリフォームの頃に書かれた声楽作品を主に纏めた録音。他の声楽曲同様、俗韻に満ちた教会音楽ではある。が、彼のオルガン作品の官能的浪漫が隠見する構造を解きほぐすべく階梯になる。レーヌは、毎度乍ら、稍々オペラ掛かったバロックの教会音楽はうまい。パドモアもよいと思う。
もうひとつは「Source」。これは塔音盤店の広報誌での紹介記事を読み、聴きたくなったものである(上記クレランボーも載っていたようだが、気付かなかった)。
南インドと中世ヨーロッパのコンジャンクション。謂わば、アナロジー・アルバムである。面白いより、音的に興味深い1枚。「Source」のタイトリングから想像すると、中世聖歌の旋律と南印古典ラーガとの構造的対比により、その源泉を遡及・逆遡及したもののように思えるが、解説にあるように「seeking out similarities」の一環たるものである。だとすれば、もう少し「学」から離れた想像力(おあそび)も欲しい。
1. (2000/10)

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ANA LUCIA CANTA TRISTE
( BOMBA RECORDS : BOM 16007 )
- Amei Tanto
- Andam Dizendo
- Carinhoso
- Derradeira Primavera
- Acalanto
- Diz Que Fui Por Aí
- Tem Dó
- Valsa De Eurídice
- Homem De Verdade
- Domingo Azul Do Mar
- Meu Todo Bem
- Blanço Do Mar
Ana Lúcia (vo)
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職場の統合とそれに伴うシステム系の修正、また私事では引越関連及び自宅システムの再構築と 9 月から 12 月の間、電網・音楽・読書とも遠く隔たった日々となった。音盤は売り払うばかりで、12 月に至る迄、上記壱枚を除き、全く買うことがなかった。本も半分近く売り、音盤も多くを呉れたり売ったりだった。音楽が、実のところは、吾が生命の糧になっていないのかもしれない、と考えた。私の場合、音楽も知識の一環として無意識に摂取しているだけではないか、とも思った。一般的な音楽ファンから吾が乖離があるとすれば、此辺ではないか、と。無論、それが在るべき姿とは露にも思っていない。しかし、世の中には私のような片端者もいるのだ。
ひと頃、自分の感銘ポイントや演奏分析を論理的に評言しようという愚かな試みもやったが、評論家(もどき)を被っても詮なきこと。寧ろ、大切なのは個人の音楽基調を詳らかにした上で、現在の自分がどう音楽をフィルタリングしているかという自己分析ではないか、と今は思っている。だからと言って、崩れた文章で演奏の褒貶を書く気はもうなく、名演の条件を大上段で構え書きする気もない。演奏という現象を客観的に叙事列挙することと駄演と名演の本然的区別をすることとは、必ずしも一致しないように思い始めたからである。
前者が可能だからといって、後者も万全というものではない。前者に卓れた書き手の賞揚する演奏ばかりを聴いていると、時に音楽というものがかくも貧しい泉かと思うこともある。音楽構造だの、対位法表現だの、楽器演奏の巧拙だの、といった善し悪しを超えた「何か」に強く惹かれる時の方が、音楽に素直にのめり込める自分を見出す。
長い能書きはともかく、無音だった秋の中の唯一の買物。
10 月下旬。偶々家具の探索で吉祥寺に寄った際、「RECOfan」で見つけたもの。ボサノヴァを聴く者なら、アナ・ルシアの名に覚えはあろう。ボサノヴァの歴史的転機となった 62 年 11 月のカーネギー・ホールでのボサノヴァ・コンサートのことだ。ブラジル、アメリカのボサノヴァ界の錚々たる顔ぶれが参加。その中に、アナ・ルシアという聞き慣れぬ女性ボーカルの名があった。しかし、何分、その声を聴いたことがない。熱心ではない私のような者には、音盤を探す熱意もあろう筈なく、ずっとその儘だった。
その謎の歌手が CD で復刻、聴かずにはいられぬ。メロウ・アルト系かつ細かなヴィブラートが特徴。歌唱力は真摯だが、囁きは甘い。しかし「幻のボサノヴァ・シンガー」というには、地味といえば地味だ。収録曲にボサノヴァらしい作品が少ないのだが、ふわふわした素人歌唱系が底流のボサノヴァより、ジャズ歌謡の方があうかもしれない。因みにアナ・ルシアは芸名。アナルシア・某というらしい。
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